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神嘗祭

ジャパンナレッジで閲覧できる『神嘗祭』の日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典・日本国語大辞典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)

神嘗祭
かんなめさい

「しんじょうさい」「かんにえのまつり」ともいう。毎年10月15~17日に行われる、伊勢 (いせ)神宮の年中行事きっての大祭。天照大御神 (あまてらすおおみかみ)が天上の高天原 (たかまがはら)において、新嘗を食したとの神話に由来し、その年に収穫した新穀を由貴 (ゆき)(清浄な、穢 (けがれ)のないという意)の大御饌 (おおみけ)として、大御神に奉る祭りである。鎮座以来の由緒をもち、八握穂 (やつかほ)にまつわる真名鶴 (まなづる)伝説、五十鈴 (いすず)川のほとり家田 (やた)の御常供田 (みじょうくでん)などの伝承に彩られている。『大宝令 (たいほうりょう)』には国家の常典としてみえ、『延喜式 (えんぎしき)』にも践祚大嘗祭 (せんそだいじょうさい)に次ぐ中祀 (ちゅうし)と定められた国家的な重儀である。祭儀の次第は、豊受 (とようけ)大神宮(外宮 (げくう))では10月15日宵と16日暁に由貴大御饌が供進され、16日正午に勅使が参向して幣帛 (へいはく)を奉納し、その夕には御神楽 (みかぐら)が奏せられる。皇大 (こうたい)神宮(内宮 (ないくう))では1日遅れて、それぞれの儀が執り行われる。幣帛奉納の儀は元正 (げんしょう)天皇(在位715~724)代にさかのぼり、後土御門 (ごつちみかど)天皇(在位1464~1500)のときに中絶したが、後光明 (ごこうみょう)天皇(在位1643~54)によって再興された。また孝明 (こうめい)天皇の1864年(元治1)には、荷前調絹 (のざきのみつぎのきぬ)や幣馬が奉納される運びとなった。この神嘗祭の当日、皇室においては天皇の神宮御遙拝 (ごようはい)があり、賢所 (かしこどころ)で親祭が行われる。第二次世界大戦前には国の大祭日とされていた。

[中西正幸]



国史大辞典

神嘗祭
かんなめさい
天皇がその年に収穫した新穀の由貴(ゆき)の大御饌(おおみけ)を伊勢大神宮に奉る祭儀。『伊呂波字類抄』(加、諸社)にカミマヘノマツリとあり、『類聚名義抄』雑には、神嘗をカムニヘと訓んでいる。後世「かんなめ」「かんなへ」というのはこの「かんにへ」(神に奉る贄(にえ))の転訛である。天照大神が高天原において新穀を食した儀式に淵源するとされ、伊勢国に鎮座当初から行われてきたと伝える由緒深いもの。六月と十二月の月次祭を加えて三節祭または三時祭といわれ、恒例祭中の最大最重の厳儀である。この祭の名は早く『大宝令』神祇令季秋条にみえ、国家の常典とされており、『延喜式』神祇四時祭九月条にも「伊勢大神宮神嘗祭」とあり、踐祚大嘗祭の大祀につぐ中祀に定められている。歴世年中公事中の最重の祭儀とされ、皇室では特に勅使を神宮に派遣して奉幣せしめた。この遣使に関する最初の記事は『続日本紀』養老五年(七二一)九月乙卯(十一日)。爾来幣帛発遣は九月十一日を恒例とした。のちこれを例幣といい、使を例幣使と称した。祭使は発遣の儀の四日前に五位以上の諸王中より卜食によって点定され、これに神祇官の職員である中臣・忌部・卜部を副従せしめた。後世これを四姓の使といった。当日天皇は御湯を供し、神事の御服に改め、御手水ののち出御、まず御幣を拝する。式場は普通は大極殿の後房、小安殿と定められ、治承元年(一一七七)大極殿廃絶後はもっぱら神祇官で行われた。その式次第を抄記すれば、天皇出御して座に就く。召により忌部称唯して殿を昇り跪き拍手四段、まず豊受宮の幣を執って後執に授け、大神宮の幣はみずから捧持して版に復す。召により中臣称唯して殿を昇り跪侍す。「好く申して奉れ」との勅語を給わる。中臣称唯して版に復す。天皇還御。しかし平安時代末期の鳥羽天皇の時代には発遣の日の天皇親臨の礼は絶え、寿永の乱を経て例日に幣帛を発遣することもできなくなり、ついに室町時代中期の後土御門天皇末年には全く廃絶、江戸時代前期の後光明天皇正保四年(一六四七)に至ってようやく再興された。なお荷前(のさき)の調絹および幣馬が復興されたのは孝明天皇元治元年(一八六四)であった。次に神宮の儀は、豊受大神宮は九月(明治の改暦後は十月)十五日の夕と十六日の朝とに由貴大御饌を供進し、ついで旧儀には十六日に斎内親王と勅使との幣帛奉納の儀があったが、新儀では勅使参向して奉幣の儀が行われ、皇大神宮は十六日の夕と十七日の朝とに由貴大御饌を供進し、ついで十七日に勅使参向して奉幣の儀が行われる。皇室においては、天皇は遙拝式を行い、賢所において親祭の儀がある。なおこの祭には、別宮・摂末社以下の諸社にも規定の日時に御饌および幣帛の供献があり、また付属の祭祀行事として神田下種祭・抜穂祭・御酒殿祭・御塩殿祭・興玉神祭・御卜の儀そして御神楽の儀などが執行される。→伊勢例幣使(いせれいへいし)
[参考文献]
『古事類苑』神祇部三、神宮司庁編『神宮要綱』
(鈴木 義一)


世界大百科事典

神嘗祭
かんなめさい

天皇がその年に収穫した新穀を伊勢神宮すなわち天照大神に奉る祭り。神宮では,6月と12月の月次祭とともに三節祭・三時祭といわれ最重の厳儀とされている。カムナメはカムニヘの転訛であるという。神祇令には季秋(旧暦9月)の祭祀として定められ,721年(養老5)9月11日に元正天皇が伊勢神宮に使を遣わして幣帛(へいはく)を奉ってより,つねにこの日に幣帛使が遣わされた。これを例幣使といい,五位以上の諸王の中から選ばれ中臣・忌部らの官人がそえられた。このおり,天皇は勅使を召して〈好ク申シテ奉レ〉と言うのを例とした。使はその日神祇官より発向し,14日伊勢離宮院に到着し,両宮の祭儀を終えて20日に帰京し,復命した。一方,神宮では,旧9月15日夕および16日朝に豊受大神宮へ,16日夕および17日朝には皇大神宮へ由貴大御饌(ゆきのおおみけ)(新穀)を供進した。なお,明治の新暦採用以降は,すべて1月遅れの10月に行われる。神嘗祭の付属祭として神宮には神田下種祭(4月中旬),抜穂祭(9月中旬),前月晦日大祓の儀(9月30日),興玉神祭(10月15日),御卜の儀(同15日),御神楽の儀(外宮は10月16日,内宮は同17日)などがある。明治以降,宮中では天皇は皇族を率いて遥拝式を行い,賢所(かしこどころ)で親祭を行う。また,全国の神社では神嘗祭当日祭りを行う。
[茂木 貞純]



日本国語大辞典

かんなめ‐さい 【神嘗祭

解説・用例

〔名〕

皇室が行なう大祭の一つ。毎年の秋、その年の新穀で造った神酒と神饌(しんせん)とを伊勢神宮に奉る祭。古くは、陰暦九月一一日お使いに神酒と神饌とを授け、一七日に供えていたが、明治一二年(一八七九)以後は、一〇月一七日に行なわれるようになった。この日、天皇は伊勢神宮に向いて遙拝し、賢所(かしこどころ)にも参拝する。かんなめ。かんなめのまつり。かんにえ。かんにえのまつり。かんなべ。しんじょうさい。《季・秋》

*東京日日新聞‐明治六年〔1873〕一〇月一三日「神甞祭 九月十七日」

*春夏秋冬‐秋〔1902〕〈河東碧梧桐・高浜虚子編〉「馬で来る神嘗祭の勅使かな〈別天楼〉」

*黒い眼と茶色の目〔1914〕〈徳富蘆花〉七・一「十月十四日の朝、敬二は丹波街道を御室の方へ歩いた。〈略〉四日目は神嘗祭(カンナメサイ)の休日であった」

発音

〓[ナ][メ]〓[メ]


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デジタル大辞泉
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13. かむなめ-まつり【神嘗祭り】
全文全訳古語辞典
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日本国語大辞典
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世界大百科事典
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