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  11. 沖ノ原遺跡
日本歴史地名大系
沖ノ原遺跡
おきのはらいせき

[現]津南町赤沢 沖ノ原

中津なかつ川が信濃川に合流する左岸付近、比高一六〇メートルの断崖絶壁をなす相吉あいよし段丘の北端部にある。遺跡は標高四四二―四四六メートルに分布する。東に代官清水だいかんしみずの自然湧水を控えた縄文中期の径一二〇メートルに及ぶ環状大集落跡。一帯は計画的な桐畑として古くから開発され、桐の主産地として知られていた。第二次世界大戦中食糧増産のため開墾され、近年は総合農地開発事業が進められた。昭和四七―四八年(一九七二―七三)にかけて三次にわたる発掘調査が行われた。住居跡は二〇三号まで番号がつけられ、うち二個の欠番を含むものの四九棟の竪穴住居跡、三棟の長方形大型家屋跡と一棟の敷石住居跡、屋外埋設土器一基などを検出。完掘された住居跡は三棟の竪穴住居・長方形大型家屋一棟と敷石住居のみである。

第一号竪穴住居跡中央の大型馬蹄形敷石炉は長軸一九〇センチ、短軸一二〇センチ。周辺からは保存食とみられるクリの実やクッキー状・パン状の食物残滓炭化物が多量に出土。また大型家屋跡の巨大柱穴は、縄文中期の積雪地における生活を知る資料を提供した。柱穴・炉内の炭化物はナラ類の樹種であった。これはクリ、ドングリ、トチなどの堅果類が食糧として利用されたこと、クリやナラは家屋材として腐食しにくい丈夫な建築素材であること、割れやすく火勢のある燃料として適することや、この地方の縄文時代の植物相を知ることができる。大量の出土遺物は東北系大木7a式土器、馬高式火焔形土器から三十稲場式土器の後期初頭にわたる六期に編年される。さらに祭祀用の土偶・三角形土製品・環状石斧・有孔石斧・石棒などを検出。周辺地域に発見された同期の遺跡との地理的関係は、二・五―五キロの距離に位置し、当時の人口と生活範囲を示すものと考えられる。県南部信濃川流域を中心とした、縄文中期中葉から後期にかけての土器編年に、沖ノ原式として標式を示す。国指定史跡。

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