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平治物語

ジャパンナレッジで閲覧できる『平治物語』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
平治物語
へいじものがたり
軍記物語の一つ。『平治記』ともいう。『保元物語』『平家物語』『承久記』とあわせ四部合戦状(四部之合戦書)とも称される。作者としては、『保元物語』と同じく、葉室(藤原)時長(『醍醐雑抄』、『参考平治物語』凡例)、源瑜僧正(『旅宿問答』(『続群書類従』雑部所収)、ただし『安斎随筆』三一所引『旅宿問答』では、「源瑜」は「源喩」と表記。『新続古事談』は「大和国多武峯に公喩僧正(一本には原喩僧正と有)といふ者あり、保元平治物語を作り出す」とする)の名を伝えるも未詳。近代に入ってからは、信西一門にゆかりのある者、あるいは葉室家の家系に属する者の名などが挙げられ、近時、藤原伊通家に作者圏を想定する説なども提唱されている。三巻三冊。現存諸写本には、『保元物語』と対をなすもの多く、古活字本はじめ江戸時代刊行の流布本も『保元物語』と一対で刊行された。この物語が多くの異本をもつことは、『保元物語』と同様で、その古態本としては、陽明文庫蔵(一)本(上・中巻)と学習院図書館蔵(九条家旧蔵)本(中・下巻)、島原松平文庫蔵本(中・下巻)をもって再建される本文が知られる(ただしこれは『保元物語』の古態本半井本とは対を成さない)。そのほか一つの完成形態を示す伝本として、金刀比羅本『保元物語』と一対の金刀比羅本『平治物語』があり、この系統の伝本が、流布本系本文とともにこの物語の代表的テキストとなっている。『保元物語』『平治物語』は、ともに『保元絵』『平治絵』と称する絵巻を生み出したが、『平治物語絵巻』は一部残存、古態性を孕む絵詞も注目されている。『平治物語』の成立期に関しては、承久以前の鎌倉時代初期源氏将軍時代を想定する説があるが、『保元物語』現存諸本が貞応二年(一二二三)以後の成立を有力視されつつある現在、成立期の上限はなお流動的である。なお、寛元四年(一二四六)書写『春華秋月抄草』にこの物語の断章が存し、寛元四年以前、この物語の存在したことを裏づける。この物語もまた琵琶法師によって語られた。物語の内容は、諸本によってかなりな異同を持つが、保元の乱後三年、平治元年(一一五九)十二月に、時の権臣藤原信頼と信西の不快事を発端に、激発した平治の乱の様相が、上巻前半においては、信頼とこれを支える源義朝のいったんの勝利、後半においては、都に起こった変事を聞き、熊野参詣の道を急遽とってかえして都に入った信西の盟友平清盛の消息と、それに伴う廷臣たちの信頼離反劇、中巻においては、待賢門そして六波羅を主戦場とする両派の軍事衝突と信頼・義朝の敗北、下巻においては、東国に落ちて行った義朝の尾張国内海の地での死をはじめ、その子悪源太義平・頼朝らの敗者の動向、義朝の子今若・乙若・牛若らの母常葉の陥った悲しい運命などが描かれている。テキストとしては、学習院本と陽明文庫本上巻の翻刻が『未刊国文資料』に、陽明文庫本の影印が『陽明叢書』に、島原松平文庫本の翻刻が『跡見学園女子大学国文学科報』九に、金刀比羅本・流布本系古活字本の翻刻が『日本古典文学大系』三一に、半井本ほか五種の伝本の影印が『古典研究会叢書』にそれぞれ収められている。また松平文庫本以下、十三種の伝本を校合した『平治物語研究校本篇』がある。なお、『参考平治物語』は、徳川光圀の命を受けた水戸徳川家の家臣今井弘済・内藤貞顕が、印本なすわち流布本と、五部の異本、京師本・杉原本・鎌倉本・半井本・岡崎本を比較対照、その異同を参考校定し、さらに『愚管抄』『百練抄』『今鏡』など三十九部の書目を随時、引用・参照して、事実のありようを明らかにしようとした著作である。『大日本史』編纂の一助として編まれたもので、元禄六年(一六九三)冬になった。→保元物語(ほうげんものがたり)
[参考文献]
角川源義『語り物文芸の発生』、『平治物語絵詞』(『日本絵巻物大成』一三)、永積安明『中世文学の可能性』、同『中世文学の成立』、同編『保元物語・平治物語』(『鑑賞日本古典文学』一六)、水原一『保元・平治物語の世界』(『放送ライブラリー』二六)、大曾根章介他編『歴史・歴史物語・軍記』(『研究資料日本古典文学』二)、日本文学研究資料刊行会編『戦記文学』(『日本文学研究資料叢書』)、久保田淳「『平治物語』の世界」(『講座日本文学』平家物語上所収)、渥美かをる「平治物語における難波三郎の雷死説話」(『軍記物語と説話』所収)、日下力「平治物語の展開」(『軍記と語り物』九)、吉田多津雄「金刀比羅神社本『平治物語』考」(同一一)、山下宏明「『平治物語』の読み」(『文学』五二ノ四)、砂川博「義朝像の再検討」(同五二ノ五・七)、日下力「常葉譚の読み」(同五二ノ一一)、松尾葦江「歴史語りの系譜」(同五六ノ三)
(栃木 孝惟)


日本大百科全書
平治物語
へいじものがたり

平治の乱(1159)を題材にした軍記物語。通常三巻。作者不明。原作は鎌倉時代前期までに成立か。『平家物語』より先出と考えられるが、『保元(ほうげん)物語』との先後出関係は未詳。『普通唱導集(ふつうしょうどうしゅう)』などによれば、13世紀末より14世紀にかけて琵琶(びわ)法師の語物であった。多くの伝本が現存し、『保元物語』同様、ほぼ三段階にわたる作品の変容が認められる。第二段階以降は『保元物語』『平家物語』との相関関係を強め、とくに前者とは姉妹編的関係となる。そのため、古くより同一作者説が存在した。最終段階では儒教思想や論評性が加わるが、それを代表するいわゆる流布本の成立は、室町時代の1446年(文安3)以後とされる。
物語は末代における武士の力の必要性を説く序文に始まり、後白河(ごしらかわ)院近臣の藤原信頼(のぶより)が源義朝(よしとも)とともに挙兵、政敵藤原信西(しんぜい)を滅ぼしたものの、平清盛に鎮圧されてしまう過程を描くが、作品の内実は敗れた源氏一族の悲劇に重点を移していく。合戦場面では悪源太義平と平重盛(しげもり)の対決が躍動感あふれる筆致で描かれ、貴族でも、反乱軍のなかに入って信頼に恥辱を与える藤原光頼(みつより)のような、豪胆な人物が形象化されている。義朝の妻常葉(ときわ)が3人の遺児を抱えて都落ちする哀話は、女性話として傑出する。作品の初期の段階では反乱軍を蔑視(べっし)する姿勢がうかがわれるが、やがて、腹心の部下に暗殺された義朝の悲劇的生涯を中心に、頼朝(よりとも)による源氏再興の伏線を語る作品へと変質、悲劇的文学としての色調を濃くする。
[日下 力]



改訂新版・世界大百科事典
平治物語
へいじものがたり

平治の乱(1159)を素材とする和漢混淆文の軍記物語。鎌倉時代前期までに成立か。作者不明。通常3巻。《平治記》ともいう。末代における武士の力の必要を説く序文がある。後白河院の近臣藤原信頼が源義朝とともに挙兵,政敵藤原信西を滅ぼすが平清盛に鎮圧された過程を描くが,作品の重点は敗れた源氏一族の悲劇にしだいに移る。合戦場面では悪源太義平と平重盛との対決が躍動感あふれる筆致で描かれ,貴族の中にも,謀叛軍の前で信頼を侮蔑する藤原光頼のごとき豪胆な人物が描かれている。義朝の妾常磐(ときわ)が3人の幼い遺児と都を落ちる哀話は有名。

この作品は時代思潮の変遷とともに,大きく3段階にわたって変容したらしく,異質な諸本が伝存する。初期段階では謀叛側を蔑視する作者の姿勢があらわで,義朝も必ずしも好意的には描かれておらず,むしろ鎮圧側の清盛ら平氏勢力に比重がかかっている。序文の発想はその姿勢と軌を一にし,謀叛側を冷笑する藤原伊通なる特異な傍観者的人物も登場する。また義朝の死は,金王丸という従者の常磐に対する長大な報告談として扱われている。しかし次段階では,部下に暗殺された義朝の悲壮な死への道行を中心に,悲劇的文学としての色調を濃くする。《保元物語》《平家物語》との相即性を強め,義平も《保元》の源為朝像と酷似した形に変わる。さらに最終段階では儒教思想にもとづく論評が加味された。いわゆる流布本の成立は室町時代の1446年以降か。原本は《平家》より先出と考えられるが,《保元》との先後関係は未詳である。古来《保元》と同一作者とされてきたが,両作品の古態本の性格は懸隔しており,異なる作者と推察される。13世紀末から14世紀初めのころ《保元》《平家》とともに琵琶語りに供されていた。
[日下 力]

[索引語]
平治記 源義朝
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5. へいじものがたり【平治物語】
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6. 平治物語
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7. へいぢものがたり【平治物語】
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8. 平治物語絵巻
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19. 『平治物語』[百科マルチメディア]
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21. さんこうへいじものがたり【参考平治物語】
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22. あいこうぐん【愛甲郡】
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26. あえ‐しら・う[あへしらふ]
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日本国語大辞典
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32. あかじ の 錦(にしき)の直垂(ひたたれ)
日本国語大辞典
した。*保元物語〔1220頃か〕上・主上三条殿に御幸の事「赤地の錦の直垂に折烏帽子引立て」*平治物語〔1220頃か〕中・待賢門の軍の事「今日の軍(いくさ)の大将 ...
33. あか‐じるし【赤印】
日本国語大辞典
七・一門都落「わすれたる事ありとて、赤じるし切捨て、其勢三百余騎、都へとってかへされけり」*平治物語〔1220頃か〕中・待賢門の軍の事「平家は赤旗・赤じるし日に ...
34. あく‐げんた【悪源太】
日本国語大辞典
〔一〕「みなもとのよしひら(源義平)」の通称。*平治物語〔1220頃か〕上・信西の子息闕官の事「義朝が嫡子、鎌倉悪源太義平、母方の祖父三浦介がもとにありけるが」 ...
35. あげ‐つかさ【上官】
日本国語大辞典
〔名〕官位を高くすること。官の昇進。*平治物語〔1220頃か〕下・長田、義朝を討ち六波羅に馳せ参る事「下野(しもつけ)は紀伊守(きのかみ)にこそ成りにけれよしと ...
36. あ・げる【上・揚・挙】
日本国語大辞典
よめる歌も其流のきよきを挙(アゲ)しなるを思へば」(8)大勢の人を集め動かして事を始める。*平治物語〔1220頃か〕下・頼朝義兵を挙げらるる事「九郎御曹子は〈略 ...
37. あさ‐だち【朝立】
日本国語大辞典
八五「朝鳥の 朝立(あさだち)しつつ 群鳥(むらどり)の 群立ち去(い)なば〈金村歌集〉」*平治物語〔1220頃か〕下・頼朝生捕らるる事「ならはぬ旅の朝立に、露 ...
38. あし‐かせ【足枷】
日本国語大辞典
枚の厚い板に足首大の半円をあけ、前後から足をはさんで、罪人の自由を束縛する刑具。あしがし。*平治物語〔1220頃か〕下・頼朝遠流に宥めらるる事「手かせあしかせ入 ...
39. あだちぐん【足立郡】埼玉県:武蔵国
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40. あだちぐん【足立郡】東京都:武蔵国
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の系譜を引くと推定される足立遠元は、平治の乱(平治元年)では源義朝のもと京都に従軍している(平治物語)。源氏敗北後、平氏政権下での動向は不明であるが、治承四年( ...
41. あったら【惜・可惜】
日本国語大辞典
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42. あねにしのとういんちょう【姉西洞院町】京都市:中京区/城巽学区地図
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43. あべの【安倍野・阿倍野・安部野・阿部野】
日本国語大辞典
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44. あべの【阿倍野】
国史大辞典
経て和泉国へ通じ、阿部野は交通の要衝であった。源義平は、熊野から帰る平清盛をここに邀撃しようと謀り(『平治物語』)、藤原定家の『熊野道之間愚記』に阿部野王子(熊 ...
45. あべの【阿倍野】大阪府:大阪市/阿倍野区地図
日本歴史地名大系
、源義朝の嫡男悪源太義平が阿倍野に出陣して迎撃態勢をとっているとの報に接して躊躇したという(平治物語)。このとき当地で合戦はなかったが、南北朝期以降は繰返し戦乱 ...
46. あま‐さかさま【天逆様】
日本国語大辞典
〔形動〕理非の転倒しているさま。道理に合わないさま。不合理。*平治物語〔1220頃か〕下・頼朝遠流に宥めらるる事「いかなるあまさかさまの仰せなりとも、たがへじと ...
47. あま・す【余】
日本国語大辞典
城の傍に故き伽藍有り。唯、基趾を余(アマセ)り」(2)ある範囲からもらす。のがす。逃がす。*平治物語〔1220頃か〕中・待賢門の軍の事「但し大将は、もとの重盛ぞ ...
48. あらうみ‐の‐しょうじ[‥シャウジ]【荒海障子】
日本国語大辞典
、南方、手長足長、北面、宇治網代布障子、墨絵也〉」*平治物語〔1220頃か〕上・光頼卿参内の事「荒海の障子の北、萩の戸のほとりに、弟の別当惟方おはしける ...
49. あら‐て【新手・荒手】
日本国語大辞典
そのことに新しくたずさわる者。特に、これから戦闘を控え、まだ疲労していない軍勢をいう場合が多い。*平治物語〔1220頃か〕中・待賢門の軍の事「前(さき)の五百騎 ...
50. あら‐もの【荒者】
日本国語大辞典
〔名〕荒々しい人。勇猛な人。また、乱暴で手におえない人。あばれもの。*平治物語〔1220頃か〕下・牛若奥州下りの事「希代の荒者にて、悪禅師といひけり」*義経記〔 ...
「平治物語」の情報だけではなく、「平治物語」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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平治物語(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
軍記物語の一つ。『平治記』ともいう。『保元物語』『平家物語』『承久記』とあわせ四部合戦状(四部之合戦書)とも称される。作者としては、『保元物語』と同じく、葉室(藤原)時長(『醍醐雑抄』、『参考平治物語』凡例)、源瑜僧正(『旅宿問答』(『続群書類従』雑部所収)
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魯迅 その文学と革命(東洋文庫)
中国近代文学の父であり,偉大な思想家でもある魯迅は,知識人としての苦悩のなかで,中国の「寂寞」を見つめ,自らをも傷つける「革命」を志向する。著者会心の魯迅伝。1965年07月刊
論語徴(東洋文庫)
秦・漢以前の古文辞に対する確固たる自信から孔子の言論を読みとく,論語の注釈のなかでもっとも論争的な注釈書。卓抜した孔子論を展開するとともに,徂徠自身の思想も開陳する。第1巻は,学而,為政,八佾,里仁,公冶長,雍也,述而,泰伯。1994年03月刊
近世和歌集(日本古典文学全集)
年内立春 去年と今年の二本の緒で縒り合わせて掛けて同じ年が一本にまとまらないように、こんがらがってなかなか理解できない春はやって来た。やや趣向倒れの感がある。長嘯子としては機知を働かせたのだろうが。鶯 軒端の梅が咲いていて、一晩中鶯の到来を
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