青森県青森市、JR青森駅の南西3キロメートル、小高い台地上の縄文時代集落遺跡。北西に陸奥(むつ)湾、南には八甲田山が望める。1992年(平成4)、県営野球場建設に先だつ発掘調査で遺跡の重要性が判明、保存が決定した。遺跡はその範囲35ヘクタールという大規模なもの。集落の各施設−住居・墓・倉・残滓(ざんし)廃棄場が定められた地に、長期間整然と用益されている実態が明瞭となった。発掘資料から推察すると、集落の存続期間は縄文時代前期の末から中期末まで1500年間にも及ぶ、まれにみる長期間にわたることが判明、加えて発見された土器などの量はリンゴ用段ボール箱で約4万箱、既調査地面積は5ヘクタール、全掘すれば約25万箱と予測される膨大な量。しかも、質高く・多種多様・話題にこと欠かぬ豊富さ。遺跡規模・遺跡存続期間・遺跡包蔵物量ともに他の諸遺跡を圧倒・凌駕する大遺跡であると評価されるに至った。三内丸山遺跡のもつ個々の情報−計画的な集落設計、道路と墓列、大規模な造成、埋葬と墓地、祭祀や供養、栗栽培、巨大木柱、朱漆やアスファルトなどが刻々と報道され、「縄文都市」という冠辞が三内丸山遺跡に与えられるに至った。現在、本遺跡をめぐっては考古学、文化人類学をはじめ諸学の援助をうけ生態系、環境系、食料栽培など広汎(こうはん)な分析が進捗しており、まさに「縄文学最前線」の観がある。三内丸山遺跡を熟視することで「都市」の概念を与えることの可否・長期間の連続性・膨大とされる遺物量の解釈がいっそう深められ、はじめて本遺跡の価値は定着するであろう。1997年国の史跡に、2000年特別史跡に指定。
[水野正好]
青森市の中央部を流れて青森湾に注ぐ沖館川の右岸台地上に営まれた,縄文時代前期中ごろから中期末までを中心とした大規模な集落跡。1992年から県運動公園の整備に伴う大規模な事前発掘が実施され,94年7月になって重要性が認識され,遺跡の保存が決定した。2000年に特別史跡に指定された。
東北北部から北海道南部に発達した縄文時代前・中期の文化の内容と変遷を良好に示す。大規模な土木工事を伴う集落の造成,大型の掘立柱建物,計画的に配置された集落構成,クリの栽培など植物利用が主体の安定した経済と長期にわたる定住,木製・骨角器を含めた道具の全体像,遠隔地との交流の実態など,近年急速に解明の進んでいた縄文文化の実像を大規模な発掘によって総合的かつ具体的に示した。
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