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国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

国史大辞典
保元物語
ほうげんものがたり
軍記物語の一つ。『保元記』ともいう。『平治物語』『平家物語』『承久記』とあわせ、四部合戦状とも呼ばれた。作者としては、葉室(藤原)時長(『醍醐雑抄』『参考保元物語』)、中原師梁(『参考保元物語』)、源瑜(『旅宿問答』(『続群書類従』雑部所収)、ただし『安斎随筆』三一所引『旅宿問答』では、「源瑜」は「源喩」と表記。『新続古事談』は「大和国多武峯に公喩僧正(一本に原喩僧正と有)といふ者あり、保元平治物語を作り出す」とする)などの名を伝えるも未詳。通例、三巻三冊。他の軍記物語同様、いくたびも書きかえられ、内容の異なる諸伝本を産んだ。現存諸本中の古態本としては、文保本(文保二年(一三一八)書写、中巻のみ)・半井本が知られる。以後、後続する代表的な諸伝本に、鎌倉本・根津本(この系統の伝本に京図本がある)・金刀比羅本(この系統の原初形態に宝徳本がある)・流布本などがある。『保元物語』の原初形態が明らかでない現在、原『保元物語』の成立時期はさだかではない。現存諸本に関してならば、その上限を『六代勝事記』の成立した貞応二年(一二二三)以後にみる見解が有力である。永仁五年(一二九七)の序を有する『普通唱導集』には、『平治物語』『平家物語』とともに『保元物語』が琵琶法師によって語られていたことが記され、『保元物語』が永仁五年以前成立していたことを確証するとともに、『保元物語』が琵琶法師の語り物でもあったことを示している。『保元物語』諸伝本のうち、成立時期のもっともさがる流布本系統本文の成立は、『〓嚢鈔(あいのうしょう)』および『太平記』との関係から文安三年(一四四六)以後、室町時代と想定されている。十三世紀前半から十五世紀中ごろ以降に及ぶ長い歳月が、この物語の流動、変容した期間であった。保元の乱の顛末を描いたこの物語の世界は、諸本によってかなりな内容の異同を持つが、おおむね上巻に、鳥羽院崩御を機とする崇徳上皇と後白河天皇の対立の経緯、ならびに争乱前夜の動向、中巻に上皇方源為義・為朝らと天皇方源義朝・平清盛らの軍事衝突の詳細、下巻に戦いに敗れた崇徳上皇方敗者の動向を描く。半井本は、文体・構成ともに素朴、話題の拡散をおそれず、土くささをのこし、金刀比羅本は、詞章の洗練、構成密度の凝縮、物語的情趣の強化など、一つの完成形態を示す。テキストとしては、文保本・半井本・鎌倉本ほかの影印が『古典研究会叢書』に、金刀比羅本系宝徳本の影印が『陽明叢書』に、半井本の翻刻が『未刊国文資料』に、文保本・鎌倉本の翻刻が『伝承文学資料集』に、金刀比羅本・流布本系古活字本の翻刻が『日本古典文学大系』三一に、それぞれ収められ、京図本は『京図本保元物語』(早川厚一・弓削繁・原水民樹編)として活字化されている。なお、『参考保元物語』は、徳川光圀の命をうけた水戸徳川家の家臣今井弘済・内藤貞顕(光圀の命をうけた今井が功を終えずして没したあとを内藤がひきつぐ)が、印本すなわち流布本と、五部の異本、京師本・杉原本・鎌倉本・半井本・岡崎本を比較対照、その異同を「参考校定」し、さらに、『日本紀』『続日本紀』『今鏡』『台記』など四十九部の書目を随時、引用・参照して、事実のありようを明らかにしようとした著作。『大日本史』編纂の一助として編まれたもので、元禄二年(一六八九)脱稿したが、『参考平治物語』の成るのを俟って、同六年刊行された。→平治物語(へいじものがたり)
[参考文献]
永積安明『中世文学の成立』、同編『保元物語・平治物語』(『鑑賞日本古典文学』一六)、水原一『保元・平治物語の世界』(『放送ライブラリー』二六)、飯田悠紀子『保元・平治の乱』(『歴史新書』二三)、大曾根章介他編『歴史・歴史物語・軍記』(『研究資料日本古典文学』二)、日本文学研究資料刊行会編『戦記文学』(『日本文学研究資料叢書』)、栃木孝惟「半井本『保元物語』の性格と方法」(秋山虔編『中世文学の研究』所収)、日下力「『保元物語』の方法」(久保田淳編『講座日本文学』平家物語上所収)、須藤敬「『保元物語』配流者説話について」(『芸文研究』四七)、松尾葦江「歴史語りの系譜」(『文学』五六ノ三)、犬井善寿「金刀比羅本系『保元物語』の三系列」(『軍記と語り物』五)、弓削繁「六代勝事記と保元物語」(『山口大学教養部紀要』一五)、矢代和夫「崇徳院・悪左府の怨霊」(『都大論究』五)、原水民樹「保元物語の一側面」(『徳島大学学芸紀要』二七)
(栃木 孝惟)


日本大百科全書
保元物語
ほうげんものがたり

保元の乱(1156)を題材にした軍記物語。通常三巻。作者不明。原作は鎌倉時代前期までに成立か。『平家物語』より先出と考えられるが、『平治物語』との先後出関係は未詳。『普通唱導集(ふつうしょうどうしゅう)』によれば、13世紀末ごろには琵琶(びわ)法師の語物であった。多くの伝本が現存し、時代思潮の変遷を反映した、ほぼ三段階にわたる作品の変容が認められる。最終段階を代表するいわゆる流布本の成立は、室町時代の1446年(文安3)以降とされる。第二段階以後、『平治物語』『平家物語』との相関関係を深め、とくに前者とは姉妹編的関係を結ぶに至るが、そのため、古くより同一作者説が伝承されてきた。
 合戦は崇徳上皇(すとくじょうこう)と後白河(ごしらかわ)天皇との間で交わされたが、作中、もっとも強烈な個性をもって描かれているのは、上皇方にくみした源為朝(ためとも)である。敗北したとはいえ、既成の権威をものともせぬ言動や想像を絶する強弓ぶりは、新興武士階層の力を象徴するかのようであり、日本文学史上かつてなかった明るい超人的英雄像ができあがっている。また、乱後に物語られる敗者側の悲話も大きな比重を占める。親子兄弟が敵対する骨肉相克の戦いであったゆえに生じた悲劇が、わが子義朝(よしとも)に殺される源為義(ためよし)や、幼い遺児を殺害されて入水(じゅすい)するその北の方など、源氏一族のありさまを中心に克明に描かれる。この物語では為朝像を生み出した楽天的視座と悲劇への関心とが明と暗の共存する世界をつくっており、『平家物語』の前段階的作品として位置づけられる。
[日下 力]


『保元物語』[百科マルチメディア]
『保元物語』[百科マルチメディア]
巻上 慶長年間(1596~1615)ごろ刊 書き込みあり 国立国会図書館所蔵


改訂新版・世界大百科事典
保元物語
ほうげんものがたり

保元の乱(1156)を素材とする和漢混交文の軍記物語。鎌倉時代前期までに成立か。作者不明。3巻または2巻。《保元記》ともいう。乱は崇徳上皇派と後白河天皇派との皇位継承をめぐる戦いであったが,作中で最も強烈な個性をもって描かれるのは源為朝である。彼は敗北した上皇側に属しながら,一矢で敵2人を射倒したり,鞍もろとも鎧武者を射通して串刺しにするなど,獅子奮迅の働きをする。身の丈7尺(210cm余),生来の弓の名手で左手が右手より4寸長かったとも語られ,合戦場面は彼を中心に展開する。天皇の権威をもはばからぬ言動には新興階級のたくましさを象徴するものがあり,日本文学史上かつてない超人的な英雄像が創造されている。また,乱後にものがたられる敗者側の悲話も大きな比重をもつ。なかでも源氏の悲劇がその中核をなす。保元の乱は上皇と天皇とが兄弟であったのをはじめ,摂関家,源平両家ともに親子,兄弟,叔父甥が敵対する,まさに骨肉相克の戦いであったが,上皇側に参じた源為義は,乱後,天皇側にくみしていた嫡子義朝によって斬首された。物語はその事実を,信頼する子に裏切られた父の苦衷に焦点を当てて描き,さらに4人の幼い遺児の処刑とその母の哀れな入水の話とをつらねて,肉親の愛の破局を悲壮な情趣で描きあげようとする。作品の背景には,うち続く以後の乱世を,崇徳上皇および左大臣藤原頼長らの怨霊のしわざとみて恐れていた当時の世相があるといえる。上皇については,配流地の讃岐で怨霊となるまでのことが記されている。また,上皇側の総帥頼長が為朝の夜討進言を古い価値観から拒んだために敗れ,義朝の同じ進言を入れた天皇側が勝利したと語るところには,貴族から武士に主役の交替する時代相がおのずと表現されている。

 今日多く存在する伝本群は,この作品が大きく3段階にわたって変容したことを示しており,それぞれの段階の代表的伝本は,古い順に半井(なからい)本,金刀比羅本(または宝徳本),流布本とされる。古本の段階では,合戦場面の叙述に笑いが意図的に挿入され,壮大な為朝像を造型した作者の楽天的ともいえる気質をうかがうことができる。次段階では《平治物語》《平家物語》との相即性を強め,義朝像も《平治》のそれに見合う悲劇的人物に変わっていく。古本にあった朗らかな哄笑が後退する。なお,為朝の鬼ヶ島渡りの著名な後日譚は削除されている。《平治》と一対になった最終段階では,儒教思想や論評性が濃くなり,国政のあり方を論ずる序文が付される。本文は前2段階を折衷した感が強く,流布本の成立は室町時代の1446年(文安3)以降と目される。原本は《平家》より先出と思われるが,《平治》との先後出関係は未詳。古来《平治》と同一作者であるとされてきたが,その説は成り立ちにくい。13世紀末には《平治》《平家》とともに琵琶法師の語るところであったが,隆盛は続かなかったようである。
[日下 力]

[索引語]
保元の乱 保元記 崇徳天皇(院,上皇) 源為朝
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保元元年(1156)に京都で起きた保元の乱を題材に、和漢混交文で書かれた全3巻の軍記物。皇位継承権問題をきっかけに、崇徳上皇と後白河天皇が対立し、崇徳側には藤原 ...
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13. あい‐し【愛子】
日本国語大辞典
」*宇津保物語〔970〜999頃〕俊蔭「父母があいしとして、一生にひとり子なり」*保元物語〔1220頃か〕上・新院御謀叛思し召し立たるる事「入道殿の公達の御中に ...
14. あいしらじ を 黄(き)に返(かえ)す
日本国語大辞典
鎧(よろい)などの藍白地の革の上から更に黄色をかけたもの。その場合、地は黄に、藍の部分は緑になる。*保元物語〔1220頃か〕上・官軍方々手分けの事「大将とおぼし ...
15. あい‐のき[あひ‥]【相退】
日本国語大辞典
〔名〕同時に双方が退くこと。*金刀比羅本保元物語〔1220頃か〕中・白河殿攻め落す事「まっさきにすすんだる景能が腰骨を射きり候はんと少しさしさげて押しあげたる所 ...
16. あえ・ぐ[あへぐ]【喘】
日本国語大辞典
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17. あえ‐ず・く[あへづく]
日本国語大辞典
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18. あおがしま【青ヶ島】東京都:八丈支庁/青ヶ島村地図
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20. 青墓宿
世界大百科事典
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22. あおやぎのしょう【青柳庄】岐阜県:大垣市/旧安八郡地区/青柳村
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23. あかい‐がわら[あかゐがはら]【赤井河原・赤日(ひ)河原】
日本国語大辞典
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24. あかじ の 錦(にしき)の直垂(ひたたれ)
日本国語大辞典
赤地の錦で作った鎧直垂(よろいひたたれ)。中古末期以後、大将級の武士が鎧の下に着用した。*保元物語〔1220頃か〕上・主上三条殿に御幸の事「赤地の錦の直垂に折烏 ...
25. あか‐はた【赤旗】
日本国語大辞典
立つ」(2)平氏の旗。〓白旗。*保元物語〔1220頃か〕下・新院讚州に御遷幸の事「源平両家の郎等、白旗・赤旗をさして、東西南北へはせ ...
26. あき‐ま【空間・明間】
日本国語大辞典
〔名〕(1)物と物との間のすきま。間隙。*半井本保元物語〔1220頃か〕中・白河殿へ義朝夜討に寄せらるる事「多くの矢員を請けたれども、一も裏をかかず、あき間を射 ...
27. あく【悪】
日本国語大辞典
が抜群の能力、気力、体力を持っていて恐るべきであることを表わす。「悪源太」「悪左府」など。*保元物語〔1220頃か〕上・新院謀叛思し召し立たるる事「善悪を糺(た ...
28. あげ‐ざま【上様】
日本国語大辞典
〔名〕(「あげざまに」の形で用いられる)物を下から上の方へ上げるようにすること。上向き。*半井本保元物語〔1220頃か〕白河殿攻落す事「高間三郎が弓手の草摺つか ...
29. あさいぐん【朝夷郡】千葉県:安房国
日本歴史地名大系
簡)、いずれも部姓である。平安末期には保元の乱の際源義朝の麾下にあって活躍した丸太郎がいる(保元物語)。治承四年(一一八〇)源頼朝の丸御厨巡見の際丸五郎信俊が案 ...
30. あさぎいと の 鎧(よろい)
日本国語大辞典
浅葱糸威(おどし)の鎧。*保元物語〔1220頃か〕上・官軍方方手分けの事「基盛宇治路へ向ふに、白襖の狩衣に浅黄糸の鎧に、上折(うはをり)したる烏帽子の上に」*普 ...
31. あし‐げ【葦毛】
日本国語大辞典
也」*枕草子〔10C終〕五〇・馬は「馬は〈略〉あしげ」*金刀比羅本保元物語〔1220頃か〕中・白河殿攻め落す事「金子十郎家忠、葦毛(アシゲ)なる馬に乗て黒革威の ...
32. あしたか‐ほかい[‥ほかゐ]【足高外器・足高行器】
日本国語大辞典
〔名〕脚の長い三脚のついた、食物を運ぶ円形の器。*金刀比羅本保元物語〔1220頃か〕下・義朝幼少の弟悉く失はるる事「用意したりける足高哺貝(アシタカホカイ)に三 ...
33. あして‐まとい[‥まとひ]【足手纏】
日本国語大辞典
じゃまとなること。また、そのもの。多く、おんな子どもなどのつきまとうのにいう。厄介もの。足手がらみ。*保元物語〔1220頃か〕上・白河殿攻め落す事「院中の上臈女 ...
34. あだ‐や【徒矢】
日本国語大辞典
〔名〕目標に命中しない矢。それ矢。むだ矢。*金刀比羅本保元物語〔1220頃か〕中・白河殿攻め落す事「矢種尽きぬれば、えびらを負ひかへ負ひかへ射けるに、あだ矢一つ ...
35. あっ‐き[アク‥]【悪鬼】
日本国語大辞典
多(あまた)濫言(みだりごと)すと雖も、持経者をば誹謗(そし)る可から不(ず)」*金刀比羅本保元物語〔1220頃か〕上・新院御所各門々固めの事「いかなる悪鬼(ア ...
36. あつぎし【厚木市】神奈川県地図
日本歴史地名大系
奉広重寄進状」同書)である。厚木市域内の豪族に荻野氏と本間氏をあげることができる。荻野氏は「保元物語」に荻野忠義、「吾妻鏡」中にも荻野五郎俊重(海老名源三季貞の ...
37. あて‐ど【当所】
日本国語大辞典
〔名〕(1)当てる所。当てるべき所。*保元物語〔1220頃か〕上・為義最後の事「相伝の主の頸を斬らん事心うくて、涙にくれて太刀のあてども覚えねば」(2)めあて。 ...
38. あと を 垂(た)る
日本国語大辞典
〕神祇・一八九二「あとたれし神にあふひのなかりせば何にたのみをかけて過ぎまし〈賀茂重保〉」*保元物語〔1220頃か〕上・将軍塚鳴動「南には八幡大菩薩、男山に跡を ...
39. あと を 閉(と)ず
日本国語大辞典
をとぢ、とらおほかみを友として、いまはと、この世のことを思ひ給へまする事なきを」*金刀比羅本保元物語〔1220頃か〕下・新院御経沈めの事「只(ただ)棘葎(むばら ...
40. あま・す【余】
日本国語大辞典
幾(ほとん)ど余す所あらざりき」(4)ある範囲からあふれ出させる。(イ)あふれさせる。こぼす。とび出させる。*保元物語〔1220頃か〕中・白河殿攻め落す事「馬は ...
41. あまつ 日嗣(ひつぎ)
日本国語大辞典
たの あめつちともに かぎりなき あまつひつぎを ちかひおきし 神もろともに まもれとて」*保元物語〔1220頃か〕上・将軍塚鳴動「既に七十四代の天津日次を受け ...
42. あまつ 社(やしろ)
日本国語大辞典
安末豆夜之呂〉」*国基集〔1102頃〕「住吉のあまつ社のうれへには心よせなれくものうへ人」*保元物語〔1220頃か〕上・将軍塚鳴動「昔、崇神天皇の御時、天津社( ...
43. あら【荒・粗】
日本国語大辞典
夜ふけて荒風(あらし)の吹けば立ち待てる我が衣手に降る雪は凍(こほ)り渡りぬ〈作者未詳〉」*保元物語〔1220頃か〕上・新院御所各門々固めの事「為朝が申す様以て ...
44. あらいがわ【洗韋】
国史大辞典
うす紅になりたる心にて、洗ひ韋と云ふなり、是れも染韋なり、保元物語に波多野次郎が泣く涙にて緋威の鎧の袖、洗韋になりぬとあり」とある説は、『保元物語』の文飾からの ...
45. あら‐ぎ【荒儀】
日本国語大辞典
〔名〕荒々しいやり方。乱暴な言行。*保元物語〔1220頃か〕上・新院御所各門々固めの事「為朝が申す様、以ての外の荒義なり。年のわかきが致す処歟(か)」*日蓮遺文 ...
46. あ・る【有・在】
日本国語大辞典
心たばかりある人にて」*源氏物語〔1001〜14頃〕若紫「御供に声ある人してうたはせ給ふ」*保元物語〔1220頃か〕中・白河殿へ義朝夜討ちに寄せらるる事「弓矢取 ...
47. あわぐん【安房郡】千葉県
日本歴史地名大系
源義朝の軍勢に加わったなかに在庁官人系の安西氏、神余の金鞠氏、沼(現同上)の沼氏らがいた(「保元物語」上)。治承四年(一一八〇)八月安房に逃れた源頼朝は九月には ...
48. あわせ‐はぎ[あはせ‥]【合矧】
日本国語大辞典
やがら)の四枚羽の、大羽二枚と小羽二枚を異なる鳥の羽を混ぜてはぐこと。まぜはぎ。*金刀比羅本保元物語〔1220頃か〕上・新院御所各門々固めの事「柄(から)は、白 ...
49. 粟田口
世界大百科事典
る。1156年(保元1)崇徳上皇が軍勢を召集したとき,検非違使がその入洛を粟田口に押さえ(《保元物語》),1536年(天文5)の天文法華の乱にも,山徒と法華宗徒 ...
50. あわたぐち[あはたぐち]【粟田口】
日本国語大辞典
白川。東三条口。*大鏡〔12C前〕四・兼家「御厩の馬に御随身のせて、粟田口へつかはししが」*保元物語〔1220頃か〕上・官軍方々手分けの事「淀路へは周防判官季実 ...
「保元物語」の情報だけではなく、「保元物語」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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新古今和歌集序(仮名序)〔一〕和歌は、昔、天地が開け始めて、人の営みがまだ定らなかった時、日本の歌として、稲田姫の住んでいた素鵞の里から伝わっているということである。そうした時以来、和歌の道が盛んに興り、その流れは今日まで絶えることがなくて、恋愛に熱中したり
水鏡(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歴史物語。三巻三冊。鎌倉時代初期の成立か。作者は中山忠親かといわれるが、ほかに源雅頼をあてる説もある。ただし、雅頼説は注目を集めたものの反論も出ている。内容は、神武天皇より仁明天皇までの歴史を語るが、妄誕の記事がはなはだ多く、信頼できない話題が随所にあり
古来風躰抄(日本大百科全書(ニッポニカ))
藤原俊成の歌論書。俊成84歳の1197年(建久8)に式子内親王の依頼で初撰本、1201年(建仁1)に再撰本が書かれた。上巻は和歌本質論、和歌史論などの論述と『万葉集』抄出歌191首からなり、下巻は『古今集』から『千載集』に至る勅撰集抄出歌395首と若干の歌評とからなる。
無名草子(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉前期の文学評論書。1冊。『建久物語』『無名物語』などの別名がある。著者は明確でないが、藤原俊成の女の可能性が強い。1200年(正治2)かその翌年の成立であろう。83歳で出家しその後多年仏に仕える老女が、京都東山あたりで花摘みをし、最勝光院近くの檜皮屋で女房たちの語る物語
新古今和歌集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第8番目の勅撰和歌集。20巻。鎌倉初期の成立。後鳥羽院の下命によって撰進された。撰者は源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、藤原雅経、寂蓮。在来の勅撰集と異なり、院自ら撰集作業に参加され、序、詞書も院の立場において記され、「親撰体」の集の最初の集となる。
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