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  11. 和泉式部日記

和泉式部日記

ジャパンナレッジで閲覧できる『和泉式部日記』の日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典のサンプルページ

新編 日本古典文学全集
和泉式部日記
いずみしきぶにっき
【閲覧画面サンプル】
和泉式部日記 全体

【上記の拡大画像】
和泉式部日記 拡大

【現代語訳】
〔一〕
夢よりもはかない人の世、亡き宮様とのことを、嘆きわずらいながら、夜を明かし日を暮しているうちに、四月十日すぎにもなったので、木々の葉陰の闇がしだいに濃くなってゆく。築地の上の草が青々としているのも、他人はことさら目もくれないけれど、私には身にしみて眺められていたそのとき、庭先の透垣ごしに人の来た気配がするので、誰かしらと思っていると、亡き宮様にお仕えしていた小舎人童であった。

しみじみと物思いのされるときに来たので、「どうして長い間見えなかったの。遠ざかってゆく思い出のよすがとも思っているのに」などと取次の者に言わせると、「これといった用事がございませんでは、なれなれしいようでと遠慮いたしておりましたし、それに近ごろは山寺詣でに出歩いておりましたものですから。頼るあてもなく、たいそう所在なく思われますので、亡き宮様のお身代りにお仕え申しあげようと、帥宮様にご奉公いたしております」と語る。そこで、「たいそういいお話だこと。その宮様はたいへんお上品で親しみにくくいら

【目次】
和泉式部日記(扉)
凡例
和泉式部日記(扉)
〔一〕四月十余日――追憶と期待
〔二〕宮との契り――恋心と自省
〔三〕宮のためらい――贈答歌のあや
〔四〕四月から五月へ――忍ぶ恋
〔五〕むなしい訪れ――宮の疑心
〔六〕五月雨のつれづれ――厭世の思い
〔七〕五月五日のころ――宮のためらい
〔八〕月夜の同車行――たかぶる心
〔九〕宮の疑惑――愛と不信
〔一〇〕宮の訪れ――ふたたび愛と不信
〔一一〕あきれた噂――絶えようとする恋
〔一二〕七月――むなしい頼み
〔一三〕八月、石山詣で――よみがえる愛
〔一四〕九月二十余日――そら耳の訪れ
〔一五〕手習の文――暁起きの思い
〔一六〕九月末、代詠――あつかましい依頼
〔一七〕十月、手枕の袖――愛のたかまり
〔一八〕宮邸入りのすすめ――思いわずらい
〔一九〕童の文使い――ふたたび手枕の袖
〔二〇〕昼間の訪れ――言の葉ふかく
〔二一〕時雨の紅葉――こまやかな贈答
〔二二〕車宿りの一夜――離れられぬ仲
〔二三〕宮邸入りの決意――小波乱
〔二四〕宮邸入り前の期間――愛の情景
〔二五〕こまやかな贈答歌――寄り添う心
〔二六〕十一月、宮邸入り前――小さな起伏
〔二七〕贈答歌の慰み――冬の日の恋心
〔二八〕十二月十八日――宮邸入り
〔二九〕正月――宮邸での生活
〔三〇〕終局――北の方の退去
校訂付記
解説
一 『和泉式部日記』の特異性
二 『和泉式部日記』の内容
三 『和泉式部日記』の基層
四 贈答歌と地の文
五 『和泉式部日記』の作者・成立
六 和泉式部について
七 諸本について
参考文献



日本大百科全書
和泉式部日記
いずみしきぶにっき

平安時代の日記。1巻。別名を『和泉式部物語』とも。和泉式部と帥宮(そちのみや)敦道(あつみち)親王との恋愛の経緯を歌物語風につづった作品で、1003年(長保5)4月から翌1004年1月にかけての記事が収められている。作者については、自作説、他作説とあって結論は出されていないが、家集中の和歌の詠風が「日記」本文の心理的基調と重なり合うことなどから、式部の自作である可能性が大きい。「日記」のなかには140余首もの和歌が含まれており、宮と式部の贈答歌のやりとりとその連なりが、この2人の愛の物語を進行させる原動力となっている。和歌をつなぐ地(じ)の文は、季節の折節を明らかにし、場面を説明することによってプロットの進展を促してはいるものの、2人の心理のくまぐまを語り尽くしてやまない和歌に比べると、あたかもその従属物のような感じがしないではない。「日記」は、故人となった為尊(ためたか)親王をしのびつつ1人無聊(ぶりょう)をなぐさめている初夏のある日、故宮に仕えた小舎人童(こどねりわらわ)が、弟宮帥宮から託された橘(たちばな)の花を届ける場面から書き起こされる。以下2人の愛が深まるにつれてしだいに不安と動揺にさいなまれ、いくたびとなく訪れる途絶の危機を乗り越えながら、ついには宮の邸(やしき)に迎え入れられるまでの10か月間のことが記されている。表面華やかにみえるこの恋も、内面では「つれづれ」をかみしめ、なぐさめる、言い知れぬ孤独感や空虚感に支配された世界であったことをうかがうことができる。この作品ではまた、女主人公である式部は三人称化されて「女」と叙され、式部の視野外の事柄にも筆の及んだ部分を有しているが、これらは、宮の没後、共有した日々を追懐し、その思い出を作品として形象化する際の作者の一種の擬装であったとも考えられる。孤独を分かち合い、折を心得た一組の男女の知性と感性の応酬を、「女」の側からみごとに描ききったところに、この「日記」の際だった特色を認めることができよう。伝本としては現在、(1)三条西本(さんじょうにしぼん)系統、(2)寛元(かんげん)本系統、(3)応永(おうえい)本系統、(4)混成本系統に属する諸本が知られている。
[平田喜信]


改訂新版・世界大百科事典
和泉式部日記
いずみしきぶにっき

平安中期の日記。別名《和泉式部物語》。冷泉天皇の皇子帥宮(そちのみや)(敦道(あつみち)親王)との恋愛の顚末を,贈答歌を中心にしるしたもので,歌物語の一面をもつ。1003(長保5年)4月から翌年1月までの10ヵ月間の記事がその内容である。他作説(例えば藤原俊成説)もあるが,家集との関係および日記本文からみて,自作とすべきであろう。執筆は,07年(寛弘4)の帥宮の死以後1年の服喪期間に思い立ったものと思われる。《和泉式部続集》に入る〈すてはてんと思ふさへこそ悲しけれ君に馴れにしわが身と思へば〉〈すくすくと過ぐる月日のをしきかな君がありへし方ぞと思ふに〉などの挽歌をみると,和泉式部の失ったものがいかに大きかったかがわかり,帥宮との恋愛にみずからの手によって永遠の形象が与えられた機微もうかがえる。今も昔も変わらぬ愛の無常の実態を身にしみて感じさせる,最も純粋な恋愛日記である。
[清水 文雄]

[索引語]
敦道(あつみち)親王

国史大辞典
和泉式部日記
いずみしきぶにっき
平安時代の女流日記。冷泉天皇の第三皇子弾正宮為尊親王の死によって、弾正宮との恋愛がはかなく終り、悲しみに沈んでいる和泉式部のもとへ、長保五年(一〇〇三)四月に故宮の弟帥宮敦道親王から求愛の歌が贈られたことから二人の交情が始まり、帥宮邸へ伴われて行って召人として生活するようになった寛弘元年(一〇〇四)正月までの十ヵ月間の恋愛の経緯を、三人称形式で回想的に告白し、愛情を追究した作品である。しかるに二人の幸福な生活は、この日記のあと四年足らずの同四年十月、帥宮の死によって、またもはかなく終った。よってこの日記の成立年代は、帥宮の一周忌を出ないころ、記憶に新たな時点において亡き宮を追想し、語り草の種にもと事実を告白して世評に応えたものと推定される。またこの作品に取り込まれた贈答歌百四十四首のうち、半数近い帥宮の歌は、この日記以外には現存しないことから、式部は自分の手許にのみ遺された宮の詠作全部をこの日記に収めて、最愛の人への餞にもと意図したのかも知れない。この日記の式部は、当時の世評とはうらはらの、恋になやみ、苦しみ、迷い、嘆く、純愛の持主、しおらしい女性である。本書の現存諸本は、三条西本(実隆筆)・寛元四年(一二四六)奥書本・応永二十一年(一四一四)奥書本・混成本(扶桑拾葉集本)の四系統に大別されるが、混成本を除いた三系統の本文は古く、いずれが原型に近いかは不明であるが、三系統に分岐したのは、平安時代末ころにおいてであろうと考えられる。刊本としては『日本古典全書』『日本古典文学大系』二〇、『日本古典文学全集』一八などに収められている。
[参考文献]
遠藤嘉基『新講和泉式部物語』、大橋清秀『和泉式部日記の研究』、円地文子・鈴木一雄『全講和泉式部日記』、吉田幸一『和泉式部研究』一、『群書解題』一一、遠藤嘉基『和泉式部日記』解説(『日本古典文学大系』二〇)
(吉田 幸一)
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1. 和泉式部日記
日本大百科全書
平安時代の日記。1巻。別名を『和泉式部物語』とも。和泉式部と帥宮(そちのみや)敦道(あつみち)親王との恋愛の経緯を歌物語風につづった作品で、1003年(長保5) ...
2. 和泉式部日記
世界大百科事典
平安中期の日記。別名《和泉式部物語》。冷泉天皇の皇子帥宮(そちのみや)(敦道(あつみち)親王)との恋愛の顚末を,贈答歌を中心にしるしたもので,歌物語の一面をもつ ...
3. いずみしきぶにっき【和泉式部日記】
デジタル大辞泉
日記。1巻。和泉式部の自作とされるが、他作説もある。寛弘4年(1007)成立とする説が有力。長保5年(1003)4月から翌年正月までの、敦道親王との恋愛の経過を ...
4. いずみしきぶにっき[いづみしきぶニッキ]【和泉式部日記】
日本国語大辞典
日記。一巻。和泉式部の自作、他作両説がある。長保五年(一〇〇三)四月から翌年正月までの、敦道(あつみち)親王との恋愛の初期の経過を贈答歌を中心に物語風にしるす。 ...
5. いずみしきぶにっき【和泉式部日記】
国史大辞典
新講和泉式部物語』、大橋清秀『和泉式部日記の研究』、円地文子・鈴木一雄『全講和泉式部日記』、吉田幸一『和泉式部研究』一、『群書解題』一一、遠藤嘉基『和泉式部日記 ...
6. 和泉式部日記
日本古典文学全集
そのころ、和泉式部は恋人の為尊(ためたか)親王(冷泉天皇の皇子)の若すぎる死に嘆き悲しんでいた。その和泉式部に求愛の歌を贈ったのが、為尊親王の弟、敦道(あつみち ...
7. 『和泉式部日記』
日本史年表
1004年〈寛弘元(7・20) 甲辰⑨〉 1・‐ この月以降、 『和泉式部日記』 成る。  ...
8. いづみしきぶにっき【和泉式部日記】
全文全訳古語辞典
[書名]平安中期の。一条天皇の一〇〇三年(長保五)四月から十か月間にわたる敦道との恋愛が、百四十数首の歌を織りなして情熱的に描かれている。和泉式部の自作とする説 ...
9. あい ても 会(あ)わず
日本国語大辞典
*源氏物語〔1001〜14頃〕東屋「宮もあひてもあはぬやうなる心ばへにこそうちうそぶきくちすさび給ひしか」*和泉式部日記〔11C前〕「いさやまたかかる道をば知ら ...
10. あお‐やか【青やか】
デジタル大辞泉
[形動ナリ]青々としているさま。 「築地の上の草―なるも」〈和泉式部日記〉 ...
11. あかし‐がお[‥がほ]【明顔】
日本国語大辞典
〔名〕いかにも夜を寝ないで過ごしてしまったというような顔つき。*和泉式部日記〔11C前〕「まどろまで一夜ながめし月見るとおきながらしもあかしがほなる」 ...
12. あかつき‐おき【暁起】
日本国語大辞典
頃〕恋五・九一四「おく霜の暁をきをおもはずば君がよどのによがれせましや〈よみ人しらず〉」*和泉式部日記〔11C前〕「いみじう霧りたる空をながめつつ明かくなりぬれ ...
13. あき の 夜(よ)
日本国語大辞典
〜914〕仮名序「春の花にほひすくなくして、むなしき名のみ、秋のよのながきをかこてれば」*和泉式部日記〔11C前〕「見るや君さ夜うちふけて山のはにくまなくすめる ...
14. あさな‐あさな【朝朝】
日本国語大辞典
春上・一六「野辺ちかくいへゐしせれば鶯のなくなるこゑはあさなあさなきく〈よみ人しらず〉」*和泉式部日記〔11C前〕「いかにとはわれこそおもへあさなあさななききか ...
15. あさ・む【浅】
日本国語大辞典
おどろきあさむ気色も見せず」【二】〔他マ四〕(1)驚きあきれたことだと思う。あさましく思う。*和泉式部日記〔11C前〕「いとぞあさましきや。世のなかの人のあさみ ...
16. 東屋(源氏物語) 74ページ
日本古典文学全集
も、事あり顔には見えたまはざりしを」などうちささめきて、いとほしがる。 〔三〇〕 い。『和泉式部日記』の、「いさやまだかかる道をば知らぬかなあひてもあはで明か ...
17. あたり‐さわ・ぐ【当騒】
日本国語大辞典
〔自ガ四〕物にぶつかったり、つまずいたりしてあわてふためく。あたりまどう。*和泉式部日記〔11C前〕「からうじておこしても、ここかしこのものにあたりさはぐほどに ...
18. 敦道親王
世界大百科事典
もよくした。和泉式部との恋愛事件が衆人の関心を呼んだことは,《栄華(花)物語》や《大鏡》に詳しい。《和泉式部日記》中の和泉との贈答歌によって,その歌才のほどがう ...
19. あつみちしんのう【敦道親王】
日本人名大辞典
帥宮(そちのみや)とよばれた。容姿端麗で和歌にすぐれ,恋仲であった和泉式部(いずみしきぶ)との贈答歌が「和泉式部日記」におさめられている。寛弘(かんこう)4年1 ...
20. あながち【強ち】
デジタル大辞泉
少女〉3 身勝手なさま。わがまま。 「おろかに過ぎにし方さへくやしうおぼさるるも―なり」〈和泉式部日記〉 ...
21. あながち【強】
日本国語大辞典
いとゆゆしう美しきに、我身ながら、これに似たらむは、いみじういたはしうおぼえ給ふぞ、あながちなるや」*和泉式部日記〔11C前〕「おろかに過ぎにし方さへくやしうお ...
22. あめ‐かぜ【雨風】
日本国語大辞典
きて、心あわたたしく散り過ぎぬ」(2)風が加わって雨の降ること。雨まじりの風。吹き降り。*和泉式部日記〔11C前〕「雨かぜなどいたうふり吹く日しもおとづれ給はね ...
23. あや【奇・怪】
日本国語大辞典
驚くばかりだ。*源氏物語〔1001〜14頃〕若菜上「いと、目もあやにこそ、清らに物し給ひしか」*和泉式部日記〔11C前〕「『参りけるにもおはしまいてこそむかへさ ...
24. あらし の 風(かぜ)
日本国語大辞典
六七七「佐保の内ゆ下風(あらしのかぜ)の吹きぬれば還りは知らに嘆く夜そ多き〈作者未詳〉」*和泉式部日記〔11C前〕「かれはてて我よりほかに問ふ人もあらしのかぜを ...
25. あるまじ‐げ【有─】
日本国語大辞典
*源氏物語〔1001〜14頃〕葵「世にもてかしづかれ給へるさま、木草もなびかぬはあるまじげなり」*和泉式部日記〔11C前〕「風の音、木の葉の残りあるまじげに吹き ...
26. いえ‐じ[いへぢ]【家路】
日本国語大辞典
・一八七七「春の雨にありけるものを立ち隠り妹が家道(いへぢ)にこの日暮しつ〈作者未詳〉」*和泉式部日記〔11C前〕「ひたぶるにまつとも言はばやすらはでゆくべきも ...
27. いかに‐ぞ【如何にぞ】
デジタル大辞泉
(次に来るべき「ある」を省略して)どういう状態であるか。どうだ。 「―。月は見給ふや」〈和泉式部日記〉 ...
28. nbsp;いかに も
日本国語大辞典
手段を尽くして目的を達成しようという意を表わす。何とかして。どうしても。なるたけ。ぜひ。*和泉式部日記〔11C前〕「なほいと苦しうこそ、いかにもありて御覧ぜさせ ...
29. いかに‐も【如何にも】
デジタル大辞泉
状態・手段などを特に限定せず、漠然と認める気持ちを表す。どのようにでも。 「ただ―のたまはするままに」〈和泉式部日記〉7 (「いかにもなる」の形で)死ぬことの遠 ...
30. いかに も まれ
日本国語大辞典
(「いかにまれ」にさらに「も」が加わったもの)「いかにもあれ」に同じ。どうであろうと。いずれにもせよ。*応永本和泉式部日記〔11C前〕「ただいかにもまれ、のたま ...
31. いく【幾】
日本国語大辞典
頃か〕恋二・七一六「逢ひ見てもなほなぐさまぬ心かないく千夜寝てか恋のさむべき〈紀貫之〉」*和泉式部日記〔11C前〕「さゆる夜のかずかくしぎは我なれやいくあさしも ...
32. いさめ【諫め】
デジタル大辞泉
神仏の、いましめ。禁制。 「あふみちは神の―にさはらねど法(のり)のむしろにをれば立たぬぞ」〈和泉式部日記〉 ...
33. いさめ【諫】
日本国語大辞典
*日本書紀〔720〕天武一〇年四月(北野本訓)「辛丑、禁式(イサメののり)、九十二条を立つ」*和泉式部日記〔11C前〕「あふみちは神のいさめにさはらねど法(のり ...
34. いざ かし
日本国語大辞典
1001〜14頃〕若紫「乳母(めのと)にさし寄りて、いざかし、ねぶたきに、とのたまへば」*和泉式部日記〔11C前〕「うつろはぬときはの山も紅葉せばいざかし行きて ...
35. 和泉式部
日本大百科全書
)し、父雅致からも勘当を受ける身の上となった。このうち帥宮(そちのみや)との恋愛の経緯は『和泉式部日記』に詳しい。その宮とも1007年(寛弘4)には死別し、悲嘆 ...
36. 和泉式部
世界大百科事典
れをかくすために足袋というものを作ったという伝説もある。→和泉式部集 →和泉式部日記大隅 和雄 和泉式部 和泉式部日記 橘道貞 小式部 敦道(あつみち)親王 藤 ...
37. いずみ‐しきぶ【和泉式部】
デジタル大辞泉
)親王と恋をし、上東門院彰子に仕えてのち藤原保昌に嫁するなどした経歴から、恋の歌が多い。「和泉式部日記」「和泉式部集」がある。生没年未詳。  ...
38. いずみ‐しきぶ[いづみ‥]【和泉式部】
日本国語大辞典
恋愛し、のち藤原保昌と再婚するなど一生を恋愛に終始し、情熱的な歌をよんだ。「和泉式部集」「和泉式部日記」がある。生没年不詳。【二】〔名〕和泉式部に仮託した伝説。 ...
39. いずみしきぶ【和泉式部】
国史大辞典
、ついでその一周忌も来ないうちに、今度は故宮の弟敦道親王から求愛された。その恋愛の経緯が『和泉式部日記』に告白的に物語られている。そして翌五年十二月に宮邸に引き ...
40. いずみしきぶ【和泉式部】
日本人名大辞典
藤原保昌(やすまさ)と再婚した。中古三十六歌仙のひとりで,「拾遺和歌集」などの勅撰集に多数の歌がのる。「和泉式部日記」「和泉式部集」がある。万寿2年(1025) ...
41. いずみしきぶ【和泉式部】
日本架空伝承人名事典
式部などとも呼ばれた。すぐれた抒情歌人として知られ、『和泉式部集』正・続一五〇〇余首の歌を残し、『和泉式部日記』の作者として名高い。『後拾遺集』をはじめ勅撰集に ...
42. 和泉式部[文献目録]
日本人物文献目録
』田中允『和泉式部日記』田巻佐知子『和泉式部日記』上村悦子『和泉式部日記語彙考 夜のほどろに』竹内美千代『和泉式部日記成立考』大橋清秀『和泉式部日記成立年代考』 ...
43. 和泉式部集
世界大百科事典
れる。正集に含まれる65首の日記歌,続集に入る122首の〈帥宮(そちのみや)挽歌群〉は,《和泉式部日記》の成立に重要なかかわりをもつものとして注目される。宸翰本 ...
44. いそぎ‐た・つ【急立】
日本国語大辞典
かける。*蜻蛉日記〔974頃〕中・安和二年「はつかよひのほどに、御嶽にとて、いそぎたつ」*和泉式部日記〔11C前〕「とくいそぎたちたらましかばと思ふ」イソ ...
45. いつか‐は【何時かは】
デジタル大辞泉
ろう」「人間は―死ぬものだ」 2 疑問を表す。いつ。 「忍び音を―聞かむけふも過ぎなば」〈和泉式部日記〉3 反語を表す。いつ…か。 「忘られてしばしまどろむ程も ...
46. いづみしきぶ【和泉式部】
全文全訳古語辞典
。女流歌人の中で勅撰集に採られた歌が最も多く、家集に『和泉式部集』がある。『和泉式部日記』でも有名。⇒和泉式部日記  ...
47. いで‐ひろめ・く【出広】
日本国語大辞典
〔自カ四〕出て外部に広まる。外にあらわれて広がる。*和泉式部日記〔11C前〕「けせうにていでひろめかばこそはあらめ、さるべきかくれなどにあらんには、なでふことか ...
48. い‐なら・う[ゐならふ]【居慣】
日本国語大辞典
すわることが習慣になる。*源氏物語〔1001〜14頃〕東屋「かかる物の外(と)には、まだ居ならはず」*和泉式部日記〔11C前〕「かかるところにゐならはぬを、いと ...
49. いま‐さら【今更】
日本国語大辞典
な。いまさら人のしりきこえさせむも、なき御ためは、中々めでたき御すくせみゆべき事なれど」*和泉式部日記〔11C前〕「げにいまさらさやうに慣らひなき有様はいかがせ ...
50. いみ‐たがえ[‥たがへ]【忌違】
日本国語大辞典
にとて、いそぎつるを、いみたがへにみな人ものしつるを、出だし立てて、やがて見捨ててなん」*和泉式部日記〔11C前〕「このごろは四十五日のいみたがへせさせ給ふとて ...
「和泉式部日記」の情報だけではなく、「和泉式部日記」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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【現代語訳】〔一〕夢よりもはかない人の世、亡き宮様とのことを、嘆きわずらいながら、夜を明かし日を暮しているうちに、四月十日すぎにもなったので、木々の葉陰の闇がしだいに濃くなってゆく。築地の上の草が青々としているのも、他人はことさら目もくれないけれど
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秦・漢以前の古文辞に対する確固たる自信から孔子の言論を読みとく,論語の注釈のなかでもっとも論争的な注釈書。卓抜した孔子論を展開するとともに,徂徠自身の思想も開陳する。第1巻は,学而,為政,八佾,里仁,公冶長,雍也,述而,泰伯。1994年03月刊
近世和歌集(日本古典文学全集)
年内立春 去年と今年の二本の緒で縒り合わせて掛けて同じ年が一本にまとまらないように、こんがらがってなかなか理解できない春はやって来た。やや趣向倒れの感がある。長嘯子としては機知を働かせたのだろうが。鶯 軒端の梅が咲いていて、一晩中鶯の到来を
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