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  10. 蓼科山
日本歴史地名大系

蓼科山
たてしなやま

茅野ちの市と北佐久郡との境の山。八ヶ岳火山列の最北端にあるコニトロイデ式火山。北八ヶ岳では天狗てんぐ(二六四五メートル)に次いで高く、標高二五三〇メートルである。諏訪側からは独立峰としてながめられる。頂上部は円形で、中央は周辺よりおよそ一〇メートルくぼんでおり、周囲約六〇〇メートルで、角閃石を含む輝石安山岩の一面の岩海となっている。頂上近くの傾斜は三〇度以上の急峻で這松帯をなし、八〇〇メートル下った付近から針葉樹のクロフ帯となっている。「信濃奇勝録」には「立科山」として次のように記す。

此山八ケ岳につゞきて諏訪小県佐久の三郡によこたはる、頂上に神祠あり、陽成天皇元慶二年叙位の事三代実録にみえたり、六月八日より廿八日まで登山す、就中十五日登山の人多し、何方より登るも五里程なり、故に山中に一夜をあかす、此山峰に雪の降積る事山よりも早く春にいたり解くるも又遅し、遠く望めハ飯を盛たるが如くなれハ飯盛いいもり山ともよべり、巓ハすべて巌石にて松一面に延回はひめぐりて根もうらもなきが如し、葉ハ姫小松に似たり、俗にはい松と云、此巌石の間に鳥ありてむ、たまたま出て遊ふを登山の人見る事あり、加賀の白山の雷鳥と云に似たり、(中略)山中に甘露梅と云草あり、葉は黄楊つげの如くにて大小あり、大なるハ実白く小なるハ赤し、採てなむれハ味ひ梅のことし、不老草ハ常世草とこよくさともいへり、諸毒を治し瘟疫うんえきをはらふ、〓だんへいじハ杖にして中風痿癖いへきの病を避け小児これをおび驚癇きやうかんの煩をふせぐと云、其外異草多し、薬品ハ黄蓮わうれん
チク
セツ
中にも柴胡さいこハ絶品なり、一年糠尾ぬかを村の医生宮原某採薬に登りて見出し採帰りて試るに功能他に勝れり

頂上にある神祠は蓼科神社奥社で、「三代実録」元慶二年(八七八)九月一六日条に、「授(中略)信濃国正六位上蓼科神(中略)並従五位下」と叙位のことが記されているのが文献上の初見である。祭神は高皇産霊尊・大己貴命・木花開耶姫命で創建年代はつまびらかでない。この山は、佐久・諏訪地方の人々に農耕神のいる霊山として古くから崇められ、山容の秀麗さや山から湧く泉が佐久川西地方の多くの用水堰の水源となっていることなど、地方農民の信仰の的とされていた。その奥社の様子は、宝暦四年(一七五四)五月の小諸家中稲垣市右衛門立科山見分留書(土屋伝氏蔵)に、

一飯盛の岑広事弐町四方も可有之、此中程ニ八子王権現の社有り、此岑中クボにて都石ハイ松也、此所信州を見下ス所ニ而弁当
一右社之前石之間に水有り、深五六寸、幅同断、長尺余、少し之水ニ候得共、大勢ウカイ・手水其外茶之水等ニ其節用候もいつも同水也、名主権助申ニ茂、六月八日・十五日・廿八日祭之節、大勢参詣之者炎天ニ而何程汲候茂不尽由
一社の後戌亥の方出先ニ甲賀ノ三郎這入候由石之間ニ穴有り、七五三縄はり有之、
一社ヨリ西南之方ニ諏方郡柏原村・(北)大塩村見ゆる、右村道法番所ヨリ二里半之由、此ニ而快晴之節ハ諏訪之湖水見ゆる由、此節ハ雲かゝり不見、漸右二ケ村暫見ゆ、

とみえる。

近世、蓼科山は諏訪方九ヵ村と佐久方八ヵ村との郡境入会であり、諏訪方の鰍原かじかはら村(現茅野市北山柏原かしわばら)と佐久方の芦田あしだ(現立科町芦田)の双方が山元となって、寛永(一六二四―四四)から延宝(一六七三―八一)に及ぶ五〇余年間境界争いが続いた。延宝五年九月の立科山小諸・高島領境出入裁許状(大沢進氏蔵)

信州小諸領佐久郡蘆田村・山辺村・茂田井村・塩沢村・細谷村・藤沢村・牛六村・宇山村、同国諏訪領鰍ケ原村・北大塩村・南大塩村・(堀)村・久保村・鷹目村・塩目村・山寺村・日向村、立科山境論之事、令糺明之処諏訪領よりさいの河原境之由雖申之、明暦三年・万治三年麦草近所より小諸領塩沢村・八重原村堰水弐筋掘取之処、諏訪領より不及異論、其上深沢川之橋芦田八ケ村先規懸来之儀、蘆田村之者拾六年以前寅年(寛文二年)之証文差出之、証拠分明候、且又立科山上之叢祠之神主芦田村居住之条、旁以小諸領理運也、然間小諸領申所之やしろ峰境定之畢、向後諏訪領之者境を越立科山之内不可入、為後鑑絵図之面境筋引之、各加印判双方下置之間、右之旨永不可違失者也、

とある。

蓼科山山麓には、古代須芳山嶺道とよばれた道が通っていたところで、「令集解」の考課令によれば「須芳郡主帳作須芳山嶺道、授正八位」とみえ、朝廷によって殊功の例に挙げており、行路難の場所であったことが知られる。当時、ここに原初の東山道が開かれ、後世の雨境あまざかい峠に至る道を通した。その沿道の赤沼平・さいの河原とかよばれていたところからは、旅人が蓼科山の神に祈って通った時に捧げた祭祀用の小石器類が多数発見されたが、その地域は女神めがみ湖や北蓼科高原として開発され、古い姿をとどめていない。また、山麓周辺にはたいらや高原が多く、北方は蓼北たてほく高原とよばれ、末端は遠く千曲川の流域に及んでおり、西方は箕輪みのわ平・いけの平・みなみ平となって八子やしみねに連なる。この付近一帯は近年奥霧ヶ峰おくきりがみねともよばれている。南方の蓼科高原は温泉が豊富である。東は天祥寺てんしようじ平・大河原おおがわら峠を挟んでよこ岳と向かい合っている。山頂からは八ヶ岳連峰をはじめ、浅間山・霧ヶ峰・美ヶ原うつくしがはらはもちろん、南・北・中央アルプス、遠く上越国境の山々がながめられる。近年、蓼科高原・蓼北高原のほか、西方山裾に蓼科牧場をはじめ、白樺しらかば湖・女神湖の両人造湖も造成された。蓼科高原・天祥寺平・大河原・ゆめの平・箕輪平と五ヵ所の登山口がある。

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検索コンテンツ
1. 蓼科山
日本大百科全書
長野県中東部、八ヶ岳(やつがたけ)連峰の北端にある山。標高2531メートル。富士山型火山で、南方は八ヶ岳連峰に続くが三方は広大な裾野(すその)を形成し、諏訪(す ...
2. 蓼科山
世界大百科事典
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3. たてしな‐やま【蓼科山】地図
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長野県中東部、八ヶ岳連峰北端の火山。標高2530メートル。諏訪(すわ)富士。  ...
4. たてしな‐やま【蓼科山・立科山】
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5. たてしなやま【蓼科山】長野県:北佐久郡/立科町
日本歴史地名大系
、此ニ而快晴之節ハ諏訪之湖水見ゆる由、此節ハ雲かゝり不見、漸右二ケ村暫見ゆ、とみえる。近世、蓼科山は諏訪方九ヵ村と佐久方八ヵ村との郡境入会であり、諏訪方の鰍原村 ...
6. 白樺湖と蓼科山[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
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8. あさしなむら【浅科村】長野県:北佐久郡
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9. あしたじょうあと【芦田城跡】長野県:北佐久郡/立科町/芦田村
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10. あしたむら【芦田村】長野県:北佐久郡/立科町
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11. あまざかいとうげ【雨境峠】長野県:北佐久郡/立科町/芦田村
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12. あまざかいとうげいせき【雨境峠遺跡】長野県:北佐久郡/立科町/芦田村
日本歴史地名大系
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13. いりぶせむら【入布施村】長野県:北佐久郡/望月町
日本歴史地名大系
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14. うしろざわいせき【後沢遺跡】長野県:佐久市/野沢地区/小宮山村
日本歴史地名大系
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15. うつくしがはら【美ヶ原】長野県:松本市
日本歴史地名大系
山台地であり、浸食によって平坦な台地に変わり、更に隆起して高原状を呈したとみられる。東南には蓼科山(二五三〇メートル)・霧ヶ峰高原、八ヶ岳連峰(主峰の赤岳は二八 ...
16. うやまむら【宇山村】長野県:北佐久郡/立科町
日本歴史地名大系
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17. うりうざかいせき【瓜生坂遺跡】長野県:北佐久郡/望月町/牧布施村
日本歴史地名大系
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18. おうがはな【王ヶ鼻】長野県:松本市
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19. おおさわしんでんむら【大沢新田村】長野県:佐久市/野沢地区
日本歴史地名大系
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20. おおさわむら【大沢村】長野県:佐久市/野沢地区
日本歴史地名大系
[現]佐久市大字大沢 南・西・北の三方は前山村の地籍で、東南は臼田村(現南佐久郡臼田町)、東は本新町村である。蓼科山の裾野が長く北東に延びる。この裾野が東に傾斜 ...
21. おおわだむら【大和田村】長野県:佐久市
日本歴史地名大系
常木堰の大改修により段丘上に耕地が開かれたためであろう。馬草・刈敷・薪炭の採取は千曲川を渡って蓼科山の北麓まで行き、四二ヵ村入会原野などに求めた。明治八年(一八 ...
22. かくまがわ【鹿曲川】長野県:北佐久郡
日本歴史地名大系
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23. かすがじょうあと【春日城跡】長野県:北佐久郡/望月町/春日村
日本歴史地名大系
[現]望月町春日 蓼科山北斜面一支脈の末端に構築され、その南方二里余の山中に詰城の三沢穴小屋をもつ大規模な山城で、春日の穴小屋とよばれた(甲陽軍鑑・依田記)。本 ...
24. かすがむら【春日村】長野県:北佐久郡/望月町
日本歴史地名大系
[現]望月町春日 蓼科山北麓、鹿曲川の最上流に位置する。南は大河原峠(二〇九三メートル)付近で現茅野市に接し、西は丘陵を越えて八丁地川の谷から雨境峠(現立科町) ...
25. かみがわ【上川】長野県:諏訪郡
日本歴史地名大系
八ヶ岳・蓼科山南西部から流出する渋川・滝湯川・音無川等が、霧ヶ峰南部から流出する支流群とともに茅野市北西部の火山性高原地帯に渓谷をつくり、浸食しながら合流して上 ...
26. きたさくぐん【北佐久郡】
国史大辞典
南部が佐久市域となっている。明治十二年(一八七九)、郡区編制に伴い佐久郡を南北二郡に分割して成立。浅間山・蓼科山を含めた山地で、はじめ二町二十六ヵ村であったが、 ...
27. きたさくぐん【北佐久郡】長野県
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28. 北御牧
日本大百科全書
地にあり、台地は水不足のため古くから原野のまま放置されてきた。近世の終わりごろから、八重原は蓼科山の山麓より用水路(八重原堰(やえはらぜき))を引いて水田化され ...
29. くつざわしんでん【沓沢新田】長野県:北佐久郡/望月町
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30. くつざわむら【沓沢村】長野県:佐久市/野沢地区
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33. ごろべえしんでんむら【五郎兵衛新田村】長野県:北佐久郡/浅科村
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[現]浅科村上原・中原・下原 蓼科山の東北麓が御牧原と接する辺り一帯に開かれた新田村。東は御馬寄村とその枝郷駒寄・相浜村・平井村(ともに現佐久市)に接し、西北は ...
34. 佐久[市]
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望月 佐久市西部の旧町。旧北佐久郡所属。人口1万0675(2000)。蓼科山北麓に位置し,町域の約8割は山林・原野である。蓼科山に源を発する八丁地川,鹿曲(かく ...
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50. たけたむら【竹田村】長野県:佐久市/野沢地区
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山梨・静岡両県にまたがる、玄武岩を主とする成層・円錐火山。かつての富士火山帯の主峰であるが、全国最高の標高(3776メートル)と美しい容姿のために、古来、日本の象徴として仰がれ、親しまれ、海外にもよく知られる活火山。その傾斜は山頂部で32~35度
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槍ヶ岳(改訂新版・世界大百科事典)
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御嶽山(日本大百科全書(ニッポニカ))
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