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春日祭

ジャパンナレッジで閲覧できる『春日祭』の世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典のサンプルページ

世界大百科事典

春日祭
かすがさい

〈かすがまつり〉ともいう。奈良市春日野町に鎮座する春日大社の例祭。賀茂祭(葵(あおい)祭),石清水(いわしみず)祭と並ぶ三大勅祭の一つ。起源については諸説あるが,850年(嘉祥3)を創始の時期とする説が有力である。古くは毎年旧暦の2月と11月の上申の日に行われ,これを申祭(さるまつり)とも称した。1886年からは3月13日に行われている。当社は藤原氏の氏神であることから藤原氏の氏長者(うじのちようじや)が祭祀を行い,上卿と弁とが奉行し,官使として近衛使,中宮使が参向して奉幣した。藤原氏の隆盛とともに朝野の崇敬をあつめ祭典は盛大を極めた。また,伊勢の斎宮,賀茂の斎院に準じて春日には斎女が置かれ,869年(貞観11)から春日祭に参向した。祭儀は,祭りの前日斎女が京都を出発,大和の国司は国境まで出迎え,佐保頓舎に至る。翌日の祭日には官幣,神馬とともに盛大な行列を整えて本社に入る。到着した斎女は神態の服に替え所定の座に着く。ついで官幣および中宮幣・東宮幣は上の棚に置き,藤原氏人の幣は下の棚に置かれ,それを物忌が神殿の内へ納める。また五位以上の氏人が神饌の机を肩にのせて運び,陳列する。大臣をはじめ,朝使,氏人らが着座ののち,神馬を神前につらね,ついで神主が祝詞を読み,朝使以下が拝礼を行う。近衛使,氏人,社司らによる東遊(あずまあそび)と大和舞(やまとまい)の奉納があり,斎女の退出によって祭儀を終わる。斎女廃絶ののちにも,上卿,内侍,近衛府の使らが舞人,陪従を従えて奈良に下る春日祭使の行列は華麗かつ壮観であった。応仁の乱以降,同祭は中絶していたが,元禄年間(1688-1704)に再興された。しかし,内侍らの参向はなく略式化された。1886年旧儀復興して再び勅祭となった。現行の祭儀は,平安時代の祭祀の姿をよくとどめている。
[岡田 荘司]

[索引語]
春日大社 申祭 斎女 春日祭


国史大辞典

春日祭
かすがのまつり
奈良市春日大社の例祭。「かすがさい」ともいう。祭日は明治十九年(一八八六)から三月十三日。勅祭。氏神祭祀の伝統が知られ、また申祭(さるまつり)の称で名高い。春日社の創建に先立つ天平勝宝四年(七五二)の『万葉集』一九の光明皇太后の歌の詞書に「春日祭〓神之日」とみえるが、いわゆる春日祭の創始は春日社が拡充された平安時代前期のことで、『三代実録』天安二年(八五八)十一月三日庚申条に「停〓平野春日等祭〓焉」とみえるので、『一代要記』仁明天皇条にみえる「(嘉祥)三年(八五〇)庚午(中略)春日二季祭、二月初申日十一月初申日、云々」を創始の時期とするのが妥当であろう。二月・十一月の上申日を祭日とし、上卿と弁とがこれを奉行し、藤原氏氏長者の祭祀のほかに官使の近衛使・内蔵使ないし中宮使が参向し奉幣する二季春日祭が創まった。貞観十一年(八六九)から斎女(間もなく内侍)の参仕が加えられ、その参向には国・郡司の儀仗が整えられたので盛儀となった。この春日祭の諸儀や祭式については『貞観儀式』や『延喜式』に詳しい。祭の前日、斎女は京都を発し、奈良坂(歌姫越え)を経て法華寺門前をよぎり佐保頓舎に入る。祭日、添上郡司が前行、大和国司がこれに次ぎ、官幣や神馬・走馬につづいて斎女の輦輿が内侍らの車馬を従える盛大な行列で社頭に至る。かくて斎女は内院に入り神態の服に改めて所定の座につき祭儀に移る。官幣および中宮幣は上の棚、氏人(藤原氏)の幣は下の棚に捧げ、物忌(ものいみ)がこれを神殿に納める。ついで五位以上の氏人が神饌の机を舁(か)き神前に陳列し、なお神部が酒缶を供える。内侍らが神饌を奠じ、大臣以下朝使・氏人が着座、神馬・走馬を神殿前に牽き列ねる。次に神主が祝詞を読み朝使以下が拝礼、終って直会殿の座に就く。馬寮が神馬を牽き廻し、近衛使が東遊(あずまあそび)、氏人や神祇官・社司らが和舞(やまとまい)を奉仕し、次に賜饗・賜禄があり、斎女は西門から出て頓舎に還り、馬場においては走馬が行われる(『貞観儀式』)。この祭儀は実は秘められ、異姓の参仕は稀である。舞楽が洗練され、奈良時代からの神饌が供えられるのが特色である。この後、祭使の一行は梨原の宿院に還って一宿するが、翌朝、人気のない下僕を飾馬に乗せて嘲弄したり、帰京途次に不退寺辺で追剥ぎに衣をはがれたり、盗人捕縛の儀を行い、また山城淀では雷鳴の陣を立て近衛府の下僕に紅衣を着せて雷公にしたてた。これを春日大明神の神使として仰いだというのであり(『江家次第』)、ここに春日信仰が古代春日山信仰を加味したことも知れる。鹿島神が建御雷神と表記されたり、春日赤童子像(春日曼荼羅の一種、特に若宮神を祀る)が春日大明神として祭られたのと関連する。やがて、祭使の帰路は鹿脊山越え(東路)が採られ、加茂坂(現在の奈良坂)で給禄や盗人捕縛が行われる。なお、春日祭料は諸国の国司らに課せられ、ついで料所も定められたが、特に摂関家がその資を負担した。中世後期には興福寺が祭使らに献資して参向を請うことにもなった。戦乱などで春日祭の遂行が難しくなり、社家に付される例もおこった。江戸時代には、祭儀の復興が進められたが、内侍の参向はなく、上卿・弁の参向もとだえがちで、むしろ略化せられた。明治四年の官社制度によって祭日は二月一日に定まり、一般の官社祭式が行われることになったが、同十八年旧儀復興の御沙汰を拝し、翌十九年勅祭となった。しかし、氏人の参仕はとだえて氏神祭の特色は薄れた。
[参考文献]
永島福太郎『奈良文化の伝流』、同『奈良』(吉川弘文館『日本歴史叢書』三)
(永島 福太郎)


日本国語大辞典

かすが‐まつり 【春日祭】

解説・用例

〔名〕

奈良の春日大社の祭礼。陰暦二月、一一月の上申の日に行なわれた(現在は三月一三日)。平安初期から行なわれ、藤原氏の栄華を反映して盛大をきわめた。特に貞観年間(八五九~八七七)には伊勢の斎宮、賀茂の斎院にならって春日斎女が置かれて、祭礼も壮観を呈した。朝廷をはじめ、東宮、中宮、氏人などから奉幣があり、近衛府からは神馬を献ずる春日祭使(かすがさいし)が派遣され、その行装は華麗であった。かすがのまつり。《季・春》

*日本三代実録‐貞観元年〔859〕二月一〇日「春日祭如〓常」

*枕草子〔10C終〕一五六・えせものの所得るをり「御仏名などの御装束の所の衆。かすかまつりの近衛の舎人ども」

*無言抄〔1598〕下・三「春日祭 二月上申日也。十一月にもまつりあり。両度の祭は初を以本とするゆへに春なり」

*俳諧・曠野〔1689〕六・雑「春日祭 としごとに鳥居の藤のつぼみ哉〈荷兮〉」

発音

カス〓マツリ

〓[マ]


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