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  11. 植村文楽軒
改訂新版・世界大百科事典

植村文楽軒
うえむらぶんらくけん
1751-1810(宝暦1-文化7)

人形浄瑠璃文楽の芝居(後の文楽座)の創始者。本名正井(一説に征木(まさき))与兵衛。淡路国仮屋(一説に阿波国)出身。竹本座,豊竹座廃絶後の寛政年間(1789-1801)に大坂に出て,道頓堀の東,高津(こうづ)橋南詰西の浜側に人形浄瑠璃の席を開いた。〈文楽軒〉は本人の素人義太夫の芸名,植村は淡路の人形座の元祖といわれる上村源之丞をならったという。のちに堀江市の側に進出。1810年に60歳で没した。その後,4世に当たる大蔵(文楽翁)が経営の才にすぐれ,座運を向上させた。72年(明治5),政令によって新開地の松島へ移転,初めて正式に〈文楽座〉を名のった。84年御霊(ごりよう)社境内に移り,竹本摂津大掾(だいじよう)を中心に文楽黄金時代を作り上げたが,文楽翁の没後は経営が行き詰まり,1909年松竹に経営権を譲渡した。
[山田 庄一]

[索引語]
文楽座 文楽軒 文楽翁
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1. うえむら‐ぶんらくけん【植村文楽軒】
日本国語大辞典
江戸後期の操り芝居の興業師。〔一〕初世。淡路の人。本名柾木大蔵。文楽軒の人形芝居(のちの文楽座)の創始者。宝暦元〜文化七年(一七五一〜一八一〇)〔二〕三世(二世 ...
2. 植村文楽軒
日本大百科全書
人形浄瑠璃(じょうるり)劇団、文楽座の座元。6世まであるが、初世と4世とが有名。初世(1737―1810)阿波(あわ)(徳島県)の出身で、本名は道具屋大蔵。道具 ...
3. 植村文楽軒
世界大百科事典
1751-1810(宝暦1-文化7) 人形浄瑠璃文楽の芝居(後の文楽座)の創始者。本名正井(一説に征木(まさき))与兵衛。淡路国仮屋(一説に阿波国)出身。竹本座 ...
4. うえむら‐ぶんらくけん【植村文楽軒】
デジタル大辞泉
人形浄瑠璃の文楽座座元。 〓(初世)[1751~1810]江戸時代後期の人。大坂に人形浄瑠璃座「高津(こうづ)新地の席」を創 ...
5. うえむら-ぶんらくけん【植村文楽軒(初代)】
日本人名大辞典
1751−1810 江戸時代後期の人形浄瑠璃(じょうるり)劇場主。宝暦元年生まれ。寛政のころ大坂にでて,文化2年ごろ「高津(こうづ)新地の席」という人形浄瑠璃の ...
6. うえむら-ぶんらくけん【植村文楽軒(2代)】
日本人名大辞典
1784−1819 江戸時代後期の人形浄瑠璃(じょうるり)劇場主。天明4年生まれ。初代植村文楽軒の子。文化7年2代文楽軒をつぎ,翌年,大坂博労(ばくろう)町の難 ...
7. うえむら-ぶんらくけん【植村文楽軒(4代)】
日本人名大辞典
1813−1887 江戸後期-明治時代の人形浄瑠璃(じょうるり)劇場主。文化10年生まれ。2代植村文楽軒の子。天保(てんぽう)の改革で宮地芝居が禁止され各地を転 ...
8. うえむら-ぶんらくけん【植村文楽軒(6代)】
日本人名大辞典
1870−1915 明治時代の人形浄瑠璃(じょうるり)劇場主。明治3年生まれ。植村文楽軒5代の子。竹本摂津大掾(だいじょう)を中心に人形浄瑠璃文楽座の全盛時代を ...
9. あやつりざ【操座】画像
国史大辞典
うになり、十八世紀前半の人形芝居全盛期が現出した。幕末には竹・豊二座が衰え、これに代わって植村文楽軒が文化ごろから創始していた人形芝居が、安政三年(一八五六)博 ...
10. あわじのくに【淡路国】兵庫県
日本歴史地名大系
之丞座など十数座が生れ、北は関東、南は九州一円まで巡業し、いたる所に足跡を残している。始祖植村文楽軒が始めた大坂文楽の人形浄瑠璃も淡路人形芝居の流れである。次の ...
11. うえむら【植村】
デジタル大辞泉
姓氏の一。 「植村」姓の人物 植村直己(うえむらなおみ) 植村文楽軒(うえむらぶんらくけん) 植村正久(うえむらまさひさ)  ...
12. 江戸時代(年表)
日本大百科全書
士登山を許可1801(享和1)8月 『鎖国論』(ケンペルの『日本見聞記』の抄訳)。このころ植村文楽軒、文楽座の基礎をつくる1802(享和2)化政文化時代始まる。 ...
13. 大阪(市)画像
日本大百科全書
べえ)らによって完成をみ、道頓堀の竹本座や豊竹座で興行、全盛を極めた。その後一時衰退したが植村文楽軒(うえむらぶんらくけん)が再興、文楽座で興行したところから人 ...
14. かいりゅうじ【海龍寺】広島県:尾道市/後地村
日本歴史地名大系
六斗五升とある。寺は尾道の町を西に一望できる地にあり、境内に尾道の人々が追善のため建立した植村文楽軒の墓がある。 ...
15. 義太夫節
日本大百科全書
夫節は脱皮した。民衆娯楽として一時期は見離されていた人形芝居に、1805年(文化2)新しく植村文楽軒(うえむらぶんらくけん)の芝居(後の文楽座)も開場した。改め ...
16. 義太夫節
世界大百科事典
鶴沢清七が現行の〈朱〉(朱章)のもとになるものを創案して曲を書きとどめるようにもなる。また,18世紀末には植村文楽軒の文楽芝居が出現し,幕末には義太夫節による人 ...
17. くるまむら【来馬村】兵庫県:津名郡/東浦町
日本歴史地名大系
本駄賃二五文・軽尻一六文・夫一人一二文(「島内本駄賃軽尻夫賃定書」佐野家文書)。大坂で文楽座を開いた植村文楽軒の妻てるは当村森の出身。文楽軒没後の文政三年(一八 ...
18. 興行
世界大百科事典
猿若町から新富町に移転して新富座を新築し,観客席の一部を椅子席として観劇の仕組を改革したり,また植村文楽軒の操芝居が,大阪博労町の稲荷社境内から松島に移って,文 ...
19. 浄瑠璃
世界大百科事典
太夫も過去の芸風の踏襲,繰返しとなる。操り芝居全体が末期現象を呈した寛政(1789-1801)ころ,植村文楽軒が大坂に出て,その経営手腕によって文楽の芝居が成立 ...
20. 人形浄瑠璃
日本大百科全書
ど小さな操芝居の数が増えていったが、寛政(かんせい)年間(1789~1801)に淡路出身の植村文楽軒が浄瑠璃の小屋の経営に手を染めた。1811年(文化8)2世文 ...
21. 人形浄瑠璃画像
世界大百科事典
坂市中には群小座が分立し,その中から19世紀初頭に,高津橋南詰(現在の国立文楽劇場付近)に植村文楽軒が建てた小劇場が,後に難波神社境内に移り,文楽の芝居と呼ばれ ...
22. 文楽
世界大百科事典
-88)竹本義太夫によって創立された竹本座に始まるが,その後いくたびかの盛衰をへて幕末には植村文楽軒による興行が代表的な存在となった。1872年,新開地の松島に ...
23. ぶんらく【文楽】
歌舞伎事典
貞享年間、竹本義太夫によって創立された竹本座に始まるが、その後いくたびかの盛衰をへて、幕末には植村文楽軒による興行が代表的な存在となった。明治五(1872)年、 ...
24. 文楽座
世界大百科事典
人形浄瑠璃の劇場名。淡路から大坂へ出た植村文楽軒は,寛政期(1789-1801)に人形浄瑠璃を始めたという。そして1811年(文化8)のころには,〈文楽の芝居〉 ...
25. ぶんらく‐ざ【文楽座】
デジタル大辞泉
人形浄瑠璃の劇場および劇団。寛政年間(1789~1801)、淡路の植村文楽軒が大坂高津橋南詰に開いた浄瑠璃小屋が母体。明治5年(1872)松島に移転して文楽座と ...
26. ぶんらく‐ざ【文楽座】
日本国語大辞典
人形浄瑠璃の劇場。寛政年間(一七八九〜一八〇一)淡路の人、植村文楽軒が大坂道頓堀ではじめた操人形一座にはじまる。初め高津橋南詰西浜側に創始し、のち、大坂地内を転 ...
27. ぶんらくざ【文楽座】
国史大辞典
人形浄瑠璃の劇場名。淡路出身の初代植村文楽軒が文化二年(一八〇五)ごろ、大坂高津橋南詰西浜の側に高津新地の席という人形浄瑠璃の小屋を設けたのに始まる。文楽軒は ...
28. やまだの-かかし【山田案山子】
日本人名大辞典
大坂の人。好華堂野亭の名で狂歌師としても知られる。版元付きの代作者となり,読み本を執筆。4代植村文楽軒の専属浄瑠璃作者として活躍した。弘化(こうか)3年11月2 ...
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植村文楽軒(改訂新版・世界大百科事典)
人形浄瑠璃文楽の芝居(後の文楽座)の創始者。本名正井(一説に征木)与兵衛。淡路国仮屋(一説に阿波国)出身。竹本座,豊竹座廃絶後の寛政年間(1789-1801)に大坂に出て,道頓堀の東,高津橋南詰西の浜側に人形浄瑠璃の席を開いた。〈文楽軒〉は本人の素人義太夫の芸名
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文楽座(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
人形浄瑠璃の劇場。寛政年間(一七八九〜一八〇一)淡路の人、植村文楽軒が大坂道頓堀ではじめた操人形一座にはじまる。初め高津橋南詰西浜側に創始し、のち、大坂地内を転々として、明治五年(一八七二)大阪松島新地に移り文楽座を名のった。同一七年平野町の御霊神社境内に移転
植村文楽軒(改訂新版・世界大百科事典)
人形浄瑠璃文楽の芝居(後の文楽座)の創始者。本名正井(一説に征木)与兵衛。淡路国仮屋(一説に阿波国)出身。竹本座,豊竹座廃絶後の寛政年間(1789-1801)に大坂に出て,道頓堀の東,高津橋南詰西の浜側に人形浄瑠璃の席を開いた。〈文楽軒〉は本人の素人義太夫の芸名
太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
ある種の芸能人、神職、遊女などの称号または敬称。大夫とも書く。元来は中国の官制に倣った官位の一種で、五位の称である。古代に、五位の者が儀式およびそれに伴う芸能をつかさどったことから、転じて、神事芸能を奉仕する神職や芸能人の称となった。神事舞太夫、猿楽の太夫
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