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  11. 豊臣秀長

豊臣秀長

ジャパンナレッジで閲覧できる『豊臣秀長』の改訂新版・世界大百科事典のサンプルページ

豊臣秀長
とよとみひでなが
1541-91(天文10-天正19)

安土桃山時代の武将。豊臣秀吉の異父弟。筑阿弥の子。小一郎,のち美濃守。初め長秀,1585年(天正13)ころより秀長に改めた。1577年以降秀吉の中国征伐に従って頭角をあらわし,但馬竹田・出石城主などとして但馬・播磨経略に努めた。本能寺の変後も秀吉の片腕として山崎の戦,賤ヶ岳の戦,小牧・長久手の戦に従軍。85年には紀州一揆弾圧後の紀伊経略,秀吉の名代として長宗我部氏を下した四国征伐で大役を果たし,その功により同年閏8月大和・紀伊に和泉・伊賀の一部を加えた100万石を領し,大和郡山を居城とした。翌年従三位参議。87年にも九州征伐で日向口を指揮して島津軍を破り,従二位権大納言となり大和大納言といわれた。秀吉および諸大名の信望もあつく,豊臣政権下で枢要の位置を占めたが,90年病にかかり,小田原征伐には留守居となり,翌年1月郡山城で病没。甥の秀保が跡を継いだ。
[加藤 益幹]

[索引語]
大和大納言
©Heibonsha Inc.
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豊臣秀長の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 108
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検索コンテンツ
1. 豊臣秀長
世界大百科事典
1541-91(天文10-天正19) 安土桃山時代の武将。豊臣秀吉の異父弟。筑阿弥の子。小一郎,のち美濃守。初め長秀,1585年(天正13)ころより秀長に改めた ... ...
2. 豊臣秀長
日本大百科全書
→羽柴秀長 ... ...
3. とよとみ-ひでなが【豊臣秀長】
日本人名大辞典
⇒羽柴秀長(はしば-ひでなが) ... ...
4. あかはだやき【赤膚焼】
国史大辞典
奈良市五条山で焼かれる陶器。赤膚山焼・五条焼ともいう。伝えによると、天正年間(一五七三―九二)豊臣秀長が尾州常滑から陶工与九郎なる者を招き、五条山で開窯させたの ... ...
5. あかばねじょうあと【赤埴城跡】奈良県:宇陀郡/榛原町/上赤埴村・下赤埴村
日本歴史地名大系
その後、赤埴信安は北畠氏の没落後筒井氏に属していたが、天正一三年(一五八五)筒井氏伊賀転封後豊臣秀長が郡山城(現大和郡山市)城主となるや赤埴安忠は城館を破却され ... ...
6. あきやまじょうあと【秋山城跡】奈良県:宇陀郡/大宇陀町/春日村
日本歴史地名大系
と、宇陀三人衆は蒲生氏郷の組下に属した(勢州四家記)。同一三年秀吉によって追放され、代わって豊臣秀長の臣伊藤掃部頭義之が秋山城に入り宇陀郡を領した(多聞院日記) ... ...
7. あなむしむら【穴蒸村】奈良県:北葛城郡/香芝町
日本歴史地名大系
のち近江小室藩)領五〇〇・六九石と幕府領(代官小堀政一)七七・三四石の相給。もともと小堀政一が郡山城主豊臣秀長の家老時代からの所領。このうち幕府領は元和五年(一 ... ...
8. いそのかみじんぐう【石上神宮】奈良県:天理市/丹波市地区/布留村
日本歴史地名大系
頃まで、馬場領に七町余、丹波領に一三町余、長原荘に二四町余あったが(「石上社田数帳」社蔵)、豊臣秀長入部により没収され、近世初期には祭事もなく、社頭並びに回廊に ... ...
9. いちのおむら【市ノ尾村】奈良県:高市郡/高取町
日本歴史地名大系
三一石。検地奉行は御牧景則。慶長郷帳では六七七・三一石は江戸時代を通じて高取藩領。二〇〇石は豊臣秀長後室内中島猪右衛門領、元和五年(一六一九)郡山藩領、延宝七年 ... ...
10. いわくらじょうあと【岩倉城跡】鳥取県:倉吉市/岩倉村
日本歴史地名大系
同年四月一七日には日向国高城(現宮崎県高城町)にいた島津義久が南条・小鴨の陣に夜討をかけたが、豊臣秀長によって撃退されている(豊臣記)。同年七月には南条元続が没 ... ...
11. 印章 25[別刷図版] 画像
国史大辞典
「秀次正道」 豊臣秀次 「豊臣秀次」 小早川秀秋 「秀龝」 小早川秀秋 豊臣秀頼 「秀頼」 豊臣秀長 「羽柴秀長」 (c)Yoshikawa kobunkan ... ...
12. おあみむら【大網村】奈良県:磯城郡/田原本町
日本歴史地名大系
書)。大依網(部制地名)の二字化地名であろうか。慶長郷帳の村高は一七三・一五石で大納言後室(豊臣秀長室)内の松野又右衛門領。寛永一六年(一六三九)郡山藩(郭住、 ... ...
13. おざきむら【尾崎村】大阪府:泉南郡/阪南町 地図
日本歴史地名大系
古くから和泉国から四国・淡路島へ渡る湊として栄え、天正一三年(一五八五)の豊臣秀吉の四国平定の出陣の際には豊臣秀長が当地土豪吉田源右衛門源房家に止宿、その後四国 ... ...
14. かいづかし【貝塚市】大阪府 地図
日本歴史地名大系
明治維新期まで保ち続けた。〔近世〕天正一三年、紀州勢が平定されたことにより和泉は秀吉の支配下となり、豊臣秀長によってはじめて検地も行われた。当市域では福田村の指 ... ...
15. かだかすがじんじゃ【加太春日神社】和歌山県:和歌山市/河北地区/加太村
日本歴史地名大系
社地は「紀伊国名所図会」によると現在地の東の山の中腹にあったが、天正年中(一五七三―九二)に豊臣秀長の家臣で和歌山城代桑山重晴によって現在地に移されたと伝える。 ... ...
16. かみくらじんじゃ【神倉神社】和歌山県:新宮市/新宮町/山際地
日本歴史地名大系
当社は戦国時代から近世初期にかけても度々災害に遭っているが、とくに天正一六年(一五八八)一〇月一六日には豊臣秀長の木材奉行二人が夜当社に入って熊野聖に斬られ、う ... ...
17. かみやそうたん【神屋宗湛】
国史大辞典
翌十五年の正月には豊臣秀吉の大坂城の大茶湯に招かれ「筑紫ノ坊主」とよばれて殊遇を受けた。その後豊臣秀長・石田三成・千利休らをはじめ堺の商人と交わり肥前唐津に帰っ ... ...
18. かみやそうたんにっき【神屋宗湛日記】
国史大辞典
本書中注目すべき記事といえよう。当時、茶会は一大社交場の観を呈していたが、本書には秀吉のほか豊臣秀長・毛利輝元・浅野長政・石田三成・小早川隆景・同秀秋・黒田孝高 ... ...
19. きしだむら【岸田村】奈良県:天理市/朝和地区
日本歴史地名大系
」とみえ、大門田の小字が残る。伯耆守岸田晴澄は初め筒井順慶に従い、筒井定次の伊賀国移封の際、豊臣秀長に従い、文禄三年(一五九四)秀保断絶の時、豊臣秀吉に仕え、山 ... ...
20. きたやまむら【北山村】奈良県:桜井市/安倍・多武峯地区
日本歴史地名大系
[現]桜井市大字北山 御破裂山西北の渓谷村落。文禄(一五九二―九六)期は豊臣秀長の家臣井上源吾の所領、慶長郷帳の村高は一四〇・九三石。関ヶ原戦後旗本水野氏(守信 ... ...
21. きよみずでらもんじょ【清水寺文書】
国史大辞典
数回の火災からの再興関係の一連の文書など、寺院の由緒・沿革を語る貴重なもの。また、豊臣秀吉の奉行杉原家次や豊臣秀長の臣小堀秀言(のち正次、遠州の父)の書状など、 ... ...
22. くぼのしょうむら【窪ノ庄村】奈良県:奈良市/都南地区
日本歴史地名大系
同院所領にちなむ村名ともいう(大和志料)。文禄検地の検地奉行は増田長盛。近世初めは大納言殿後室すなわち豊臣秀長の後室領のうち。寛永九年(一六三二)旗本柳生氏(但 ... ...
23. くらがりとうげ【暗峠】奈良県:生駒市/西畑村
日本歴史地名大系
ふ故に椋ケ根の名あり。一説には此山の松杉大ひに繁茂し暗かりければかく名付るともいふ。天正の頃豊臣秀長郡山の城を築き給ふ時ことことく大木を伐取しより今に大樹なし」 ... ...
24. くるままち【車町】奈良県:大和郡山市/郡山城下
日本歴史地名大系
[現]大和郡山市車町 車町は豊臣秀長の時代に形成され、内町に編入されている。枝町であるが、地子は免除された。車・輿などの同業者の町であろう。天正一九年(一五九一 ... ...
25. くわやまそうせん【桑山宗仙】
国史大辞典
従五位下に叙せられた。また洞雲と号し、宗仙は法名。桑山修理太夫重晴の三男として永禄三年(一五六〇)に生まれ、豊臣秀長に仕え大和のうちに二千五百石を領した。のち豊 ... ...
26. くわやま-そうせん【桑山宗仙】
日本人名大辞典
1560−1632 織豊-江戸時代前期の武士,茶人。永禄(えいろく)3年生まれ。桑山重晴の3男。豊臣秀長,その没後は秀吉,ついで徳川家康につかえる。茶道を千利休 ... ...
27. こいずみむら【小泉村】奈良県:大和郡山市
日本歴史地名大系
高詰にした結果である。貞隆が小泉に陣屋を構えるのは元和九年以降である。中世小泉氏の館の地で、豊臣秀長の頃羽田長門守(四万八千石)が館を構えた要害かつ景勝の地で、 ... ...
28. こおりやま【郡山】
国史大辞典
十六世紀になると筒井氏の勢力がこの地に及び、天正八年(一五八〇)筒井順慶が城を築いて郡山に移った。同十三年豊臣秀長が郡山に入り、城下の発展をはかった。奈良町の商 ... ...
29. こおりやま【郡山】 : 郡山/(二)
国史大辞典
十六世紀になると筒井氏の勢力がこの地に及び、天正八年(一五八〇)筒井順慶が城を築いて郡山に移った。同十三年豊臣秀長が郡山に入り、城下の発展をはかった。奈良町の商 ... ...
30. 郡山城
世界大百科事典
安堵され,山崎の戦の翌83年には天守を築いて普請をひとまず完成させた。筒井氏の伊賀転封後,85年に豊臣秀長が入り,大和・紀伊・和泉100万石の大名にふさわしく修 ... ...
31. こおりやま‐じょう[こほりやまジャウ]【郡山城】
日本国語大辞典
奈良県大和郡山市にあった平山城。天正八年(一五八〇)筒井順慶が築城。同一三年豊臣秀長が入城。以後、増田・水野・松平・本多氏などが交代。享保九年(一七二四)柳沢氏 ... ...
32. こおりやまじょう【郡山城】
国史大辞典
筒井順慶によって築城されたのに始まり、同十一年には天守閣も建てられた。同十三年、郡山に入部した豊臣秀長によって整備拡張され、ついで増田長盛の時代に外堀がつくられ ... ...
33. こおりやまじょう【郡山城】 : 郡山城/(二)
国史大辞典
筒井順慶によって築城されたのに始まり、同十一年には天守閣も建てられた。同十三年、郡山に入部した豊臣秀長によって整備拡張され、ついで増田長盛の時代に外堀がつくられ ... ...
34. こおりやまじょうあと【郡山城跡】奈良県:大和郡山市/郡山城下
日本歴史地名大系
本能寺の変後、同一一年四月天守閣を急造した。順慶の死後、養子の筒井定次は伊賀国替を命ぜられ、豊臣秀長が但馬国出石(現兵庫県)から同一三年九月三日入部した。その後 ... ...
35. こおりやまじょうか【郡山城下】奈良県:大和郡山市
日本歴史地名大系
た城下町。戦国大名筒井順慶が郡山城を築き、郡山村・薬園村を根幹に城下を取立てたことに始まり、豊臣秀長・秀保、増田長盛の時代にいちおう完成した。初期には筒井氏の本 ... ...
36. 郡山藩
世界大百科事典
大和国(奈良県)添下郡郡山に藩庁を置く譜代中藩。郡山城は筒井順慶の築城,豊臣秀長の拡充のあとをうけた増田長盛(20万石)が関ヶ原の戦で敗れ一時廃されたが,豊臣氏 ... ...
37. こおりやまはん【郡山藩】
国史大辞典
城持。天正八年(一五八〇)筒井順慶が郡山城を築城、同十三年その子定次が伊賀国に移されたあと、豊臣秀長が入城して大和・和泉・紀伊の三国を統治した。文禄四年(一五九 ... ...
38. こけいそうちん【古渓宗陳】 画像
国史大辞典
三門を寄進したりしている。配流は年余にして赦されて帰京、洛北の市原常楽庵に寓居、同十九年正月豊臣秀長死去に際し葬礼の導師に起用され大和郡山城に下向したが、玉仲ら ... ...
39. こぼりえんしゅう【小堀遠州】 画像
国史大辞典
に叙せられ遠州と呼ばれた。道号大有。宗甫・孤篷庵と号した。幼時、父に従って大和国郡山にあり、豊臣秀長に小性として仕え、慶長九年十月遺領備中国松山に一万二千四百六 ... ...
40. こらいまち【古来町】
国史大辞典
がれている。城下町の全町が、そのまま古来町であるというきわめて特殊な例である。大和郡山では、豊臣秀長当時、相当多くの古来町が認められる。天正十六年の『郡山惣町分 ... ...
41. ごせし【御所市】奈良県
日本歴史地名大系
ともある。彼は筒井順慶配下、平群郡武士である。楢原・倶尸羅両氏については明らかでない。大納言豊臣秀長に仕えたともいう(国民郷士記)。室町期興福寺領荘園 一乗 ... ...
42. さかいちょう【堺町】奈良県:大和郡山市/郡山城下
日本歴史地名大系
[現]大和郡山市堺町 天正一六年(一五八八)の郡山惣町分日記(春岳院文書)にみえる内町(箱本)一三町のうち。豊臣秀長が郡山城下繁栄策のため和泉国堺町から商人らを ... ...
43. さくらいむら【桜井村】奈良県:桜井市/桜井地区
日本歴史地名大系
この方面に町並は延びている(桜井村絵図)。桜井宿の始まりを物語るのは、豊臣秀吉が奈良に来たとき、郡山城主豊臣秀長の家老横浜良慶(大蔵法師)が馬一〇疋を徴したこと ... ...
44. しまづいえひさ【島津家久】 画像
国史大辞典
同十五年豊臣秀吉の九州への進出により、家久は日向方面での防戦にあたり、島津氏の豊臣政権への敗北後、佐土原の豊臣秀長への譲渡を拒んだため、同年六月五日、秀長陣所で ... ...
45. しまづいえひさ【島津家久】 : 島津家久/(一)
国史大辞典
同十五年豊臣秀吉の九州への進出により、家久は日向方面での防戦にあたり、島津氏の豊臣政権への敗北後、佐土原の豊臣秀長への譲渡を拒んだため、同年六月五日、秀長陣所で ... ...
46. しまづ-いえひさ【島津家久(1)】
日本人名大辞典
島津氏の九州平定につとめ,日向(ひゅうが)(宮崎県)佐土原(さどはら)を居城とする。豊臣秀吉の九州攻めの際,豊臣秀長に降伏。佐土原の引き渡しをこばんだため,天正 ... ...
47. しゅんがくいん【春岳院】奈良県:大和郡山市/郡山城下/中町・新町
日本歴史地名大系
開山は重勢(文禄三年没)で、大和大納言豊臣秀長の菩提所。戒名を「新捐館 大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」といい、春岳院の寺名もこれによる。現本堂は正徳五年(一七一 ... ...
48. しょうりゃくじ【正暦寺】奈良県:奈良市/都南地区/菩提山
日本歴史地名大系
書)。寺領は天正八年(一五八〇)の織田信長の指出検地では九〇〇石と届出ている(多聞院日記)。豊臣秀長の検地では九八七石の寺禄が下付された。これらの寺領の安堵をう ... ...
49. しらつちむら【白土村】奈良県:大和郡山市
日本歴史地名大系
、白土関係の記事が多くみられる。天正一三年(一五八五)筒井定次が伊賀に国替のとき、大和に残り豊臣秀長に召出されて家臣となり、検地に案内者として活躍する白土市助ら ... ...
50. 城(軍事的拠点) 画像
世界大百科事典
への動員によって諸大名にはなかなか居城を築く余裕がなかった。秀吉の弟で豊臣政権の宰相であった豊臣秀長が,大和郡山城の改修にかかるのが1587年(天正15),最大 ... ...
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