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  11. 井原西鶴集

井原西鶴集

ジャパンナレッジで閲覧できる『井原西鶴集』の日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

新編 日本古典文学全集
井原西鶴集
いはらさいかくしゅう
【閲覧画面サンプル】
井原西鶴集 全体

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井原西鶴集 拡大

【現代語訳】
けした所が恋のはじまり
桜もすぐ散ってしまって嘆きの種だし、月も限りがあって山の端にはいってしまう。そんなはかない眺めよりもと、限りのない、女色・男色の二道に打ち込んで、夢介と替名を呼ばれる太尽は、その名も月の入佐山という歌名所のある但馬国生野銀山のあたりから、世事を捨てて、その道ばかりで京へ出てきた人であった。当時有名の遊蕩児、名古屋三左や加賀の八などと、菱の七つ紋を印として徒党を組み、身は酒浸しとなり、夜更けて三筋町からの帰り道、一条堀川の戻り橋を通るのに、あるときは若衆に扮するかと思えば、またあるときは坊主に変装したり、立髪鬘をかぶって男伊達になったり、場所柄だけに化物が通るとはこのことである。何かと噂されても、鬼を背負うた彦七のように平気な顔つきで、「太夫にかみ殺されても」と通いつめたので、いよいよ情が積もり、夢介はそのころとりわけ全盛の太夫葛城・薫・三夕の三人を、それぞれ身請けして、嵯峨や東山のほとり、または藤の森などに人知れず囲い、契りを重ねているうちに、その中の一人の腹から生れた子を、世之介と名づけた。

【目次】
目次
古典への招待
凡例
好色一代男(扉)
■絵入 好色一代男 一(扉)
巻一 あらまし
好色一代男 巻一 目録
・けした所が恋のはじまり
・はづかしながら文言葉
・人には見せぬ所
・袖の時雨は懸るがさいはひ
・尋ねてきく程ちぎり
・煩悩の垢かき
・別れは当座ばらひ

■絵入 好色一代男 二(扉)
巻二 あらまし
好色一代男 巻二 目録
・はにふの寝道具
・髪きりても捨てられぬ世
・女はおもはくの外
・誓紙のうるし判
・旅のでき心
・出家にならねばならず
・うら屋も住み所

■絵入 好色一代男 三(扉)
巻三 あらまし
好色一代男 巻三 目録
・恋のすて銀
・袖の海の肴売
・是非もらひ着物
・一夜の枕物ぐるひ
・集礼は五匁の外
・木綿布子もかりの世
・口舌の事ふれ

■絵入 好色一代男 四(扉)
巻四 あらまし
好色一代男 巻四 目録
・因果の関守
・形見の水櫛
・夢の太刀風
・替つた物は男傾城
・昼のつり狐
・目に三月
・火神鳴の雲がくれ

■絵入 好色一代男 五(扉)
巻五 あらまし
好色一代男 巻五 目録
・後は様付けて呼ぶ
・ねがひの掻餅
・欲の世の中にこれは又
・命捨てての光り物
・一日かして何程が物ぞ
・当流の男を見しらぬ
・今ここへ尻が出物

■絵入 好色一代男 六(扉)
巻六 あらまし
好色一代男 巻六 目録
・喰ひさして袖の橘
・身は火にくばるとも
・心中箱
・寝覚の菜好み
・詠めは初姿
・匂ひはかづけ物
・全盛歌書羽織

■絵入 好色一代男 七(扉)
巻七 あらまし
好色一代男 巻七 目録
・その面影は雪むかし
・末社らく遊び
・人のしらぬわたくし銀
・さす盃は百二十里
・諸分の日帳
・口添へて酒軽籠
・新町の夕暮島原の曙

■絵入 好色一代男 八(扉)
巻八 あらまし
好色一代男 巻八 目録
・らく寝の車
・情のかけろく
・一盃たらいで恋里
・都のすがた人形
・床の責道具
〔一代男跋文〕

好色五人女(扉)
■ひめぢ ニ すげがさ 好色五人女 ゑ入 一(扉)
巻一 あらまし
好色五人女 巻一 姿姫路清十郎物語
・恋は闇夜を昼の国
・くけ帯よりあらはるる文
・太鼓による獅子舞
・状箱は宿に置いて来た男
・命のうちの七百両のかね

■てんま ニ たる 好色五人女 ゑ入 二(扉)
巻二 あらまし
好色五人女 巻二 情けを入れし樽屋物がたり
・恋に泣輪の井戸替
・踊はくづれ桶夜更けて化物
・京の水もらさぬ中忍びてあひ釘
・こけらは胸の焼付さら世帯
・木屑の杉やうじ一寸先の命

■みやこ ニ こよみ 好色五人女 ゑ入 三(扉)
巻三 あらまし
好色五人女 巻三 中段に見る暦屋物語
・姿の関守
・してやられた枕の夢
・人をはめたる湖
・小判しらぬ休み茶屋
・身の上の立聞き

■江戸 ニ あを物 好色五人女 ゑ入 四(扉)
巻四 あらまし
好色五人女 巻四 恋草からげし八百屋物語
・大節季はおもひの闇
・虫出しの神鳴もふんどしかきたる君さま
・雪の夜の情宿
・世に見をさめの桜
・様子あつての俄坊主

■さつま ニ さらし 好色五人女 ゑ入 五(扉)巻五 あらまし
好色五人女 巻五 恋の山源五兵衛物語
・連吹きの笛竹息の哀れや
・もろきは命の鳥さし
・衆道は両の手に散る花
・情はあちらこちらの違ひ
・金銀も持ちあまつて迷惑

好色一代女(扉)
■絵入 好色一代女 一(扉)
巻一 あらまし
好色一代女 巻一 目録
・老女のかくれ家
・舞ぎよくの遊興
・国主の艶妾
・淫婦の美形

■絵入 好色一代女 二(扉)
巻二 あらまし
好色一代女 巻二 目録
・淫婦中位
・分里数女
・世間寺大黒
・諸礼女祐筆

■絵入 好色一代女 三(扉)
巻三 あらまし
好色一代女 巻三 目録
・町人腰元
・わざはひの寛濶女
・調謔歌船
・金紙匕髻結

■絵入 好色一代女 四(扉)
巻四 あらまし
好色一代女 巻四 目録
・身替長枕
・墨絵浮気袖
・屋敷琢渋皮
・栄耀願男

■絵入 好色一代女 五(扉)
巻五 あらまし
好色一代女 巻五 目録
・石垣の恋くづれ
・小歌の伝受女
・美扇恋風
・濡問屋硯

■絵入 好色一代女 六(扉)
巻六 あらまし
好色一代女 巻六 目録
・暗女は昼の化物
・旅泊の人詐
・夜発の付声
・皆思謂の五百羅漢

■解説
一 好色一代男
二 好色五人女
三 好色一代女

■付録(扉)
西鶴の時代の通貨
『好色一代男』の舞台
諸国遊里案内
西鶴年譜

■奥付



日本大百科全書(ニッポニカ)

井原西鶴
いはらさいかく
[1642―1693]

江戸前期の俳諧 (はいかい)師、浮世草子作者。大坂の富裕な商家に生まれ、本名は平山藤五 (ひらやまとうご)と伝える。

[浅野 晃]

俳諧師西鶴の登場

西鶴が俳諧師として独立したのは1662年(寛文2)21歳のことである。西山宗因 (そういん)門下の談林俳諧の俊秀としての西鶴の特徴は、処女撰集 (せんしゅう)『生玉万句 (いくだままんく)』(1673)の序に記すように、「狂句、かる口」の句作であった。その後、「阿蘭陀 (おらんだ)流」と称された自由奔放な俳諧的世界を拡大化して、延宝 (えんぽう)年間(1673~81)、矢数 (やかず)俳諧(弓術の大矢数をまねて、1日の間につくった句数の多さを競う俳諧興行)を創始して世間の注目を集める。77年(延宝5)5月に、1600句を独吟し、ついで80年5月には4000句を独吟、翌年『西鶴大矢数』と題して刊行した。その序に「自由にもとづく誹諧の姿を我仕はじめし已来也 (このかたなり)」と宣言している。この間、75年4月、34歳のとき妻を失い、3人の幼児を抱える家庭的な不幸を経験する。速吟と風俗詩を武器とする西鶴の激しい自己主張は、新しい俳諧愛好者集団の統率者としての立場を生む。80年6月20日付けの下里勘州 (しもざとかんしゅう)あての書簡に「今度西山宗因先師より、日本第一前代之俳諧の性と世上に申わたし、さてさてめいぼく此度 (このたび)也」と書き、自らの立場を宣伝している。この集団は、歌舞伎 (かぶき)、浄瑠璃 (じょうるり)の演劇の世界、また遊里社会とも密接な関係をもち、しだいに巨大な勢力に成長する。これが浮世草子作家西鶴の誕生を促すのである。

[浅野 晃]

『好色一代男』の出現

1682年(天和2)10月、大坂・思案橋荒砥屋 (しあんばしあらとや)孫兵衛可心というまったく無名の人物を版元として世に出た『好色一代男』8冊は、その斬新 (ざんしん)な構想と表現とによって、文学史上浮世草子時代の開幕を告げる記念碑的作品となった。ときに西鶴41歳。この作品は、上方 (かみがた)版3種、菱川師宣 (ひしかわもろのぶ)の挿絵入りの江戸版3種の刊行、また師宣の絵本としても流布し、上下都鄙 (とひ)にわたって多くの読者を獲得した。

[浅野 晃]

小説家西鶴の誕生

『一代男』の盛況は西鶴に自信と勇気を与え、第二作『諸艶大鑑 (しょえんおおかがみ)(好色二代男)』8冊を、1684年(貞享1)大坂の商業書肆 (しょし)池田屋から刊行し、自ら出版ジャーナリズムの渦中に入り、職業的な商業作家としての道を歩むことになる。このころ、談林俳諧の総帥西山宗因すでに亡く(1682年3月没)、俳諧に対する不信と絶望は西鶴の胸中にしだいに激しくなる。大坂・住吉神社の境内で、「神力誠を以 (もって)息の根留 (とむ)る大矢数」を発句とする、一日一夜2万3500句独吟興行という破天荒の事件を起こしたのは、84年6月5日のことであった。翌年には、小説の題材を遊里社会から一転して広く市井巷間 (こうかん)に求め、諸国の珍譚 (たん)奇譚集『西鶴諸国ばなし』5巻を池田屋から刊行し、続いて、当時評判の歌舞伎劇に刺激されて、実在の有名な人物をモデルとした『椀久一世 (わんきゅういっせい)の物語』を発表する。これらの作品において、西鶴は生得の話芸的方法を駆使しつつ、ようやく小説的な主題として、傾斜する運命に翻弄 (ほんろう)されながらもひたむきに生きる人間たちの哀れさやけなげさを発見してくるのである。この時期、西鶴は歌舞伎や浄瑠璃の演劇界へも深入りをみせる。83年(天和3)正月、役者評判記『難波 (なにわ)の㒵 (かお)は伊勢 (いせ)の白粉 (おしろい)』を刊行し、85年(貞享2)には、かねて贔屓 (ひいき)の宇治加賀掾 (かがのじょう)のために浄瑠璃『暦 (こよみ)』『凱陣八嶋 (がいじんやしま)』を新作する。この二つの作品は、近松門左衛門が新進の竹本義太夫 (ぎだゆう)のために書いた『賢女 (けんじょ)の手習并 (ならびに)新暦』『出世景清』と競演になり、浄瑠璃史上画期的な事件を引き起こしたことで有名である。

[浅野 晃]

流行作家西鶴

翌1686年(貞享3)に入ると、2月には大坂・森田庄太郎より『好色五人女』、6月には池田屋から『好色一代女』を刊行し、西鶴浮世草子は本格的な展開の時期を迎える。前者では、巷間で著名な悲恋物語を演劇的な緊張した場面のなかでみごとに形象化することに成功し、後者では、仮名草子以来の「懺悔物 (さんげもの)」の構想を利用して1人の女性の流転の生涯を描き上げ、人生の深淵をのぞかせる人生観照の深さを示している。これ以後、多彩な作品群が続々と出現する。『本朝二十不孝』(1686.11)、『男色大鑑 (なんしょくおおかがみ)』(1687.1)、『懐硯 (ふところすずり)』(1687.3)、『武道伝来記』(1687.4)、『日本永代蔵 (にっぽんえいたいぐら)』(1688.1)、『武家義理物語』(1688.2)、『嵐無常物語 (あらしはむじょうのものがたり)』(1688.3)、『色里三所世帯 (いろざとみところしょたい)』(1688.6)、『新可笑記』(1688.11)、『好色盛衰記』(1688年中)、『一目玉鉾 (ひとめたまぼこ)』(1689.1)、『本朝桜陰比事 (おういんひじ)』(1689.1)の諸作である。こうした題材の拡散による多作現象は、西鶴が流行作家として商業出版界の焦点となり、書肆の求めに応じて趣向を凝らして執筆した結果である。作家西鶴の周囲には、全国各地の情報提供者の存在、さらには創作活動に立ち入った助力者の介在も推定できる。西鶴工房において、編集者西鶴の新しい才能が発揮されているのである。多彩な作品群において、転変きわまりない人間の運命と、善悪二途に揺れ動く世の人心に向けられた小説的主題はいっそうの深化を示してくる。

[浅野 晃]

町人物の世界

1688年(元禄1)正月、町人物の第一作『日本永代蔵』6巻が、大坂・森田庄太郎、京都・金屋長兵衛、江戸・西村梅風軒と三都書林連名で出版される。元禄 (げんろく)町人が直面した経済社会の光と影、そこに生きる町人大衆の転変たる運命を描いたこの作品は、ベストセラーとして全国的に広範な読者層を獲得することになる。続いて『甚忍記 (じんにんき)』全8冊を刊行する予定であったが、これは未定稿として残され、遺稿集『西鶴織留 (おりどめ)』(1694)にその大部分が吸収されたものと推定される。門人北条団水 (だんすい)によって整理された遺稿集『西鶴俗つれづれ』(1695)、『万 (よろず)の文反古 (ふみほうぐ)』(1696)、『西鶴名残 (なごり)の友』(1699)の諸編もまたこの前後に執筆されたものと思われる。89年春以降、浮世草子の制作は急に衰えをみせ、一度は捨て去った俳諧へ復帰する動きが目だち、その俳風も淡々とした落ち着きさえ感じられる。このころ、眼病その他健康上の障害に悩んだようだが、92年正月、生前刊行された最後の町人物『世間胸算用 (せけんむねさんよう)』5巻が、大坂・伊丹屋太郎右衛門 (いたみやたろうえもん)、京都・上村 (うえむら)平左衛門、江戸・万屋 (よろずや)清兵衛から刊行される。大晦日 (おおみそか)の24時間に焦点をあわせて、町人生活の悲喜こもごもの姿を描いた20編を収めているが、そこには立身出世を説く教訓や談理の傾向は影を潜め、赤裸々な町人生活の現実が巧みな話芸的方法にのって語り出されている。近代のリアリズム小説を思わせる作品を含み、絶望的な現実生活を「哀れにも又おかし」(巻5「平太郎殿 (へいたろうどの)」)と見つめる強靭 (きょうじん)な作家精神を指摘することができる。そこに作家西鶴が到達した人間観照の深さがあり、他の追随を許さない独自の世界が出現している。

[浅野 晃]

西鶴の最期

1693年(元禄6)8月10日、辞世の句「人間五十年の究 (きはま)り、それさへ我にはあまりたるにましてや 浮世の月見過しにけり末二年」を残して、大阪市中央区谷町3丁目にほど近い錫屋 (すずや)町の草庵 (そうあん)で、52歳の生涯を終える。絶筆となった草稿を北条団水が編集し、『西鶴置土産 (おきみやげ)』と題してこの年の冬追善出版するが、遊女遊びの果てに零落した男たちを描いた15章は、『好色一代男』で出発した西鶴の最期を飾るにふさわしいものとなった。「人には棒振虫同前に思はれ」(巻2)の主人公のように、どん底に落ち込んだ人間たちが、ぎりぎりのところで示すせつないまでの心情の美を描いた作品がみられ、人間的な感動を表現している。転変きわまりない人世の諸相に限りない愛着を示し続けた西鶴は、人生の真実をはっきりと見据えたのであり、ここに後世の批評に堪えうる真価がある。「仙皓 (せんこう)西鶴」の4字を刻んだ墓は、大阪市中央区上本町4丁目の菩提寺 (ぼだいじ)誓願寺に、遺弟北条団水と下山鶴平の両名によって建立されている。

[浅野 晃]

西鶴と近代文学

西鶴の文学は近代の作家たちにもさまざまな影響を与え続ける。尾崎紅葉の『伽羅枕 (きゃらまくら)』(1870)や幸田露伴 (ろはん)の『井原西鶴』(1870)など、西鶴の文体や趣向の妙を評価し、その影響が著しい。樋口一葉 (ひぐちいちよう)も『大つごもり』(1894)、『たけくらべ』(1895)に西鶴調を生かした。自然主義文学時代には、西欧写実主義理論に導かれた西鶴理解が展開する。田山花袋 (かたい)の『インキ壺 (つぼ)』(1909)、正宗白鳥 (まさむねはくちょう)の『古典について』(1927)などがあるが、なかでも真山青果 (まやませいか)の西鶴傾倒は著しく、ついに『西鶴語彙 (ごい)考証』(1948)のような本格的な研究を生む。また、武田麟太郎 (りんたろう)の『井原西鶴』(1937)、織田作之助 (おださくのすけ)の『西鶴新論』(1942)、太宰治 (だざいおさむ)の『新釈諸国咄 (ばなし)』(1945)などがあり、吉行淳之介 (よしゆきじゅんのすけ)の意欲的な現代語訳が話題になったこともある。

[浅野 晃]



世界大百科事典

西鶴
さいかく
1642-93(寛永19-元禄6)

江戸前期の俳人,浮世草子作者。宗因門。姓は井原。別号は鶴永,雲愛子,四千翁,二万翁,西鵬(さいほう)。軒号は松風軒,松寿軒,松魂軒。出自や家系はすべて明らかでないが,一説によると,俗称を平山藤五という大坂の裕福な町人で,名跡を手代に譲り,気ままに生きることを選んだという(《見聞談叢》)。彼自身,15歳のころ俳諧を始め,21歳のころ点者になったというが,師承系列も明らかでなく,立机(りつき)の時期も,歳旦吟(歳旦帳)の見え始める1672年(寛文12)31歳のころとすべきであろう。翌73年(延宝1),貞門から異端視されていた宗因ら新興勢力の楯となるかたちで《生玉万句(いくたままんく)》を興行,また大坂俳壇の正統的な人脈の中に自己を位置づけるべく《哥仙(かせん)大坂俳諧師》を編んで,中央俳壇進出の望みを果たした。俳風は奇抜な談林風を基調としつつ,世俗の人情や生活に根ざした〈俳言(はいごん)〉を〈軽口(かるくち)〉に任せて速吟する点に特徴があった。75年4月,3人の幼児をのこし25歳の若さで病没した愛妻追善のため《独吟一日千句》を興行,同年冬,剃髪して僧形となった。速吟の傾向はこのころからいっそう強まり,77年に1日1600句の独吟《西鶴俳諧大句数(おおくかず)》,80年に同じく4000句の独吟《西鶴大矢数(おおやかず)》を成就した。80年代(天和・貞享期)の俳諧は,漢詩文もどきのことば遊びから優美な連歌調へ,〈親句(しんく)〉の付合(つけあい)から〈疎句(そく)〉の付合へと急速に移り変わったが,今様の風俗を俳言と俳言の緊密な付合上に描き出そうとする親句主義の西鶴はこれについてゆけず,一時俳諧の制作から遠ざかった。しかし俳言による表現意欲は衰えず,一般に俳人の転合書(てんごうがき)というかたちで存在した散文の制作に力を入れ,82年(天和2)《好色一代男》を完成,これが浮世草子の第1作となった。

 小説として豊かに肉づけられたこの俳言の書は,俳人層を中心にひろく受け入れられ,版を重ね,西鶴の作家的自覚と書肆の出版意欲とを促し,84年(貞享1)には〈世の慰草(なぐさみぐさ)を何かなと尋ね〉た遊里小説集《諸艶大鑑(しよえんおおかがみ)》(別称《好色二代男》)が出された。この年また矢数俳諧に挑み,時代錯誤とはいえ,1日独吟2万3500句という,余人の追随を許さぬ快記録を立てたことで,いよいよ作家活動へのふんぎりがついたとみえ,翌85年から88年(元禄1)にかけての短期間に,《西鶴諸国はなし》《椀久(わんきゆう)一世の物語》《好色五人女》《好色一代女》《本朝二十不孝》《男色(なんしよく)大鑑》《懐硯(ふところすずり)》《武道伝来記》《日本永代蔵(えいたいぐら)》《武家義理物語》《嵐無常物語》《色里三所(みところ)世帯》《新可笑記》《好色盛衰記》《本朝桜陰比事》など,浮世草子の大半を書き上げた。それらは,色欲や物欲のためにくりひろげられるさまざまな男女の悲喜劇を,話芸的方法で描いた短編小説集であるが,故事・古典のタネを今様にふくらませるしかたに俳諧性が感じられ,個々の話が主題への凝集性をもたず,人物,素材,話柄などの外枠によって集成され,著しく未完結的である点に前近代的な性格が認められる。

 89年ころから俳壇に復帰,西鶴らの評点を笑いものにした《俳諧物見車(ものみぐるま)》(1690)への反論書《俳諧石車》(1691)の述作に情熱を燃やすなど,健在ぶりを示した。一方,散文の面では,92年名作《世間胸算用(せけんむねざんよう)》を制作,市井の片隅にうごめく無名の人々の生きざまを,大晦日の一日に限定して描いてみせ,作家西鶴の一つの到達点をうかがわせた。翌93年8月10日,〈人間五十年の究り,それさへ我にはあまりたるに,ましてや〉と前書き,〈浮世の月見過しにけり末二年〉(《西鶴置土産》)の吟を辞世に,大坂で没した。52歳。墓は八丁目寺町誓願寺(現,大阪市中央区上本町西)にある。法名は仙皓(せんこう)西鶴。没後,《西鶴置土産》《西鶴織留(おりどめ)》《西鶴俗つれづれ》《万の文反古(よろずのふみほうぐ)》《西鶴名残の友》などの遺稿が,門人北条団水によって整理され,出版された。〈大晦日さだめなき世の定めかな〉(《三ケ津》)。
[乾 裕幸]

[索引語]
鶴永 平山藤五 哥仙(かせん)大坂俳諧師 独吟一日千句 西鶴俳諧大句数(おおくかず) 西鶴大矢数(おおやかず) 親句 疎句 俳諧物見車(ものみぐるま) 俳諧石車 西鶴織留(おりどめ) 西鶴俗つれづれ 西鶴名残の友
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中国近代文学の父であり,偉大な思想家でもある魯迅は,知識人としての苦悩のなかで,中国の「寂寞」を見つめ,自らをも傷つける「革命」を志向する。著者会心の魯迅伝。1965年07月刊
論語徴(東洋文庫)
秦・漢以前の古文辞に対する確固たる自信から孔子の言論を読みとく,論語の注釈のなかでもっとも論争的な注釈書。卓抜した孔子論を展開するとともに,徂徠自身の思想も開陳する。第1巻は,学而,為政,八佾,里仁,公冶長,雍也,述而,泰伯。1994年03月刊
近世和歌集(日本古典文学全集)
年内立春 去年と今年の二本の緒で縒り合わせて掛けて同じ年が一本にまとまらないように、こんがらがってなかなか理解できない春はやって来た。やや趣向倒れの感がある。長嘯子としては機知を働かせたのだろうが。鶯 軒端の梅が咲いていて、一晩中鶯の到来を
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