1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 遺跡
  8. >
  9. 寺・神社・教会
  10. >
  11. 粉河産土神社
日本歴史地名大系
粉河産土神社
こかわうぶすなじんじや

[現]粉河町粉河 六社壇

粉河寺本堂後方の小高い地に鎮座する。祭神は丹生にう大明神・若一王子権現。旧村社。たのもしの宮とも称する。「続風土記」に、粉河寺を創建した大伴孔子古の子船主が、延暦年中(七八二―八〇六)に当社北東の上丹生谷かみにうや(現粉河町)の丹生神社から勧請したと伝え、保延四年(一一三八)三月二五日の藤原公能寄進状(粉河寺御池坊文書)に「又丹生之霊社者、当寺之鎮護也、然其宝前奉読長日大般若経、香華薫修」とあり、平安時代末期には鎮座していたことが知られる。

鎮座地を六社壇ろくしやだんと称するように、当社はもともと六社が祀られており、すでに平維盛が粉河寺に参詣した時には「伏テ案レハ神則霊験無双之六廟祠、飜〓垂跡〓〓本地於遮那覚海之浦〓(延慶本「平家物語」維盛粉河へ詣給事)と記され、霊験無双の六廟祠として知られていたものと思われる。六社とは丹生大明神・若一王子・伊勢大神宮・熊野権現・吉野三十八所・三百余社であったという(寛文五年「御上様江書上候控」方衆座文書)。このうち若一王子社は丹生明神とほぼ同時に東野ひがしの(現粉河町)の王子神社を勧請したともいう。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔祭礼〕

粉河祭(県指定無形民俗文化財)は六月一八日(現在は七月末の土・日曜)で、古くは六月会とよばれた。康永三年(一三四四)二月二日の円阿弥陀仏山地寄進状(王子神社文書)に「東村之谷垣内小者、円阿弥陀仏相伝之地也、而粉河寺之六月会ノ馬頭、草木之頭ノ方ニ、此山ヲ東村ヲトナノ御中エ、并村堂エ造(営)為ニキシム(寄進)申候」とある。祭礼の中心は「栗栖の一つ物」「五位・弓鉾」「右馬頭・弓鉾」「随兵」「御幣・児」「禰宜」などを主役とするお渡りで、栗栖くるす(現和歌山市)、上丹生谷・下丹生谷・西川原にしかわばら松井まつい中津川なかつがわ・粉河・中山なかやま藤井ふじい(現粉河町)の九ヵ村が中世以来の宮座組織をもって担当していた。「五位・弓鉾」は上下丹生谷村と西川原村、「右馬頭・弓鉾」は松井村と中津川村、「随兵」は粉河寺、「御幣・児」は中山村と藤井村、「禰宜」は中津川村が担当し、元和九年(一六二三)に徳川頼宣から祭料として米五石を下されたことが方衆座文書にみえている。

行列次第は、寛文五年(一六六五)の御上様江書上候控に詳しいが、江戸時代末期には若干の変更があり、「紀伊国名所図会」の祭礼図をみると、寛文年間に加わっていた馬付・走り衆・高野聖の姿は消え、代りに御池坊・一山大衆一老・一山大衆七僧らの粉河寺衆徒が加わり、また絹を商う荷を背負った行商人姿の連尺、伯市座に所属する粉河村役人・粉河随兵、その一座の集団が入っている。お渡りの先頭に立つ「栗栖の一つ物」について「紀伊国名所図会」は松屋翁(小山田与清)の祭礼を観る記を引用して次のように記している。

扨最初にねり出るは、童を馬にのせ、菅笠やうの物に紙のしできりかけ、山鳥の尾二十一節あるを一本いたゞきさしたり。面も体も、彼しでもて包みぬれば少も見えず、たゞ幣帛を馬に積たるが如し、口とり其外ずさども多く従ひたり。栗栖の一物といふ。栗栖此里よりは五里ばかりあり。宿よりまうできて、坊に宿り居るを、七度半の使をやりて後に出来るならはしなりとぞ。
ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額550万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のオンライン辞書・事典サービスです。
ジャパンナレッジについて詳しく見る

粉河産土神社と同じ寺・神社・教会カテゴリの記事
興福寺(国史大辞典)
奈良市登大路町にある法相宗大本山。南都七大寺の一つ。寺伝では「こうぶくじ」という。縁起によると、天智天皇八年(六六九)藤原鎌足の死去に際し、妻の鏡女王が鎌足の念持仏の釈迦丈六像などを祀る伽藍をその山階(山科)邸に設けたのに始まり(山階寺)、その子不比等によって藤原京の厩坂に移遷(厩坂寺)
東大寺(国史大辞典)
奈良市雑司町にある華厳宗の総本山。大華厳寺・金光明四天王護国寺・総国分寺などの別称がある。南都七大寺・十三大寺・十五大寺の一つ。東大寺の寺号は平城京の東方にある大寺を意味し、『正倉院文書』の天平二十年(七四八)五月の「東大寺写経所解案」に初見するが
法隆寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町にある聖徳(しょうとく)宗総本山。斑鳩寺(鵤寺、伊可留我寺とも書く)、法隆学問寺などの異称がある。南都七大寺の一つ。草創の由来は、金堂の薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)光背銘によると、用明(ようめい)天皇が病気平癒を念じ
龍潭寺(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。県道引佐―舘山寺(かんざんじ)線の西側の小丘陵上に位置する。臨済宗妙心寺派。山号は万松山、本尊は行基作と伝える虚空蔵菩薩。元文六年(一七四一)に気賀(けが)関所(現細江町)に差出した御要害村寺院縁寿録(山本家文書)によると、天平五年(七三三)に行基が地蔵寺を開創、のち自浄(じじよう)院と改号した
渭伊神社(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。井伊谷(いいのや)の北西端に鎮座する。社域西側を神宮寺(じんぐうじ)川が半円を描いて流れ、杉・檜・楠の古木が社叢をなす。祭神は品陀和気命・息気長足姫命・玉依姫命。旧郷社。「延喜式」神名帳にみえる引佐郡六座のうちの「渭伊(イイノ)神社」に比定される。
寺・神社・教会と同じカテゴリの記事をもっと見る


「粉河産土神社」は寺・神社・城に関連のある記事です。
その他の寺・神社・城に関連する記事
百万塔(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
奈良時代に作られた轆轤びき木製三重小塔で,塔身部に〈陀羅尼経〉を納めている。相輪部と塔身部に分かれ,それぞれ一木を用いて削り出す。大きさは個体によって異なるが,標準的なもので総高21.4cm,基底部径10.5cm,塔身部のみの高さは13.4cmある。塔身部の軸部上端を筒状にえぐり
飛鳥寺(改訂新版・世界大百科事典)
奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺。法興寺,本元興寺ともいう。蘇我馬子が創立した日本最初の本格的な寺院で,百済から招いた工人らが参画して,596年(推古4)ほぼ造営を終え,606年には仏師鞍作止利が作った本尊の丈六釈迦如来像が安置されている。古都飛鳥の地に〈大寺〉と
東寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市南区九条町にある寺。東寺真言宗の総本山。正しくは金光明四天王教王護国寺秘密伝法院(略して教王護国寺)という。本尊は薬師如来(にょらい)。794年(延暦13)の平安遷都に伴い、王城鎮護のために羅城門の左右に2か寺が建立され、それぞれ東寺(左寺、左大寺とも)、西寺
慈恩寺(国史大辞典)
山形県寒河江市大字慈恩寺に所在。山号瑞宝山。三院十六坊より成り、現在は慈恩宗の名で一宗をなす(もと天台真言両宗慈恩寺派。昭和四十七年(一九七二)一月改称)。開基年代は未詳であるが、おそくとも平安時代に創立の古刹。元来は法相宗であったらしく、摂関家領寒河江荘の鎮守と
出羽三山神社(日本大百科全書(ニッポニカ))
山形県中央部に横たわる羽黒山、月山、湯殿山に鎮座する出羽神社、月山神社、湯殿山神社の総称。推古天皇の御代に崇峻天皇の皇子蜂子皇子によって開かれたと伝える。中世以降、修験道の一大霊場として栄えた。夏季以外の登拝が困難なため、3社の祭祀は羽黒山上の三神合祭殿(鶴岡市羽黒町手向)
寺・神社・城に関連する記事をもっと見る
ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額550万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のインターネット辞書・事典サイト。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について見る
粉河産土神社の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 4
検索コンテンツ
1. こかわうぶすなじんじゃ【粉河産土神社】和歌山県:那賀郡/粉河町/粉河村
日本歴史地名大系
[現]粉河町粉河 六社壇 粉河寺本堂後方の小高い地に鎮座する。祭神は丹生大明神・若一王子権現。旧村社。たのもしの宮とも称する。「続風土記」に、粉河寺を創建した大 ...
2. くるすむら【栗栖村】和歌山県:和歌山市/河南地区
日本歴史地名大系
城下真光寺(浄土真宗本願寺派)が一六とこの三ヵ寺が目立って多い。なお当村からは粉河寺鎮守社(現那賀郡粉河町の粉河産土神社)の六月会に「一つ物」を出している(続風 ...
3. 粉河寺
世界大百科事典
たのもしのみや〉は浄瑠璃《傾城阿波の鳴門》に挿入されていることも,当寺の信仰を物語る。〈たのもしのみや〉(粉河産土神社)は境内の鎮守社。その祭礼粉河祭は,中世以 ...
4. こかわむら【粉河村】和歌山県:那賀郡/粉河町
日本歴史地名大系
ただしこの制度がその後どうなったかは明らかでない(那賀郡誌、伊藤家文書)。岸本神社・大神社・粉河産土神社・蛭子神社があるが、粉河産土神社に祀る丹生明神は、上丹生 ...
「粉河産土神社」の情報だけではなく、「粉河産土神社」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る