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  10. 御岳山
日本歴史地名大系

御岳山
みたけさん

大岳おおたけ山から北に延びる御嶽尾根にある高山。御岳山は標高九二九メートル。金峰きんぷ山・武州御嶽山ともいう。北の大塚おおつか山の東手を大沢おおさわ川が流れ、南西の鍋割なべわり山の手前に奥院があり、東に日の出ひので山がそびえる。古くから御嶽山信仰の山として知られ、山頂に吉野金峰山より蔵王ざおう権現の分霊を勧請した武蔵御嶽むさしみたけ神社が鎮座、一山が関東の代表的な修験道場の場となった。武蔵野から当山を遠望すれば、本社のあるまる山と奥院が重なり、円錐形の神南備の山容を呈し、武蔵国のミタケの称にふさわしい秀麗さをみせる。

〔古代・中世〕

信仰の山として蔵王権現が勧請された時期はつまびらかではないが、天平八年(七三六)の創立とする所伝もあり、古くは「延喜式」神名帳に記す多摩郡八座の一つ「大麻止乃豆乃オホマトノツノ天神社」に比定する説がある。平安後期の赤糸威鎧(国宝)が所蔵されており、建長三年(一二五一)散位大仲臣国兼が金剛蔵王権現の金銅像を鋳造、また八尺の宮殿をはじめ諸社を再興したという(同八年二月「奥院御嶽像縁起事」金井家文書)。正和四年(一三一五)の御嶽山社頭由来記(同文書)には壬生氏尼の寄進になる楼門を修理、釈迦像・仁王像の造立を行ったと伝えている。徳治二年(一三〇七)一一月二七日壬生氏女が径二尺五寸の金峯山槌鐘を奉納していた(風土記稿、明治初年まで所蔵)。また鎌倉期の金覆輪円文螺鈿鏡鞍(国宝)・紫裾濃鎧(国指定重要文化財)・鍍金長覆輪太刀(同指定)・宝寿丸黒漆鞘太刀(同指定)などを伝来しており、鎌倉幕府と武蔵国国府に尊崇されていたことをうかがわせている。現さいたま市氷川女体ひかわによたい神社蔵の三鱗文長覆輪太刀と同型の太刀残欠を存するのは、蒙古襲来にあたって鎌倉幕府が国内寺社に命じた異国降伏祈祷への報謝が当山にもあったことを示すものであろう。ほかに鎌倉期の御正体もある。建武五年(一三三八)三月一一日銘の銅製鰐口(都指定文化財)は径一尺二寸で、銘に武蔵国金剛蔵王権現鏡と記す。中世関東の版経として名高い普済寺版経は武蔵御嶽神社別当世尊せそん寺の南北朝期の数代にわたる住僧の事業と考えられ、経中に「金峰参詣衆四千二百六十人」とあり、またこれに関与した尼正心ら山上止住の人名を記している(「大方広仏華厳経」巻五、京都大学図書館蔵)。山頂にはこの正心造立の南北朝期の板碑など二三基がある。応安二年(一三六九)令山俊翁明極は当山でこの経典を披読している(令山俊翁和尚行録)。永和四年(一三七八)の大般若経修理奥書(金井家文書)そま保御嶽金峯山蔵王大権現霊社に年久しく経典が伝来してきた旨が世尊寺一七世啓端により記述されている。永正八年(一五一一)一一月、「御嶽神主浜名左京亮重頼」は三田弾正忠氏宗およびその息政定・顕昌・秀長を檀那として鎌倉仏所下野法橋弘円により世尊寺に安置する本地仏釈迦如来像が修理されている(社蔵木札銘・天寧寺蔵木造釈迦如来坐像銘)

〔近世〕

天正一九年(一五九一)一一月日の徳川家康判物(金井家文書)により金峯山権現領三〇石が寄進されている。慶長一〇年(一六〇五)から同一一年にかけて社殿を造営、江戸鎮護の社として南向きであった社殿を東向きに改めたという。その折代官頭大久保長安が吊灯籠一対を寄進している。国兼の子孫である神主家浜名氏は元禄年間(一六八八―一七〇四)に退転するが、浅羽・大原・金井氏が継ぎ、安永年間(一七七二―八一)大宮司を称した。元禄一三年五代将軍徳川綱吉が再び社殿を修理、装束・具足を寄進している。享保一二年(一七二七)・同一九年には八代将軍徳川吉宗が中世以来の神宝類(鎧・太刀・鞍など)を上覧、これに伴い鎧の修理と櫃の寄進を受けている。安永七年にも一一代将軍徳川家斉が上覧。二領の鎧、太刀、馬具は松平定信の「集古十種」に精密に図示されている。「風土記稿」には御嶽社とあり、由緒のほか拝殿・奥院・奥之奥院、黒門四ヵ所、神輿殿・楼門・銅鳥居・宝物・御嶽山社頭由来記、陽祭・陰祭、末社、釈迦堂・観音堂などが記される。

近世には豊作豊穣の神として関東一円の村々に御嶽講が組織され、また蔵王権現の眷属神である山犬(狼)が邪鬼・火盗の難を除くとする御犬信仰と結び付き、山上山麓に住した御師により江戸市中をはじめ広い信仰圏を形成していった。山内の運営は、三方相談の制(宝暦六年「証文之事」御師共有文書)、すなわち神主(大宮司)、社僧寺の世尊寺ならびに山上御師の三者の衆議で行われた。往古から境内不入の神地とされ、神主(大宮司)一人・社僧一人・御師三五人で、寺社奉行「御直掛り」のため人別は七ヵ年ごとに神主方より奉行所宗門掛に提出するという(弘化四年「御嶽山古例書之覚」金井家文書)。明暦四年(一六五八)には正月元朝の権現社参、二月八日の祭礼、三方相談のことなど七ヵ条の一山掟(同文書)が取決められており、享保五年にも天下御祈祷出仕・神前御道掃除のことなど五ヵ条が定められ、御師三五人が署名している(同文書)。神主は世襲制で、神事をはじめ一山の事務を総管し、本社内陣を管理するとともに牛王の祈祷札も発行した。世尊寺は山城醍醐寺三宝さんぼう院末で、本社外陣の管理と護摩札を発行。元禄一六年神主・社僧・御師三方入会の山林五ヵ所を神主・社僧が社殿修復を理由に御師団に相談なく処分したため抗議があり、宝永五年(一七〇八)同所を二分して山境を定めている(「証文」須崎家文書)。その後、延享二年(一七四五)神主が主導した江戸出開帳が不振でその借入分を山内山林の売却で補填しようとした件、宝暦一三年(一七六三)には社木売払いの件などの事件が起きている(金井家文書など)。天明八年(一七八八)世尊寺が社木を無断で伐採したとして社僧日応が罰せられ、世尊寺は廃寺に処された。一山経営に重きをなしたのがいわゆる「山上御師三十六軒」で、「風土記稿」では鈴木・島崎・服部・久保田・黒田・馬場・片柳・須崎・橋本・秋山・勤矢・原島・高名・岸野・林・尾崎・靱矢を氏とする御師三三軒をあげている。

御嶽御師には夏廻り・秋廻り・冬廻りの三度檀家廻りがあり、配札を行った(万延元年「配札軒別名前帳」片柳家文書など)。檀家は片柳家の享保一三年当時で一千七四七軒を数え(「金峯山御師檀家帳」同文書)、武蔵・相模を主として上野・下野・常陸・上総・下総・甲斐の諸国に広がり、その戸数は十数万に及ぶとされる。寛政元年(一七八九)には御師議定(金井家文書)により師檀関係について取扱いを申合せている。檀家は御師により売買・質入などの対象として世襲財産化された(文政四年「売渡証文」須崎家文書)。廻檀の際は講金や初穂もの(米・麦・蕎麦・餅粟など)を取集めていた(寛政六年「取集控帳」、文政五年「講金取集覚帳」いずれも同文書など)。御師の収入源はこれらのほかに太太神楽料があり、山内御師の全員が参加するため厳しい取決めがあって、神楽奏上料も権現奉納金一両・行列金一分・清祓代五〇〇文などとなっている(「太々神楽儀定」月番箱文書)。なお江戸近郊の遊楽地として天保五年(一八三四)挿絵入の道中案内「御嶽菅笠」が刊行されている。両祭とよばれた二月の陽の祭は随兵供奉のさまを伝えており(現在は五月)、九月の陰の祭で奉納される流鏑馬神事は中世の武技をうかがわせるもの。また正月には豊作の吉凶を占う太占祭が行われる。なお本社大黒天社の賽銭箱として用いられていたという慶長一五年銘の鉄俵(国指定重要文化財)がある。

〔近現代〕

明治維新に伴い、「仏具類一切取除、往古之神道ニ復立」、蔵王権現と称していたのを今後は「御嶽大神宮」とし、仏像、鰐口・梵鐘などを取除いた(「議定連印之事」御師共有文書)。このため江戸時代まで二月の陽の祭の神幸に供奉してきた大般若経唐櫃の、大般若経・大集経・法華経、また壬生氏寄進の銅鐘などが失われた。武蔵御嶽神社は、式内社大麻止乃豆乃天神社に比定されることを上申したが、明治七年(一八七四)社号を御嶽神社とし、県社に定められた。同二六年府社に列した。祭神は櫛真知命、相殿は大己貴命・少彦名命とする。昭和二七年(一九五二)単立法人となる。室町期の造営とされる旧本殿は国指定重要文化財。現在、山上に大宮司家があり、御師家は三〇余軒、講の宿坊と民宿を兼ねたものもあり、社家として奉仕している。うち馬場家御師住宅は都指定文化財。同社境内には随神門や安永九年の銅鳥居、国宝や国指定重要文化財の宝寿丸太刀・鉄製俵など多数の宝物を展覧する宝物殿、雅楽や、都指定無形民俗文化財の太太神楽を奏する神楽伝習殿、徳川綱吉造営の旧本殿などが配置する。日本武尊の甲冑埋納の伝承地である男具那おぐな峰すなわち奥院は急峻で標高一〇七三・五メートル。その東の七代ななよの滝は落差五〇メートルを八段で落下し、往古の修験道修行の地と思われるが、現在は社家の伝法潔斎の聖地で、雨乞の神水ともされた。その南西に落差一〇メートルの綾広あやひろの滝がある。これらの滝に挟まれた渓谷一帯は奥御岳景園地として都指定名勝。日の出山尾根に流鏑馬神事の遺構とされる馬場ばばという平坦地があり、旧大宮司家所持の畠地。この尾根筋は日の出町大久野おおぐの方面からの参道南御みなみみ坂で、江戸期に盛行した青梅街道から分岐する北御坂(滝本村経由)に対して、古い参道という。北御坂の参道の長い杉並木は歴史のある見事な造林。鳥居下の町場に売店・食堂九軒が並ぶ。町場の神代欅は国指定天然記念物。大沢川筋より御岳登山鉄道のケーブルがあり、滝本駅と御岳山駅までの間を往復する。

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1. 御嶽山画像
日本大百科全書
寄生火山(継子岳、三笠(みかさ)山)、噴火口跡(一ノ池~五ノ池)などが南北に連なり、これらを総称して御嶽山とよぶ。頂上周辺の一ノ池から五ノ池のうち、二ノ池と三ノ ...
2. 御嶽山[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
「木曽御嶽(きそおんたけ)」ともよばれる成層火山。標高3067m。木曽谷のシンボルとして、また古くから霊峰として知られ、いまなお人々の信仰が厚い。写真は開田(か ...
3. 御嶽山
世界大百科事典
火活動と同時期の寄生火山である。1979年10月28日の御嶽山の噴火は有史以来の事で,地獄谷に新火口を開いている。 高峻で雄大な御嶽山の山容は古来山岳信仰の対象 ...
4. おんたけ‐さん【御嶽山/御岳山】画像地図
デジタル大辞泉
長野・岐阜両県境にある活火山。飛騨山脈南部にあり、標高3067メートル。中央火口丘の剣ヶ峰に御嶽神社がある。古代からの信仰登山の対象。木曽御嶽。 かつては死火山 ...
5. おんたけ‐さん【御嶽山】
日本国語大辞典
長野・岐阜県境にある複式成層火山。飛騨山脈の南端に位置する。中央火口丘の剣ケ峰に御嶽神社があり、御嶽講信者の登山者が多い。標高三〇六七メートル。木曾御嶽。 ...
6. 御岳山画像
日本大百科全書
東京都青梅(おうめ)市の南西端にある山。標高929メートル。甲州御岳に対し武州(ぶしゅう)御岳ともよばれる。JR青梅線御嶽(みたけ)駅からバスが御岳登山鉄道のケ ...
7. 御岳山[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
青梅(おうめ)市南西端にある名山(写真中央奥)。標高929m。武州御岳(ぶしゅうみたけ)ともよばれる。山頂には江戸町民の信仰(御岳講)によって開けた御嶽(みたけ ...
8. 御岳山
世界大百科事典
な力をもった。 御岳山の組織運営に関してとくに注目すべきは,三方(さんぽう)相談の制である。これは神主,世尊寺,御師と3者の衆議によって一山の運営を行うものであ ...
9. みたけ‐さん【御岳山・御嶽山】
日本国語大辞典
東京都青梅市の南西端にある山。山頂に御嶽神社がある。秩父多摩甲斐国立公園の一部。標高九二九メートル。金峰(きんぷ)山。武州御岳。 ...
10. みたけさん【御岳山】東京都:青梅市/御嶽村地図
日本歴史地名大系
尾根にある高山。御岳山は標高九二九メートル。金峰山・武州御嶽山ともいう。北の大塚山の東手を大沢川が流れ、南西の鍋割山の手前に奥院があり、東に日の出山がそびえる。 ...
11. みたけさん【御嶽山】岡山県:笠岡市/西大島村
日本歴史地名大系
り、この滝の近くに御滝神社がある。紀州熊野権現(本宮大社)の分霊を勧請したもので、御嶽神社・御嶽山大権現とも称され、みたきともよまれる。同神社を含む山の西側一帯 ...
12. 御嶽山(みたけさん)[武藏]
古事類苑
地部 洋巻 第3巻 798ページ ...
13. みたけやま【御岳山】宮城県:本吉郡/本吉町/津谷村
日本歴史地名大系
山下に真言宗金峰山金剛寺があるという。「封内名蹟志」は「御嶽、郷人称蔵王権現」とする。「封内風土記」も、御岳山に佐藤庄司藤原勝信妻が創建した蔵王権現があるとする ...
14. みたけ‐さん【御岳山】
デジタル大辞泉
⇒御岳〓  ...
15. 御嶽山噴火[防災]
イミダス 2017
2014年9月27日、中央アルプスの御嶽山(標高3067メートル、長野県、岐阜県)が前回噴火した1979年以来35年ぶりに噴火した(水蒸気爆発)。折から全山紅 ...
16. 御嶽山噴火[地震/火山]
イミダス 2017
噴出物からはマグマ物質は検出されず、地下の水蒸気の圧力が高まって発生する水蒸気噴火であった。歴史的に見ると御嶽山の噴火活動は低調で、1979年の水蒸気噴火は、有 ...
17. 御嶽山節
デジタル大辞泉プラス
長野県の民謡。かつては『木曽節』と呼ばれていた。『御嶽』とも。 2013年05月 ...
18. みたけさんこふん【御岳山古墳】東京都:世田谷区/等々力村地図
日本歴史地名大系
[現]世田谷区等々力一丁目 多摩川左岸の台地上、野毛大塚古墳と等々力渓谷を挟んだ東側の台地端部に立地する全長約四〇メートル、高さ七メートルほどの帆立貝形古墳。野 ...
19. みたけさんしおゆひこじんじゃ【御嶽山塩湯彦神社】秋田県:平鹿郡/山内村/大松川村
日本歴史地名大系
[現]山内村大松川字御嶽山 御嶽山(七四四・一メートル)山頂にあり速玉命・大山祇命を祀り、例祭は七月二〇日に行われる。旧郷社。「延喜式」の平鹿郡二座のうちに塩湯 ...
20. みたけやまこふんぐん【御嶽山古墳群】群馬県:太田市/西金井村
日本歴史地名大系
[現]太田市北金井 八王子丘陵の南西斜面裾部には大小の群集墳が分布し、とりわけ長岡から強戸にかけての一帯は濃密な分布地帯をなす。当古墳群はその一角を占め、また丘 ...
21. 御嶽山籠 (見出し語:山籠)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 1312ページ ...
22. あおやぎむら【青柳村】茨城県:西茨城郡/岩瀬町
日本歴史地名大系
[現]岩瀬町青柳 岩瀬盆地の南に位置し、東は水戸村、南は犬田村。村の南部は御嶽山の北側の山地で、北部に桜川が流れる。江戸時代は笠間藩領で、「寛文朱印留」に村名が ...
23. 赤石岳
世界大百科事典
わりより遅くまで雪の残る舟窪地形がみられる。頂上からは,赤石山脈の山々,遠く木曾,飛驒山脈,御嶽山を望むことができる。近年,登山道が整備されたとはいえ,長野県側 ...
24. あきづきむら【秋月村】徳島県:板野郡/土成町
日本歴史地名大系
[現]土成町秋月 御嶽山の南麓に位置。東・南・西の三方を水田村に囲まれ、北は浦池村。「和名抄」にみえる阿波郡秋月郷の遺称地で、中世には秋月庄が一帯に成立していた ...
25. あさひむら【朝日村】岐阜県:大野郡
日本歴史地名大系
・日影平山(一五九五・三メートル)、高山市との境に牛首山(一四〇八メートル)が連なり、南東は御嶽山の継子岳(二八五八・九メートル)が聳立し、南の益田郡小坂町との ...
26. あそむら【麻生村】福井県:三方郡/美浜町
日本歴史地名大系
[現]美浜町麻生 耳川右岸、御岳山西側の山裾にある。西は中寺村。弘安六年(一二八三)一〇月の園林寺文書に「山西郷内麻生村」とある。弘治二年(一五五六)六月の明通 ...
27. あわらむら【荒原村】愛知県:南設楽郡/作手村
日本歴史地名大系
[現]作手村荒原 田代村の東、東・南は雁峯山系を隔てて新城藩領と接し、西に御岳山を負う。寛永郷帳には「荒原新田村」とされる。近世の諸記録には「布里村之内荒原村」 ...
28. いさだにむら【五十谷村】福井県:三方郡/美浜町
日本歴史地名大系
[現]美浜町五十谷 耳川の右岸、御岳山の西側に立地。北は安江村。「若狭郡県志」には「伊佐谷村 属耳庄、或作五十谷村」と記す。安江村・寄戸村と合わせて小三ヶ村と総 ...
29. 石鎚山画像
日本大百科全書
『日本霊異記(にほんりょういき)』などにその名が記され、古くから山岳信仰の対象として有名で、富士山、御嶽山(おんたけさん)などと並んで全国七霊山の一つに数えられ ...
30. 石鎚山
世界大百科事典
年に石鎚スカイラインが開通し,登山が容易になった。修験道の霊場として古くから知られ,富士山,御嶽山などと並び称せられた。毎年7月1日のお山開きには,白装束の信徒 ...
31. いしとびむら【石飛村】愛知県:西加茂郡/藤岡町
日本歴史地名大系
現小原村から木瀬・石飛・上渡合・折平を通って瀬戸(現瀬戸市)に抜ける外越道が通る。石飛砦跡はお須原山とその東の御岳山を併せた山稜の頂部にあり、削平地に空堀・土塁 ...
32. 伊那節
日本大百科全書
盆踊り唄として歌われていた『御岳山節(おんたけさんぶし)』である。元禄(げんろく)年間(1688~1704)木曽谷と伊那谷とを結ぶ権兵衛(ごんべえ)峠が切り開か ...
33. いな‐ぶし【伊那節】
デジタル大辞泉
長野県伊那地方の民謡。祝儀歌・盆踊り歌としてうたわれ、古くは御嶽山(おんたけさん)節といわれた。「天竜下ればしぶきに濡れる」は大正5年(1916)の新作歌詞。  ...
34. いな‐ぶし【伊那節】
日本国語大辞典
〔名〕長野県伊那地方の民謡。古くは御嶽山節(おんたけさんぶし)といわれたもの。大正五年(一九一六)にできた歌詞「天龍下ればしぶきに濡れる、持たせやりたや檜笠」が ...
35. いぶきさん【伊吹山】岐阜県:揖斐郡/春日村
日本歴史地名大系
伊吹山の修験道は、江戸時代以降に衰えてしまっているが、現在、木曾御嶽修験道の修行場として復活し、御嶽山が眺望できる山頂近くに多くの霊神碑が建立されている。なお「 ...
36. いぶきやま【伊吹山】滋賀県:坂田郡/伊吹町
日本歴史地名大系
ていた。伊吹山の修験道は江戸時代以降に衰えているが、現在、木曾御嶽修験道の行場として復活し、御嶽山が眺望できる山頂付近に多くの霊神碑が建立され、滋賀県側において ...
37. うたえだむら【宇田枝村】大分県:大野郡/清川村
日本歴史地名大系
家文書)。延宝四年(一六七六)には反橋架橋の藩命が下り、萱野助左衛門を宰判役として翌年竣工、御嶽山の神輿と社僧人が渡り初めを行った(両郡古談)。元文元年(一七三 ...
38. うつくしがはら【美ヶ原】長野県:松本市
日本歴史地名大系
はじめ槍ヶ岳(三一八〇メートル)、穂高岳(三一九〇メートル)、西南の乗鞍岳(三〇二六メートル)、また南方の御嶽山(三〇六三メートル)、仙丈ヶ岳(三〇三三メートル ...
39. 江戸参府紀行 180ページ
東洋文庫
と高いと思われるので、富士山は日本でいちばん高い山ではない。白山(エ長言き)と木曽(ヨ8)の御岳山(〇三$ξ)も同様にたいへん高いということである。昔からオラン ...
40. えびすがようせき【蛭子瓦窯跡】徳島県:板野郡/土成町/秋月村
日本歴史地名大系
[現]土成町秋月 蛭子 御嶽山東麓の標高約四八メートルに位置する中世の瓦窯跡。昭和五三年(一九七八)区画整理中に発見され、二〇平方メートルが発掘調査された。調査 ...
41. えぼしやまじょうあと【烏帽子山城跡】京都府:福知山市/小牧村
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京愛宕山、南ハ氷上郡佐治郷村里見、乾ニ天田郡ノ村里夜久ノ野見エ、若狭松ノ尾ナト見ユ、当国鬼ケ城且御嶽山見エ、此城山絵図アリ、両郡境ニ有山ナリ、享禄―天文(一五二 ...
42. おうがはな【王ヶ鼻】長野県:松本市
日本歴史地名大系
仰ぐことができ、南には山辺谷を隔てて、鉢伏山(一九二九メートル)・駒ヶ岳(二九五六メートル)・御嶽山の山々がみられ、乗鞍岳(三〇二六メートル)も西南方に白銀の姿 ...
43. 王滝[村]
世界大百科事典
長野県南西部,木曾郡の村。人口965(2010)。御嶽山南麓に位置し,西は岐阜県に接する。中世は木曾氏の領地で,近世は天領であった。中心地の上島は御嶽山信仰の登 ...
44. 王滝川
日本大百科全書
長野県南西部を流れる川。木曽(きそ)川の支流で、御嶽山(おんたけさん)の南西麓(ろく)から流出し、南麓を回り、木曽町の南方で木曽川に合流する。延長約54キロメー ...
45. おうたきむら【王滝村】長野県:木曾郡
日本歴史地名大系
面積:三一二・七一平方キロ 木曾郡の西端、御嶽山麓にある木曾郡最大の面積をもつ広大な村で、北にそびえる御嶽から西にかけて岐阜県に境し、南は大桑村と上松町、東は三 ...
46. おうめし【青梅市】東京都地図
日本歴史地名大系
れた。江戸との交流により御嶽山の蔵王権現社を中心とする信仰が広まり、山内御師の活動は関東一円に布教された。天保五年(一八三四)に刊行された「御嶽菅笠」は江戸から ...
47. おうめむら【青梅村】東京都:青梅市地図
日本歴史地名大系
仁君開村記(吉野家文書)の元和三年条に「十七日市ハ青梅ニ立」と記される。明暦二年(一六五六)以前「御嶽山で毎年たき炭を焼せ、あふめの町にて商売」をしており(「訴 ...
48. おおぐのむら【大久野村】東京都:西多摩郡/日の出町地図
日本歴史地名大系
平井村に連なる。南大久野川沿いに御嶽道が通り、御嶽山参詣者の通行が盛んであった。参詣道の途中には肝要があって、「古は神入と書しよし、この所に御嶽山の遥拝殿ありし ...
49. おおしまむら【大島村】福岡県:宗像郡
日本歴史地名大系
宗像郡の北部、玄界灘に浮ぶ大島と、大島からさらに北西四九キロの海上に浮ぶ沖ノ島からなる村。大島は中央部の御岳山(二二四メートル)を中心に丘陵部が多く平地は少ない ...
50. おおしまむら【大島村】福岡県:宗像郡/大島村
日本歴史地名大系
大島は宗像郡の北部、神湊村(現宗像市)より海上約三里、玄界灘に浮ぶ島で、東西約三・二キロ、南北約二・七キロ。御岳山を中心に丘陵が多く平地が少ない。字大岸に宗像大 ...
「御岳山」の情報だけではなく、「御岳山」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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富士山(日本大百科全書(ニッポニカ))
山梨・静岡両県にまたがる、玄武岩を主とする成層・円錐火山。かつての富士火山帯の主峰であるが、全国最高の標高(3776メートル)と美しい容姿のために、古来、日本の象徴として仰がれ、親しまれ、海外にもよく知られる活火山。その傾斜は山頂部で32~35度
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槍ヶ岳(改訂新版・世界大百科事典)
飛驒山脈南部,長野県松本市,大町市,岐阜県高山市の境界に位置する山。標高3180mは日本第4位の高さである。山頂付近は槍の穂先のように鋭い尖峰を呈し大槍と呼ばれ,その北西斜面には小槍,孫槍,曾孫槍などの尖峰が付随する。山頂からは東鎌尾根,西鎌尾根,槍・穂高稜線,北鎌尾根の
御嶽山(日本大百科全書(ニッポニカ))
長野・岐阜県境にそびえる複式の成層火山。木曽御嶽ともいう。中央火口丘の剣ヶ峰(けんがみね)が最高峰で標高3067メートル。外輪山(摩利支天山、継母岳)、寄生火山(継子岳、三笠山)、噴火口跡(一ノ池~五ノ池)などが南北に連なり、これらを総称して御嶽山とよぶ。頂上周辺の一ノ池
おお‐やま[おほ‥] 【大山】(日本国語大辞典)
(1)大きな山。また、山の美称。*万葉集〔8C後〕一二・三一五三「み雪ふる越の大山(おほやま)行きすぎていづれの日にか我が里を見む〈作者未詳〉」
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