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  11. 続日本後紀

続日本後紀

ジャパンナレッジで閲覧できる『続日本後紀』の日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典・国史大辞典のサンプルページ

日本大百科全書
続日本後紀
しょくにほんこうき

『日本後紀』に続く勅撰(ちょくせん)の歴史書。20巻。「六国史(りっこくし)」の4番目。833年(天長10)の仁明(にんみょう)天皇の即位より850年(嘉祥3)の仁明の死去と葬儀に至る18年の歴史を記す。855年(斉衡2)文徳(もんとく)天皇の命により藤原良房(よしふさ)、藤原良相(よしすけ)、伴善男(とものよしお)、春澄善縄(はるずみのよしただ)、県犬養貞守(あがたいぬかいのさだもり)の5人が編集にあたり、清和(せいわ)天皇の869年(貞観11)に完成・奏上した。この間、良相は病死、善男は応天門(おうてんもん)の変によって伊豆に流され、貞守は駿河守(するがのかみ)となって赴任したため、残った良房、善縄によって奏上された。これまでの国史は数代から数十代の天皇の時代のことを扱っているのに対し、本書は仁明天皇一代を対象とする点が特色で、記事も詳しい。古写本には1136年(保延2)の写本を影写した高柳光寿(みつとし)旧蔵本があり、巻5、巻8の2巻が現存する。そのほかに室町時代書写の三条西(さんじょうにし)家本系統の写本があるが、錯簡、脱文、省略が多い。『国史大系』所収。
[直木孝次郎]


改訂新版・世界大百科事典
続日本後紀
しょくにほんこうき

日本古代の史書。六国史の第4。20巻。仁明天皇1代,833年(天長10)から850年(嘉祥3)にいたる18年間の歴史を記す。文徳天皇の命により,藤原良房,春澄善縄らが編纂にあたり,清和天皇の869年(貞観11)に完成奏上。以前の国史の体裁を追いながらも,天皇1代の実録としての性格を強めており,記事詳密,体裁も整備されている。ただし現存の写本には錯簡,脱文,省略等が多い。《新訂増補国史大系》所収。
[笹山 晴生]

[索引語]
六国史 仁明天皇 文徳天皇 藤原良房 春澄善縄


日本国語大辞典

しょくにほんこうき 【続日本後紀

解説・用例

平安前期の官撰国史。六国史の第四番目。二〇巻。文徳天皇の詔を受け、藤原良房・藤原良相・伴善男・春澄善縄・県犬養貞守が撰進。貞観一一年(八六九)成立。「日本後紀」を継ぐもので、仁明天皇治世一八年間(八三三~八五〇)を編年体で記す。平安初期の根本史料の一つ。

発音

ショクニホンコーキ

〓[コ]




国史大辞典

続日本後紀
しょくにほんこうき
六国史の四番目にあたる勅撰の国史。二十巻。『日本後紀』のあとをうけ、天長十年(八三三)二月から嘉祥三年(八五〇)三月に至る仁明天皇一代十七年二月の間の記事を収めている。貞観十一年(八六九)八月完成。編纂の過程は『続日本後紀』序文および『文徳実録』にみえている。文徳天皇斉衡二年(八五五)二月に右大臣藤原良房・参議伴善男・刑部大輔春澄善縄・少外記安野豊道に詔して編纂が始められた。途中藤原良房が天安元年(八五七)太政大臣となると右大臣藤原良相が加わったが、伴善男は貞観八年応天門の変で流罪となり、藤原良相は貞観九年に没し、安野豊道は天安元年下総介に任じ、後任の県犬養貞守も貞観五年駿河守となって都を離れるなど編纂員に交代があり、最後は藤原良房と春澄善縄の二人が完成した。体裁は仁明天皇一代を収めた実録体の国史で、内容は儒教的儀礼の表現に富み、天皇の動静、宮中行事の記事が詳しく、律令国家の動向を伝えた記事は比較的少ない。外交・怪異などの記事が多く、四位以上の貴族・官人の薨卒伝記は人柄を伝えた事跡を記しているのも特徴である。伝本は天文二年(一五三三)から同四年にかけて三条西公条が書写した三条西本(天文本)が最古本であるが、現在所在不明で、この三条西本の江戸時代の転写本が二十数本ある。ただし、天文本の親本が抄略本であったためか、本文を完全に伝えた伝本がなく、一部に脱文・抄略・錯簡がある。版本は寛文八年(一六六八)刊本および寛政七年(一七九五)再刊本があり、校訂本として元禄四年(一六九一)徳川光圀本、安政五年(一八五八)山崎知雄本がある。注釈本として河村益根の『続後紀集解』、村岡良弼の『続日本後紀纂詁』がある。鉛印本としては『(新訂増補)国史大系』、朝日新聞社刊『(増補)六国史』、『国文六国史』などがある。
[参考文献]
坂本太郎『六国史』(吉川弘文館『日本歴史叢書』二七)、同「六国史とその撰者」(『日本古代史の基礎的研究』上所収)
(山本 信〓
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1. 続日本後紀
日本大百科全書
『日本後紀』に続く勅撰(ちょくせん)の歴史書。20巻。「六国史(りっこくし)」の4番目。833年(天長10)の仁明(にんみょう)天皇の即位より850年(嘉祥3) ...
2. 続日本後紀
世界大百科事典
日本古代の史書。六国史の第4。20巻。仁明天皇1代,833年(天長10)から850年(嘉祥3)にいたる18年間の歴史を記す。文徳天皇の命により,藤原良房,春澄善 ...
3. しょくにほんこうき【続日本後紀】
デジタル大辞泉
平安前期の歴史書。六国史(りっこくし)の第四。20巻。藤原良房・藤原良相・伴善男らの撰。貞観11年(869)成立。仁明天皇の治世(833~50)18年間を、漢文 ...
4. しょくにほんこうき【続日本後紀】
日本国語大辞典
平安前期の官撰国史。六国史の第四番目。二〇巻。文徳天皇の詔を受け、藤原良房・藤原良相・伴善男・春澄善縄・県犬養貞守が撰進。貞観一一年(八六九)成立。「日本後紀」 ...
5. しょくにほんこうき【続日本後紀】
国史大辞典
仁明天皇一代十七年二月の間の記事を収めている。貞観十一年(八六九)八月完成。編纂の過程は『続日本後紀』序文および『文徳実録』にみえている。文徳天皇斉衡二年(八五 ...
6. 續日本後紀(しょくにほんこうき)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 864ページ ...
7. 『続日本後紀』
日本史年表
855年〈斉衡2 乙亥④〉 2・17 藤原良房らに 『続日本後紀』 編纂を命じる(文徳実録)。 869年〈貞観11 己丑〉 8・14 藤原良房ら、 『続日本後紀 ...
8. あいづぐん【会津郡】福島県:陸奥国
日本歴史地名大系
これが郡名の初見。「万葉集」巻一四に「会津嶺の国をさ遠み会はなはば偲ひにせもと紐結ばさね」とある。「続日本後紀」承和七年(八四〇)三月四日条に「陸奥国 ...
9. あいみぐん【会見郡】鳥取県:伯耆国
日本歴史地名大系
に与えられ、うち八〇町は嘉祥元年(八四八)八月一六日に仁明天皇皇女親子内親王に与えられた(続日本後紀)。この地は「会見郡路下十一条」にあり、現米子市北東部下郷付 ...
10. あおうま の 節会(せちえ)
日本国語大辞典
)によって、天平宝字二年(七五八)にはすでに行なわれていたことが分かる。ただし、国史では「続日本後紀」承和元年(八三四)の記事が初出であり、以降「文徳実録」「三 ...
11. あお‐し[アヲ‥]【襖子】
日本国語大辞典
〔名〕(1)「あお(襖)(3)」に同じ。*西大寺資財流記帳‐宝亀一一年〔780〕(寧楽遺文)「襖子四領」*続日本後紀‐嘉祥二年〔849〕一〇月庚寅「薬師寺僧等繕 ...
12. あおそやま【青麻山】宮城県:刈田郡/蔵王町/宮村
日本歴史地名大系
かけてこの神に対し、しばしば朝廷から神封を寄進され、また神階を贈られてきた(「続日本紀」「続日本後紀」「三代実録」ほか)。この刈田嶺神は山体信仰で、その神体山は ...
13. あかぎじんじゃ【赤城神社】群馬県:勢多郡/宮城村/三夜沢村
日本歴史地名大系
赤城山南麓一帯に数多くの分社赤城神社があるため三夜沢赤城神社と称する。赤城神の史料上の初見は「続日本後紀」承和六年(八三九)六月甲申条で、「奉 ...
14. あかぎやま【赤城山】群馬県:勢多郡
日本歴史地名大系
豊も赤もき(城)の美称であるという説があり、また山の赤い色から「あかきやま」となったなどの説話が残る。「続日本後紀」承和六年(八三九)六月甲申条に赤城神がみえる ...
15. あかしぐん【明石郡】兵庫県:播磨国
日本歴史地名大系
「万葉集」巻七には「明石の湖」が詠まれ、「赤石郡の林の潮」(「播磨国風土記」賀古郡鴨波里条)があり、「続日本後紀」承和一二年(八四五)八月七日条に、淡路国石屋浜 ...
16. あかしごう【明石郷】兵庫県:播磨国/明石郡
日本歴史地名大系
詠む歌が八首みられる。そのうち「明石の湖」(巻七)は明石郷に属する湊をさす可能性が強い。これに類するものに「続日本後紀」承和一二年(八四五)八月七日条に「淡路国 ...
17. あかね‐さし【茜─】
日本国語大辞典
(ゆつき)が下に我が隠せる妻赤根刺(あかねさし)照れる月夜に人見てむかも〈人麻呂歌集〉」*続日本後紀‐嘉祥二年〔849〕三月庚辰「其長歌詞曰〈略〉茜刺志天照国の ...
18. あがたのいぬかいうじ【県犬養氏】
国史大辞典
、姉女は天平宝字八年(七六四)県犬養大宿禰の姓を賜わっている。しかし、平安時代になると、『続日本後紀』の撰進に従事した貞守、清和朝の命婦阿野子その他が散見するが ...
19. あがたのいぬかいの-さだもり【県犬養貞守】
日本人名大辞典
存問渤海(ぼっかい)客使となる。和泉守(いずみのかみ),駿河(するがの)守などをつとめ,「続日本後紀」の編修にもくわわった。 ...
20. あがわぐん【吾川郡】
国史大辞典
るのが初見。承和八年(八四一)八月郡内の八郷を分かち、四郷をもって新たに高岡郡をたてた(『続日本後紀』)。したがって『和名類聚抄』には仲村・桑原・大野・次田の四 ...
21. あがわぐん【吾川郡】高知県
日本歴史地名大系
記される。「土佐国風土記」逸文にも「吾川郡玉島」とみえる(玉島は現高知市浦戸湾内の島)。「続日本後紀」承和八年(八四一)八月二三日条に「土左国吾川郡八郷、各分 ...
22. あきしのでら【秋篠寺】奈良県:奈良市/秋篠・富雄地区/秋篠村・本郷村
日本歴史地名大系
が境内の香水井において感得したと伝える。常暁は帰国後、毎年宮中で大元帥法の修法を行ったが(続日本後紀)、その際当寺の香水井の水が汲まれ、また当寺の土で護摩壇が塗 ...
23. あきたぐん【飽田郡】
国史大辞典
明治の郡区編制では玉名・山本・合志・託麻・下益城・宇土の諸郡に接し、西は有明海に面していた。六国史では、『続日本後紀』承和十四年(八四七)三月条に、「肥後国飽田 ...
24. あくみぐん【飽海郡】
国史大辞典
分割して成立したものであろう。承和七年(八四〇)七月に飽海郡の大物忌神を従四位下に叙した『続日本後紀』の記事、また貞観十年(八六八)四月に飽海郡月山・大物忌両神 ...
25. あくみぐん【飽海郡】秋田県:出羽国(羽後国)
日本歴史地名大系
続日本後紀」承和七年(八四〇)七月二六日条に「奉〓〓出羽国飽海郡 ...
26. あくみぐん【飽海郡】山形県
日本歴史地名大系
同三四四号が酒田市―八幡町間を走り、JR羽越本線が遊佐町・酒田市・平田町を通る。郡の成立時期は不明。「続日本後紀」承和七年(八四〇)七月二六日条に「奉 ...
27. あさかぐん【安積郡】福島県:陸奥国
日本歴史地名大系
承和一〇年(八四三)一一月一六日「安積郡百姓外少初位下狛造子押麻呂戸一烟」に陸奥安達連を与えている(続日本後紀)。狛造は高句麗系渡来人である。安達は地名で、建郡 ...
28. あざかじんじゃ【阿射加神社】三重県:松阪市/大阿坂村
日本歴史地名大系
同条に引く一書では「社於安佐駕以祭者矣」と述べて、「安佐駕」にこの荒神を祀る「社」を建立したとする。「続日本後紀」承和二年(八三五)一二月一四日条に「奉授阿耶賀 ...
29. あしいなばじんじゃ【葦稲葉神社】徳島県:板野郡/上板町/神宅村
日本歴史地名大系
神社誌)。承和九年(八四二)一〇月二日、「阿波国无位葦稲葉神」が従五位下を授けられており(続日本後紀)、貞観九年(八六七)四月二三日に従五位上から正五位上、同一 ...
30. あしかがぐん【足利郡】栃木県:下野国
日本歴史地名大系
とある。郡衙は足利市中心部と推定されるが、位置は確定されていない。郡司として判明するのは「続日本後紀」承和一二年(八四五)九月二八日条にみえる少領大麻続部嗣吉の ...
31. 排蘆小船(近世随想集) 247ページ
日本古典文学全集
比は之に次ぐを謂ふなり。比音は頻二の反なり〕。故に曰はく、王は牖戸を窺はずして天下を知る」。同「続日本後紀第十九に曰はく、嘉祥二年三月乙卯朔庚辰、興福寺大法師等 ...
32. 排蘆小船(近世随想集) 284ページ
日本古典文学全集
「来るに」などとあるべきところ。『和訓栞』「からうた、詩をいふ。土佐日記に見えたり。万葉集、続日本後紀に歌を詩といへり」。『古今和歌集』仮名序「そもそも歌の様六 ...
33. 排蘆小船(近世随想集) 366ページ
日本古典文学全集
詩文を心に懸けて、朝廷を始めとして下々までその心に化して、歌詠むことは甚だ稀なりしとみえたり。続日本後紀にその趣見えたり。それより文徳、清和の御時頃までは、一向 ...
34. あじまごう【味真郷】福井県:越前国/今立郡
日本歴史地名大系
子の歌にみえる「安治麻野」は当郷の地と考えられ、今立郡衙もこの地にあったといわれる。なお「続日本後紀」の承和六年(八三九)四月七日条に越前国人造兵司正六位上味真 ...
35. あすかでら【飛鳥寺】奈良県:高市郡/明日香村/飛鳥村
日本歴史地名大系
天皇の勅によって、以後六月一五日に万花会、一〇月一五日に万灯会を修することが恒例とされた(続日本後紀)。治安三年(一〇二三)一〇月、藤原道長が当寺を訪ねた時、「 ...
36. あそじんじゃ【阿蘇神社】熊本県:阿蘇郡/一の宮町/宮地村
日本歴史地名大系
日本紀略)、天長二年(八二五)神霊池涸渇(同書)、承和五年(八三八)遣唐使安全祈祷僧配分(続日本後紀)、同七年神階従四位上、さらに従三位(同書)、同九年祟りにつ ...
37. あだちぐん【安達郡】
国史大辞典
標葉・行方・伊達・信夫・耶麻の諸郡に隣接していたが、現在中央部は二本松市域となっている。『続日本後紀』承和十年(八四三)十一月庚子条に、安積郡の百姓狛造子押麻呂 ...
38. あだちぐん【安達郡】福島県
日本歴史地名大系
杉田川・安達太良川の堆積した本宮盆地がある。本宮盆地の南には郡山盆地の北縁が接している。「続日本後紀」承和一〇年(八四三)一一月一六日条に「安積郡百姓外少初位下 ...
39. あつたく【熱田区】愛知県:名古屋市
日本歴史地名大系
熱田社に草薙剣を奉祀することは「日本書紀」にみえ、日割御子神・孫若御子神・高座結御子神の名が「続日本後紀」承和二年(八三五)条にみえ、この三社と熱田社は「延喜式 ...
40. あつたじんぐう【熱田神宮】愛知県:名古屋市/熱田区/宮宿
日本歴史地名大系
俗に大薬師とよばれた。如法院などは神域の真北にあった。〔社領〕天長一〇年(八三三)神封一五戸を奉られた(続日本後紀)が、律令時代の神戸や神田のことはよくわかって ...
41. あつみぐん【厚見郡】岐阜県:美濃国
日本歴史地名大系
ほか郡内に伊奈波神(否間神)があり、承和一二年(八四五)七月一六日に無位から従五位下を授けられ(続日本後紀)、その後も位階を進められているが、式内社ではない。ま ...
42. あにじんじゃ【安仁神社】
国史大辞典
岡山市西大寺一宮に鎮座。旧国幣中社。祭神は神武天皇の皇兄五瀬(いつせ)命というが明確でない。『続日本後紀』の承和八年(八四一)二月己酉条に「備前国邑久郡安仁神預 ...
43. あにじんじゃ【安仁神社】岡山県:岡山市/旧西大寺市地区/藤井村
日本歴史地名大系
古老の口伝によって、祭神を神武天皇の第一子とし、さらに「安仁神社誌」(大正一四年)は安仁神としている。「続日本後紀」承和八年(八四一)二月八日条に「備前国邑久郡 ...
44. アブ
世界大百科事典
古代には神武天皇の腕に止まって,それをトンボがとらえたのを見て天皇が長歌を詠んだという話もある。また《続日本後紀》によれば,845年(承和12)5月に山城国綴喜 ...
45. あぼしんのう【安保親王】
国史大辞典
承和の変の発端をなした。これより朝廷に出仕せず、同年十月二十二日急に死去した。五十一歳。『続日本後紀』によれば、性謙退で才文武を兼ね、膂力あり、絃歌に妙を得てい ...
46. あまぐん【海部郡】島根県:隠岐国
日本歴史地名大系
同四年時は少領が外従八位下阿曇三雄。承和九年(八四二)郡内の宇受加命神が官社に列しているが(「続日本後紀」同年九月一四日条)、「延喜式」神名帳には名神大社とあり ...
47. あまごい の 使(つかい)
日本国語大辞典
雨乞いのため、五龍祭を行なうとき、神泉苑や諸社に遣わされる勅使。*続日本後紀‐承和六年〔839〕四月壬申「是日。発〓遣 ...
48. あまじんじゃ【海神社】兵庫県:豊岡市/小島村
日本歴史地名大系
河口部に近い円山川西岸にある。祭神は大綿津見命。旧村社。承和九年(八四二)官社に預かり(「続日本後紀」同年一〇月一五日条)、貞観一〇年(八六八)従五位上に進んだ ...
49. あまてるみたまじんじゃ【天照御魂神社】大阪府:茨木市/西河原村地図
日本歴史地名大系
嘉祥二年(八四九)一二月一五日従五位下、貞観元年五月二六日に正五位下を授けられた伴馬立天照神と伴酒着神(続日本後紀・三代実録)とするが、さきの貞観元年正月の神位 ...
50. あめのいわとわけやくらひめじんじゃ【天石門別八倉比売神社】徳島県:徳島市/旧名西郡地区/矢野村
日本歴史地名大系
「日本霊異記」下巻第二〇に名方郡埴村の女、忌部首多夜須子の記事がみえることから推測できよう。「続日本後紀」承和八年(八四一)八月二一日条によると、阿波国正八位上 ...
「続日本後紀」の情報だけではなく、「続日本後紀」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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