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日本歴史地名大系
尾曳稲荷神社
おびきいなりじんじや

[現]館林市尾曳町

旧館林城本丸の東北にあたる稲荷郭にあり、祭神は倉稲魂命・倭建命・誉田別命・素戔嗚命。赤井照光が館林城を築いたとき、狐が尾を曳いて案内し、城割を示したと伝えられ、城の鬼門に守護神として当社を創建したといわれる。創建の時期は天文元年(一五三二)という(「館林盛衰記」館林市立図書館蔵)。「関八州古戦録」(北条氏政皆川館林城責付稲荷神変事)によれば、永禄九年(一五六六)館林城は北条氏の軍勢に包囲されていた。城兵大畑佐渡守らが北条勢に夜襲をかけた際、大袋おおふくろ山より松明二、三百が現れて北条方の陣の背後に回ったのが見え、北条勢は総崩れとなった。翌朝城兵らが探してみると牛馬の朽骨が散らばり、草を獣が踏み敷いた跡が稲荷神社まで続いていたので、昨夜の松明は稲荷の使白狐の所業であるとさとったという。同様に当社の霊験あらたかなことは「耳袋」などにもみえる。天正一八年(一五九〇)八月入部した榊原康政は城郭拡張工事を行うとともに当社の再建を行い、さらに正保二年(一六四五)藩主松平乗寿は社殿を修築、以後歴代藩主は修復につとめるとともに城の守護神として尊崇した。別当は塚場つかば惣徳そうとく院。

明治四〇年(一九〇七)一二月には八幡はちまん郭の八幡宮、旧館林藩主秋元氏の歴代などを祀る鷹匠たかじよう町の瓜内とうない稲荷、同四三年裏宿の恵うらじゆくのめぐみ稲荷、金山かなやまの稲荷、外伴木そとばんきの八坂神社、外加法師そとかぼうしの八坂神社を合祀した。昭和五年(一九三〇)氏子崇敬者らの寄付によって社務所が改築され、さらに同一二年には社殿が落成した。この社殿は西向きで、館林城と相対しているのは城の守護という特殊な関係によるものだという。境内には寛文五年(一六六五)五月館林城修築記念として壁塁施工者の奉納した石水盤をはじめ、天和三年(一六八三)館林城破却の無事完了を感謝して奉納された石灯籠、三河国碧海へきかい刈谷かりや(現愛知県刈谷市)城主土井利善、松平右近将監家中、井上河内守らが寄進した石灯籠、田山花袋歌碑などがある。

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