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  11. 百万塔
改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典

改訂新版・世界大百科事典
百万塔
ひゃくまんとう

奈良時代に作られた轆轤(ろくろ)びき木製三重小塔で,塔身部に〈陀羅尼経(だらにきよう)〉を納めている。相輪部と塔身部に分かれ,それぞれ一木を用いて削り出す。大きさは個体によって異なるが,標準的なもので総高21.4cm,基底部径10.5cm,塔身部のみの高さは13.4cmある。塔身部の軸部上端を筒状にえぐり,ここに〈陀羅尼経〉を納め,上から相輪部をはめこむ。基底部裏面,屋蓋上面,相輪部基底部に年月日や人名の墨書がある。百万塔は764年(天平宝字8)9月に起きた恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱鎮定後に作られたものである。《続日本紀》宝亀元年(770)4月26日条に,称徳天皇が〈弘願(ぐがん)を発して三重小塔一百万基を造らしむ。高さ各四寸五分。基の径三寸五分,露盤の下に根本,慈心,相輪,六度等の陀羅尼を置く。(中略)諸寺に分置す〉とあるものがそれである。ここに示された寸法は塔心部の寸法であり,墨書銘から神護景雲年間(767-770)から作られたことがわかる。小塔は100万基作られたが,このほかに1万基ごとの七重小塔(一万節塔),10万基ごとの十三重小塔(十万節塔)がある。これらの小塔は鎮護国家の目的で大安寺,元興寺,興福寺,薬師寺,東大寺,西大寺,法隆寺,弘福寺(川原寺),四天王寺,崇福寺の十大寺に分置されたが,現存するのは法隆寺の4万数千基のみである。
[森 郁夫]

百万塔陀羅尼

法隆寺に蔵されるものについて検するに,陀羅尼は,則天武后の時代に中国へ来たトハラの人,沙門弥陀山が漢訳した《無垢浄光大陀羅尼経》に説く6種の陀羅尼のうち,根本(40行),相輪(23行),自心印(31行),六度(15行)の4種を選んで印行したもの。大きさは縦5cm内外,横は陀羅尼によって不同であるが,15~50cmくらい。それぞれ異版をもっているから,原版は少なくとも8種以上あったことがうかがわれる。ほかに筆写の陀羅尼が3巻あり,その終りには写経生の名を記している。百万塔陀羅尼の印行は,文化史的にいろいろの意味をもつ。《無垢浄光大陀羅尼経》は秘密部に属する経巻で,この経所説の諸陀羅尼を書写して納めた小塔を安置するときは,その功徳により諸悪ことごとく消え諸魔ことごとく退散するむねを説いているが,所説を如実に守ってかくも大きな国家的事業とした背後には,すでに奈良朝において,最澄や空海の入唐以前,密教教義への実質的な信仰のもりあがりがあったとの想像が成り立つ。しかしこの陀羅尼が世界的に有名なのは,製作年代の明白な印刷物としては,現存する世界最古のものだからである。1966年に韓国慶州の仏国寺で《無垢浄光大陀羅尼経》の全文を印刷したものが発見され,8世紀前半のものと推定されているが,これについては〈印刷〉の項を参照されたい。

 100万という非常に多数の陀羅尼を印刷したとすれば,原版に磨滅が見られない点から,銅板だとする見方もあるが,木版らしい形跡も存し,まだ決定をみていない。用紙は黄麻紙,楮(こうぞ)紙などまちまちで,これにも国産説と舶載説がある。
[寿岳 文章]

[索引語]
一万節塔 十万節塔 百万塔陀羅尼 無垢浄光大陀羅尼経

国史大辞典
百万塔
ひゃくまんとう
奈良時代、称徳天皇の発願により製作された百万基の木製の小塔。天平宝字八年(七六四)恵美押勝(えみのおしかつ)の乱後称徳天皇が『無垢浄光大陀羅尼経』の所説により百万基の三重小塔を作り、各陀羅尼を納め、宝亀元年(七七〇)四月大安・元興・興福・薬師・東大・西大・法隆・弘福・四天王・崇福寺の十大寺に分置した。元興・東大・西大寺では小塔院を建立したが、現在、法隆寺にのみ塔身四万五七五五基、相輪(そうりん)二万六〇五四点伝来する(平城宮内で未完品出土)。塔身・相輪とも轆轤挽きで高さ約二一・四センチ、塔身は檜材で基壇と三層に挽き、相輪は露盤(ろばん)、伏鉢(ふくばち)、請花(うけばな)、宝輪、宝珠に挽き、全体に厚く白土で塗る。相輪の材は榊、桜属が多く、樹種鑑定で栴檀も使われたことがわかる。塔身や相輪の墨書銘から製作年月日、工人名、左右別の工房組織などが明確になり、年輪年代学から檜の調査も進行中である。この大事業がわずか五年半で達成されたことは、当時高度な木工技術による生産体制が確立されていたこと、およびその背景の国家権力と結びついていた奈良仏教の姿を浮彫りにしている。法隆寺大宝蔵殿に収められている百万塔百基が、一万節塔・十万節塔および『陀羅尼経』とともに重要文化財に指定されている。
[参考文献]
平子鐸嶺『百万小塔肆攷』、堀池春峰「百万塔」(『奈良六大寺大観』四所収)、工楽善通・金子裕之「百万塔の調査から」(『伊珂留我』一)、「百万塔調査の現状報告」(『法隆寺昭和資財帳調査秘宝展』一―四)

百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)

 百万塔の中に納入された版行の『陀羅尼経』。小塔を作り『陀羅尼経』を納め安置すれば、滅罪と鎮護国家の功徳があるという秘密部に属する『無垢浄光大陀羅尼経』(唐の弥陀山訳)の所説により百万塔が造顕された。その塔身上部筒状の孔に本経所説の六種の陀羅尼のうち修造仏塔・大呪王陀羅尼の二種を除き、根本・相輪棠中(相輪)・自心印(慈心)・六波羅蜜(六度)の四種の陀羅尼が納入され、『続日本紀』に「露盤之下、各置根本・慈心・相輪・六度等陀羅尼」というのに照応する。現在法隆寺に三千七十六巻と断片二千余点が伝来する。調査の結果、根本陀羅尼が三種、他はおのおの二種類の版を用いたことが判明している。麻紙か楮紙(ちょし)に複数の版を並べて摺ったあとで紙を切断している。従来木版説と銅版説があるが、未だ決定をみていない。年紀の明白な現存する印刷物では世界最古のものとして有名である。巻首に経典名「無垢浄光経」と陀羅尼名を併出し、続いて陀羅尼の呪(じゅ)を一行五字詰で版行している。また、数は大変少ないが包紙の各陀羅尼を表わす一~四の捺印は塔身の基壇側の刻印の一~二二の数と符合するという。書写の陀羅尼が三巻残っており、奉写一切経所大湯坐千国の署名があり(『大日本古文書』六・二一・二二にも所見)、天平時代末の代表的な写経生の書風をとどめている。明治四十一年(一九〇八)百万塔に付し優品百巻が国宝(現重要文化財)に指定される。
[参考文献]
平子鐸嶺『百万小塔肆攷』、禿氏祐祥『百万塔陀羅尼考証』、大沢忍『百万塔陀羅尼に関する研究』、日本印刷学会西部支部百万塔陀羅尼研究班編『百万塔陀羅尼の研究』、堀池春峰「百万塔陀羅尼」(『奈良六大寺大観』四所収)
(高田 良信)
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1. 百万塔
世界大百科事典
納め,上から相輪部をはめこむ。基底部裏面,屋蓋上面,相輪部基底部に年月日や人名の墨書がある。百万塔は764年(天平宝字8)9月に起きた恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱 ...
2. ひゃくまん‐とう【百万塔】
デジタル大辞泉
天平宝字8年(764)の藤原仲麻呂の乱後、鎮護国家および滅罪のため称徳天皇の発願により、南都の十大寺に納められた百万基の木製の供養塔。高さ約23センチ。轆轤(ろ ...
3. ひゃくまん‐とう[‥タフ]【百万塔】画像
日本国語大辞典
れ、世界最古の印刷物といわれる。法隆寺に四万五七五五基が現存する。*観古雑帖〔1841〕一「百万塔并塔中所〓納 ...
4. ひゃくまんとう【百万塔】
国史大辞典
工楽善通・金子裕之「百万塔の調査から」(『伊珂留我』一)、「百万塔調査の現状報告」(『法隆寺昭和資財帳調査秘宝展』一―四) 百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに) ...
5. ひゃくまんとう【百万塔】
国史大辞典
中根淑の校訂、明治二十五年(一八九二)金港堂刊。江戸時代の法令や著作四十二種を収めたもの。『旧幕府御定書』や『旧幕府公事方御定書』などの法制史料をはじめとして ...
6. 百万塔
日本史年表
770年〈宝亀元(10・1) 庚戌〉 4・26 三重小塔 百万塔 が完成、露盤下に陀羅尼を納め諸寺に分置(続紀)。  ...
7. 百萬塔(ひゃくまんとう)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 102ページ ...
8. 『百万塔』
日本史年表
1892年〈明治25 壬辰〉 この年 中根淑校訂 『百万塔』 刊。  ...
9. 百万塔陀羅尼画像
日本大百科全書
称徳(しょうとく)女帝(在位764~770)の発願で、奈良諸大寺に納められた三重小塔百万基の小木塔に収納した陀羅尼(経文)。世界最古の印刷物として有名である。7 ...
10. ひゃくまんとうだらに【百万塔陀羅尼】 : 百万塔
国史大辞典
百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)  百万塔の中に納入された版行の『陀羅尼経』。小塔を作り『陀羅尼経』を納め安置すれば、滅罪と鎮護国家の功徳があるという秘密 ...
11. 百萬塔中所納陀羅尼摺本 (見出し語:陀羅尼)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 1059ページ ...
12. 『百万塔陀羅尼』[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
「自心印陀羅尼(じしんいんだらに)」 770年(神護景雲4)刊 国立国会図書館所蔵 ...
13. 印刷画像
日本大百科全書
世界的に、年号のはっきりわかっているものでもっとも古いものは、770年(宝亀1)に印刷された日本の『百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)』である。これは称徳(し ...
14. 印刷画像
世界大百科事典
こうした印刷術の登場が唐代のいつごろかということは明確でない。しかし印刷物の最古のものとして日本に残る〈百万塔陀羅尼(だらに)〉と呼ばれるものがある。陀羅尼は梵 ...
15. いん‐さつ【印刷】
日本国語大辞典
かのぼれないが、印刷術そのものがそれまでなかったわけではない。神護景雲四年(七七〇)の法隆寺百万塔陀羅尼の印刷以来、興福寺、東大寺、高野山、比叡山等では盛んに出 ...
16. いんさつ【印刷】
国史大辞典
印刷術はシナで発明されて、外国へ伝播したもの、明証ある世界最古の印刷物の伝存するものは、わが法隆寺に伝わった「百万塔陀羅尼」で、天平宝字八年(七六四)、恵美押勝 ...
17. えどはんじょうき【江戸繁昌記】
国史大辞典
処分をうけた。しかしその故に、化政期の江戸の雰囲気を知るには役立つ。活字本は『拾銭文庫』、『百万塔』七所収のほか単行本もある。→寺門静軒(てらかどせいけん) ( ...
18. おおやちむら【大谷地村】新潟県:南蒲原郡/下田村
日本歴史地名大系
によって当地に移されたと伝える。日限地蔵尊は明治一〇年(一八七七)遊行上人尊教が安置。寺宝の百万塔は同四一年奈良法隆寺から「今度寺門維持の基金御施納に付記念とし ...
19. 紙の博物館
日本大百科全書
紙記念館が設立され、その後製紙博物館として整備され、65年に現在の名称に改められた。機関誌『百万塔』も55年から発行されている。町田誠之 ...
20. かんこざっちょう【観古雑帖】
国史大辞典
がある。玉箒野生・沈水香刻字(法隆寺所蔵)・壺鉢針斤量(正倉院所蔵)・天平勝宝八歳暦(同)・百万塔中刻版経(法隆寺所蔵)・新羅墨(正倉院所蔵)・天寿国曼 ...
21. 刊本画像
日本大百科全書
存印刷物としては、764年(天平宝字8)から770年(神護景雲4)の間に印刷されたわが国の『百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)』が知られているが、近年、韓国慶 ...
22. かんぽん【刊本】
国史大辞典
誤脱も少ないのが常識である。明証がある世界最古の刊本は、天平宝字八年(七六四)以来出版された「百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)」であるが、平安時代末年まで他 ...
23. がんごうじ【元興寺】画像
国史大辞典
造ったという『延暦僧録』の文(『扶桑略記』神護景雲四年(七七〇)条)などが参考になろう。同じころ百万塔を納める小塔院が作られたと思われる。平安時代初期ごろは中門 ...
24. 木地屋
世界大百科事典
らみて,すでにそのころ日本にもろくろによる挽物技術が存在したことは確かである。著名な法隆寺の百万塔も7世紀の挽物である。文献では正倉院文書の関連記事が古いのであ ...
25. きちょうとしょえいほんかんこうかいそうしょ【貴重図書影本刊行会叢書】
国史大辞典
』『淋敷座之慰』『暦』(浄瑠璃)、『長恨歌琵琶行』『指微韻鏡私抄略』・仁治本『古文孝経』、『百万塔陀羅尼』『法華経音訓』『注十疑論』『法華経単字』『華厳経音義私 ...
26. 建築設計
世界大百科事典
飛鳥寺金堂の〈本様〉がもたらされ(《日本書紀》),767-770年(神護景雲1-宝亀1)には百万塔を納める小塔殿の〈様〉(ためしと読むらしい)を大工がつくってい ...
27. こうけんてんのう【孝謙天皇】
国史大辞典
仏の開眼供養会を行い、また恵美押勝の乱平定を祈願して西大寺を造営し、乱後には三重小塔百万基(百万塔)を造るなど仏教興隆に尽くしたが、他方、仏教は政治と癒着し、道 ...
28. 江南春 174ページ
東洋文庫
店先から往来へはみ出して列べられている。乾菓子屋の店先には我が鏡餅に相当するまんまるな月餅(麦粉菓子)が百万塔のような形に積まれて列べられている。紙屋には悪鬼を ...
29. こくぶんじ【国分寺】新潟県:上越市/旧直江津市地区/国分寺村
日本歴史地名大系
三重塔は明治二〇年(一八八七)になってようやく再建されたという。白鳳期の銅造聖観音立像や奈良期の百万塔などを蔵し、境内に芭蕉句碑・大谷句仏句碑、明治初期の宗教家 ...
30. こく‐ほん【刻本】
日本国語大辞典
予少年の時骨董舗にて見しことあり」*文芸類纂〔1878〕〈榊原芳野編〉八「刻本の始は、続日本紀宝亀元年三月百万塔を作らせ給ひし事」*書史‐上「与〓刻本 ...
31. してんのうじ【四天王寺】大阪府:大阪市/天王寺区/天王寺村地図
日本歴史地名大系
朝廷から受けていたことが知られる。称徳天皇は藤原仲麻呂の乱の戦死者供養のため三重小塔百万基(百万塔陀羅尼)造立を発願し、宝亀元年に成就して諸寺に分置したが(「続 ...
32. 出版
日本大百科全書
成果は遅々としているのが現実である。清水英夫日本の出版江戸時代以前日本の出版の歴史は、現存最古の印刷物『百万塔陀羅尼(だらに)』に始まるとするのが通説である。こ ...
33. しゅっ‐ぱん【出版・出板】
日本国語大辞典
出来ない」(1)日本最古の出版物は世界最古の印刷物ともいわれる「百万塔陀羅尼」(七七〇)であり、古くは平安末期の春日版・高野版や鎌倉末期からの五山版などが、仏教 ...
34. しゅっぱん【出版】
国史大辞典
ったであろうことは、誰しも首肯し得るところである。そして現存最古の印刷物が孝謙天皇勅願による百万塔陀羅尼(法隆寺ほかに伝存)であることも周知の事実である。天平宝 ...
35. 書籍
日本大百科全書
木版印刷の方法は、唐時代(618~907)に発明された。後述するように、日本で760年代に『百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)』が木版印刷されていることから推 ...
36. 書物の歴史 30ページ
文庫クセジュ
孫毓修『中国雕板源流考』第一章参照。 ** これは何を指したものであるか明らかでない。宝亀以前、すなわち『百万塔陀羅尼』以前のわが国の開版説には二種ある。その一 ...
37. 実忠
世界大百科事典
東塔に据えた。同年の恵美押勝の乱に当たっては良弁の命で新薬師寺の西野に土塔を建立,また称徳女帝発願の百万塔を納める塔の雛形を創案し,十大寺の小塔院はこれによって ...
38. じょうどうじ【成道寺】静岡県:焼津市/一色村
日本歴史地名大系
賛がある。鎌倉時代後期の作で、国指定重要文化財。また奈良時代に南都一〇ヵ寺に分置されたという百万塔の一つを所蔵する。 ...
39. 中国の印刷術 1 その発明と西伝 82ページ
東洋文庫
     第七章 日本の称徳女帝とその百万塔陀羅尼                         (七六四~七七〇年頃) 最初の木版印刷による護符の製作よりも ...
40. 中国の印刷術 1 その発明と西伝 86ページ
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収めるための二つの小さなお堂がたてられ  た。……百万塔がつくられ次の十大寺(寺院の名)に寄進された。それぞれの塔には版  で印刷した「無垢浄光経』の陀羅尼が収 ...
41. 中国の印刷術 1 その発明と西伝 94ページ
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名高いが、その当時のものかどうかは確かではない。〔三〕 称徳天皇が寄進した百万塔に収めた無垢浄光陀羅尼、いわゆる百万塔陀羅尼は長短四種があり、一種について二版が ...
42. 中国の印刷術 1 その発明と西伝 118ページ
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の印刷(九…τ五三) 唐代の終りまでに、日本の称徳女帝はその治世をさらに長く保持しようとして百万塔陀羅尼を印刷した。馬宿は揚子江全域における暦の印刷を禁止するよ ...
43. 中国の印刷術 1 その発明と西伝 152ページ
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44. 中国の印刷術 2 その発明と西伝 135ページ
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これらの年次は世界でもっとも古い木版印刷された文字の例であり、それらが日本で最初に紙に印刷したもの〔百万塔陀羅尼〕よりもわずか数年先んじることを知っても驚くにあ ...
45. 中国の印刷術 2 その発明と西伝 221ページ
東洋文庫
ごろ。エジプト九五〇年ごろ。スペイン七九三年。バグダード九〇〇年ごろ。エジプト字であらわした百万塔陀羅尼。八三五年。文献上の印刷に関する最初の記述。非宗教的著作 ...
46. ちょうせんぼん【朝鮮本】
国史大辞典
朝鮮における最古の印刷本としては慶州仏国寺釈迦塔からでた『無垢浄光大陀羅尼経』が著名。わが国百万塔陀羅尼より約二十年さかのぼる新羅時代景徳王十年(七五一)の刊と ...
47. てんぴょう‐じゃく[テンピャウ‥]【天平尺】
日本国語大辞典
*観古雑帖〔1841〕百万塔并塔中所納陀羅尼「小巻無軸、紙高各一寸八九分、但天平尺也、天平尺は今の曲尺より十寸にして二分短し」*地方新書〔1847〕(古事類苑・ ...
48. 泥塔
世界大百科事典
土で造った小塔。仏典には塔を造り,修営することは功徳多いと説かれており,古来百万塔や八万四千塔などと称して多数の小塔が造られた。なかでも土をこね,または型(模) ...
49. 塔画像
世界大百科事典
良),東寺五重小塔(平安)などや,宝塔・多宝塔形式のものがあり,奈良時代に十大寺に納められた百万塔がある。 石塔 石造層塔は3~13層で,第1層の四周に四仏ある ...
50. とうじゃく【唐尺】
国史大辞典
測定の対象も唐制に倣い、以後この尺が定着していった。この尺はまた、後世、正倉院・法隆寺などに収める尺や、百万塔陀羅尼(だらに)経の寸法などを説明する際、天平時代 ...
「百万塔」の情報だけではなく、「百万塔」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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百万塔(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
奈良時代に作られた轆轤びき木製三重小塔で,塔身部に〈陀羅尼経〉を納めている。相輪部と塔身部に分かれ,それぞれ一木を用いて削り出す。大きさは個体によって異なるが,標準的なもので総高21.4cm,基底部径10.5cm,塔身部のみの高さは13.4cmある。塔身部の軸部上端を筒状にえぐり
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