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  11. 後拾遺和歌集
国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典

国史大辞典
後拾遺和歌集
ごしゅういわかしゅう
第四代の勅撰和歌集。藤原通俊撰。二十巻。白河天皇の側近通俊は承保二年(一〇七五)九月、撰集の命を受けたが、右中弁蔵人頭の劇職にあって果たさず、参議に昇任した応徳元年(一〇八四)より着手、同三年春、一応の草稿を整え、源経信・康資王母らの協力を得て同年九月十六日に奏上した。その後もさらに改訂を重ね、寛治元年(一〇八七)二月に再度奏覧、同年八月の「目録序」奏上を以て撰集を完了した。したがって本集の成立には草稿・奏上・再奏の三段階がある。なお草稿段階で撰者と経信との間に『後拾遺問答』が交され、不完全な草稿本が世上に流布、ために撰者は寛治元年九月再奏本の下付を仰ぎ定本を作成した。本集をめぐって夙く、「私撰の後、御気色を取るか」(『袋草紙』)などの説の行われたのも、かかる撰集経緯によるものであり、また奏上後、経信による『難後拾遺』の出されたのも勅撰集に対する論難書の嚆矢である。本集は、冒頭に仮名序を備え、同序によれば村上天皇の天暦末年以降十一代百三十年間の作品、千二百十八首(流布本は千二百二十)を収める。部立は四季六巻、賀・別・羈旅・哀傷各一巻、恋四巻、雑六巻よりなり、雑部には神祇・釈教・誹諧歌の三部を立てている。歌風はおおむね『拾遺和歌集』を踏襲、撰歌範囲が藤原道長・頼通の摂関期を中心とするため、和泉式部・相模・赤染衛門ら女流歌人の進出が著しく、一段と知巧の度を加え絢爛華麗な傾向が強いが、一面、経信・能因らによる清新な叙景歌も登場、新しい抒情への脱皮の相も覗かれる。伝本は草稿本・礼部納言家本・通俊自筆本・古本・流布本の五系統に分けられる。『八代集抄』『新編国歌大観』などに所収。
[参考文献]
上野理『後拾遺集前後』
(犬養 廉)


日本大百科全書
後拾遺和歌集
ごしゅういわかしゅう

院政期に成った第4番目の勅撰(ちょくせん)和歌集。本来『後拾遺和歌抄』といった。藤原通俊(みちとし)撰(せん)、20巻、1218首。院政期初頭の王政復古政策の一環として、白河(しらかわ)天皇により企図され、1075年(承保2)命が下ったが、通俊が蔵人頭(くろうどのとう)の激務にあったため、9年後ようやく着手、1086年(応徳3)春、草稿本の成立をみた。その後、周防内侍(すおうのないし)、伯母(はくのはは)(康資王母(やすすけおうのはは))、源経信(つねのぶ)などの内覧を経る一方、名筆世尊寺伊房(せそんじこれふさ)に清書を依頼したが、不都合があって結局これを撰者の手元にとどめ(家本(いえほん))、撰者の甥(おい)、隆源法師が奏覧本を書いた。この過程で歌界の第一人者源経信との間に取り交わされた『後拾遺問答』(逸文を『袋草紙』に収める)により、撰入歌を切り出したり修正を加えたが、経信は飽き足りず、『難後拾遺』を著し、これが勅撰集論難書の嚆矢(こうし)となる。通俊は論難を重くみて奏覧本を再訂した(再奏本)。撰歌に賄賂(わいろ)を認めたとの風評から『小鰺(こあじ)集』と異名がつくなど芳しくない世評が伝わる(袋草紙)。しかし『古来風躰抄(こらいふうていしょう)』が評価するように、一条(いちじょう)朝以来の勅撰集空白期に累積した名歌は多く、とりわけ、和泉(いずみ)式部、相模(さがみ)、赤染衛門、伊勢大輔(いせのたいふ)などの閨秀(けいしゅう)歌人、能因法師とその先達、後輩の顔ぶれも多彩で、詠風、歌題意識も三代集と一線を画し、冷えさびた純粋叙景や四季、恋題意の細分化など中世和歌の萌芽(ほうが)をみうる。
[後藤祥子]



改訂新版・世界大百科事典
後拾遺和歌集
ごしゅういわかしゅう

勅撰集。八代集の4番目の歌集。《後拾遺集》とも呼ぶ。撰者は藤原通俊(みちとし)。20巻。1218首。1075年(承保2)に白河天皇の勅命を受け,86年(応徳3)春に草稿本,同年9月に奏覧本が完成。翌87年に改訂して再奏本を作った。組織構成は《古今集》に近く,〈仮名序〉と漢文序に相当する〈目録序〉を備えている点にも《古今集》回帰を感じさせる。主要歌人と歌数は,和泉式部67,相模40,赤染衛門32,能因法師31,伊勢大輔27,清原元輔26,大中臣能宣(よしのぶ)26,源道済22,藤原長能20,藤原公任19などである。《源氏物語》時代の王朝女流作家たちの重用が目だつが,新風の試みを示す和歌や平淡な叙景歌も広く多様に採られている。伝統的な発想や表現をうけながら,新しい言葉を機知的に用いようとする新風への意欲がみられる。通俊以上に撰者の資格があると評された当代の代表歌人源経信(つねのぶ)は,勅撰集に対するはじめての批判である《難後拾遺》を書いて反駁し,やすきについて的確な表現の乏しくなったことを非難した。
[藤岡 忠美]

[索引語]
後拾遺集 藤原通俊 源経信 難後拾遺
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1. ごしふゐわかしふ【後拾遺和歌集】
全文全訳古語辞典
[書名]第四番目の勅撰和歌集。二十巻。白河天皇の勅命により、藤原通俊が撰する。一〇八六年(応徳三)成立。和泉式部・相模・赤染衛門・伊勢大輔ら女流歌人の歌が圧倒的 ...
2. 後拾遺和歌集
日本大百科全書
院政期に成った第4番目の勅撰(ちょくせん)和歌集。本来『後拾遺和歌抄』といった。藤原通俊(みちとし)撰(せん)、20巻、1218首。院政期初頭の王政復古政策の一 ...
3. 後拾遺和歌集
世界大百科事典
勅撰集。八代集の4番目の歌集。《後拾遺集》とも呼ぶ。撰者は藤原通俊(みちとし)。20巻。1218首。1075年(承保2)に白河天皇の勅命を受け,86年(応徳3) ...
4. ごしゅういわかしゅう【後拾遺和歌集】
デジタル大辞泉
平安後期の勅撰和歌集。八代集の第四。20巻。承保2年(1075)、白河天皇の命により藤原通俊(ふじわらのみちとし)が撰し、応徳3年(1086)成立。和泉式部らの ...
5. ごしゅういわかしゅう[ゴシフヰワカシフ]【後拾遺和歌集】
日本国語大辞典
平安末期の四番目の勅撰集。八代集の一つ。二〇巻。承保二年(一〇七五)、白河天皇の下命があり、応徳三年(一〇八六)成立した。撰者は藤原通俊。和泉式部、相模、赤染衛 ...
6. ごしゅういわかしゅう【後拾遺和歌集】
国史大辞典
第四代の勅撰和歌集。藤原通俊撰。二十巻。白河天皇の側近通俊は承保二年(一〇七五)九月、撰集の命を受けたが、右中弁蔵人頭の劇職にあって果たさず、参議に昇任した応 ...
7. 後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 291ページ ...
8. 『後拾遺和歌集』
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1086年〈応徳3 丙寅②〉 9・16 藤原通俊、 『後拾遺和歌集』 を撰進(和歌現在書目録)。  ...
9. 批難後拾遺和歌集 (見出し語:後拾遺和歌集)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 415ページ ...
10. 『続後拾遺和歌集』
日本史年表
1323年〈元亨3 癸亥〉 7・2 天皇,二条為藤に 『続後拾遺和歌集』 の撰進を下命(拾芥抄)。 1325年〈正中2 乙丑①〉 12・18 二条為定, 『続後 ...
11. しょくごしゅういわかしゅう【続後拾遺和歌集】
デジタル大辞泉
鎌倉時代の勅撰和歌集。20巻。元亨3年(1323)後醍醐天皇の勅により、二条(藤原)為藤・為定が撰し、嘉暦元年(1326)成立。歌数約1350首。代表歌人は藤原 ...
12. しょくごしゅういわかしゅう[ショクゴシフヰワカシフ]【続後拾遺和歌集】
日本国語大辞典
鎌倉末期にできた、一六番目の勅撰集。二〇巻。歌数は一三五三首。元亨三年(一三二三)後醍醐天皇の命により藤原為藤・為定が撰し、嘉暦元年(一三二六)成立。代表歌人は ...
13. しょくごしゅういわかしゅう【続後拾遺和歌集】
国史大辞典
第十六番目の勅撰和歌集。撰者は二条為藤・同為定。春(上・下)・夏・秋(上・下)・冬・物名・離別・羈旅・賀・恋(一―四)・雑(上・中・下)・哀傷・釈教・神祇の二 ...
14. 『新後拾遺和歌集』
日本史年表
後円融天皇,二条為遠に 『新後拾遺和歌集』 の撰進を下命(拾芥抄)。 1382年〈【北朝】永徳2・【南朝】弘和2 壬戌①〉 3・17 二条為重, 『新後拾遺和歌 ...
15. しんごしゅういわかしゅう【新後拾遺和歌集】
デジタル大辞泉
南北朝時代の勅撰和歌集。20巻。天授元=永和元年(1375)後円融天皇の勅により、二条為遠・二条為重が撰し、元中元=至徳元年(1384)成立。二条良基の仮名序が ...
16. しんごしゅういわかしゅう[シンゴシフヰワカシフ]【新後拾遺和歌集】
日本国語大辞典
南北朝時代にできた、二〇番目の勅撰和歌集。永和元年(一三七五)の後円融天皇の命により、二条為遠が撰。その死後、二条為重がつぎ、至徳元年(一三八四)に最終的に成立 ...
17. しんごしゅういわかしゅう【新後拾遺和歌集】
国史大辞典
中世歌壇史の研究―南北朝期―』、後藤重郎編『(勅撰和歌)十三代集研究文献目録』、小西謙「新後拾遺和歌集作者異見」(『国語と国文学』一三ノ五) (樋口 芳麻呂)  ...
18. 新後拾遺和歌集(しんごしゅういわかしゅう)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 320ページ ...
19. 續後拾遺和歌集(ぞくごしゅういわかしゅう)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 313ページ ...
20. 續後拾遺和歌集命名 (見出し語:續後拾遺和歌集)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 245ページ ...
21. ぞくごしゅういわかしゅう[ゾクゴシフヰワカシフ]【続後拾遺和歌集】
日本国語大辞典
〓しょくごしゅういわかしゅう(続後拾遺和歌集) ...
22. ぞくごしゅういわかしゅう【続後拾遺和歌集】
国史大辞典
⇒しょくごしゅういわかしゅう  ...
23. あい‐す・む[あひ‥]【相住】
日本国語大辞典
〔自マ四〕(「あい」は接頭語)同じ家にいっしょに住む。*後拾遺和歌集〔1086〕雑一・八九四・詞書「叔母なりける人のあひすみける方より」*神皇正統記〔1339〜 ...
24. あう はかり無(な)し
日本国語大辞典
六・一〇一八「あふはかりなくてのみふるわが恋を人めにかくる事のわびしさ〈よみ人しらず〉」*後拾遺和歌集〔1086〕雑四・一〇八五「いにしへのちぢの黄金(こがね) ...
25. あえば-うじなお【饗庭氏直】
日本人名大辞典
正平(しょうへい)7年(1352)尊氏の新田義興・義宗との戦いにくわわり奮戦した。歌が「新後拾遺和歌集」などにある。名ははじめ直宣,のち尊宣(たかのぶ)。号は命 ...
26. あお‐つづら[あを‥]【青葛】
日本国語大辞典
藤の花ぶさ」【二】〔枕〕(青葛は糸のように繰ることができるので)「くる」「くるし」「くるる」などにかかる。*後拾遺和歌集〔1086〕恋二・六九二「人めのみしげき ...
27. あかぞめ‐えもん[‥ヱモン]【赤染衛門】
日本国語大辞典
父は赤染時用(ときもち)、実は平兼盛という。大江匡衡(まさひら)に嫁し、藤原道長の妻倫子に仕える。「後拾遺和歌集」などに多く歌が見え、和泉式部と並び称される。家 ...
28. あかぞめえもん【赤染衛門】
日本架空伝承人名事典
っている風景に、赤染衛門の「やすらはでねなまし物をさ夜更てかたぶくまでの月を見しかな」(『後拾遺和歌集』巻十二)の文句取りで趣向。 ...
29. あき の 影(かげ)
日本国語大辞典
ども中の月にかはらざるらん」(3)(人の一生を四季にたとえて)年齢的に衰え始めた容姿。*続後拾遺和歌集〔1326〕雑下・一一六六「見るもうしむかふ鏡の秋の影おと ...
30. あき の 契(ちぎ)り
日本国語大辞典
(1)秋に会うという男女の約束。多く牽牛星と織女星の間をいう。*続後拾遺和歌集〔1326〕秋上・二五一「天の川秋の契の深ければ夜半にぞ渡す鵲(かささぎ)の橋〈大 ...
31. あき‐の‐やま【秋の山】
日本国語大辞典
京都市伏見区竹田真幡木(まはたぎ)町あたりの古地名。鳥羽離宮内にあったといわれる名所。*続後拾遺和歌集〔1326〕秋下・三六九「衣うつ鳥羽田の里のいなむしろ夜寒 ...
32. あくがれ‐い・ず[‥いづ]【憧出】
日本国語大辞典
松風の音をのみ聞きわたしならひ給へる、いと思ひかけぬさまに、なごりなくあくがれいでぬるに」*後拾遺和歌集〔1086〕雑六・一一六二「物思へば沢の蛍もわが身よりあ ...
33. あけ の 玉垣(たまがき)
日本国語大辞典
神域の内外を区切る斎垣(いがき)を赤く塗ったもの。*後拾遺和歌集〔1086〕雑六・一一七五「住吉の松のしづえに神さびて緑に見ゆるあけの玉がき〈蓮仲〉」*東関紀行 ...
34. あさ‐ごろも【麻衣】
日本国語大辞典
集〔8C後〕七・一二六五「今年行く新島守が麻衣肩の紕(まよひ)は誰か取り見む〈古歌集〉」*後拾遺和歌集〔1086〕雑三・一〇二八「けふとしも思ひやはせしあさ衣涙 ...
35. あさ‐の【浅野】
日本国語大辞典
い)の寝かてねば 滝の上の 浅野の雉(きぎし) 明けぬとし 立ち騒くらし〈作者未詳〉」*続後拾遺和歌集〔1326〕春上・六一「滝の上の浅野の原の浅みどり空にかす ...
36. あさひ‐がくれ【朝日隠】
日本国語大辞典
*堀河百首〔1105〜06頃〕春「消え残る朝日がくれの白雪は去年のかたみをたたぬなりけり〈藤原公実〉」*新後拾遺和歌集〔1383〜84〕雑春・五八〇「出そむる朝 ...
37. あさ‐まつりごと【朝政】
日本国語大辞典
官の司に朝庁(あさまつりごと)と云ふ事行ひけり。其は未だ暁(あけぬ)にぞ火燈(とも)してぞ人は参ける」*続後拾遺和歌集〔1326〕雑中・一〇九八「露よりも猶こと ...
38. あさ‐みつ‐しお[‥しほ]【朝満潮】
日本国語大辞典
満ちてくる潮。朝潮。*貫之集〔945頃〕一「住の江のあさみつしほにみそぎして恋忘れ草摘みて帰らん」*後拾遺和歌集〔1086〕冬・三八九「難波潟あさみつ塩にたつ千 ...
39. あざけ・る【嘲】
日本国語大辞典
衆には、のろはるべかりける物を』とぞ申しける」(2)声をあげて詩歌を口ずさむ。うそぶく。*後拾遺和歌集〔1086〕序「近くさぶらひ遠く聞く人、月にあざけり、風に ...
40. あざむ・く【欺】
日本国語大辞典
含んで天鵞絨(びろうど)をも欺むくばかり」【二】〔自カ四〕(1)吟詠する。興に乗って吟じる。*八代集抄本後拾遺和歌集〔1086〕序「月にあざけり風にあざむくこと ...
41. あしがき‐の【葦垣─】
日本国語大辞典
51〕春中・七八「見てもなほ奥ぞゆかしきあしかきの吉野の山の花のさかりは〈後嵯峨院〉」*新後拾遺和歌集〔1383〜84〕雑上・一二七四「故郷(ふるさと)にま近け ...
42. あしのね‐の【葦根─】
日本国語大辞典
忘るる時なき思ひかな」(5)葦の根は泥土(うき)の中にあるところから、「憂き」にかかる。*後拾遺和歌集〔1086〕恋四・七七一「あしのねのうき身の程としりぬれば ...
43. あし の 一夜(ひとよ)
日本国語大辞典
(葦の「一節(ひとよ)」を「一夜(ひとよ)」に言いかけたもの)一夜。一晩。*新後拾遺和歌集〔1383〜84〕夏・二七九「難波人御祓すらしも夏かりの蘆の一よに秋を ...
44. あし の=屋(や)[=宿(やど)り]
日本国語大辞典
*伊勢物語〔10C前〕八七「あしのやのなだの塩焼いとまなみ黄楊(つげ)の小櫛もささず来にけり」*後拾遺和歌集〔1086〕雑二・九五六「八重ぶきのひまだにあらば蘆 ...
45. あし‐ぶき【葦葺】
日本国語大辞典
〔名〕屋根を葦でふいてあること。また、その屋根や家。*後拾遺和歌集〔1086〕冬・四〇〇「とふ人もなき蘆ぶきのわが宿はふる霰さへ音せざりけり〈橘俊綱〉」*風情集 ...
46. 排蘆小船(近世随想集) 296ページ
日本古典文学全集
心に思ふことは、善悪に関はらず、詠み出づるものなり。されば心に思ふ色 〔三三〕  猪が伏す寝床。『後拾遺和歌集』恋四、和泉式部「かるもかき臥す猪の床のいを安みさ ...
47. 排蘆小船(近世随想集) 369ページ
日本古典文学全集
さて後撰集は古今には及ばざれども、なほ歌様よく、清撰の集なれば、同じく取り用ひるなり。拾遺は撰びやうはよろしからず、不審なることども多けれど、時代はなほよくして ...
48. 排蘆小船(近世随想集) 377ページ
日本古典文学全集
志して討幕を企て、失敗して隠岐に流されるが、脱出後、吉野に移って南朝を開く。為藤に命じて『続後拾遺和歌集』を撰進せしめた。第九十二代天皇。名は煕仁。萩原上皇とも ...
49. 排蘆小船(近世随想集) 378ページ
日本古典文学全集
元享四年没、五〇歳。為世と共に二条派の権威の保持につとめ、元亨三年、後醍醐天皇の宣下を受けて『続後拾遺和歌集』の撰進に取りかかるが、翌年に業なかばで急逝する。南 ...
50. 排蘆小船(近世随想集) 379ページ
日本古典文学全集
て、頓阿の歌をことに賞するは、少し心得違ひあるなり。かの異風を斥けて正風に返せしは頓阿の力なれども、その頓阿の歌とても悪しくはあらねども、先々の人々に勝るほどの ...
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