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蓼科山

ジャパンナレッジで閲覧できる『蓼科山』の日本歴史地名大系のサンプルページ

蓼科山
たてしなやま

茅野ちの市と北佐久郡との境の山。八ヶ岳火山列の最北端にあるコニトロイデ式火山。北八ヶ岳では天狗てんぐ(二六四五メートル)に次いで高く、標高二五三〇メートルである。諏訪側からは独立峰としてながめられる。頂上部は円形で、中央は周辺よりおよそ一〇メートルくぼんでおり、周囲約六〇〇メートルで、角閃石を含む輝石安山岩の一面の岩海となっている。頂上近くの傾斜は三〇度以上の急峻で這松帯をなし、八〇〇メートル下った付近から針葉樹のクロフ帯となっている。「信濃奇勝録」には「立科山」として次のように記す。

此山八ケ岳につゞきて諏訪小県佐久の三郡によこたはる、頂上に神祠あり、陽成天皇元慶二年叙位の事三代実録にみえたり、六月八日より廿八日まで登山す、就中十五日登山の人多し、何方より登るも五里程なり、故に山中に一夜をあかす、此山峰に雪の降積る事山よりも早く春にいたり解くるも又遅し、遠く望めハ飯を盛たるが如くなれハ飯盛いいもり山ともよべり、巓ハすべて巌石にて松一面に延回はひめぐりて根もうらもなきが如し、葉ハ姫小松に似たり、俗にはい松と云、此巌石の間に鳥ありてむ、たまたま出て遊ふを登山の人見る事あり、加賀の白山の雷鳥と云に似たり、(中略)山中に甘露梅と云草あり、葉は黄楊つげの如くにて大小あり、大なるハ実白く小なるハ赤し、採てなむれハ味ひ梅のことし、不老草ハ常世草とこよくさともいへり、諸毒を治し瘟疫うんえきをはらふ、〓だんへいじハ杖にして中風痿癖いへきの病を避け小児これをおび驚癇きやうかんの煩をふせぐと云、其外異草多し、薬品ハ黄蓮わうれん
チク
セツ
中にも柴胡さいこハ絶品なり、一年糠尾ぬかを村の医生宮原某採薬に登りて見出し採帰りて試るに功能他に勝れり

頂上にある神祠は蓼科神社奥社で、「三代実録」元慶二年(八七八)九月一六日条に、「授(中略)信濃国正六位上蓼科神(中略)並従五位下」と叙位のことが記されているのが文献上の初見である。祭神は高皇産霊尊・大己貴命・木花開耶姫命で創建年代はつまびらかでない。この山は、佐久・諏訪地方の人々に農耕神のいる霊山として古くから崇められ、山容の秀麗さや山から湧く泉が佐久川西地方の多くの用水堰の水源となっていることなど、地方農民の信仰の的とされていた。その奥社の様子は、宝暦四年(一七五四)五月の小諸家中稲垣市右衛門立科山見分留書(土屋伝氏蔵)に、

一飯盛の岑広事弐町四方も可有之、此中程ニ八子王権現の社有り、此岑中クボにて都石ハイ松也、此所信州を見下ス所ニ而弁当
一右社之前石之間に水有り、深五六寸、幅同断、長尺余、少し之水ニ候得共、大勢ウカイ・手水其外茶之水等ニ其節用候もいつも同水也、名主権助申ニ茂、六月八日・十五日・廿八日祭之節、大勢参詣之者炎天ニ而何程汲候茂不尽由
一社の後戌亥の方出先ニ甲賀ノ三郎這入候由石之間ニ穴有り、七五三縄はり有之、
一社ヨリ西南之方ニ諏方郡柏原村・(北)大塩村見ゆる、右村道法番所ヨリ二里半之由、此ニ而快晴之節ハ諏訪之湖水見ゆる由、此節ハ雲かゝり不見、漸右二ケ村暫見ゆ、

とみえる。

近世、蓼科山は諏訪方九ヵ村と佐久方八ヵ村との郡境入会であり、諏訪方の鰍原かじかはら村(現茅野市北山柏原かしわばら)と佐久方の芦田あしだ(現立科町芦田)の双方が山元となって、寛永(一六二四―四四)から延宝(一六七三―八一)に及ぶ五〇余年間境界争いが続いた。延宝五年九月の立科山小諸・高島領境出入裁許状(大沢進氏蔵)

信州小諸領佐久郡蘆田村・山辺村・茂田井村・塩沢村・細谷村・藤沢村・牛六村・宇山村、同国諏訪領鰍ケ原村・北大塩村・南大塩村・(堀)村・久保村・鷹目村・塩目村・山寺村・日向村、立科山境論之事、令糺明之処諏訪領よりさいの河原境之由雖申之、明暦三年・万治三年麦草近所より小諸領塩沢村・八重原村堰水弐筋掘取之処、諏訪領より不及異論、其上深沢川之橋芦田八ケ村先規懸来之儀、蘆田村之者拾六年以前寅年(寛文二年)之証文差出之、証拠分明候、且又立科山上之叢祠之神主芦田村居住之条、旁以小諸領理運也、然間小諸領申所之やしろ峰境定之畢、向後諏訪領之者境を越立科山之内不可入、為後鑑絵図之面境筋引之、各加印判双方下置之間、右之旨永不可違失者也、

とある。

蓼科山山麓には、古代須芳山嶺道とよばれた道が通っていたところで、「令集解」の考課令によれば「須芳郡主帳作須芳山嶺道、授正八位」とみえ、朝廷によって殊功の例に挙げており、行路難の場所であったことが知られる。当時、ここに原初の東山道が開かれ、後世の雨境あまざかい峠に至る道を通した。その沿道の赤沼平・さいの河原とかよばれていたところからは、旅人が蓼科山の神に祈って通った時に捧げた祭祀用の小石器類が多数発見されたが、その地域は女神めがみ湖や北蓼科高原として開発され、古い姿をとどめていない。また、山麓周辺にはたいらや高原が多く、北方は蓼北たてほく高原とよばれ、末端は遠く千曲川の流域に及んでおり、西方は箕輪みのわ平・いけの平・みなみ平となって八子やしみねに連なる。この付近一帯は近年奥霧ヶ峰おくきりがみねともよばれている。南方の蓼科高原は温泉が豊富である。東は天祥寺てんしようじ平・大河原おおがわら峠を挟んでよこ岳と向かい合っている。山頂からは八ヶ岳連峰をはじめ、浅間山・霧ヶ峰・美ヶ原うつくしがはらはもちろん、南・北・中央アルプス、遠く上越国境の山々がながめられる。近年、蓼科高原・蓼北高原のほか、西方山裾に蓼科牧場をはじめ、白樺しらかば湖・女神湖の両人造湖も造成された。蓼科高原・天祥寺平・大河原・ゆめの平・箕輪平と五ヵ所の登山口がある。

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2. 蓼科山
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3. たてしな‐やま【蓼科山】地図
デジタル大辞泉
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4. たてしな‐やま【蓼科山・立科山】
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5. たてしなやま【蓼科山】長野県:北佐久郡/立科町
日本歴史地名大系
、此ニ而快晴之節ハ諏訪之湖水見ゆる由、此節ハ雲かゝり不見、漸右二ケ村暫見ゆ、とみえる。近世、蓼科山は諏訪方九ヵ村と佐久方八ヵ村との郡境入会であり、諏訪方の鰍原村 ...
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26. きたさくぐん【北佐久郡】
国史大辞典
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28. 北御牧
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29. くつざわしんでん【沓沢新田】長野県:北佐久郡/望月町
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33. ごろべえしんでんむら【五郎兵衛新田村】長野県:北佐久郡/浅科村
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34. 佐久[市]
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