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  11. 履中天皇
国史大辞典

履中天皇
りちゅうてんのう
第十七代とされる天皇。去来穂別(いざほわけ)天皇、大兄去来穂別天皇(『古事記』では大江之伊邪本和気命)などという。父は仁徳天皇、母は葛城襲津彦の女、皇后磐之媛命。反正・允恭両天皇の同母兄にあたる。『日本書紀』では仁徳天皇三十一年に立太子、同八十七年、父の死後、同母弟住吉仲皇子の乱を平定し、翌履中天皇元年磐余稚桜宮に即位、同二年瑞歯別尊(反正天皇)を皇太子としたと伝える。妃黒媛との間に市辺押磐皇子・御馬皇子・青海皇女(飯豊皇女)、妃幡梭皇女との間に中磯皇女があったという。六年三月十五日没、百舌鳥耳原陵に葬られたとされる。その子市辺押磐皇子らはのち雄略天皇に殺害されるが、皇子の子は顕宗・仁賢両天皇となり、皇位を継承する。→倭の五王(わのごおう)
(笹山 晴生)

百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)

 大阪府堺市石津ケ丘にある。『日本書紀』履中天皇六年十月壬子(十五日)条は、百舌耳原陵とし同天皇を葬るとする。『延喜式』諸陵寮は現陵号で、「在〓和泉国大鳥郡〓、兆域東西五町、南北五町、陵戸五烟」とし遠陵とする。元禄十年(一六九七)の大坂町奉行所調書は、和泉国大鳥郡上石津村所在、曲淵市郎右衛門代官所の年貢地とする。元治元年(一八六四)修補、正面に拝所を設け、翌慶応元年(一八六五)三月山陵修補竣工巡検使の発遣を受けた。墳丘は天皇陵では三番目に巨大な前方後円墳で、南南西に面し、三段築成、西側くびれ部には造り出しがあり、周濠がある。主軸の長さ三六三メートル、前方部幅二三二メートル・高さ二六・三メートル、後円部直径二〇四メートル・高さ二九メートル。末永雅雄は、周濠外側に幅約四〇メートルの周庭帯があったと推論する。周辺に散在する経堂・東酒呑塚・西酒呑塚・檜木山の小墳四基は陪冢に指定。当陵の遺物には宮内庁書陵部所蔵の墳丘部採集の埴輪片がある。→百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)
[参考文献]
上野竹次郎『山陵』上、梅原末治「応神・仁徳・履中三天皇陵の規模と造営」(『書陵部紀要』五)、末永雅雄「古墳の周庭帯と陪冢」(同一三)
(石田 茂輔)
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履中天皇の関連キーワードで検索すると・・・
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検索コンテンツ
1. 履中天皇
日本大百科全書
)とする。『宋書(そうじょ)』にみえる倭王讃(わおうさん)を履中天皇とみなす説がある。墓は百舌鳥(もず)耳原陵と伝える。現在履中天皇陵とみなされている古墳(堺( ...
2. りちゅう‐てんのう【履中天皇】
デジタル大辞泉
記紀で、第17代の天皇。仁徳天皇の第1皇子。名は去来穂別(いざほわけ)。倭の五王の一人、讚に比定する説がある。  ...
3. りちゅう‐てんのう[‥テンワウ]【履中天皇】
日本国語大辞典
第一七代天皇。名は去来穂別(いざほわけ)。仁徳天皇の皇子。母は磐之媛命(いわのひめのみこと)。初めて諸国に国史(ふみひと)を置き、四方の志(ふみ=国内情勢に関す ...
4. りちゅうてんのう【履中天皇】
国史大辞典
『日本書紀』では仁徳天皇三十一年に立太子、同八十七年、父の死後、同母弟住吉仲皇子の乱を平定し、翌履中天皇元年磐余稚桜宮に即位、同二年瑞歯別尊(反正天皇)を皇太子 ...
5. 履中天皇(りちゅうてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 5ページ ...
6. りちゅうてんのう【履中天皇】
日本人名大辞典
記官)をおいて,国内の情勢を報告させたという。「宋書」倭国伝の倭王讃(さん)とする説もある。履中天皇6年3月15日死去。70歳。墓所は百舌鳥耳原南陵(もずのみみ ...
7. 履中天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:2件 『応神・仁徳・履中三天皇陵の規模と造営』梅原末治『履中天皇と雄略天皇との間の内乱伝承について 皇統問題によ ...
8. 履中天皇即位 (見出し語:履中天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 285ページ ...
9. 履中天皇山陵 (見出し語:履中天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 982ページ ...
10. あきつしま【秋津洲】奈良県:御所市
日本歴史地名大系
宮号は地名によったものが多く、「秋津」も奈良時代、葛城地方の別名と考えられる。室は「日本書紀」履中天皇三年一一月六日条に「掖上の室山」の記事がみえ、掖上とよばれ ...
11. あしだ【葦田】奈良県:北葛城郡
日本歴史地名大系
古代の片岡に含まれた地名で、現王寺町域にあたるという。「古事記」履中天皇段に「天皇、葛城の曾都毘古の子、葦田宿禰の女、名は黒比売命を娶して」、「姓氏録」大和未定 ...
12. あしだのすくね【葦田宿禰】
日本人名大辞典
記・紀にみえる豪族。蟻臣(ありのおみ)の父。娘の黒媛(くろひめ)が履中天皇の妃となり,市辺押磐(いちのべのおしはの)皇子,御馬(みまの)皇子,飯豊青(いいとよあ ...
13. あすか【飛鳥】奈良県:高市郡/明日香村
日本歴史地名大系
)。河内飛鳥は「和名抄」の安宿郷で、飛鳥戸神社(現大阪府羽曳野市飛鳥)が鎮座する。「古事記」履中天皇段には遠飛鳥・近飛鳥の地名説話を載せているが、この遠・近飛鳥 ...
14. あすかべぐん【安宿郡】大阪府:河内国
日本歴史地名大系
の反乱事件である。「日本書紀」によると、仁徳天皇の後を継いで皇位につこうとした去来穂別皇子(履中天皇)は、住吉仲皇子の襲撃に遭って難波宮(現東区)を脱出し、大坂 ...
15. あずみうじ【安曇氏】
国史大辞典
浜宿禰が諸所の海人の騒ぎを鎮めて「海人之宰」となったとあるのも、その関係によるものであろう。履中天皇の時、阿曇連浜子が住吉仲皇子の叛に加担し処罰されて以後、しば ...
16. 阿曇氏
世界大百科事典
〈海人之宰(海人の統率者)〉としたとあるのも,これまでの阿曇氏の立場が公認されたことを示すものであろう。履中天皇のとき,阿曇浜子が住吉仲皇子(すみのえのなかつの ...
17. あずみのはまこ【阿曇浜子】
国史大辞典
仁徳天皇の崩御後、住吉仲皇子が皇太子(履中天皇)に叛した時、浜子は皇子の側にあって、配下の淡路の野島の海人をして、倭に逃れる皇太子を追わせたが失敗し、のち浜子自 ...
18. あずみの-はまこ【阿曇浜子】
日本人名大辞典
「日本書紀」にみえる阿曇氏の統率者。仁徳(にんとく)天皇の死後,住吉仲(すみのえのなかつ)皇子が皇太子(のちの履中天皇)に謀反をくわだてたとき,皇子方につき,淡 ...
19. あちのおみ【阿知使主】
国史大辞典
縫織の工女(兄媛・弟媛・呉織・穴織)を連れ帰り、次の仁徳天皇の死に際して弟の住吉仲皇子に殺されようとした履中天皇の危急を救い、履中朝に蔵官に任じて粮地を与えられ ...
20. あちのおみ【阿知使主】
日本人名大辞典
穴織の4人の縫工女(きぬぬいめ)をつれかえったという。住吉仲(すみのえのなかつ)皇子の反乱に際し履中天皇をたすけた。 ...
21. あなむしとうげ【穴虫峠】大阪府:南河内郡/太子町/春日村地図
日本歴史地名大系
宝永六年(一七〇九)の河内国絵図には「穴虫越中大 当麻道」とみえる。「中」は道法、「大」は道幅。「日本書紀」履中天皇即位前紀に、天皇が即位に際し住吉仲皇子の反乱 ...
22. あま【海人】
国史大辞典
飾」とみえている。海人が入れ墨をしていたことについては、『日本書紀』履中天皇元年四月条に、住吉仲皇子の叛に加担して捕えられた阿曇連浜子が罰として黥せられ、人々が ...
23. あまがさきし【尼崎市】兵庫県
日本歴史地名大系
同書仁徳天皇三八年七月条にみえる猪名県は為奈郷を中心として猪名川沿いに豊島郡に及ぶ地域と考えられる。また同書履中天皇五年一〇月条に車持君が禊したとみえる長渚崎は ...
24. あわじのくに【淡路国】兵庫県
日本歴史地名大系
天皇が狩猟のためたびたび淡路に赴いたという「日本書紀」の記事(応神天皇一三年九月条、同二二年九月条、履中天皇五年九月条、允恭天皇一四年九月条など)も無視できない ...
25. 飯豊青皇女
日本大百科全書
5世紀後半の皇女。青海皇女(あおのおうじょ)、忍海部皇女(おしぬみべおうじょ)などとも記す。履中天皇(りちゅうてんのう)の女(むすめ)(母は葛城(かずらき)氏出 ...
26. いいとよあおのおうじょ【飯豊青皇女】
日本人名大辞典
記・紀にみえる皇女。父は履中天皇,母は黒媛(くろひめ)とも,父は市辺押磐(いちのべのおしはの)皇子,母は〓媛(はえひめ)ともいう ...
27. いいとよあお‐の‐ひめみこ[いひとよあを‥]【飯豊青皇女】
日本国語大辞典
履中天皇の皇孫女。父は市辺押磐(いちのべのおしいわ)皇子。清寧天皇の崩御(四八四)後、皇女の弟、弘計(おけ)、億計(おけ)の両皇子が譲り合って即位しなかったので ...
28. 飯豊青皇女
世界大百科事典
5世紀末の皇女。飯豊女王,忍海部女王などともいう。履中天皇の女で市辺押羽皇子の妹にあたり,母は葦田宿禰(葛城襲津彦の子)の女黒媛とも,市辺押羽皇子の女で,母は蟻 ...
29. いいとよあお‐の‐ひめみこ【飯豊青皇女】
デジタル大辞泉
履中天皇の皇孫。市辺押磐(いちのべのおしいわ)皇子の王女。清寧天皇没後に一時、政務を執ったので飯豊天皇とも称されたが世代には数えない。青海皇女(あおうみのみこ) ...
30. いいとよのあおのおうじょ【飯豊青皇女】
国史大辞典
青海皇女・飯豊女王・忍海部女王・飯豊郎女などさまざまに書く。『日本書紀』履中紀では長子市辺押羽皇子とともに履中天皇の女とし、『古事記』も同説だが、同じ『日本書紀 ...
31. いざなぎじんぐう【伊弉諾神宮】
国史大辞典
嶋伊弉諾神」と呼ばれていたこと(履中天皇五年条)、淡路のものだけが延喜の制で名神大社であり、また他とは別格扱いで一品を授けられている ...
32. いざほわけのみこと【去来穂別尊】
国史大辞典
履中天皇(りちゅうてんのう)  ...
33. いそのかみごう【石上郷】奈良県:大和国/山辺郡
日本歴史地名大系
石上町東南の現天理市布留町に鎮座する石上神宮を中心とした広い地域を示すものと考えられる。「日本書紀」履中天皇四年四月条に「石上溝を堀る」、安康天皇即位前紀一二月 ...
34. いそのかみじんぐう【石上神宮】奈良県:天理市/丹波市地区/布留村
日本歴史地名大系
相殿に宇摩志麻治命・五十瓊敷命・白河天皇・市川臣を配祀。旧官幣大社。石上振神宮(「日本書紀」履中天皇即位前紀条)・布都努斯神社(新撰姓氏録)・岩上明神(「旧神号 ...
35. いちしのながおち【市磯長尾市】
国史大辞典
播磨に派遣して天日槍を尋問する説話、同天皇七年七月条には野見宿禰を招喚する説話がみえる。市磯は十市郡の地名で、履中天皇三年条には磐余の市磯池のことを記す。 (上 ...
36. いちのべのおしはのおうじ【市辺押磐皇子】
国史大辞典
履中天皇の長子。母は葦田宿禰(葛城襲津彦の子)の女の黒媛。市辺忍歯別王などとも書く。のちの顕宗(弘計王)・仁賢(億計王)両天皇や飯豊青皇女らの父。市辺は大和国 ...
37. 市辺押羽皇子
世界大百科事典
おしはは忍歯とも記す。履中天皇の長子。母は葦田宿禰(葛城襲津彦の子)の女の黒媛。《日本書紀》顕宗即位前紀によれば,蟻臣(葦田宿禰の子)の女の荑(はえ)媛をめとっ ...
38. 市辺押磐皇子
日本大百科全書
生没年不詳。5世紀中ごろの有力な王族。父は履中天皇、母は葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)の子葦田宿禰(あしたのすくね)の娘、黒媛(くろひめ)。市辺押歯別王、磐坂 ...
39. いちのべのおしわ‐の‐みこ[いちのべのおしは‥]【市辺押磐皇子・市辺之忍歯王子】
日本国語大辞典
履中天皇の第一皇子。顕宗、仁賢天皇、飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ)の父。「日本書紀」によれば、安康天皇四年皇位継承争いで大泊瀬皇子(おおはつせのみこ=雄略 ...
40. いちのべむら【市辺村】京都府:城陽市
日本歴史地名大系
。綴喜郡に属する。古くは櫟野辺と記し、この地に櫟が繁茂していたことによるという。しかし一説に履中天皇の皇子市辺押磐皇子が住したためで、村内の字大芝も、この皇子の ...
41. いながわ【猪名川】兵庫県:川辺郡
日本歴史地名大系
のも、こうした当時の流路によるものであろう。履中天皇が車持君に悪解除・善解除を負わせて禊祓をさせた長渚崎(現尼崎市)というのも(「日本書紀」履中天皇五年一〇月一 ...
42. いみ‐くら【斎蔵】
日本国語大辞典
「古語拾遺」によれば、神武天皇即位時に宮中に設けて、神物・官物の区別なく納め、忌部氏が管理した。さらに履中天皇の時に内蔵をおいて官物を分納した。その後に設置され ...
43. いわさかのいちのべのおしはのおうじ【磐坂市辺押羽皇子】
日本人名大辞典
記・紀にみえる履中天皇の皇子。母は黒媛(くろひめ)。妃は〓媛(はえひめ)。安康天皇の死後,皇位をつぐと目されたが,雄略天皇に狩り ...
44. いわれ【磐余】
国史大辞典
われひこ)命(神日本磐余彦天皇=神武天皇)の名はこの地名を含み、神功皇后の磐余若(稚)桜宮、履中天皇の磐余稚桜宮、清寧天皇の磐余甕栗宮、継体天皇の磐余玉穂宮、用 ...
45. いわれ【磐余】奈良県:桜井市/桜井地区
日本歴史地名大系
、神武天皇の和風諡号はカムヤマトイワレビコ(古事記、日本書紀)であった。また「日本書紀」には履中天皇磐余稚桜宮・清寧天皇磐余甕栗宮・継体天皇磐余玉穂宮などの宮名 ...
46. 磐余池(いわれいけ)[イミダス編 文化・スポーツ]
イミダス 2017
奈良県桜井市中部から橿原市東南部にかけての地域にあったとされる古代の池。5世紀前半ごろに履中天皇(りちゅうてんのう)が造営し、清寧(せいねい)、継体(けいたい ...
47. いわれのいけ【磐余池】奈良県:桜井市/桜井地区/磐余
日本歴史地名大系
「日本書紀」履中天皇二年一一月条に「磐余池を作る」、同三年一一月六日条に「天皇、両枝船を磐余市磯池に泛べたまふ」とある。「万葉集」巻三に 大津皇子、被死らしめら ...
48. いわれのわかざくら‐の‐みや[いはれのわかざくら‥]【磐余稚桜宮】
日本国語大辞典
神功皇后摂政のときの都。履中天皇の皇居。「日本書紀」によれば、神功皇后摂政の六九年ここで崩御、履中天皇の元年復都、同六年廃都。奈良県桜井市池之内付近、または同市 ...
49. いわれのわかざくらのみや【磐余稚桜宮】奈良県:桜井市/桜井地区/磐余
日本歴史地名大系
「日本書紀」に神功皇后磐余若桜宮・履中天皇磐余稚桜宮がみえ、「延喜式」神名帳の城上郡にみえる若桜神社との関係が注目される。現大字谷に若桜神社、大字池之内に稚桜神 ...
50. いわれのわかざくらのみや【磐余若桜宮】
国史大辞典
神功皇后および履中天皇の皇居。『日本書紀』神功皇后摂政三年正月戊子条に「都〓於磐余 ...
「履中天皇」の情報だけではなく、「履中天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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