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  11. 永平寺
国史大辞典

永平寺
えいへいじ
福井県吉田郡永平寺町志比にある曹洞宗の本山。山号を吉祥山という。安貞元年(一二二七)道元は宋から帰り、はじめ京都の建仁寺によった。やがて深草に移り、興聖宝林寺に住していたが、寛元元年(一二四三)七月、比叡山の圧迫がやまなかったので、志比荘の地頭波多野義重や門下の人々の勧めによって越前に下り、禅師峰(やましぶ)、ついで吉峰寺にうつり、さらに同二年大仏寺を建ててこれによった。同四年六月十五日、仏法がはじめて中国に伝わった後漢の明帝永平十年(後六七)の年号からとって、これを永平寺と改めた。日本にもこれから正伝の仏法が行われるということを表明しようとしたのであろう。こののち、永平寺には道元のあと孤雲懐奘、ついで徹通義介が住した。ところが、教団の発展をはかろうとした徹通一派と、枯淡な道元の宗風をそのまま固守しようとした義演の一派との間に、永平寺相続権をめぐって論争がおこり、教団はまさに分裂の危機に直面した。これが有名な三代相論である。その結果、徹通派は永平寺を出て加賀の大乗寺によった。こうして、永平寺は義演の一派によって相続された。これに対して、徹通門下からは瑩山紹瑾が出て、能登の総持寺や永光寺をひらき、全国的な大門派に成長していった。やがて、室町時代中期になると、瑩山派の人々は義演一派を圧して、その実力によって永平寺に入寺するものが現われるようになった。ここに永平寺は再び瑩山派という全国的な大門派を傘下に擁する曹洞宗全教団の本山となり、永正四年(一五〇七)十二月十六日、本朝曹洞第一道場という後柏原天皇の勅額を賜わり、勅住寺院となった。こうして永平寺は名実ともに曹洞宗の大本山となり、さらに元和元年(一六一五)七月、江戸幕府が下した永平寺法度によって、総持寺とともに勅住寺院として確認された。同寺は文明五年(一四七三)をはじめ、たびたび火災にあったが、現在約三三万平方メートルの寺域には七十余の堂宇が立ち並んでいる。寺宝に国宝の『普勧坐禅儀』はじめ重要文化財の銅鐘・嗣書・明全戒牒などがある。

寺領

 永平寺は最勝光院領越前志比荘にあり、鎌倉から南北朝時代にかけ、同荘の地頭波多野氏の庇護をうけて寺辺に若干の所領を持っていたにすぎなかった。ところが室町時代中期以後に瑩山派の人々が同寺に入寺するころから寺運が隆盛となり、所領も増加していったと思われる。しかし、たびたびの火災で関係文書を焼失したためその実態は明らかでない。こののち、天文十四年(一五四五)十月、朝倉孝景が志比荘下郷の闕所中十貫文分の地を、ついで天正十三年(一五八五)閏八月、羽柴(堀)秀政が寺領四十石および寺辺の田地三町余を寄進している。さらに寛文元年(一六六一)九月、福井藩主松平光通が寺領の市野村二十石に三十石を加え五十石とし、また延宝四年(一六七六)三月、松平昌親がさらに二十石を加えて七十石とした。しかし、『和漢三才図会』によると、寺領二百四十石とみえている。明治三十五年(一九〇二)、田畠二十余町、山林五十町の払い下げをうけたが、昭和二十二年(一九四七)の農地改革で田畠の多くを失った。
(今枝 愛真)
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検索コンテンツ
1. 永平寺画像
日本大百科全書
)したが、翌年、伽藍(がらん)の完工とともに永平寺に移った。初めは寺名を大仏寺と称したが、1246年吉祥山(きちじょうざん)永平寺と改めた。永平寺の寺名は、後漢 ...
2. 永平寺[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
山門の手前には、高さ約3m、重さ約5tの大梵鐘(ぼんしょう)を吊るす鐘楼がある。福井県吉田郡永平寺〓Shogakukan ...
3. 永平寺(町)画像
日本大百科全書
ひ)村が町制施行し、永平寺町と改称。2006年(平成18)同郡上志比(かみしひ)村、松岡(まつおか)町を合併。九頭竜(くずりゅう)川中流域と支流の永平寺川の谷を ...
4. 永平寺[町]
世界大百科事典
鉄道勝山永平寺線。なお京福電鉄永平寺線は2002年に廃止)が通じ,永平寺を中心とする観光と,農林業,繊維工業が町の基幹産業であり,農業は米作と栗の栽培を奨励して ...
5. 永平寺
世界大百科事典
には70石が安堵された。江戸期を通じて永平寺住持は,下野大中寺,下総総寧寺,武蔵竜穏寺の3ヵ寺より交代で晋住する関三刹昇住制をとり,幕末まで続いた。永平寺の伽藍 ...
6. えいへい‐じ【永平寺】地図
デジタル大辞泉
福井県吉田郡永平寺町にある曹洞(そうとう)宗の大本山。山号は吉祥山。開創は寛元2年(1244)、開山は道元、開基は波多野義重。初め大仏寺と称したが、寛元4年永平 ...
7. えいへい‐じ【永平寺】
日本国語大辞典
福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗の大本山。山号は吉祥山。寛元二年(一二四四)志比庄地頭波多野義重の創建により、道元が開山。寺宝の道元自筆「普勧坐禅儀」は国宝。越 ...
8. えいへいじ【永平寺】
国史大辞典
派との間に、永平寺相続権をめぐって論争がおこり、教団はまさに分裂の危機に直面した。これが有名な三代相論である。その結果、徹通派は永平寺を出て加賀の大乗寺によった ...
9. えいへいじ【永平寺】福井県:吉田郡/永平寺町/市野々村
日本歴史地名大系
読むために設けられた衆寮での心得「吉祥山永平寺衆寮箴規」一巻や「永平寺庫院制規」「永平寺住侶制規」などを著し、禅道場として形態を整えている。建長五年(一二五三) ...
10. 永平寺(えいへいじ)【篇】
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 800ページ ...
11. 大本山永平寺
デジタル大辞泉プラス
福井県吉田郡永平寺町にある寺院。1244年創建。曹洞宗。本尊は釈迦牟尼仏。禅宗の日本四大道場のひとつ。国宝の普勧坐禅儀など多くの文化財を所有。 2015年06月 ...
12. 永平寺衆寮 (見出し語:永平寺【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 144ページ ...
13. えいへいじさんそぎょうごうき【永平寺三祖行業記】
国史大辞典
永平寺開山の道元と孤雲懐奘・徹通義介の三代の伝記をまとめたもの。一巻。その作者や成立年代は明らかではないが、『続常陸遺文』五の金竜寺の項によると、すでに応永二 ...
14. えいへいじちょう【永平寺町】福井県:吉田郡
日本歴史地名大系
越前中央山地中に源を発する永平寺川が町の西部を北流、二川の合流する辺りから九頭竜川は福井平野に出る。永平寺川に沿って国道三六四号が走る。農業と機業を中心とする町 ...
15. えいへいじちよう【永平寺町】[変更地名 2006年2月13日]福井県(旧松岡町・旧永平寺町・旧上志比村)
日本歴史地名大系
2006年2月13日:吉田郡松岡町・永平寺町・上志比町が合併 ⇒【松岡町】福井県:吉田郡 ⇒【永平寺町】福井県:吉田郡 ⇒【上志比村】福井県:吉田郡  ...
16. えいへいじ‐は【永平寺派】
日本国語大辞典
〔名〕曹洞宗の一派。道元を開祖とし、福井県吉田郡永平寺町の吉祥山永平寺を総本山とするもの。エ〓ヘ ...
17. えいへいじもんじょ【永平寺文書】
国史大辞典
福井県吉田郡永平寺町志比の永平寺に所蔵する文書。たびたびの火災によって中世文書の多くを失ったが、現存のものには、仏樹房明全が入唐したときの具足戒牒や、道元自筆 ...
18. 永平寺町の要覧
日本大百科全書
面積:94.34平方キロメートル総人口:2万0647人(男:1万0026人、女:1万0621人)世帯数:7217戸※面積は国土交通省国土地理院『平成22年全国都 ...
19. えちぜん鉄道勝山永平寺線
デジタル大辞泉プラス
えちぜん鉄道が運行する鉄道路線。福井県福井市の福井駅から勝山市の勝山駅を結ぶ。 2013年09月 ...
20. 福井県永平寺町位置図[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
〓Shogakukan 作図/小学館クリエイティブ ...
21. 道元創永平寺 (見出し語:道元)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 800ページ ...
22. あおかげ-せっこう【青蔭雪鴻】
日本人名大辞典
洞宗(そうとうしゅう)孝顕寺にうつり,慶応3年同寺住職となる。明治4年永平寺監院。16年宗門最初の貫首選挙で当選,永平寺62世。翌年曹洞宗管長。明治18年8月1 ...
23. あかいむら【赤井村】埼玉県:川口市地図
日本歴史地名大系
から二人を百姓代に選び、それらを精査するよう取決めている。円通寺は曹洞宗で、江戸時代には越前永平寺末。本郷村傑伝寺開山の高国英峻が寛文一二年(一六七二)に荒廃に ...
24. あかまつ-げっせん【赤松月船】
日本人名大辞典
大正-平成時代の僧,詩人。明治30年3月22日生まれ。曹洞(そうとう)宗。赤松仏海の養子。愛媛の瑞応寺,福井の永平寺などで修行。大正7年上京して生田長江に師事。 ...
25. 秋山記行・夜職草 234ページ
東洋文庫
弘長三年(一二六三)、富樫家尚が石川郡野村に建立し、真言僧澄海を招請して開山とした。その後澄海が永平寺三世徹通義介に帰依し、寺を譲って以来、曹洞宗となった。元禄 ...
26. あっ‐こ[アク‥]【悪虎】
日本国語大辞典
64頃〕「母を悪虎にとられ、其の敵をとらんとて、百日虎伏す野べに出でて狙ふ」*説経節・越前国永平寺開山記〔1689〕四「いつく共なく、あっこ一つとび来り、二人を ...
27. あわら[市]
世界大百科事典
40~70℃の食塩泉で,京福電鉄(現,えちぜん鉄道三国芦原線)が通じ,約70の旅館,保養施設があって東尋坊,永平寺などへの観光拠点となり,近くの芦原ゴルフ場は白 ...
28. いいじまむら【飯島村】福井県:吉田郡/永平寺町
日本歴史地名大系
[現]永平寺町飯島 九頭竜川南岸に位置し、北の対岸は岩野村、西は光明寺村、南を勝山街道が通る。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では志比上之庄内に含まれていた ...
29. いいのむら【飯野村】愛知県:西加茂郡/藤岡町
日本歴史地名大系
みると家屋は全体に散在し、林宗寺・阿弥陀堂・郷蔵のほかに、中下山御林が南東部に記されている。曹洞宗永平寺末寺の法王山林宗寺は同寺過去帳によれば、寛文一一年(一六 ...
30. いしきむら【一色村】愛知県:西加茂郡/藤岡町
日本歴史地名大系
明和四年(一七六七)の洪水では、上流から崩れた岩石が川を埋め、二戸五名が死亡(同書)。曹洞宗永平寺末の金剛寺は大永元年(一五二一)の創建といわれる。享保一九年( ...
31. いそやまむら【磯山村】三重県:鈴鹿市/旧奄芸郡地区
日本歴史地名大系
一二九九―一三〇二)後鳥羽天皇の第三皇子寒巌義尹の開創。寛政―享和(一七八九―一八〇四)の頃永平寺五〇世の貫主となった玄透即中が、修行後最初の住職となったのがこ ...
32. いちののむら【市野々村】福井県:吉田郡/永平寺町
日本歴史地名大系
[現]永平寺町市野々・荒谷・志比 永平寺川流域の谷間に位置し、村内を永平寺道が通り、北は京善村、南は山を越えると足羽郡大谷村(現美山町)に、また京善村境付近から ...
33. いなだむら【稲多村】福井県:福井市/旧吉田郡地区
日本歴史地名大系
おもに鰊・おけや物・塩物・材木などの物資が移入され、また当地からは米や上流の浄法寺村(現吉田郡永平寺町)方面からの草鞋などを積出し、港町としての様相も呈していた ...
34. いわきさんじんじゃ【岩木山神社】青森県:中津軽郡/岩木町/百沢村
日本歴史地名大系
中央岩木山 別当真言五山寺領四百石岩木山百沢寺光明院左峯 十腰内村岩鬼山西方寺観音院右峯 松代村鳥海山永平寺景光院此二寺何時歟及退転、因之信牧公御代命而混集于百 ...
35. いわだむら【岩田村】高知県:中村市
日本歴史地名大系
然処寛文七丁未年山内修理太夫忠直公御菩提所ニ被成、(中略)延宝七己未年山内大膳亮直久公より越前永平寺直末ニ御願、此寺号を宗英寺と改、元禄三年中村御没落、同四年如 ...
36. いわのむら【岩野村】福井県:吉田郡/永平寺町
日本歴史地名大系
[現]永平寺町岩野 浄法寺山の南西麓に位置し、南東は吉波村、西は上浄法寺村。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に「上野村」(高四二・六七石)とあるのは当村をさ ...
37. いわやむら【岩屋村】福井県:勝山市
日本歴史地名大系
「越前地理指南」に「北ニ窟アリ、口三間奥ヘ七間、道元和尚居ス」とあり、また「鈴巌寺跡アリ、道元和尚永平寺建立の時住居の由」とある。これらは村の入口にある鈴巌寺山 ...
38. いんないいだにむら【印内猪谷村】福井県:吉田郡/松岡町
日本歴史地名大系
吉野谷の南奥にあり、東・南・西は山地、北西は野中小畑に接する。東は梨ノ木峠を越えれば志比谷京善村(現永平寺町)に達し、永平寺に至る。慶長一一年(一六〇六)頃の越 ...
39. うさみむら【宇佐美村】静岡県:伊東市
日本歴史地名大系
峰の曹洞宗花岳院はもと真言宗で貞永元年(一二三二)創建と伝承されるが、文亀元年(一五〇一)越前永平寺の天瑞英雲により改宗。峰の曹洞宗円応寺はもと真言宗で金竜寺と ...
40. うのしまのわたし【鵜島の渡】福井県:勝山市/比島村
日本歴史地名大系
川村河原を結ぶ渡し。中島の渡ともよばれた。中島という地名は「朝倉始末記」に、本覚寺(現吉田郡永平寺町)や勝厳寺(現坂井郡金津町)の一向一揆勢が天正二年(一五七四 ...
41. うばらなかむら【菟原中村】京都府:天田郡/三和町
日本歴史地名大系
の民家、景清稲荷、ばんどう地蔵などがある。村の東部山麓にある竜源寺は、寺伝によると永平寺(現福井県吉田郡永平寺町)二四世竜察(正保三年没)を開山とする。創建年次 ...
42. 永平広録
日本大百科全書
のが『正法眼蔵』で、両書は密接な関係をもっている。本書には草稿本10巻(門鶴(もんかく)本・永平寺蔵)や、1巻に抄録した『略録』がある。河村孝道 ...
43. えいへいこうろく【永平広録】
国史大辞典
永平寺開山道元の語録。十巻。道元の死後まもなく、その門弟である詮慧・孤雲懐奘・義演などが、道元の上堂法語・小参法語・頌古・賛などのほかに『普勧坐禅儀』『坐禅箴 ...
44. 永平清規
日本大百科全書
。『永平(大)清規』は通称。道元が開創した興聖寺(こうしょうじ)(京都府)、大仏寺(永平寺の前身)、永平寺(福井県)などにおいて、それぞれ個別に漢文体で撰述(せ ...
45. えいへいしんぎ【永平清規】
日本国語大辞典
)に至る一三年間に述作した「典座教訓」「弁道法」「赴粥飯法」「吉祥山永平寺衆寮箴規」「対大己五夏闍梨法」「日本国越前永平寺知事清規」の六編より成る。永平道元禅師 ...
46. えいへいしんぎ【永平清規】
国史大辞典
清規』などと呼ばれるようになった。現在永平寺には、文亀二年(一五〇二)三月二十二日、永平寺十五世光周が書写した『永平寺知事清規』と、おなじく三月二十六日の奥書の ...
47. 懐奘
世界大百科事典
に投じ,ともに越前に移って,その教化を助けた。53年(建長5)7月永平寺に住したが,道元に従って上京,その死後骨を負って永平寺に帰った。67年(文永4)寺を徹通 ...
48. えじょう[ヱジャウ]【懐奘】
日本国語大辞典
鎌倉初期の僧、孤雲懐奘の諱(いみな)。京都の人。道元に師事し、永平寺の建立および「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の著作を助け、建長五年(一二五三)永平寺第二世 ...
49. えじょう【懐奘】
日本人名大辞典
ぶつち-かくあん)にまなび,その助言で道元に師事し,その法をつぐ。越前(えちぜん)(福井県)永平寺の創建に助力し,のち2世となる。道元の「正法眼蔵(しょうぼうげ ...
50. 越前国
世界大百科事典
ろう。初め志比荘に大仏寺を建立,46年これを永平寺と改称した。道元の死後は相続権をめぐる三代相論が起こり,加賀に大乗寺を分立させる結果となって永平寺は衰退に向か ...
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興福寺(国史大辞典)
奈良市登大路町にある法相宗大本山。南都七大寺の一つ。寺伝では「こうぶくじ」という。縁起によると、天智天皇八年(六六九)藤原鎌足の死去に際し、妻の鏡女王が鎌足の念持仏の釈迦丈六像などを祀る伽藍をその山階(山科)邸に設けたのに始まり(山階寺)、その子不比等によって藤原京の厩坂に移遷(厩坂寺)
東大寺(国史大辞典)
奈良市雑司町にある華厳宗の総本山。大華厳寺・金光明四天王護国寺・総国分寺などの別称がある。南都七大寺・十三大寺・十五大寺の一つ。東大寺の寺号は平城京の東方にある大寺を意味し、『正倉院文書』の天平二十年(七四八)五月の「東大寺写経所解案」に初見するが
法隆寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町にある聖徳(しょうとく)宗総本山。斑鳩寺(鵤寺、伊可留我寺とも書く)、法隆学問寺などの異称がある。南都七大寺の一つ。草創の由来は、金堂の薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)光背銘によると、用明(ようめい)天皇が病気平癒を念じ
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渭伊神社(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。井伊谷(いいのや)の北西端に鎮座する。社域西側を神宮寺(じんぐうじ)川が半円を描いて流れ、杉・檜・楠の古木が社叢をなす。祭神は品陀和気命・息気長足姫命・玉依姫命。旧郷社。「延喜式」神名帳にみえる引佐郡六座のうちの「渭伊(イイノ)神社」に比定される。
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奈良県桜井市初瀬にある寺。真言宗豊山派総本山。豊山神楽院長谷寺と号する。初瀬寺とも書かれ、豊山寺、長谷観音とも称する。本尊は十一面観音。西国三十三所第8番札所。686年(朱鳥1)弘福寺(川原寺)の道明上人が天武天皇の病気平癒祈願のため、法華説相図銅板(千仏多宝塔を鋳出)
橿原神宮(改訂新版・世界大百科事典)
奈良県橿原市に鎮座。神武天皇と皇后媛蹈鞴五十鈴媛命をまつる。社地は畝傍山の東南にあたり,神武天皇が宮居を営んだ橿原宮の跡という。当地はすでに元禄年間(1688-1704)に神武天皇の神廟を営もうとする動きがあったが,1888年橿原宮跡の考証ののち,民間より神社建設の請願があり
禅林寺(永観堂)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市左京区永観堂町にある。浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。一般に永観堂と呼ばれている。空海の高弟真紹が仁寿三年(八五三)藤原関雄の山荘を買い大日如来などの五像を安置し、貞観五年(八六三)定額寺に預かり、禅林寺の名を賜わった
談山神社(日本歴史地名大系・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
[現]桜井市大字多武峰 多武峯の御破裂山南腹に鎮座。藤原鎌足を祀る旧別格官幣社。鎌足の冠位にちなんで大織冠社・多武峯社ともいい、江戸時代までは多武峯寺と一体のものであった。多武峯寺の中核である妙楽寺と聖霊院の対立を防ぐために、延長四年
百万塔(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
奈良時代に作られた轆轤びき木製三重小塔で,塔身部に〈陀羅尼経〉を納めている。相輪部と塔身部に分かれ,それぞれ一木を用いて削り出す。大きさは個体によって異なるが,標準的なもので総高21.4cm,基底部径10.5cm,塔身部のみの高さは13.4cmある。塔身部の軸部上端を筒状にえぐり
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