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  11. 東寺
日本大百科全書(ニッポニカ)
東寺
とうじ

京都市南区九条町にある寺。東寺真言(しんごん)宗の総本山。正しくは金光明(こんこうみょう)四天王教王護国寺秘密伝法院(略して教王護国寺)という。本尊は薬師如来(にょらい)。794年(延暦13)の平安遷都に伴い、王城鎮護のために羅城(らじょう)門の左右に2か寺が建立され、それぞれ東寺(左寺、左大寺とも)、西寺(さいじ)(右寺、右大寺)と称した。東西両寺の造営が開始されたのは796年ごろで、大納言(だいなごん)藤原伊勢人(いせんど)が造寺長官に任命された。しかし、そのうちの東寺が皇族・貴族から庶民に至る広い信仰を集めるようになったのは、823年(弘仁14)に嵯峨(さが)天皇が東寺を弘法大師(こうぼうだいし)空海に勅賜し、当寺が真言密教の根本道場となってからである。
 空海は、806年(大同1)唐より帰国後、真言密教の布教に努め、819年から高野山(こうやさん)に伽藍(がらん)を建立、金剛峯寺(こんごうぶじ)を開いた。このころより比叡山(ひえいざん)の延暦寺(えんりゃくじ)にあって顕教を説いていた最澄(さいちょう)と対立。嵯峨天皇はその調停として両者の教学を公認するとともに、空海に東寺を与えた。空海は、東寺の住僧に真言宗僧以外の僧を交えぬよう要請して認められた。それまでのあらゆる官寺は諸宗兼学を旨としており、一宗による官寺の独占は画期的なことであった。以後日本の仏教は官寺仏教から宗派仏教へと大きく変貌(へんぼう)していく。空海は東寺に五重塔や講堂を建立して寺観を整えたが、835年(承和2)空海の没後、真言宗の信仰と教学の中心は高野山に移り、東寺はやや衰えをみせる。それでも天皇家の国忌がたびたび修されるなど、官寺としての地位は他寺にぬきんでていた。平安時代末ごろになると、寺堂の荒廃が進み寺領荘園(しょうえん)の支配も緩みがちとなった。そこで勧進僧(かんじんそう)文覚(もんがく)(俗名遠藤盛遠(もりとお))は、空海由縁の京都高雄山(たかおさん)神護寺(じんごじ)の再興を果たした勢いで東寺再興を志した。その進言に応じて、後白河(ごしらかわ)院は1189年(文治5)に播磨(はりま)国(兵庫県)を修造料国にあて、また鎌倉開幕まもない将軍源頼朝(よりとも)も、文覚の諸国での勧進活動を大いに支援した。1197年(建久8)ごろまでに寺堂の再興事業はほぼ完成したが、1199年(正治1)の頼朝の死により文覚は失脚し、復興事業は中断された。
 13世紀中ごろ以降、行遍(ぎょうへん)らの活躍で、全国にあった広大な寺領荘園の支配が好転し、その後1285年(弘安8)に五重塔の再興を果たした大勧進願行上人(がんぎょうしょうにん)憲静なども登場して、中世においては東寺は経済的にも大いに安定した。南北朝・室町時代は、たび重なる戦乱に巻き込まれて寺堂を焼亡することもあったが、公家(くげ)・武家および民衆の尽力でそのつど再興された。しかし、1486年(文明18)の京都徳政一揆(いっき)のとき、土一揆勢が当寺に立てこもって放火したため、金堂以下ほとんどの建物が灰燼(かいじん)に帰した。豊臣(とよとみ)秀吉は1591年(天正19)に山城(やましろ)国内の2000石余を寺領として安堵(あんど)。続く徳川幕府もそれを朱印寺領として認めるとともに、五重塔をはじめ諸堂を再興した。明治期には、神仏分離、廃仏棄釈によって多くの塔頭(たっちゅう)が廃された。明治初年に真言宗の総本山となったが、のち諸派と分離し、1974年(昭和49)東寺真言宗が結成され、その総本山となる。空海のときに始められた後七日御修法(ごしちにちのみしほ)は毎年1月8~14日に全真言宗合同のもとに厳修されている。東寺は官立護国寺、密教道場に加えて大師霊場でもある。空海の住房であった西院(さいいん)にはもと不動明王が祀(まつ)られていたが、鎌倉時代に前堂に空海の像が安置されると、大師堂、御影堂(みえいどう)とよばれるに至った。現在の建物は1380年(天授6・康暦2)の再建であるが、そのころから大師堂に空海の徳を慕う多くの人々が参詣(さんけい)するようになった。いまでも毎月21日の命日に大師堂で行われる御影供(みえく)(正御影供は4月21日)は「弘法さん」とよばれて大ぜいの参詣者でにぎわう。
[金岡秀友]

文化財

建造物には創建当初のものはないが、南大門から金堂、講堂、食堂(じきどう)と一直線に並ぶ伽藍(がらん)配置は奈良の諸大寺の伝統を受け継いでいる。五重塔(国宝)は総高約55メートル、日本の塔のうち最高最大のものである。現在の塔は1644年(寛永21)徳川家光(いえみつ)の寄進により再建されたもので、初層内部の板壁には真言八祖像、天井には花文が極彩色で描かれている。そのほか建造物では金堂(桃山時代)、大師堂(室町時代)、蓮華(れんげ)門(鎌倉時代)が国宝に、講堂(室町時代)、灌頂(かんじょう)院(江戸時代)などが国重要文化財に指定されている。寺宝は、空海が唐から持ち帰った多くの遺品をはじめ、平安時代以来の彫刻、絵画、工芸、文書などおびただしい数に上り、国宝、国重要文化財も非常に多く、仏教美術の宝庫といわれる。講堂内には中央に五如来(にょらい)像、東方に五大菩薩(ぼさつ)像、西方に五大明王(みょうおう)像、東西に梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)像、四隅に四天王像(以上すべて国宝)の計21尊を安置。その配置は空海が密教の理想を具現しようとしたものとされ、また諸像は密教彫刻最古の傑作として重んじられている。大師堂には不動明王像、僧形八幡(はちまん)神像、女神像、神像(以上国宝)など、食堂には唐から請来(しょうらい)された兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)像(国宝)などの名品を安置している。絵画では五大尊像、真言七祖像、両界曼荼羅(まんだら)図、十二天屏風(びょうぶ)など、工芸品には海賦蒔絵袈裟(かいふまきえけさ)箱、〓陀穀糸(けんだこくし)袈裟、紫檀(したん)塗螺鈿(らでん)装舎利輦(しゃりれん)のほか、密教法具(金剛盤(こんごうばん)、五鈷鈴(ごこれい)、五鈷杵(ごこしょ))など、書では「風信帖(じょう)」の名で知られる弘法大師筆尺牘(せきとく)、最澄筆「弘法大師請来目録」などが国宝に指定されている。また、東寺の寺史『東宝記(とうぼうき)』(国宝)や、かつて東寺が所蔵していた2万点余の文書「東寺百合文書(ひゃくごうもんじょ)」は古代・中世史研究に不可欠の史料として重視されている。「東寺百合文書」は2015年(平成27)、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産(現、世界の記憶)に登録された。
 なお、塔頭の観智(かんち)院は後宇多(ごうだ)天皇により創立されたもので、桃山建築の客殿は国宝である。東寺は、1994年(平成6)世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。京都の文化財は清水寺など17社寺・城が一括登録されている)。
[金岡秀友]

東寺領

東寺に対して年貢、公事(くじ)、雑役(ぞうやく)などを負担する末寺、荘園、散在所領、造営料国、散所(さんじょ)などをさす。
 末寺には、金剛峯寺、弘福寺(ぐふくじ)、珍皇寺(ちんのうじ)、善通寺(ぜんつうじ)、曼荼羅寺(まんだらじ)、法雲寺(ほううんじ)などがあり、東寺の法会(ほうえ)の供物や饗料(きょうりょう)を勤仕していた。
 東寺草創期の荘園所領は、伊勢大国(いせおおくに)荘・川合(かわい)荘、摂津垂水(せっつたるみ)荘、丹波大山(たんばおおやま)荘、東寺寺辺水田などで、のち尾張大成(おわりおおなり)荘を加えて、これらの荘園は平安時代末期には長者渡領(ちょうじゃわたりりょう)となり、その後、荘務権は執行(しぎょう)そして供僧(ぐそう)へと移っている。ついで中世における寺領増加の動きは次の三つに分けられる。第一は、仁和寺菩提院(にんなじぼだいいん)行遍(ぎょうへん)の働きかけによる宣陽門院(せんようもんいん)、仁和寺御室(おむろ)の所領寄進である。大和平野殿(やまとひらのどの)荘、伊与弓削島(いよゆげしま)荘、安芸新勅旨田(あきしんちょくしでん)、備前(びぜん)鳥取荘(のち丹波野口荘にかわる)、若狭太良(わかさたら)荘などが供僧料荘にあてられ、それによって十八口(じゅうはっく)供僧の基礎となる衆会(しゅうえ)組織が発足した。第二は、鎌倉後期から南北朝期にかけての公家・武家による供僧・学衆の新たな設置とその料荘の寄進である。後宇多(ごうだ)院は廿一口(にじゅういっく)供僧・学衆の新補とあわせて、山城拝師(やましろはいし)荘・上桂(かみかつら)荘・八条院町(はちじょういんのちょう)、播磨矢野(はりまやの)荘、常陸信太(ひたちしだ)荘を寄進、後醍醐(ごだいご)天皇は勧学会衆に宝荘厳院執務職(ほうそうごんいんしつむしき)を、講堂・灌頂院(かんじょういん)護摩供僧に最勝光院(さいしょうこういん)執務職を、不動堂不断護摩供僧に大山・太良・備中新見(びっちゅうにいみ)各荘地頭(じとう)職をあてた。両執務職に伴うおもな荘園は、宝荘厳院が近江三村(おうみみむら)荘・速水(はやみ)荘、丹波葛野(かどの)荘、遠江初倉(とおとうみはつくら)荘、阿波(あわ)大野荘、最勝光院が備中新見荘、周防美和(みわ)荘、肥前松浦(ひぜんまつら)荘、肥後神倉(ひごかみくら)荘、遠江原田(はらだ)荘・村櫛(むらくし)荘、京都柳原(やなぎはら)などである。南北朝期に入って足利尊氏(あしかがたかうじ)が鎮守八幡宮(はちまんぐう)に山城久世上下(くぜかみしも)荘地頭職を、大勝金剛供・千手供供僧に河内新開(かわちしんがい)荘(のち備後因島(びんごいんのしま)荘、摂津美作(みまさか)荘にかわる)を寄せ、足利義詮(よしあきら)が山城植松(うえまつ)荘地頭職を寄進している。第三は、鎌倉後期に始まり室町期に盛行した、大師信仰に基づく御影堂(みえいどう)への京都および山城散在所領の寄進である。
 このように主として供僧・学衆料所を中心に形成されてきた中世東寺の荘園所領は、供僧・学衆が組織する十八口方、廿一口方、学衆方、最勝光院方、宝荘厳院方、鎮守八幡宮方、不動堂方、植松荘方などの機構によって支配されていた。そのほかにも、造営方の管領する巷所(こうしょ)・東西九条女御田(とうざいくじょうにょごでん)、三河山中郷などの造営料所や若干の長者・執行管領所領があった。これら諸荘には寄進後まもなく不知行(ふちぎょう)になったものもあるが、久世荘など畿内(きない)膝下(しっか)荘園所領は戦国期に至るまで経営が続けられた。
 造営料国としては、鎌倉時代初期以来、播磨、肥後、丹後、佐渡、下野(しもつけ)、常陸(ひたち)などが寄せられたが、永代料国となったのは安芸国である。また、淀津(よどのつ)やそれにかわる近江湖上船木(ふなき)関の関銭も造営料として寄進されている。
 散所については、1318年(文保2)後宇多院が、供僧・学衆に掃除料として散所法師(さんじょほうし)15人を寄進しており、以後も寺内の掃除・警衛などの雑役を勤めた。
[伊藤敏子]

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1. 東寺画像
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15. とうじ‐いも【東寺芋】
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16. 東寺印(とうじいん)
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17. とうじ‐うり【東寺瓜】
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18. とうじえどころ【東寺絵所】
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19. 東寺かぶ
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21. とうじぐち【東寺口】京都市:南区/唐橋村地図
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26. とうじ‐しんごん【東寺真言】
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28. 東寺總法務(とうじそうほうむ)
古事類苑
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29. とうじだいぶっししき【東寺大仏師職】
国史大辞典
鎌倉時代初期、東寺(教王護国寺)に設けられた仏師の職位。仏師系図などでは「東寺木仏師職」「東寺木大仏師職」とも表わされている。この時代、京都・奈良を中心とする ...
30. とうじちょうじゃ【東寺長者】
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31. 東寺長者(とうじちょうじゃ)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 979ページ ...
32. とうじ‐ちょうじゃ【東寺長者】
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33. とうじちょうじゃぶにん【東寺長者補任】
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34. とうじちんじゅはちまんぐう【東寺鎮守八幡宮】
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35. 『東寺塔供養記』
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36. とうじとうくようき【東寺塔供養記】
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デジタル大辞泉
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44. とうじ‐ひゃくごうもんじょ【東寺百合文書】
デジタル大辞泉
東寺(教王護国寺)に伝わる文書群。平安時代から江戸時代初期までの仏事や寺院経営などに関するさまざまな文書で、数は2万通を越える。名称は、加賀藩主前田綱紀が文書を ...
45. とうじ‐ぶぎょう[‥ブギャウ]【東寺奉行】
日本国語大辞典
〔名〕室町幕府の職名。特に東寺に関する事務について幕府と東寺の間で連絡にあたったもの。*花営三代記‐康暦元年〔1379〕九月一七日「飯尾左近入道、可 ...
46. とうじぶぎょう【東寺奉行】
国史大辞典
どそれぞれの寺社本所に設置されるが、東寺のことを担当したのが東寺奉行である。すなわち、訴訟をはじめ東寺関係の幕府に対する窓口となり、またそのことに関して東寺に下 ...
47. 東寺奉行(とうじぶぎょう)
古事類苑
官位部 洋巻 第2巻 1218ページ ...
48. 東寺仏師職
世界大百科事典
1198年(建久9)運慶が京都の東寺(教王護国寺)南大門仁王像を造った際,はじめて東寺大仏師職に補任されて以来,その系統である慶派の仏師に世襲された。奈良地方の ...
49. 東寺法務(とうじほうむ)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 970ページ ...
50. とうじ‐まくわ[‥まくは]【東寺真桑】
日本国語大辞典
〔名〕「とうじうり(東寺瓜)」に同じ。*俳諧・桜川〔1674〕夏・二「摂州九条島と云所にて 種とりし東寺真桑や九条島〈玖也〉」*雑俳・すがたなぞ〔1703〕「昼 ...
「東寺」の情報だけではなく、「東寺」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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