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  11. 禅林寺(永観堂)
国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

国史大辞典
禅林寺
ぜんりんじ

(一)

京都市左京区永観堂町にある。浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。一般に永観堂と呼ばれている。空海の高弟真紹が仁寿三年(八五三)藤原関雄の山荘を買い大日如来などの五像を安置し、貞観五年(八六三)定額寺に預かり、禅林寺の名を賜わった。真紹は同十年十五条の「禅林寺式」を定めて宗叡に付属している。元慶元年(八七七)清和太上天皇の御願仏堂が寺中に建てられ、狭隘のため愛宕郡の公田四町が施入され、堂舎は次第に整ったようである。当初は真言密教の道場であったが、十一世紀末に永観が入って以来、浄土教の念仏道場となった。永保二年(一〇八二)永観が念仏行道した時、阿弥陀仏が壇上より降りてともに行道し、永観を左に顧みたと伝える「見返り阿弥陀」が現在の本尊で、永観堂と通称するようになる。こののち、浄土宗を開いた源空(法然房)に帰依した静遍や、証空の弟子法音らが住持して、浄土宗西山派(西谷流)の寺院となった。文永元年(一二六四)当寺の南に営まれた亀山天皇の離宮「禅林寺殿」が南禅寺に発展するに伴い、やや衰えたが、室町時代には「聖衆来迎院」を中心に観経曼陀羅の信仰を集めている。住持の宏善や甫叔らに対する皇室の崇敬も厚く、元亀三年(一五七二)門流僧侶の香衣出世の執奏を勅許され、西山派内の本山の地位を確立した。当寺はもともと洛東の景勝地で、桜や紅葉の名所として名高い。国宝の「山越阿弥陀図」・金銅蓮華文磬(けい)などを所蔵する。
[参考文献]
稲村修道編『禅林寺誌』、粟野秀穂「禅林寺」(『史蹟と古美術』九ノ二)
(中井 真孝)

(二)

⇒当麻寺(たいまでら)


日本大百科全書
禅林寺
ぜんりんじ

京都市左京区永観堂(えいかんどう)町にある浄土宗西山(せいざん)禅林寺派総本山。聖衆来迎山無量寿院(しょうじゅらいごうさんむりょうじゅいん)と号し、俗に永観堂とよばれる。空海の弟子真紹(しんじょう)によって855年(斉衡2)に創建され、863年(貞観5)禅林寺の勅額を賜った。以来、密教の正法を伝えたが、第7世として三論宗の永観(ようかん/えいかん)が住し、東南院を構えて浄土念仏を唱導するに及び念仏の道場となった。当寺にはこの永観にちなむ伝承が多く、念仏行道のとき弥陀(みだ)が先に立って後ろを振り返ったというので本尊を「見返り阿弥陀如来(あみだにょらい)」といい、また念仏三昧(ざんまい)に入ると光明赫然(かくぜん)として星のごとく聖衆が来迎したので、聖衆来迎を山号としたなどと伝える。また永観堂の称も永観の名に発する。その後、法然(ほうねん)(源空)に深く帰依(きえ)する静遍(じょうへん)が第12世として住し、西山派祖証空(しょうくう)がこれを継いで、当寺はまったく浄土宗に改宗され、寺門は大いに興隆した。源頼朝(よりとも)は静遍の高徳を慕い、当寺に帰依(きえ)して『大般若経(だいはんにゃきょう)』を転読させたので、この法会(ほうえ)が今日に伝わる。しかし応仁(おうにん)の乱などの戦乱もあってしばらくの間衰微したが、34世宏善(こうぜん)、37世果空(かくう)らの努力によって回復に向かい、豊臣(とよとみ)秀吉、徳川家康などの加護もあって漸次堂塔伽藍(がらん)も再興された。寺宝の絹本着色山越(やまごし)阿弥陀図(鎌倉時代)と金銅蓮花文磬(れんげもんけい)(平安後期)は国宝。そのほか浄土教系の美術遺品が多い。紅葉(もみじ)の名所として知られ、「いわがき楓(かえで)」は『古今集』にも詠み込まれている。
[森 章司]



改訂新版・世界大百科事典
禅林寺
ぜんりんじ

京都市左京区にある浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号を聖衆来迎山,院号を無量寿院といい,一般には永観堂の名で親しまれる。空海の弟子真紹は仁明天皇の厚遇に報いるため河内の観心寺に五仏を安置したが,辺地の縁に乏しいことを嘆き,855年(斉衡2)上表して藤原関雄の東山の山荘を買得し,一宇を建立して五仏を安置し,鎮護国家の道場としたのが初めである。2世の宗叡は真紹の甥で清和天皇に進講し,863年(貞観5)天皇は禅林寺の寺名を下して定額寺とし,877年(元慶1)には山城愛宕(おたぎ)郡の公田4町が施入された。ついで3世に平城天皇の皇子真如法親王,4世に宇多天皇の孫寛忠,5世に九条師輔の子深覚,6世に花山天皇の皇子深観が入寺し,真言宗の血脈にそいながら貴族の寺として栄えた。承暦年中(1077-81)に深観の弟子永観が入寺し,一角にある東南院に幽居して《往生拾因》などを著し,いわゆる念仏宗を唱え,往生講を勤修したので,禅林寺は真言浄土の寺となった。1082年(永保2)永観は念仏行道のとき,弥陀顧命(みかえり)の相を感得して,本尊としたと伝え,その教化はひろく僧俗に及んだので,禅林寺は中興と称される永観の名をとって,永観堂と呼ばれるようになった。そののち真言浄土の僧珍海が入寺し,また浄土宗の祖法然房源空の門下に入った真言僧の静遍が住持すると,源空を招請して開山としたので,禅林寺は浄土宗に転じることとなった。そのあとには源空の弟子で浄土宗西山の派祖証空が入寺し,ついで2代は藤原氏出身の園城寺の僧が続いたが,17世に西山派西谷流の祖浄音が住持して以来同派の寺となった。恵心僧都源信が描いたと伝える国宝の《山越阿弥陀図》や重要文化財の《当麻曼荼羅(たいままんだら)縁起》をはじめ,浄土教絵画を中心に多くの寺宝がある。平安時代末期からの念仏ゆかりの寺としての面影を残し,境内には禅林十二境がある。
[菊地 勇次郎]

[索引語]
真紹 宗叡 永観 法然
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検索コンテンツ
1. 禅林寺
日本大百科全書
京都市左京区永観堂(えいかんどう)町にある浄土宗西山(せいざん)禅林寺派総本山。聖衆来迎山無量寿院(しょうじゅらいごうさんむりょうじゅいん)と号し、俗に永観堂と ...
2. 禅林寺
世界大百科事典
勤修したので,禅林寺は真言浄土の寺となった。1082年(永保2)永観は念仏行道のとき,弥陀顧命(みかえり)の相を感得して,本尊としたと伝え,その教化はひろく僧俗 ...
3. ぜんりん‐じ【禅林寺】地図
デジタル大辞泉
京都市左京区にある浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。開創は斉衡2年(855)、開山は空海の弟子真紹。以来真言道場であったが、承暦年間(1077~10 ...
4. ぜんりん‐じ【禅林寺】
日本国語大辞典
浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。初めは真言宗。斉衡二年(八五五)空海の弟子真紹(しんじょう)が鎮護国家の道場として創建。貞観五年(八六三)勅願寺と ...
5. ぜんりんじ【禅林寺】画像
国史大辞典
安置し、貞観五年(八六三)定額寺に預かり、禅林寺の名を賜わった。真紹は同十年十五条の「禅林寺式」を定めて宗叡に付属している。元慶元年(八七七)清和太上天皇の御願 ...
6. ぜんりんじ【禅林寺】北海道:渡島支庁/上磯町/有川村
日本歴史地名大系
明治三年(一八七〇)焼失したが、同年中に一三世住職竹田円旭が現在地に移転・再建、同一三年寺号を公称して禅林寺と称した(寺院沿革誌)。大正一四年(一九二五)清川村 ...
7. ぜんりんじ【禅林寺】北海道:十勝支庁/広尾町/茂寄村
日本歴史地名大系
茂寄村に説教所が開かれたのが始まり。同二二年函館高龍寺一八世国下海雲を開山に迎え、同二三年四月龍雲山禅林寺として寺号公称を認可された(寺院沿革誌)。十勝国最古の ...
8. ぜんりんじ【禅林寺】東京都:羽村市/羽村地図
日本歴史地名大系
大正一一年(一九二二)漏電により本堂が焼失、その原因究明のため村民決起大会が境内で開催された。いわゆる禅林寺漏電事件である。本尊の十一面観音立像は木造、漆箔で、 ...
9. ぜんりんじ【禅林寺】福井県:福井市/旧足羽郡地区/徳尾村
日本歴史地名大系
[現]福井市徳尾町 徳尾の南東部山麓にある。円通山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。開山の普済善救(応永一三年没)は総持寺派の府中龍泉寺(現福井県武生市)の開山通幻 ...
10. ぜんりんじ【禅林寺】和歌山県:海南市/幡川村
日本歴史地名大系
之 願主宗心」とあり、平安時代最末期に禅林寺があったらしいことが知られる。建武元年(一三三四)一〇月八日の沙弥覚心重書等紛失状案(「続風土記」所収禅林寺文書)に ...
11. ぜんりんじ【禅林寺】長崎県:長崎市/長崎町/寺町
日本歴史地名大系
[現]長崎市寺町 三宝寺・深崇寺の北にある。河東山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は如意輪観音。寛永年間(一六二四―四四)長崎を訪れた祖芳が長崎奉行の馬場三郎左衛門 ...
12. 禅林寺
デジタル大辞泉プラス
北海道広尾郡広尾町にある寺院。1883年創建。曹洞宗。円空作の観音像がある。 2015年04月 ...
13. 禅林寺
デジタル大辞泉プラス
東京都三鷹市にある寺院。創建不明。黄檗宗。本尊は釈迦牟尼仏。作家、太宰治の墓がある。 2015年05月 ...
14. 禪林寺(ぜんりんじ)[京都南禪寺]
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 658ページ ...
15. 禪林寺(ぜんりんじ)[京都永觀堂]【篇】
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 677ページ ...
16. 禪林寺(ぜんりんじ)[大和]
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 1303ページ ...
17. ぜんりんじあと【禅林寺跡】青森県:北津軽郡/市浦村/相打村
日本歴史地名大系
つという。そのほかに禅林寺跡から発見されたという延文年間(一三五六―六一)の板碑が五基ある。「十三往来」に「禅林寺過現未堂三千仏、光明赫々面霊山浄土共覚」とあり ...
18. ぜんりんじ‐どの【禅林寺殿】
デジタル大辞泉
文永元年(1264)亀山天皇が母大宮院のために京都東山に建てた離宮。のち、南禅寺と改称された。  ...
19. ぜんりんじ‐どの【禅林寺殿】
日本国語大辞典
亀山天皇が東山に建てた離宮の称。→禅林寺離宮 ...
20. ぜんりんじ‐りきゅう【禅林寺離宮】
日本国語大辞典
文永元年(一二六四)亀山天皇が東山に建てた離宮。禅林寺殿と称した。その後正応四年(一二九一)無関普門を開山として寺に改め禅林寺とした。正安年間(一二九九〜一三〇 ...
21. ぜんりんじのそうじょう【禅林寺僧正】
国史大辞典
⇒宗叡(しゅえい)  ...
22. ぜんりんじのそうず【禅林寺僧都】
国史大辞典
⇒真紹(しんじょう)  ...
23. せいざん‐ぜんりんじは【西山禅林寺派】
日本国語大辞典
〔名〕浄土宗西山派の一つ。もとの西山派が大正八年(一九一九)分派したうちの一つ。京都の禅林寺を総本山とする。浄土宗西山禅林寺派。セ ...
24. あいうちむら【相打村】青森県:北津軽郡/市浦村
日本歴史地名大系
れる唐川城がある。福島城拠城と同じ頃の作と伝えられる「十三往来」によれば、現在の相内の地域に禅林寺・龍興寺・阿吽寺のほか十三千坊とよばれるほどの寺社が多数あった ...
25. あいおいし【相生市】兵庫県
日本歴史地名大系
(例名の公文)など鎌倉御家人でもあった武家勢力が伸張した。矢野庄別名は永仁七年(一二九九)に禅林寺(現京都南禅寺)に寄進され、下地中分を経た例名は正和二年(一三 ...
26. あいさかむら【逢坂村】山口県:厚狭郡/楠町
日本歴史地名大系
たが、「銘々焚料に相成候迄ニて売払は不仕候」という。村域内に曹洞宗の祝融山瑞松庵、浄土宗西山禅林寺派の加祐山来迎寺や逢坂観音堂がある。「注進案」は、そのほか浄土 ...
27. あかさかまち【赤坂町】福井県:福井市/福井城下
日本歴史地名大系
北陸街道沿いの町で、南は花堂村の枝村に続く。年貢を納める地方町。町の西側山麓に東雲寺(浄土宗西山禅林寺派)がある。寛文一二年(一六七二)安養寺泰存の弟子泰佐が足 ...
28. あがたほ【英田保】石川県:河北郡
日本歴史地名大系
已下目録」早稲田大学所蔵文書)。通幻寂霊の弟子で安宅(現小松市)聖興寺などに住し、のち越前に禅林寺(現福井市)を開いた普済善救は、貞和三年(一三四七)英田に生れ ...
29. あさだむら【朝田村】山口県:山口市
日本歴史地名大系
が、寛永三年(一六二六)の熊野帳で記され、以後朝田村の枝郷とされた。現在大字朝田の地には西山禅林寺派最明寺があるが、これは「地下上申」には「黒川村有之」とあり、 ...
30. あたか【安宅】石川県:小松市/旧能美郡地区/安宅町
日本歴史地名大系
普済はその後能登総持寺、越前竜泉寺(現福井県武生市)・能登永光寺(現羽咋市)の住持を勤め、また越前に禅林寺(現福井市)などを創建しつつも、応永一五年(一四〇八) ...
31. あぼのちょう【阿保町】京都市:東山区/東福寺門前地図
日本歴史地名大系
浄土宗也」とみえる奥の堂は、「京都府地誌」に「元禄四年辛未二月創造。僧円長ヲ開礎トス」と記す。浄土宗西山派禅林寺の末寺で、本尊に阿弥陀如来を安置、宝暦年間成立の ...
32. 阿弥陀
世界大百科事典
が山の背後から巨大な上半身を現す《山越阿弥陀図》,後方を振り返る姿の《見返り阿弥陀像》(京都禅林寺)などが造られた。鎌倉時代以降は,当麻寺の《当麻曼荼羅》や長野 ...
33. あみだ【阿弥陀】
日本架空伝承人名事典
説法印の阿弥陀如来が山の背後から巨大な上半身を現す『山越阿弥陀図』、後方を振り返る姿の『見返り阿弥陀像』(京都禅林寺)などが造られた。鎌倉時代以降は、当麻寺の『 ...
34. あみだこう【阿弥陀講】
国史大辞典
行われ、また浄土教の発達に伴って、念仏を勧める聖などの法会には、庶民も加わるようになったが、禅林寺の永観(ようかん)はこの風潮を受けて、承暦三年(一〇七九)にみ ...
35. あらいむら【荒井村】兵庫県:高砂市
日本歴史地名大系
)に問屋六軒と篠巻取締として小南茂三郎・小南久左衛門の名がみえる。鎮守は荒井神社。浄土宗西山禅林寺派の利生寺・観音寺、浄土真宗本願寺派明覚寺がある。建長七年(一 ...
36. あらたかまち【荒高町】山口県:山口市/山口町
日本歴史地名大系
いうが不詳。山口古図は荒高・田町の西に上讃井・下讃井を記す。街道北側にある長寿寺は浄土宗西山禅林寺派の寺院。霊瑞山と号し、本尊阿弥陀仏を祀る。「注進案」は「防長 ...
37. あわがむら【粟賀村】兵庫県:神崎郡/神崎町
日本歴史地名大系
人が罰金刑に処せられている(「神西・神東両郡暴動者罪案処刑」府県史料)。大歳神社、浄土宗西山禅林寺派生蓮寺がある。同寺は文禄四年(一五九五)観空智伝の開山と伝え ...
38. あんかもんいんりょう【安嘉門院領】画像
国史大辞典
書』ウ)「後高倉院庁下文抄写」(同ヘ)として伝存する。ただし、そのうち金剛勝院領・弘誓院領・禅林寺領・今熊野社領などは伝領しなかった。元仁元年(一二二四)五月、 ...
39. あん‐けい【暗渓】
日本国語大辞典
〔名〕暗い谷間。また、暗い谷間の川。*本朝無題詩〔1162〜64頃〕九・夏日禅林寺即事〈藤原忠道〉「暗渓鶏報幽深暁、夏寺人稀寂寞中」 ...
40. あんしゅむら【安朱村】京都市:山科区地図
日本歴史地名大系
戸数七二戸(山城丹波四郡石高戸数表)。村には、毘沙門堂のほか安貞元年(一二二七)創立という浄土宗西山禅林寺派来迎寺(現安朱屋敷町)、日蓮宗大立寺(現安朱東海道町 ...
41. あんようじ【安養寺】京都市:中京区/立誠学区/東側町地図
日本歴史地名大系
[現]中京区東側町 蛸薬師通の南、新京極通東側に位置する。八葉山と号し、浄土宗西山禅林寺派。本尊阿弥陀如来。本尊の蓮台が逆さまになっているところから、俗に倒蓮華 ...
42. 安楽庵策伝
世界大百科事典
美濃の人。飛驒高山城主金森長近の弟。幼少時代に美濃山県の浄音寺で出家して浄土宗の僧となり,京都東山禅林寺(永観堂)で修行。長じて山陽・近畿地区で布教活動に従事し ...
43. あんらくあん-さくでん【安楽庵策伝】
日本人名大辞典
1554−1642 織豊-江戸時代前期の僧。天文(てんぶん)23年生まれ。浄土宗。京都禅林寺で智空に師事,慶長18年京都誓願寺55世。板倉重宗のすすめで笑話集「 ...
44. あんらくあんさくでん【安楽庵策伝】
日本架空伝承人名事典
飛騨高山城主金森長近の弟。幼少時代に美濃山県の浄音寺で出家して浄土宗西山派の僧となり、京都東山禅林寺(永観堂)で修行。長じて山陽・近畿地区で布教活動に従事して七 ...
45. あんらくじ【安楽寺】京都市:左京区/鹿ヶ谷村地図
日本歴史地名大系
[現]左京区鹿ヶ谷御所ノ段町 霊鑑寺の北に位置する。住蓮山と号し、浄土宗西山禅林寺派に属したが、現在は単立寺院。前身は現地より東の山中へ二〇〇メートルばかり入っ ...
46. いいぬまむら【飯沼村】岐阜県:中津川市
日本歴史地名大系
形、文政五年(一八二二)から歌舞伎狂言(笹踊)となり、同一〇年から花火にもどる。曹洞宗瑞雲山禅林寺は寛永一一年(一六三四)の開基という。神明神社境内には子安観音 ...
47. いおうじ【医王寺】愛知県:西加茂郡/三好町/三好村
日本歴史地名大系
[現]三好町三好 上 瑠璃光山と号し、浄土宗西山禅林寺派。長和元年(一〇一二)沢雲仁清によって開山された。本尊は阿弥陀如来。「三好町誌」によれば、文和四年(一三 ...
48. いくたますじなかてらまち【生玉筋中寺町】大阪府:大阪市/南区地図
日本歴史地名大系
一八があったが、現在、浄土宗大雲寺、臨済宗妙心寺派の法雲寺・江国寺、曹洞宗の大倫寺・顕孝庵・禅林寺、日蓮宗の妙徳寺・薬王寺・本要寺・妙寿寺・宝泉寺・雲雷寺・円妙 ...
49. いけのしりむら【池之尻村】滋賀県:愛知郡/愛東町
日本歴史地名大系
天保下寺帳によれば大永四年(一五二四)の草創で、開基了信、享保元年(一七一六)木仏・寺号を許された。浄土宗西山禅林寺派地蔵院がある。 ...
50. いさむら【伊佐村】山口県:美祢市
日本歴史地名大系
あることが判明し、逼塞を命じられた(毛利十一代史)。村域内に広籏八幡宮(旧郷社)、浄土宗西山禅林寺派就年寺(南原寺の六坊のうち医王寺の古跡という)、浄土真宗本願 ...
「禅林寺(永観堂)」の情報だけではなく、「禅林寺(永観堂)」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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興福寺(国史大辞典)
奈良市登大路町にある法相宗大本山。南都七大寺の一つ。寺伝では「こうぶくじ」という。縁起によると、天智天皇八年(六六九)藤原鎌足の死去に際し、妻の鏡女王が鎌足の念持仏の釈迦丈六像などを祀る伽藍をその山階(山科)邸に設けたのに始まり(山階寺)、その子不比等によって藤原京の厩坂に移遷(厩坂寺)
東大寺(国史大辞典)
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法隆寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
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龍潭寺(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。県道引佐―舘山寺(かんざんじ)線の西側の小丘陵上に位置する。臨済宗妙心寺派。山号は万松山、本尊は行基作と伝える虚空蔵菩薩。元文六年(一七四一)に気賀(けが)関所(現細江町)に差出した御要害村寺院縁寿録(山本家文書)によると、天平五年(七三三)に行基が地蔵寺を開創、のち自浄(じじよう)院と改号した
渭伊神社(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。井伊谷(いいのや)の北西端に鎮座する。社域西側を神宮寺(じんぐうじ)川が半円を描いて流れ、杉・檜・楠の古木が社叢をなす。祭神は品陀和気命・息気長足姫命・玉依姫命。旧郷社。「延喜式」神名帳にみえる引佐郡六座のうちの「渭伊(イイノ)神社」に比定される。
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長谷寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良県桜井市初瀬にある寺。真言宗豊山派総本山。豊山神楽院長谷寺と号する。初瀬寺とも書かれ、豊山寺、長谷観音とも称する。本尊は十一面観音。西国三十三所第8番札所。686年(朱鳥1)弘福寺(川原寺)の道明上人が天武天皇の病気平癒祈願のため、法華説相図銅板(千仏多宝塔を鋳出)
橿原神宮(改訂新版・世界大百科事典)
奈良県橿原市に鎮座。神武天皇と皇后媛蹈鞴五十鈴媛命をまつる。社地は畝傍山の東南にあたり,神武天皇が宮居を営んだ橿原宮の跡という。当地はすでに元禄年間(1688-1704)に神武天皇の神廟を営もうとする動きがあったが,1888年橿原宮跡の考証ののち,民間より神社建設の請願があり
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[現]桜井市大字多武峰 多武峯の御破裂山南腹に鎮座。藤原鎌足を祀る旧別格官幣社。鎌足の冠位にちなんで大織冠社・多武峯社ともいい、江戸時代までは多武峯寺と一体のものであった。多武峯寺の中核である妙楽寺と聖霊院の対立を防ぐために、延長四年
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奈良時代に作られた轆轤びき木製三重小塔で,塔身部に〈陀羅尼経〉を納めている。相輪部と塔身部に分かれ,それぞれ一木を用いて削り出す。大きさは個体によって異なるが,標準的なもので総高21.4cm,基底部径10.5cm,塔身部のみの高さは13.4cmある。塔身部の軸部上端を筒状にえぐり
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