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  11. 縄文土器
日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典

日本国語大辞典
じょうもん‐どき【縄文土器】

解説・用例

〔名〕

縄文文化の土器の総称。縄や蓆(むしろ)でつけたような文様があるので、はじめ縄蓆文(じょうせきもん)土器とも称されたが、昭和初期にこの名称に統一された。明治一〇年(一八七七)、大森貝塚を発掘したE=S=モースが、その土器をCord marked pottery と呼んだのが起源。焼成温度が低いため、黒褐色や赤褐色を呈する。最古のものは紀元前一万年を超えるといわれ、前三世紀に彌生土器が生まれたことにより急速に消滅した。

発音

ジョーモンドキ

〓[ド]〓[ド]




改訂新版・世界大百科事典
縄文土器
じょうもんどき

縄文時代に行われた土器の総称。その名はE.S.モースが1877年に発掘した大森貝塚発見の縄目文様をもつ土器をcord marked potteryと説明したことに由来する。縄文式土器,縄紋土器と同義であるが,貝塚土器,アイノ式土器,石器時代土器などとよばれたこともあった。日本列島のほぼ全域に分布するが,一時的に北は南千島,南は沖縄本島に達している。地方ごと,時期ごとに形態や文様をはじめ,製作法などの流儀作法全般にわたる独特な特色を示す様式があり,縄文時代全体を通じて約70様式の消長が知られている。継続期間の長い長命型,短期で終わる短命型,また広範に分布する広域型,狭い範囲に限定される局地型など多様である。土器様式の時期的な変化を新旧の順序に編成した縄文土器編年は草創期,早期,前期,中期,後期,晩期の6期に区分されるが,草創期を早期に含めた5期区分も一部に行われている。各時期はさらに10段階前後の様式上の変遷に細分され,縄文時代のすべての文物に相対的な時間的先後関係を与える基準とされている。

縄文土器の変遷

草創期では方形平底および円形丸底深鉢の2形式(器形)がある。前者は樹皮籠あるいは編籠,後者は皮袋など旧石器時代以来の既製容器の形態を反映するものではないかとも推定されており,さらに既製容器における縁のかがり孔や紐のイメージを写したと想像される文様が認められる。土器の内外面には,煤あるいは煮こぼれやこげつきなどが付着しており,食物の煮炊き用であったことがわかる。早期には円形の尖底,丸底深鉢の単純な形態となり,縄文,撚糸(よりいと)文,押型文,貝殻文など独特な文様を発達させる。前期に入ると中部・関東地方に貯蔵用の壺や盛りつけ用の鉢などが煮炊き用以外として初めて製作されるようになり,一部近畿地方に波及する。さらに中期には大型の鉢のほか,有孔鍔付土器,釣手土器,双口土器,器台など特殊な形式が増加し,後期以降に注口土器や香炉形土器などを加えて晩期に続く。しかし,西日本および東北北部,北海道では概して土器の種類が未発達で,鉢や浅鉢その他が普及するのは後期以降である。

文様

縄文と一括して呼ばれるものの,縄目文様がすべてに施文されているわけではない。縄文は概して東日本で各時期に多用されるが,西日本では低調であり,とくに後期以降は沈線文や凸帯文のほか無文の傾向を強めてゆく。縄文土器の文様は,その多種多様さにおいて世界の先史時代土器のなかでもきわめて特徴的である。とくに縄文や撚糸文や押型文などの独特な施文具を創造していること,および貝殻文や竹管文など自然界にある独特な形態を施文具に応用している点は重要である。また,篦(へら)状施文具を用いる場合も,沈線や彫刻的な文様施文が行われていて,刷毛や筆様の施文具による彩色手法は低調で,主流とはならなかった。なお,草創期以来,土器を飾る目的で施された装飾性文様が発達するが,やがて特定の観念(思想)あるいは物語的な内容を表現する物語性文様が出現し,とくに中期に隆盛をみる。後期以降は再び装飾的文様化の傾向が強くなる。また自然物の写生や人物などの絵画は一部の例外を除いて描かれることはなかった。

製作法

材料としての粘土に混和剤として細かい砂粒を加えて粘性を調節するが,様式によって混和剤の選択にも特色がある。関東地方中期の阿玉台(おたまだい)式土器様式は雲母を大量に含み,器面がきらきら輝くほどである。九州前期の曾畑(そばた)式土器および中期の阿高式土器様式では滑石を含んで土器全体がにぶい光沢を放ち,ぬめりを帯びた手触りがある。飛驒地方早期の押型文系土器様式では黒鉛を混入する。早期末から前期には,植物性繊維を混入したいわゆる繊維土器が全国的に行われている。また草創期の隆線文系土器様式には,動物性の毛髪とみられる混入がある。混和剤によっては,仕上がりの外見上の効果をももくろむ場合や製作の流儀やタブーに関係する場合などもあったのであろう。成形にはろくろは使用されていない。巻上げ法,手づくね法その他があるが,底部から一段ずつ粘土帯を積み上げてゆく方法が一般的であった。大型あるいは屈曲の強い土器においては,粘土の荷重で形が崩れないように,適当に乾燥させながら粘土帯を重ねてゆくが,次の粘土帯と十分に接着させるために刻み目を入れたり,爪楊枝状の細い棒を立て並べたいわゆる鉄筋コンクリートの手法などがある。焼成には土器焼窯など特別な施設はなく,野天で焼かれ,約700~900℃程度の焼成温度と推定されている。

起源・終焉

縄文土器の製作技術の由来は不明であるが,炭素14法による測定値の前1万年は,世界最古の土器年代を示す。測定方法の仮定や誤差の問題もあり,ただちに縄文土器を最古と断定することはできないが,少なくとも世界史上もっとも早く出現する土器の一つとみなされる。縄文土器は,弥生文化の普及とともに,まず西北九州で弥生土器と交替しながらしだいに近畿・東海地方で姿を消してゆくが,東日本とくに北海道では縄文土器の伝統を継承する土器様式の製作が長く続いた。
[小林 達雄]

[索引語]
縄文式土器 縄紋土器 貝塚土器 アイノ式土器 阿玉台(おたまだい)式土器 曾畑(そばた)式土器 阿高式土器 繊維土器
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