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  11. 談山神社
日本歴史地名大系・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

日本歴史地名大系
談山神社
たんざんじんじや

[現]桜井市大字多武峰

多武峯とうのみね御破裂ごはれつ山南腹に鎮座。藤原鎌足を祀る旧別格官幣社。鎌足の冠位にちなんで大織冠たいしよつかん社・多武峯社ともいい、江戸時代までは多武峯寺と一体のものであった。多武峯寺の中核である妙楽みようらく寺と聖霊しようりよう院の対立を防ぐために、延長四年(九二六)に天神地祇・八百万神を奉斎し、鎌足神像を合祀した惣社が建立され、談峰権現の賜号を受けたことに始まり、後花園上皇の時には談山大明神の神号を得、正一位勲一等に叙せられたという。多武峯一山内では仏教的信仰と神道的信仰とが混在していたが、江戸時代には神道勢力が強まり、明治維新後の神仏分離に際して仏教色を除き、明治二年(一八六九)六月三〇日の大祓の日をもって談山神社となり、多武峯寺の諸堂宇のうち聖霊院を神社本殿、護国ごこく院を拝殿とし、十三重塔婆は神廟とよばれ、講堂がその拝所となった。また常行三昧堂をかり殿、護摩堂を祓殿、如法堂を摂社東殿とした。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔塔婆〕

国指定重要文化財。三間一三重の塔婆で檜皮葺。棟札によれば享禄五年(一五三二)の再建で、寛永一八年(一六四一)に大修理が行われた。二重の基壇に立つ塔の初重の屋根は他の層に比してかなり高さもあり、とくに大きく造られている。他の層は屋根を積重ねたように相接し、頂には青銅の七輪の相輪を載せる。木造十三重塔では唯一の遺品で、塔内には文殊菩薩像が安置されていた。現在は神廟とよばれている。

〔神〓拝所〕

旧多武峯寺講堂。国指定重要文化財。桁行五間・梁間四間、一重・入母屋造、背面下屋付属で檜皮葺。十三重塔婆の拝所。棟札によれば現在の建物は寛文八年(一六六八)の建立。内部には低い須弥壇があり、来迎壁を設け、格天井になっている。講堂に安置されていた釈迦三尊像は桜井市の安倍文殊あべもんじゆ院に現存。なお拝所の位置は定慧(開基)が創建して妙楽寺と号した三間四面の堂のあった所である。

〔本殿〕

旧多武峯寺聖霊院。三間社隅木入春日造で檜皮葺。付属の瑞垣一棟は折曲り延長二五間、門一所付。他に彩色雛形七枚、漆塗手板八枚があり、いずれも国指定重要文化財。外部は朱塗の上に飾金具を付け、極彩色の文様を施すが、内部は素木造。棟札によれば嘉永三年(一八五〇)に大改修が加えられた。中央に藤原鎌足木像(大織冠神像)、左に定慧、右に藤原不比等を祀る。

〔権殿〕

旧多武峯寺常行三昧堂。国指定重要文化財。桁行五間・梁間五間、一重・入母屋造・正面向拝付で檜皮葺。旧内陣の須弥壇にはかつて阿弥陀五尊が安置されていた。永正三年(一五〇六)の焼失後に再建されたもので、室町末期の様式をもつが、江戸時代に完成したもので、須弥壇の擬宝珠に元和五年(一六一九)の銘がある。現在は本殿修理の際に神像を奉安する仮本殿として使われる。

〔拝殿〕

旧多武峯寺護国院。国指定重要文化財。永正一七年に建てられ、寛文八年に再建。拝殿から本殿へ至る東透廊・西透廊のほか楼門・東宝庫・西宝庫があり、いずれも国指定重要文化財。

〔摂社東殿〕

旧多武峯寺如法堂(別名本願堂・定慧堂)。国指定重要文化財。三間社隅木入春日造で檜皮葺。かつては如意輪観音を安置し、定慧を祀っていた。嘉永三年に大修理が行われ、明治維新後に不比等を合祀。

〓伽井屋〕

国指定重要文化財。桁行一間・梁間一間、一重・入母屋造で柿葺。内部に石組みの井戸があり石敷。昭和五三年(一九七八)の解体修理で元和年間の造営時の姿に復原された。

〔末社惣社本殿・拝殿〕

本殿は三間社隅木入春日造で銅板葺。付属の瑞垣は折曲り延長一七間、門一所付。拝殿は桁行一間・梁間三間、一重・入母屋造・妻入、前後軒唐破風付で銅板葺。左右の突出部は各桁行二間、梁間二間、一重・両端入母屋造で銅板葺。以上いずれも国指定重要文化財。

〔末社比叡神社本殿〕

一間社流造、正面千鳥破風および軒唐破風付で檜皮葺。寛文八年の再興棟札一枚、嘉永三年の修理棟札三枚とともに国指定重要文化財。

〔町石・摩尼輪塔〕

多武峯寺への表参道にあたる東路は「多武峯略記」に「東椋橋五十二町、率都婆有五十二位名」とみえるが、石造一ノ鳥居(県指定文化財)のある上之宮うえのみやに「信心位初町」があり、五二基中の三一基が現存している。いずれも承応三年(一六五四)中之なかの坊の祐英法眼が造立したもので、多武峯町石として県指定文化財。五二町石は「妙覚位五十二町」と刻まれ、その傍らに国指定重要文化財の石造摩尼輪塔が立っている。花崗岩製で高さ三一五センチ。塔身は八角形で、乾元二年(一三〇三)五月造立の銘がある。また本殿への参道に高さ二五五センチの花崗岩製石灯籠があり、国指定重要文化財で、元徳三年(一三三一)二月の銘がある。東大門(県指定文化財)は享保三年(一七一八)の造立で、手前左手に「女人堂道」の石標があり、山内が女人禁制であったことが知られる。

〔その他の宝物〕

以上のほかにも数多くの宝物があり、絹本著色大威徳明王像、紺紙金銀泥法華経宝塔曼荼羅図、応安七年(一三七四)備州長船義景銘の脇差、来国俊銘の短刀、成縄銘の短刀、吉平銘の太刀、備中国住平忠(以下切)銘の短刀、一銘の薙刀、金沃懸地平文太刀、談山神社本殿造営図並所用具図(附朱漆机一基)は国指定重要文化財。また旧粟原おうばら(現桜井市)の三重塔伏鉢は和銅八年(七一五)四月の銘があり、国宝。増賀そうが堂の梵鐘(県指定文化財)は、銘文から元亨三年(一三二三)山城新熊野大聖いまくまのだいせい(現京都市東山区)の鐘として鋳造されたことが知られる。また室町時代から江戸時代に至る三千点近くにのぼる談山神社文書(県指定文化財)を所蔵する。



日本大百科全書
談山神社
たんざんじんじや

「だんざんじんじゃ」とも。奈良県桜井市多武峰(とうのみね)に鎮座。藤原鎌足(かまたり)を祀(まつ)る。678年(天武天皇7)に鎌足の長子、僧定恵(じょうえ)が、父の遺骸(いがい)を大和(やまと)国多武峰に改葬し、十三重塔(国重要文化財)を建て、翌年には堂舎を建立して、妙楽寺と号したのがその初めであるという。なお現在の十三重塔は1532年(天文1)の再建である。701年(大宝1)に聖霊殿を設け鎌足像を安置した。のち醍醐(だいご)天皇から「談山権現(ごんげん)」、後花園(ごはなぞの)天皇から「談山大明神(だいみょうじん)」の号を賜り、つねに国家を鎮護する神として大きな崇敬を得た。江戸幕府から寄進された朱印領は3000石。明治の神仏分離政策により山内の多くの寺院は破却された。1874年(明治7)別格官幣社に列格。例祭は11月17日。和銅(わどう)8年(715)の銘がある三重塔伏鉢(ふくばち)は国宝に、絹本着色大威徳明王(だいいとくみょうおう)像や刀剣類6振、石灯籠(いしどうろう)などが国の重要文化財に指定されている。
[熊谷保孝]



改訂新版・世界大百科事典
談山神社
たんざんじんじや

奈良県桜井市多武峰(とうのみね)に鎮座。藤原鎌足をまつる。大織冠(たいしよくかん)社,多武峯社ともいった。669年(天智8)没した鎌足は摂津国阿(安)威山(現,大阪府茨木市)に葬られたが,入唐中の長男定慧(恵)が帰朝後,弟の不比等と相談して多武峰に改葬,十三重塔を建てた。ついで堂を建て妙楽寺と称したのを草創とし,701年(大宝1)近江の彫匠高男丸の造った鎌足の木像を安置する殿舎を建て,聖霊院と号し,両者を多武峯寺と総称した。以後藤原氏一門のみならず朝野の崇敬をうけたが,妙楽寺と聖霊院の対立を防ぐため,926年(延長4)醍醐天皇より談峰権現の神号を,のち後花園天皇より談山明神の神号を賜った。当社の神威として,神像破裂,山上鳴動のことがある。すなわち,天下に事がおころうとするとき,鎌足の神像が破裂し,山上が鳴動,898年(昌泰1)より1607年(慶長12)までに37度それがあったとするが,そのつど,朝廷より勅使が遣わされて奉幣,祈謝し,それにより神像は復旧,事なきを得たと伝える。947年(天暦1)実性が多武峯座主となってより延暦寺との関係が深くなり,大きな勢力をもったため興福寺などと対立した。また兵火による全山焼失などのこともあったが,近世には3000石の朱印寺領を有し,多くの堂坊を擁して栄えた。1869年(明治2)神仏分離により衆徒は復餝還俗,堂舎のうち聖霊院を本殿,護国院を拝殿として談山神社となった。旧別格官幣社。11月17日の例祭のほか,10月11日嘉吉祭などがあり,建造物,宝物等に往時をしのばせる。
→多武峰
[鎌田 純一]

建造物

境内東部に南面して立つ本殿,その前方にたつ懸造(かけづくり)の拝殿,これらを囲む透廊(すきろう)や楼門,近くにたつ宝殿などを中心とした一郭がある。現在の姿は江戸時代初期の1619年(元和5)の造替によるものである。ただ,本殿はその後に数回造替され,現在のものは1850年(嘉永3)建立の三間社隅木入り春日造。これまでに造替された旧本殿のうち1619年,1668年(寛文8)のものが,移築されて摂社として境内に鎮座する。本殿を中心とした社殿の西に,檜皮葺き朱塗の木造十三重塔(神廟,1532),権殿(かりどの)(旧常行堂,室町後期),神廟拝所(旧講堂,1668),閼伽井屋(江戸前期)などがたつ。なおこの神社には,1566年(永禄9)の本殿の平面,断面や調度の図面が保存されており,この種の本格的な図面では最も古い。
[宮沢 智士]

[索引語]
大織冠(たいしよくかん)社 多武峯社 妙楽寺 多武峯寺
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1. 談山神社画像
日本大百科全書
「だんざんじんじゃ」とも。奈良県桜井市多武峰(とうのみね)に鎮座。藤原鎌足(かまたり)を祀(まつ)る。678年(天武天皇7)に鎌足の長子、僧定恵(じょうえ)が、 ...
2. 談山神社
世界大百科事典
1869年(明治2)神仏分離により衆徒は復餝還俗,堂舎のうち聖霊院を本殿,護国院を拝殿として談山神社となった。旧別格官幣社。11月17日の例祭のほか,10月11 ...
3. たんざん‐じんじゃ【談山神社】地図
デジタル大辞泉
奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にある神社。祭神は藤原鎌足(ふじわらのかまたり)。鎌足の子、定慧(じょうえ)により創建された妙楽寺聖霊院が起源。天文元年(153 ...
4. たんざんじんじゃ【談山神社】画像
国史大辞典
なお文武天皇大宝元年(七〇一)に宝塔の東に祠堂を設けて父の木像を安置、聖霊院と号したという。これが談山神社の起りだが、一山は多武峯(多武峯寺)と称せられて繁栄し ...
5. たんざんじんじゃ【談山神社】奈良県:桜井市/安倍・多武峯地区/針道村
日本歴史地名大系
、明治維新後の神仏分離に際して仏教色を除き、明治二年(一八六九)六月三〇日の大祓の日をもって談山神社となり、多武峯寺の諸堂宇のうち聖霊院を神社本殿、護国院を拝殿 ...
6. 談山(たんざん)神社
デジタル大辞泉プラス
奈良県桜井市にある神社。創祀は678年。祭神は藤原鎌足公。藤原鎌足の息子、定慧(じょうえ)が建立した十三重塔は国の重要文化財に指定。 2015年10月 ...
7. 談山神社[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
本殿(国指定重要文化財)。奈良県桜井市 〓談山神社 ...
8. だんざん‐じんじゃ【談山神社】
日本国語大辞典
奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にある神社。旧別格官幣社。祭神は藤原鎌足。天武天皇七年(六七八)鎌足の子定慧(真人)が創立した妙楽寺聖霊院にはじまる。天下に大事 ...
9. 談山神社(だんざんじんじゃ)【篇】
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 202ページ ...
10. 談山神社印[図版]画像
国史大辞典
 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
11. 談山神社十三重塔[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
国指定重要文化財 奈良県桜井市 〓談山神社 ...
12. たんざんじんじゃもんじょ【談山神社文書】
国史大辞典
昭和四年(一九二九)別格官幣社談山神社が公刊した同神社所蔵の古文書集。校訂者は中村直勝。同神社所蔵文書は永享十年(一四三八)南朝残党の蜂起討伐の兵火による一山 ...
13. 談山神社文書[文献解題]奈良県
日本歴史地名大系
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14. 談山神社勅額 (見出し語:勅額)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 209ページ ...
15. 祀藤原鎌足於談山神社 (見出し語:藤原鎌足)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 202ページ ...
16. あかおのしょう【赤尾庄】奈良県:桜井市/桜井地区/赤尾村
日本歴史地名大系
いるが、荘号から大字赤尾に比定される。また赤尾には多武峯寺領もあり、護国院御神殿造営銭日記(談山神社文書)の永正一六年(一五一九)の「諸郷反銭納分四郷ハ五十文配 ...
17. あきやまじょうあと【秋山城跡】奈良県:宇陀郡/大宇陀町/春日村
日本歴史地名大系
直国者、後掃部頭福嶋氏代而拠焉」とある。築城の時期は明確ではない。文禄三年(一五九四)多武峯談山神社十字坊書写の古図によると、中世的山城として、天守閣・本丸・大 ...
18. あさごむら【浅古村】奈良県:桜井市/桜井地区
日本歴史地名大系
倉橋村北方に所在。天文七年(一五三八)の護国院灯明御供大般若等田収納日記、同一三年の御供所惣田数帳(談山神社文書)には「ウエノ宮左近大郎 下村源四郎 アサコ春道 ...
19. あすかのかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ【飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社】奈良県:高市郡/明日香村/稲淵村
日本歴史地名大系
明治初年まで雨乞のナモデ踊を「本なもで」と称して神社で興行したと伝え、その後は内宮(稲渕、南淵請安墓に残る旧談山神社)において「かりなもで」が行われた。氏子は大 ...
20. あべ・とうのみねちく【安倍・多武峯地区】奈良県:桜井市
日本歴史地名大系
ったが、安倍村・多武峯村は昭和二九年(一九五四)三月三日に磯城郡桜井町に編入された。多武峯・談山神社・安倍文殊院などの名所がある。 ...
21. あべりょう【安部領】奈良県:桜井市/安倍・多武峯地区/阿部村
日本歴史地名大系
多武峯寺領。護国院御神殿造営銭日記(談山神社文書)の永正一六年(一五一九)の「諸郷反銭納分四郷ハ五十文配、寄郷ハ百文配」に「十四貫五百文上 安部領反銭納之、皆納 ...
22. いいもりづかちょう【飯盛塚町】奈良県:桜井市/安倍・多武峯地区
日本歴史地名大系
[現]桜井市大字飯盛塚 多武峯寺東方の町方。古くは多武峯寺領の飯盛塚庄(談山神社文書)であったが、しだいに町方として発展していった。集落東方の杉山神社には宝永七 ...
23. いそのごう【磯野郷】奈良県:大和高田市/礒野村
日本歴史地名大系
多武峯寺領である。建久四年(一一九三)の平田庄惣追捕使注文案(談山神社文書)には「大織冠御供所磯野郷」とある。同注文には四至も記されているが、「東限今里ヨリ東大 ...
24. いそのむら【礒野村】奈良県:大和高田市
日本歴史地名大系
高田川の東西に開けた村。礒(磯)野は「延喜式」神名帳に「石園坐多久豆玉神社」とある石園のことであろう。談山神社蔵の磯野庄差図に、中世の磯野郷内に五四の小字を記録 ...
25. いなぶちむら【稲淵村】奈良県:高市郡/明日香村
日本歴史地名大系
天徳山和合院と号し、浄土宗。龍福寺の南方約一〇〇メートルの丘上に南淵請安の墓がある。藤原鎌足を祭神としていた談山神社(現在は飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社に合祀さ ...
26. いまざとむら【今里村】奈良県:大和高田市
日本歴史地名大系
北方は伊勢街道(横大路)で、その街村となる。建久四年(一一九三)の磯野郷四至の中に「東限今里」(談山神社文書)、欠年の金峯山免田田数注進状(天理図書館保井文庫) ...
27. 妹背山婦女庭訓(浄瑠璃集) 452ページ
日本古典文学全集
山の形が、竜が起きあがって見返る様子に似ているのによると伝えられる。底本「霊嶽」。多武峰に鎌足を祀る談山神社がある。 ...
28. いわいどむら【祝戸村】奈良県:高市郡/明日香村
日本歴史地名大系
この年の大旱魃に、祝部の指導により、諸社で祈雨をしたことがわかる。天文一三年(一五四四)の御供所惣田数帳(談山神社文書)の南院方に「イワヤト新次郎」の名がみえ、 ...
29. いわそのにいますたくむしたまじんじゃ【石園坐多久虫玉神社】奈良県:大和高田市/三倉堂村
日本歴史地名大系
[現]大和高田市片塩町 奈良県大和高田市片塩町にある神社。鎮座地一帯は中世磯野荘に含まれ、室町期の磯野荘古図(談山神社蔵)によると付近に字斉神・馬場前があり、現 ...
30. いわれじんじゃ【磐余神社】奈良県:橿原市/真菅・金橋地区/中曾司村
日本歴史地名大系
曾我川東岸に鎮座。旧村社。神倭磐余比古命(神武天皇)を祀る。室町期の百済一荘之内屋敷田畠差図(談山神社蔵)に「イワリノ宮ノ戌亥ノ角ノハシラ一本クタラ領也」とあり ...
31. いんべのしょう【忌部庄】奈良県:橿原市/真菅・金橋地区/忌部村
日本歴史地名大系
)では、当庄は三町三段。所在は荘号からみると現忌部町であろう。ほかに護国院御神殿造営銭日記(談山神社文書)に「諸郷分奉加銭」として「一貫文上、忌部庄」、欠年の預 ...
32. いんべのしょう【忌部荘】
国史大辞典
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33. いんべむら【忌部村】奈良県:橿原市/真菅・金橋地区
日本歴史地名大系
郡北郷西廿六条(中略)四里廿四坪北、字ミカノコウタ」の条里は当村に相当、小字ミカノコも残る。談山神社蔵の室町期の古図には初瀬街道の南、「五位」(現五井町)と葛上 ...
34. 宇治拾遺物語 370ページ
日本古典文学全集
標高六一九。藤原鎌足が葬られたことから、藤原氏の聖地となる。古くは天台宗多武峰寺(妙楽寺)、現在は談山神社がある。「僧賀」と表記されることが多い。『尊卑分脈』に ...
35. うだぐん【宇陀郡】奈良県
日本歴史地名大系
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36. うどののせき【鵜殿関】大阪府:高槻市/鵜殿村
日本歴史地名大系
書引付)、まもなく関務は多武峯寺(現奈良県桜井市談山神社)に移っている。文安二年(一四四五)八月より同三年七月までの「鵜殿関銭納日記」(談山神社文書)によると、 ...
37. えびすてらまち【戎寺町】大阪府:堺市/堺地図
日本歴史地名大系
本尊阿弥陀如来は俗に「目明しの如来」と称し、もと多田満仲の妻の帰依仏で大和多武峯寺(現奈良県桜井市の談山神社)に奉納したものを移したと伝える(摂陽群談)。禅通寺 ...
38. おうばらでらあと【粟原寺跡】奈良県:桜井市/安倍・多武峯地区/粟原村
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39. 大鏡 164ページ
日本古典文学全集
戒師として出家(多武峯少将物語)。奈良県桜井市南部の山。山上に藤原氏の始祖鎌足を祀る妙楽寺(現在の談山神社)があった。高光は出家の翌年に多武峯に移り、興隆に努め ...
40. 大鏡 343ページ
日本古典文学全集
多武峯に改葬し、十三重の塔を建て堂を構えたのが始まり。多武峯寺・妙楽寺という。現、奈良県桜井市多武峯にある談山神社。追善供養のために、法華三昧・常行三昧を修める ...
41. おかざきむら【岡崎村】奈良県:大和高田市
日本歴史地名大系
岡崎は岡前の義か。領家山がある。長禄四年(一四六〇)一〇月二三日の弥清次・憲盛・鬼鶴丸連署契状案(談山神社文書)には「契約申磯野与岡崎之里際目事」とあり、磯野際 ...
42. おばらでら【粟原寺】
国史大辞典
この地出土の古瓦からみても白鳳時代末期創建の寺となろう。粟原寺は廃絶し伏鉢は移されて江戸時代から談山神社にあり、『奈良県磯城郡誌』によると忍坂の薬師堂や赤尾の興 ...
43. おばらでらふくばちめい【粟原寺伏鉢銘】 : 粟原寺
国史大辞典
れているが、これは字体も本文と較べてかなり劣るもので、後世の補刻と考えられる。奈良県桜井市の談山神社所蔵。国宝に指定されている。銘文は「寺壱院四至(限東竹原谷東 ...
44. かきつさい【嘉吉祭】
国史大辞典
談山神社(奈良県桜井市多武峯)の神事。嘉吉元年(一四四一)に始まり、寛正六年(一四六五)勅使参向の上、永世不朽の礼事とする宣が下り、以後、九月祭祀・秋祭の名で ...
45. かさまのしょう【笠間庄】奈良県:宇陀郡/榛原町/笠間村
日本歴史地名大系
とが一応考えられる。前者には金峯山寺の得分もあった。後者については、護国院御神殿造営銭日記(談山神社文書)の永正一六年(一五一九)の「諸郷反銭納分四郷ハ五十文配 ...
46. かしはらし【橿原市】奈良県
日本歴史地名大系
竹内文平氏蔵文書 佐位庄 常盤町等 弘福寺 天理図書館蔵文書 忌部庄 忌部町 多武峯寺 談山神社文書 膳夫庄 膳夫町 同上 同上 小垣内庄 十市町か 興 ...
47. かしわででらあと【膳夫寺跡】奈良県:橿原市/鴨公・香久山地区/膳夫村
日本歴史地名大系
とみられ、白鳳の古瓦と柱座のある礎石が出土している。永正一二年(一五一五)八月の膳夫荘差図(談山神社蔵)には「膳夫寺」の文字がみえ、付近にカハラカマ、カウタウ、 ...
48. かしわでのしょう【膳夫庄】奈良県:橿原市/鴨公・香久山地区/膳夫村
日本歴史地名大系
多武峯寺領荘園である。護国院御神殿造営銭日記(談山神社文書)の永正一六年(一五一九)「己卯諸郷反銭納分」に五十貫六百卅二文上 膳夫庄、六十四貫八百卅二文之内一貫 ...
49. かしわでのしょう【膳夫荘】
国史大辞典
同氏は膳夫(膳部)を率いて供御を掌った。荘成立年代は不明であるが、中世は同国百済・忌部・箸喰の諸荘とともに談山神社領に属した。永正十二年(一五一五)の『膳夫庄差 ...
50. かしわでむら【膳夫村】奈良県:橿原市/鴨公・香久山地区
日本歴史地名大系
一に柏手とも書く(三箇院家抄)。「国民郷士記」に「十市郡膳夫正斎、孝元天皇々子大彦命ノ後(下略)」とある。談山神社所蔵の永正一二年(一五一五)膳夫庄差図によると ...
「談山神社」の情報だけではなく、「談山神社」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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興福寺(国史大辞典)
奈良市登大路町にある法相宗大本山。南都七大寺の一つ。寺伝では「こうぶくじ」という。縁起によると、天智天皇八年(六六九)藤原鎌足の死去に際し、妻の鏡女王が鎌足の念持仏の釈迦丈六像などを祀る伽藍をその山階(山科)邸に設けたのに始まり(山階寺)、その子不比等によって藤原京の厩坂に移遷(厩坂寺)
東大寺(国史大辞典)
奈良市雑司町にある華厳宗の総本山。大華厳寺・金光明四天王護国寺・総国分寺などの別称がある。南都七大寺・十三大寺・十五大寺の一つ。東大寺の寺号は平城京の東方にある大寺を意味し、『正倉院文書』の天平二十年(七四八)五月の「東大寺写経所解案」に初見するが
法隆寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町にある聖徳(しょうとく)宗総本山。斑鳩寺(鵤寺、伊可留我寺とも書く)、法隆学問寺などの異称がある。南都七大寺の一つ。草創の由来は、金堂の薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)光背銘によると、用明(ようめい)天皇が病気平癒を念じ
龍潭寺(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。県道引佐―舘山寺(かんざんじ)線の西側の小丘陵上に位置する。臨済宗妙心寺派。山号は万松山、本尊は行基作と伝える虚空蔵菩薩。元文六年(一七四一)に気賀(けが)関所(現細江町)に差出した御要害村寺院縁寿録(山本家文書)によると、天平五年(七三三)に行基が地蔵寺を開創、のち自浄(じじよう)院と改号した
渭伊神社(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。井伊谷(いいのや)の北西端に鎮座する。社域西側を神宮寺(じんぐうじ)川が半円を描いて流れ、杉・檜・楠の古木が社叢をなす。祭神は品陀和気命・息気長足姫命・玉依姫命。旧郷社。「延喜式」神名帳にみえる引佐郡六座のうちの「渭伊(イイノ)神社」に比定される。
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長谷寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良県桜井市初瀬にある寺。真言宗豊山派総本山。豊山神楽院長谷寺と号する。初瀬寺とも書かれ、豊山寺、長谷観音とも称する。本尊は十一面観音。西国三十三所第8番札所。686年(朱鳥1)弘福寺(川原寺)の道明上人が天武天皇の病気平癒祈願のため、法華説相図銅板(千仏多宝塔を鋳出)
橿原神宮(改訂新版・世界大百科事典)
奈良県橿原市に鎮座。神武天皇と皇后媛蹈鞴五十鈴媛命をまつる。社地は畝傍山の東南にあたり,神武天皇が宮居を営んだ橿原宮の跡という。当地はすでに元禄年間(1688-1704)に神武天皇の神廟を営もうとする動きがあったが,1888年橿原宮跡の考証ののち,民間より神社建設の請願があり
禅林寺(永観堂)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市左京区永観堂町にある。浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。一般に永観堂と呼ばれている。空海の高弟真紹が仁寿三年(八五三)藤原関雄の山荘を買い大日如来などの五像を安置し、貞観五年(八六三)定額寺に預かり、禅林寺の名を賜わった
談山神社(日本歴史地名大系・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
[現]桜井市大字多武峰 多武峯の御破裂山南腹に鎮座。藤原鎌足を祀る旧別格官幣社。鎌足の冠位にちなんで大織冠社・多武峯社ともいい、江戸時代までは多武峯寺と一体のものであった。多武峯寺の中核である妙楽寺と聖霊院の対立を防ぐために、延長四年
百万塔(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
奈良時代に作られた轆轤びき木製三重小塔で,塔身部に〈陀羅尼経〉を納めている。相輪部と塔身部に分かれ,それぞれ一木を用いて削り出す。大きさは個体によって異なるが,標準的なもので総高21.4cm,基底部径10.5cm,塔身部のみの高さは13.4cmある。塔身部の軸部上端を筒状にえぐり
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