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首里城

ジャパンナレッジで閲覧できる『首里城』の日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ

首里城
しゅりじょう

沖縄県那覇(なは)市首里当蔵(とうのくら)にある城跡。琉球(りゅうきゅう)王国時代の王宮にあたり、東西最長約400メートル、南北最長約270メートル、全体に楕円(だえん)形の城域をもつ。面積4万6167平方メートルの規模をもち、堅牢(けんろう)な石垣で囲まれていた。外郭に四つの石造拱門(きょうもん)(アーチ門)、内郭に八つの門があり、その内部には正殿をはじめ多くの施設が建ち並んでいた。有名な守礼門(しゅれいもん)は首里城に至る第二の外門にあたる。15世紀初期に尚巴志(しょうはし)の手で整備され、以後、火災などによりしばしば損壊を受けたが、そのつど再建され、王国の拠点としての偉容を誇った。1879年(明治12)、明治政府の命により国王尚泰(しょうたい)が城を明け渡すことにより王国は崩壊、王宮としての首里城の歴史にも終止符が打たれた(琉球処分)。その後、熊本鎮台沖縄分遣隊の営所として用いられたが、伊東忠太(いとうちゅうた)らの尽力で1923年(大正12)大修築が行われ、その2年後に国宝に指定された。第二次世界大戦中の1944年(昭和19)日本軍第三二軍の司令部壕(ごう)がその地下につくられたためアメリカ軍の砲爆撃を受け全壊した。戦後、アメリカのきもいりで跡地に琉球大学ができ(1950)、1972年国指定史跡となった。その後、大学が移転したため、1986年から正殿、城壁、城門の復原工事が進められ、1992年(平成4)沖縄海洋博覧会記念公園とあわせて国営公園沖縄記念公園が開園したのに伴い、首里城跡一帯は同公園の首里城地区(首里城公園)となった。なお、首里城公園では歴史的景観の再現を目ざして、建造物や庭園の整備が続けられている。
2000年、琉球地方の独特な文化遺産群を対象に「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)に登録された。登録遺産群は、(1)首里城跡、(2)園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)、(3)玉陵(たまうどぅん)、(4)識名園(しきなえん)、(5)今帰仁城(なきじんじょう)跡、(6)勝連城(かつれんじょう)跡、(7)座喜味城(ざきみじょう)跡、(8)中城城(なかぐすくじょう)跡、(9)斎場御嶽(せいふぁうたき)、の9か所であるが、首里城跡はその代表的史跡としても知られる。
[高良倉吉]

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検索コンテンツ
1. 首里城
日本大百科全書
覧会記念公園とあわせて国営公園沖縄記念公園が開園したのに伴い、首里城跡一帯は同公園の首里城地区(首里城公園)となった。なお、首里城公園では歴史的景観の再現を目ざ ...
2. 首里城
世界大百科事典
72年に国の史跡に指定。同年から復元工事が開始され,92年首里城正殿が復元されたのを機会に11月3日一般に公開された。城壁は現在も年次計画で復元中である。200 ...
3. しゅり‐じょう【首里城】地図
デジタル大辞泉
沖縄県那覇市にある旧琉球王城。15世紀から19世紀まで尚氏の居城であった。昭和20年(1945)の沖縄戦で灰燼に帰したが、その後、守礼門・正殿などが復元された。 ...
4. しゅりじょう【首里城】
国史大辞典
那覇市首里当蔵(とうのくら)町にあった城。琉球国王尚氏の居城。その創建は、十四世紀察度(さっと)王代とも、またそれ以前ともいわれる。けれども十五世紀初め、尚巴 ...
5. 首里城跡[百科マルチメディア]
日本大百科全書
国指定史跡 世界文化遺産「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」の一部(2000年登録) 沖縄県那覇(なは)市 〓沖縄観光コンベ ...
6. 首里城歓会門[百科マルチメディア]
日本大百科全書
国指定史跡 世界文化遺産「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」の一部(2000年登録) 沖縄県那覇(なは)市 〓沖縄観光コンベ ...
7. しゅりじょう‐こうえん【首里城公園】地図
デジタル大辞泉
沖縄県那覇市にある公園。園内には首里城正殿や守礼門などの文化財が点在する。海洋博公園とあわせて、国営沖縄記念公園をなす。  ...
8. しゆりじようあと【首里城跡】沖縄県:那覇市/首里
日本歴史地名大系
執り行うこともあった。〔文学〕首里城各所は「おもろさうし」をはじめ、古謡や漢詩などにしばしば登場する。「おもろさうし」に「けおのうち」(京の内)がみえる。京の内 ...
9. 2000円札[新語流行語]
イミダス 2016
首相直轄のミレニアム・プロジェクト(千年紀事業)の目玉として検討されていた。新しい紙幣の絵柄は、表が沖縄県の首里城にある「守礼門」、裏は約千年前の「源氏物語」の ...
10. あいじよーうふみち【綾門大道】沖縄県:那覇市/首里
日本歴史地名大系
九尺ほどあると記されている。綾門大道の景観は、「沖縄志」所載の首里城図・首里総図や琉球貿易図屏風(滋賀大学経済学部附属史料館蔵)などの鳥瞰図群に描かれている。首 ...
11. あかたむら【赤田村】沖縄県:那覇市/首里
日本歴史地名大系
[現]那覇市首里赤田町一―三丁目 崎山村の北、首里城継世門(赤田御門)の東に位置する。南風之平等のうち。崎山村・鳥小堀村とともに首里三箇とよばれた。首里古地図に ...
12. あかふいらむら【赤平村】沖縄県:那覇市/首里
日本歴史地名大系
[現]那覇市首里赤平町一―二丁目 首里城の北に位置し、西は上儀保村、北は虎頭山を背にして前面に真嘉比川が流れる。アカフィラとよぶ。西之平等のうち。首里古地図には ...
13. あさとうむら【安里村】沖縄県:那覇市/旧島尻郡地区
日本歴史地名大系
った(「練兵場及射的場受領ノ件」沖縄県史)。一九〇八年安里村小字赤真加利原に県立高等女学校が首里城内の校舎より新築移転。翌年女学校の隣接地に陸軍墓地が造られた。 ...
14. あじやむら【安謝村】沖縄県:那覇市/旧島尻郡地区
日本歴史地名大系
年に、安謝村密那都原(現小字港原)・喜利知原(現小字義理知原)の塩田を石で囲い庄田としたが、首里城の風水に影響を与えるとして、咸豊五年(一八五五)これまでの庄田 ...
15. あだにがーうたき【安谷川御嶽】沖縄県:那覇市/首里/当蔵村
日本歴史地名大系
御嶽の奥には鍾乳洞がある。首里三平等の大あむしられのうち、首里大あむしられ(首里殿内)が所管する首里城外の六御嶽の一つ(琉球国由来記)。首里古地図にはアダニガー ...
16. あまみ【奄美】鹿児島県:総論
日本歴史地名大系
月二八日条)、天順二年(一四五八)琉球王国は朝鮮・中国・日本との中継貿易を盛んに行っていた(首里城正殿「万国津梁」大鐘銘)。応仁の乱で琉球と日本間の船が少なくな ...
17. あまみおおしま【奄美大島】鹿児島県:大島郡
日本歴史地名大系
掟・目差(目指)などの役職に補任されていたが、ノロの伴神(カミニンジョ)という勢頭(船頭)、首里城に設けられた行政機関の一つと推定される「はゑんこおり」(南風の ...
18. あまわり【阿摩和利】
国史大辞典
は、夫人とともに勝連城を脱走して、阿摩和利の陰謀を尚泰久に告げた。阿摩和利も急に軍兵を整えて首里城に押し寄せ、火を放って攻めたが、衆寡敵せず大敗して勝連城に逃げ ...
19. 泡盛
世界大百科事典
強調するため,島津藩が表文作成にあたって,泡盛と名づけたとする説がある。琉球王朝時代には王家の監督下に,首里城下の赤田,崎山,鳥小堀の3ヵ村で40人の焼酎職が製 ...
20. あんこくさん【安国山】沖縄県:那覇市/首里/町端村
日本歴史地名大系
[現]那覇市首里真和志町一丁目 首里城の北西、龍潭の南岸にある丘陵地で、南東端に園比屋武御嶽がある。東にあるハンタン山(円鑑池の南)と相対していた。宣徳二年(一 ...
21. あんこくじ【安国寺】沖縄県:那覇市/首里/寒水川村
日本歴史地名大系
[現]那覇市首里寒川町一丁目 首里城の西方に位置する。太平山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊不動明王。首里古地図によると首里城正面から西に延びる綾門大道に面し、守礼 ...
22. あん‐じ【按司】
日本国語大辞典
の変化した語)明治以前の琉球の官名の一つ。間切(まぎり)ごとに割拠した豪族の称。各地の豪族を首里城下に居住させるようになってからは王子に次ぐ家格となった。寨官( ...
23. イエズス会士中国書簡集 5 紀行編 258ページ
東洋文庫
旧王城跡には現在琉球大学の校舎が建っている。昭和二十五年に旧城の石垣の上に建てられた鉄筋建築物である。かつての首里城は東西約四百メートル、南北三百メートル、面積 ...
24. いしがきじま【石垣島】沖縄県:八重山諸島/石垣市
日本歴史地名大系
記して二人の人物とする。しかし事件後八重山は完全に王府の版図に組込まれ、正徳四年(一五〇九)首里城正殿の基壇欄干にも「当西南有国、名曰太平山、弘治庚申春、遣戦艦 ...
25. いぜなじま【伊是名島】沖縄県:伊是名島・伊平屋島/伊是名村
日本歴史地名大系
の三庫理のギヨウノハナや首里城内京の内のキヤウに相当するものか。また勢理客集落のタノカミ御嶽はかつて神女が山籠りをした所であるが、その神名をソノヒヤブというのも ...
26. 一乗谷朝倉氏(いちじょうだにあさくらし)遺跡[考古学]
イミダス 2016
石英、鉛などが出土している。中世後期(室町・戦国時代)の溶解ガラス片は、青森県浪岡城、沖縄県首里城から見つかっているが、はっきりとしたガラス工房としては初めての ...
27. いとかまじあと【糸蒲寺跡】沖縄県:沖縄島中部/中城村/津覇村
日本歴史地名大系
糸蒲寺には不動明王および脇立二体が安置されていたが、あるとき寺が火災になると不動明王は禁城(首里城)漏刻門に飛来し、法堂に移されたのち神徳寺(現那覇市)を経て護 ...
28. う【御】[方言]
日本方言大辞典
〔接頭語〕尊敬やていねいの意を表す。お。《ん》とも。 沖縄県首里「うぐすぃく(御城。首里城のこと)」「んぱー(御歯)」993沖縄語辞典(国立国語研究所)1963 ...
29. ういーじーぶむら【上儀保村】沖縄県:那覇市/首里
日本歴史地名大系
[現]那覇市首里儀保町一丁目・同三丁目 首里城の北に位置し、東は赤平村、西は下儀保村、南は南風之平等当蔵村、北は久場川村。ウィージーブとよぶ。西之平等のうち。首 ...
30. うちかなぐしくむら【内金城村】沖縄県:那覇市/首里
日本歴史地名大系
[現]那覇市首里金城町三―四丁目 首里城の南に位置し、西は金城村、東は南風之平等崎山村、南は真和志間切茶湯崎村。金城村との境を真玉道が南北に通る。真和志之平等の ...
31. うちがにくやま【内兼久山】沖縄県:那覇市/久米村
日本歴史地名大系
また西側の斜面は岩肌がむきだしになり、南側には孔子廟があり、北側には東禅寺と思われる敷地もある。琉球那覇港及首里城間之図(県立博物館蔵)では松尾山と内兼久山が連 ...
32. うちやくやあと【御客屋跡】沖縄県:那覇市/首里/寒水川村
日本歴史地名大系
[現]那覇市首里寒川町一丁目 首里城外西方に登城する薩摩鹿児島藩の役人の控所として設置された施設。ウチャクヤとよばれた。寅賓館とも。首里古地図によると綾門大道の ...
33. うどうにがーむら【大飩川村】沖縄県:那覇市/首里
日本歴史地名大系
[現]那覇市首里山川町一丁目 首里城の北西、首里台地の西斜面に立地し、北から東は山川村・真和志村、西は与那覇堂村、南は寒水川村。ウドゥニガーあるいはウドゥンガー ...
34. うなー【御庭】[方言]
日本方言大辞典
沖縄の首里城の正殿前の広庭。 沖縄県首里993沖縄語辞典(国立国語研究所)1963 ...
35. うふちゆんむら【大中村】沖縄県:那覇市/首里
日本歴史地名大系
立派な御方)/たりしよ ゆそい(なるほど この世を支配せん)/又 くすくま人 けらへま人(首里城の真人 立派な御方)/又 たまき ゑらて さゝちへ(玉佩き〔刀 ...
36. うふんみうどうんあと【大美御殿跡】沖縄県:那覇市/首里/真和志村
日本歴史地名大系
[現]那覇市首里真和志町二丁目 首里城の城外西方にあった琉球国王の別邸。大美殿とも記され、ウフンミウドゥン、ウフミウドゥンとよぶ。首里古地図によると、綾門大道の ...
37. うらしーかいどう【浦添街道】沖縄県:沖縄島中部/浦添市
日本歴史地名大系
近世に首里城と浦添間切を結んだ官道で、西海道の一部にあたる。正保国絵図に朱で描かれた首里城から浦添間切伊祖村を経て牧湊村に至る道筋にあたり、公事道とも通称された ...
38. うらしーまぎり【浦添間切】沖縄県:沖縄島中部/浦添市
日本歴史地名大系
東は西原間切、南は真和志間切。「琉球国旧記」「球陽」には浦添郡・浦添県とみえる。里積記によれば首里城から中間村に置かれた間切番所まで八合六勺三才(三一町余)。も ...
39. うらそえぐすく【浦添グスク】沖縄県:沖縄島中部/浦添市/中間村
日本歴史地名大系
第二次世界大戦前から高麗系瓦が大量に出土することで知られていたが、伊波普猷や東恩納寛惇の研究以後、首里城に中山王城が移る以前の英祖王統や察度王統の王城で、武寧王 ...
40. うらそえし【浦添市】沖縄県:沖縄島中部
日本歴史地名大系
寧が冊封をうけたが、同四年に佐敷按司巴志(尚巴志)・思紹軍に攻められ滅亡、その後中山の拠点は首里城に移ったとされる。正徳三年(一五〇八)第二尚氏三代尚真の長子尚 ...
41. うるくまぎり【小禄間切】沖縄県:那覇市/旧島尻郡地区
日本歴史地名大系
同三二年には港を防衛するための屋良座森グスクが設けられた(やらさもりくすくの碑文)。正保国絵図によると、首里城から西に向かった島尻方西海道は渡地から那覇川(湊) ...
42. うーざとうまぎり【大里間切】沖縄県:沖縄島南部/大里村
日本歴史地名大系
西は東風平間切・南風原間切と接し、北東側が海に面する。ウーザトゥ間切とよぶ。島尻方一五間切の一。里積記によると首里城から南風原村の間切番所まで一里。絵図郷村帳・ ...
43. 円覚寺
世界大百科事典
沖縄県那覇市にあった臨済宗妙心寺派の寺。山号は天徳山。1492年に尚真王が父尚円追福のため首里城北側に起工し,94年に完成。開山は南禅寺46世椿庭海寿の法孫,芥 ...
44. えんかくじあと【円覚寺跡】沖縄県:那覇市/首里/当蔵村
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[現]那覇市首里当蔵町二丁目 首里城久慶門の北にあった臨済宗の寺。沖縄戦で破壊され、復元・修復された総門と放生池・放生橋があるのみ。国指定史跡。山号は天徳山、本 ...
45. 御冠船踊
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琉球(りゅうきゅう)王朝時代に中国皇帝の使者として来琉した冊封使(さくほうし)一行を歓待するために、首里城内の特設舞台で催された芸能。1404年(応永11)から ...
46. 沖縄(県)
日本大百科全書
国王はティダ(太陽)あるいは世の主(よのぬし)と称されて、その統治拠点であった王都首里には王宮首里城をはじめとする幾多の建造物が建立され栄華を極めた。 按司の抗 ...
47. 沖縄[県]
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首里にかわって県庁所在地となり,名実ともに沖縄県の主都となった。これに比べて歴史都市の首里は首里城跡(史)付近に県立芸術大学,守礼門(県史跡),園比屋武御嶽(そ ...
48. 沖縄記念公園
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熱帯ドリームセンターなどが整備されている。首里城地区は1992年から一部開園し、首里城正殿や守礼門などが整備されている。2000年(平成12)に首里城跡が世界遺 ...
49. おきなわじま【沖縄島】沖縄県:総論
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思紹・尚巴志父子は一四〇六年に浦添グスクに拠る中山王武寧を滅ぼして中山の覇権を手中にする。この直後に拠点を首里城に移したとみられ、同城の本格的な整備を行った。一 ...
50. 沖縄童謡集 62ページ
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み入れよう。いちゆびや一。 【解説】 昔の首里の童謡で、喜舎場朝賢氏の「東汀随筆」に出てみる。城は首里城、いちゆびや一 は榕樹の果実。(同じく桑科に属する無 ...
「首里城」の情報だけではなく、「首里城」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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