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  11. 帰化人
改訂新版・世界大百科事典

帰化人
きかじん

古代に海外から渡来して日本に住みついた人々,およびその子孫。平安時代以降もたえず少数の来住者があり,また近代には外国人が日本の国籍を取得することを法律上やはり帰化といっているが,来住者の数が多く,しかもそれが社会・文化の発展のうえでとくに大きな意味をもったのは,平安時代初頭までだったので,日本史上で帰化人といえば,主としてそのころまでの人々を指すのが普通である。現在では渡来人という呼称も用いられる。帰化の語はもとは中華思想から出た語であるが,日本では中国の慣例に従ってこの語を用いていたにすぎず,とくに王化を強調する意図があったわけではない。また,皇別,神別と並べて氏族の系統を分類する場合には諸蕃の語が用いられ,蕃別という語は存在しなかった。

初期の帰化人

大陸とのあいだの人間の往来は,弥生時代以前からもつねにあったにちがいないが,それが急に盛んになったのは,応神朝のころ,すなわち4世紀末から5世紀初頭にかけての時期と思われる。帰化系氏族の中でも最も歴史が古いと思われる西文(かわちのふみ)氏の王仁(わに)渡来伝説,秦(はた)氏の弓月君(ゆつきのきみ)渡来伝説,東漢(やまとのあや)氏の阿知使主(あちのおみ)渡来伝説などは,みなこの時期のこととなっている。もちろん帰化人にはこのような社会的地位のあった人々だけでなく,一般庶民や戦争の捕虜なども多く含まれていたが,彼らの大部分は畿内の地域に居住地を与えられて,そこでやがて中小の氏族を形成し,各種の学芸・技術によって朝廷で一定の世襲職の地位を与えられるようになっていった。その中の代表的な一群は文筆を専門とする諸氏で,彼らはみな史(ふひと)の姓(かばね)を持ち,いわゆる史部流(ふひとべりゆう)の文章を駆使して記録,徴税,出納,外交その他の業務に携わった。文字の使用は大和国家の行政技術と各種の文化を飛躍的に発達させることになったが,それらの活動は6世紀ころまではほとんど帰化人たちの独占するところであった。そのほか大陸系の進んだ各種の生産技術なども,初めはみな帰化人の専業で,その数が増してくると,やがて雄略朝のころに東漢氏がそれらのかなりの部分を統率する地位を与えられて,大きく発展することになったらしい。これらの初期の帰化人はみな百済(くだら),新羅(しらぎ),任那(みまな)(加羅)などの朝鮮各地から来た人々であるが,その中には前漢以来朝鮮の楽浪郡や帯方郡に来ていた中国人の子孫で各地に分散していたものもかなり含まれており,そのもたらした文化も主として漢・魏を源流とする大陸文化だったとみられる。

後期の帰化人

これに対して5世紀後半に入ったころから,中国の南朝文化の影響を受けた百済人や任那人などが渡来するようになり,また〈倭の五王〉の南朝通好に伴って中国から直接に渡来する人,さらに6世紀中ごろ以後になると高句麗(こうくり)との関係が好転したために,北朝系統の文化を持った高句麗人などもそれに加わるようになった。これらの新しい帰化人たちは新漢人(いまきのあやひと)などとも呼ばれたが,その新しい学芸・技術をもって古い帰化人を圧倒し,蘇我氏の時代から大化改新の前後にかけて,中央集権的な国家制度の発達と貴族的な飛鳥文化の展開のために目覚ましい活躍をした。初期仏教史上に名高い鞍作(くらつくり)氏の司馬達等(しばたつと)とその孫の止利(とり)仏師,遣隋留学生として中国に赴き,帰国して大化改新に参画した高向玄理(たかむくのくろまろ),僧旻(そうみん)などはその代表的な例である。

百済・高句麗の亡命者と奈良朝の帰化人

ところがやがて663年(天智2)に日本の水軍が唐の水軍との白村江(はくそんこう)の戦で大敗し,百済復興の望みが絶えると,そのとき百済の貴族・官人以下おそらく4000~5000人以上の人々が日本に亡命してきた。またその5年後に高句麗も新羅と連合した唐の軍勢に攻め滅ぼされたが,そのときにも高句麗王族を含むかなり多数の亡命者があった。おそらくこのときの亡命者群が,古代帰化人の中では集団をなして渡来した最大のものだったと思われる。しかしその後は朝鮮半島を統一した新羅との関係がそれほど親密ではなかったためもあって,朝鮮からの渡来者はほとんどなくなり,中国からも,唐僧鑑真(がんじん),波羅門僧菩提遷那(ぼだいせんな),林邑の僧仏哲などのように,遣唐使の往復に伴って渡来したものが散発的にあったにすぎない。このようにして4世紀後半以来の活発な帰化人の渡来は,7世紀半ばでほぼ終止符が打たれることになったが,その間に渡来した初期の帰化人,後期の帰化人,百済・高句麗の亡命者たちは,それぞれの時期の日本古代国家の社会と文化の形成と発展に貢献し,さらにその子孫たちは,みな奈良朝貴族社会の大きな構成要素となり,天平文化の重要な担い手として活躍することになった。しかしそのころには,帰化人たちも渡来後かなりの年代を経ており,また本来の日本人の貴族・官人たちも十分に大陸の学芸・技術を身につけて文化的活動を行うようになったため,一般に帰化人のもつ帰化人としての特色はしだいに失われ,やがて9世紀に入ったころには,その独自の歴史的意義は認められない状態となった。弘仁年間(810-824)に編纂された《新撰姓氏録(しんせんしようじろく)》をみると,そのころ京畿在住の氏族で系譜の確認されたもの1065氏のうち,諸蕃すなわち帰化系氏族は326氏で,全体の約30%を占めており,その内訳は漢(中国系)163氏,百済104氏,高麗41氏,新羅9氏,任那9氏となっている。
[関 晃]

[索引語]
渡来人 諸蕃 新漢人 新撰姓氏録(しんせんしようじろく)
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1. 帰化人
世界大百科事典
ない。このようにして4世紀後半以来の活発な帰化人の渡来は,7世紀半ばでほぼ終止符が打たれることになったが,その間に渡来した初期の帰化人,後期の帰化人,百済・高句 ...
2. きか‐じん【帰化人】
デジタル大辞泉
帰化によってその国の国籍を得た人。  ...
3. きか‐じん[キクヮ‥]【帰化人】
日本国語大辞典
〔名〕(1)帰化によって、その国の国籍を取得した人。*国籍法(明治三二年)〔1899〕一六条「帰化人帰化人の子にして日本の国籍を取得したる者及び日本人の養子又 ...
4. きかじん【帰化人】
国史大辞典
と、渡来して大小の氏族を形成したものが、在来の氏族と区別して、特に帰化人の氏族として意識されるようになった。そのような帰化人の渡来が目立ってくる最初の画期は、四 ...
5. 歸化人(きかじん)
古事類苑
外交部 洋巻 第1巻 17ページ ...
6. 帰化人
日本大百科全書
→渡来人 ...
7. 歸化人口分田 (見出し語:歸化人)
古事類苑
政治部 洋巻 第2巻 325ページ ...
8. 歸化人月料 (見出し語:歸化人)
古事類苑
封祿部 洋巻 第1巻 197ページ ...
9. 歸化人用本姓 (見出し語:歸化人)
古事類苑
姓名部 洋巻 第1巻 230ページ ...
10. 歸化人用苗字 (見出し語:歸化人)
古事類苑
姓名部 洋巻 第1巻 329ページ ...
11. 歸化人蠲免 (見出し語:歸化人)
古事類苑
政治部 洋巻 第2巻 990ページ ...
12. 歸化人賜姓 (見出し語:歸化人)
古事類苑
姓名部 洋巻 第1巻 227ページ ...
13. 歸化人贈位 (見出し語:歸化人)
古事類苑
官位部 洋巻 第1巻 259ページ ...
14. 歸化人附籍 (見出し語:歸化人)
古事類苑
政治部 洋巻 第2巻 34ページ ...
15. 歸化人用本姓 (見出し語:本姓)
古事類苑
姓名部 洋巻 第1巻 230ページ ...
16. あすか【飛鳥】
国史大辞典
言に、高市郡には朝鮮系渡来者が多く住み、他姓の者は十の一、二であるとあり、飛鳥の地にいわゆる帰化人が多かったのは事実であろう。そのうえ、この地にはしばしば皇居が ...
17. あすかでら【飛鳥寺】画像
国史大辞典
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18. 飛鳥美術
世界大百科事典
貢しており(紀),ここにも高句麗との関係がうかがえる。 鞍作止利は新漢人(いまきのあやひと)系の帰化人とみなされているが,太子の崩後に造立した法隆寺金堂の釈迦三 ...
19. アセビ画像
日本大百科全書
くなるためで、アシビおよびアセビは足しびれの意味だといわれている。おそらく大陸から馬を伴った帰化人が、アセビの有毒性に無知であったため、この葉を馬に食べさせてこ ...
20. 直
日本大百科全書
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21. 阿直岐
日本大百科全書
の王仁(わに)が招かれ、百済から渡来したといわれる。また後世に阿直史(あちきのふひと)という帰化人の氏族が存在したが、阿直岐はその始祖と伝えられている。阿直史は ...
22. 阿直岐
世界大百科事典
古代の百済からの帰化人。応神天皇のとき,百済王の使者として,良馬2疋を貢進し,大和の厩坂(うまやさか)で,その飼育をつかさどったという。名を阿知吉師(あちきし) ...
23. あちき【阿直岐・阿直伎】
日本国語大辞典
古代の百済(くだら)の使者で帰化人。阿直岐史(あちきのふひと)の祖。「日本書紀」によれば、応神天皇一五年百済王の命により来日して、良馬二匹を献上。菟道稚郎子(う ...
24. あち‐の‐おみ【阿知使主】
日本国語大辞典
古代の帰化人。東漢(やまとのあや)氏の祖とされる。「日本書紀」によれば、応神天皇二〇年、中国から一七県の人々を率いて来日、のち天皇の命で呉(くれ)におもむき、織 ...
25. 阿知使主
世界大百科事典
古代日本の帰化人のうち後漢霊帝の3世孫で,倭漢直(やまとのあやのあたい)の祖という。使主(おみ)は敬称,したがって阿智王とも記す。《日本書紀》や《続日本紀》の所 ...
26. あちのおみ【阿知使主】
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27. あべぐん【安倍郡】
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28. あま‐やき【尼焼】
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29. あめのひぼこ【天日槍】
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30. 天日矛
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31. あめや‐やき【阿米屋焼】
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32. あやうじ【漢氏】
国史大辞典
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33. あやひと【漢人】
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