1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 歴史文化
  8. >
  9. 時代
  10. >
  11. 元禄文化
日本大百科全書(ニッポニカ)

元禄文化
げんろくぶんか

元禄(1688~1704)前後の上方(かみがた)中心の町人文化。広義には、17世紀後半から18世紀前半の長い時代文化を含むので、町人文化だけにはとどまらない。しかし幕藩制社会の確立の時代にあたるため、小市民社会の形成と封建的武家支配との間に緊張関係があって、封建的な武家文化との対抗のなかで、古典的な貴族文化からの雅(みやび)の吸収と、小市民社会の俗(ぞく)を主張しているのが特色である。
[高尾一彦]

華麗な貴族的雅の拡大

上方は王朝貴族の本拠であるから、民衆がその文化を学ぶ力量を備えるようになると、貴族的雅は民衆の文化的創造の重要な契機となってくる。このことがもっとも端的に現れるのは美術工芸の世界である。その作品はまず公家(くげ)、武家、豪商の奢侈(しゃし)的需要にこたえるもので、貴族的雅を内包した表現が必要だったからである。この方面では本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の書画、茶碗(ちゃわん)や『舟橋蒔絵硯箱(ふなばしまきえすずりばこ)』、俵屋宗達(たわらやそうたつ)の『風神雷神図屏風(びょうぶ)』など、後水尾(ごみずのお)天皇や烏丸光広(からすまみつひろ)などの貴族的サロン文化に通じる雅の創造がすでに存在した。この伝統の下に元禄の美術工芸を代表するのは尾形光琳(おがたこうりん)で、その作品『八橋蒔絵螺鈿硯箱(やつはしまきえらでんすずりばこ)』や『紅白梅図屏風』などの華麗な装飾が有名である。光琳の弟乾山(けんざん)は野々村仁清(にんせい)に陶芸を学んだが、仁清が『色絵藤花文茶壺(いろえとうかもんちゃつぼ)』など高雅優美な作品をもつのに対し、乾山は『色絵梅花文茶碗』などの素朴な雅趣に満ちた作品が多い。これは雅の元禄的バリエーションである。また京の西陣(にしじん)織のような高級絹織物も、宮崎友禅斎(ゆうぜんさい)の染色技術の開発や新作デザインでいっそう華麗なものとなった。なお建築の分野でも、八条宮家の桂(かつら)離宮や後水尾院の修学院(しゅがくいん)離宮がすでに完成したので、民間の遊里島原(しまばら)(京都市下京区)ではその内装だけ宮殿に近いぜいたくな角屋(すみや)の建築が延宝(えんぽう)(1673~81)ころから始まっている。島原も初めは公家や諸大名の遊び場所であったからであろう。
[高尾一彦]

小市民的情緒の視聴覚化

これらの文化財は、公家、武家、豪商ら上流階級のものではあったが、上方の民衆の制作にかかり、つねに民衆の目に触れるものであった。しかし、民衆はそれら自体を所有することはまれで、その象徴の所有のみで満足しなければならなかった。すなわち墨一色のイラスト(挿絵)によってである。元禄前後の出版事業の盛行に伴いイラスト入りの書物の板行によって可能となった。たとえば『人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)』(1690)は図解社会百科で身分や職業の物知り辞典だが、同時に日常生活から文化全般に展望がきく。また『女用訓蒙図彙』(1687)は婦人啓蒙用図解百科で、そのような出版自身が元禄文化の大事な意味を知らせるが、そこに図解された日用調度品はまさに華麗な美術工芸品の象徴とみることができる。また種々の友禅染の図案や、さらに日本髪の各種のイラストは上方の民衆の生活文化として注目される。それらはまさに小市民的情緒の具体化でもあった。そこには雅と俗の小市民的統一がある。そこでイラストとして注目されるのは浮世絵である。これは俗の俗たるものと考えがちだが、都市風俗とくに女性風俗を描いて秀逸で、そのうち墨一色の版画にしたものは量産が可能なため広く民衆に親しまれた。江戸の菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の『岩木絵(いわきえ)つくし』『和国百女』などの絵本は、その優れた例であろう。また鳥居清信(とりいきよのぶ)は独自な一枚物の役者絵版画を発表して鳥居派の画風を開いた。やや遅れて出た京都の西川祐信(すけのぶ)は墨一色ながら『百人女郎品定(ひゃくにんじょろうしなさだめ)』のような優雅な絵本を残した。なお園芸やいけ花の盛行も市民的情緒の視覚化とすることができる。『抛入花伝書(なげいればなでんしょ)』(1684)の刊行は立花(りっか)のような制約のない「投入れ」が茶の湯とともに市民の日常生活のなかに定着したことを示している。また『錦繍枕(きんしゅうまくら)』や『花壇地錦抄(かだんちきんしょう)』(1695)は江戸市民の園芸趣味を伝えている。
 聴覚では、わが国最初の音楽入門書『糸竹初心集(しちくしょしんしゅう)』(1664)がある。これは一節切(ひとよぎり)(尺八(しゃくはち)の一種)、筑紫箏(つくしごと)、三味線の手引であるが、それらの楽器の普及と音曲の分野の拡大がわかる。その練習曲のなかに『吉野の山』のような流行歌や、後の箏(そう)の名曲『六段』『乱(みだれ)』の原曲が記載されている(『六段』の完成は宝暦(ほうれき)ころ、『乱』が確認できるのは安永(あんえい)ころになる)。なお、当時すでに日本独自のさまざまな音階を理論づけた中根元圭(げんけい)『律原発揮(りつげんはっき)』(1692)も忘れられない。視聴覚化の総合芸術はいうまでもなく人形浄瑠璃(じょうるり)であるが、人形の演出では辰松(たつまつ)八郎五郎や吉田文三郎らがあり、義太夫節(ぎだゆうぶし)という独特な曲調を創始した竹本義太夫がいる。また歌舞伎(かぶき)も同じ総合芸術になるが、ここでは俳優、とくに上方の坂田藤十郎や女形の水木辰之助、芳沢(よしざわ)あやめ、江戸の荒事(あらごと)を得意とした市川団十郎を忘れてはなるまい。なお団十郎の荒事芸は、東日本の御霊(ごりょう)信仰の普及に支えられていたという。
[高尾一彦]

町人文学の雅と俗

さて市民的美的情緒の内容を文字で明確化できるのは、やはり町人文学である。ここでは貴族的雅と小市民的俗が巧みにあわされて、比較的品のある町人の喜怒哀楽が結晶する。文学の伝統的分野として俳諧(はいかい)があり、京の松永貞徳(ていとく)のそれを継いだ大坂の西山宗因(そういん)は軽妙な俗を短詩にまとめ、それはさらに井原西鶴(さいかく)や松尾芭蕉(ばしょう)に引き継がれた。ただし西鶴と芭蕉ではまったく正反対の展開を遂げる。芭蕉は「高く心を語りて俗に帰るべし」という不易流行(ふえきりゅうこう)の雅俗の統一を理想とし、風雅の作詩に励んで『猿蓑(さるみの)』『奥の細道』などの作品を残した。西鶴は矢数(やかず)俳諧の作詩バイタリティーを浮世草子(うきよぞうし)の短編小説の展開に注ぎ、『好色一代男』『世間胸算用(せけんむねさんよう)』などの作品にまとめた。『一代男』などは俗の俗たるものとみせながら、実は古典のパロディーであり転合書(てんごうがき)(戯(ざ)れ書)であって、そこに粋(いき)という雅俗の新しい結晶を生み出した。粋は男女双方の誠の心に支えられた美的情緒で、民衆的人間的なものである。そこには武家社会の支配倫理に対抗しうる町人倫理の主張がある。その町人倫理を義理と人情という形で劇的な極限状況で表現したのが、近松門左衛門の人形浄瑠璃『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』であった。
[高尾一彦]

小市民的経験知の成果

都市と農村の社会的分業が貨幣商品経済で結ばれるとき、そこに成立する京、大坂、江戸三都の小市民社会の成立は、多様な経験に基づく民衆の知性を高める。したがって民衆は自己教育や自己鍛練の必要を痛感し、まずは読み・書き・そろばんの寺子屋の発達を促す。また芸能の謡曲も、上方民衆の声楽の楽しみとして普及したほか、啓蒙(けいもう)的、報道的、実用的内容を盛った新作謡曲が広く行われた。そうした一般的傾向のうえに学問や思想が発達する。新井白石(あらいはくせき)は朱子学者で政治家だが、『読史余論(とくしよろん)』『西洋紀聞(きぶん)』では市民的知性と同質のものが認められる。伊藤仁斎(じんさい)は朱子学を批判して『論語(ろんご)』『孟子(もうし)』の原典に帰る古学を唱えたが、市井の学者として市民生活の人情や信頼や寛容を重んじるまさに小市民的経験的知性を『童子問(どうじもん)』などで示した。荻生徂徠(おぎゅうそらい)は政治から道徳を切り離す新しい知見を『弁道』『政談』で発表した。その弟子太宰春台(だざいしゅんだい)は支配道徳より経済を重んじる学説を『経済録』で説いた。さらに後の安藤昌益(しょうえき)は『自然真営道(しぜんしんえいどう)』を書いて封建的支配を徹底的に批判し、生産者中心の理想社会を素朴空想的に描いた。文学では契沖(けいちゅう)が『万葉代匠記(だいしょうき)』で文献学的研究を進め国学の先駆となった。数学では関孝和(たかかず)が「発微算法(はつびさんぽう)」を創始し微積分に及んでいる。天文暦学では安井算哲(さんてつ)(渋川春海(しぶかわはるみ))が日本人で初めて貞享暦(じょうきょうれき)を編成し、医学では名古屋玄医(なごやげんい)が臨床実験を尊重して古医方の先駆となった。このほか、貝原益軒(えきけん)の『大和本草(やまとほんぞう)』は博物学、宮崎安貞(やすさだ)の『農業全書』は農学の一定レベルを示す。蘭学(らんがく)の先駆は青木昆陽(こんよう)である。なお町人の独創的学問として石田梅岩(ばいがん)の心学(しんがく)が商業倫理に貢献した。また市民的経験知に直接関係はないが、為政者側の修史事業として、幕府の『本朝通鑑(ほんちょうつがん)』(1670)、水戸藩の『大日本史(本紀列伝)』(1720)がある。
[高尾一彦]

ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額550万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のオンライン辞書・事典サービスです。
ジャパンナレッジについて詳しく見る
元禄文化の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 30
検索コンテンツ
1. 元禄文化画像
日本大百科全書
般に展望がきく。また『女用訓蒙図彙』(1687)は婦人啓蒙用図解百科で、そのような出版自身が元禄文化の大事な意味を知らせるが、そこに図解された日用調度品はまさに ...
2. げんろくぶんか【元禄文化】 : 近世
国史大辞典
元禄文化〕 十七世紀後半から十八世紀初期には、江戸が人口約一〇〇万、京都・大坂が約三〇万の大都市となり、各地の城下町も繁栄して、金持町人が多数出現、この人た ...
3. げんろくぶんか【元禄文化】
国史大辞典
小市民的な民衆の文化創造を刺激して、五代将軍徳川綱吉の在職した元禄前後の民衆文化が生まれ、いわゆる元禄文化の中心となった。それは幕藩封建制下のなお未熟な小市民的 ...
4. えど【江戸】画像
国史大辞典
やがて天保の株仲間解散を迎えざるを得なかった。江戸経済の上方依存度の稀薄化は文化面にも影響を与え、いわゆる元禄文化においては、江戸の独自性は弱かったが、化政文化 ...
5. 江戸時代画像
日本大百科全書
江戸時代の都市民・農民の文化は、17世紀後半から18世紀初めにかけて、最初の高揚期を迎えた(元禄文化)。これらの被支配両社会の文化の高揚は、幕藩制国家の身分制的 ...
6. 江戸時代
世界大百科事典
この矛盾から発しているのである。→幕藩体制 文化 江戸時代の文化は,桃山文化に接続する初期,元禄文化を中心とする中期,化政文化(文化文政時代)に代表される後期, ...
7. 荻生徂徠
世界大百科事典
ど,ラディカルなしかし復古的な改革をもってこたえんとしたことはこの点と無縁でない。他面徂徠は元禄文化の風潮をもうけて〈君子〉のたしなみとして風雅文采を重視した。 ...
8. おたまや【御霊屋】熊本県:熊本市/熊本城下/高麗門外/妙解寺跡
日本歴史地名大系
綱利は寛永二〇年誕生、幼名六丸と称し、父光尚の若死のため慶安三年家督相続。藩財政の危機中であったが、元禄文化の風潮をうけ文芸にも理解を示した。相撲を好み、吉田司 ...
9. 上方語
世界大百科事典
の混同が顕著になり,また動詞などの二段活用の一段化,敬語法の多様化などがあげられる。語彙も,元禄文化を担った町人層の生活から生まれた新しいことばが急増し,遊里語 ...
10. 上方文化
日本大百科全書
元禄文化 ...
11. かんえいぶんか【寛永文化】
国史大辞典
後水尾・明正天皇の寛永年間(一六二四―四四)を中心とした近世初頭の文化をさし、桃山文化の残映と元禄文化への過渡的役割を果たした。ふつう元和偃武ののち、明暦―寛文 ...
12. きんせい【近世】画像
国史大辞典
書、各国の国絵図、各藩の土地明細録などの地理書、つまり時間的、空間的統一文化を完成した。 〔元禄文化〕 十七世紀後半から十八世紀初期には、江戸が人口約一〇〇万、 ...
13. 元禄時代
世界大百科事典
使,琉球使節)が初めて同じ年に江戸に来たのは,綱吉初政の1682年のことであった。塚本 学 元禄文化 元禄期およびそれを前後する時期(17世紀末~18世紀初期) ...
14. げんろく‐じだい【元祿時代】
日本国語大辞典
治政治を展開。農業、商業の発展、町人の台頭がみられ、学問、文化に清新な気風がみなぎり、華美な元祿文化が開花した。一方、生類憐みの令が強行され、側用人柳沢吉保の重 ...
15. 三都
世界大百科事典
この変化はそれぞれの都市の人口規模のピークを示しており,また京都を中心とした寛永文化,大坂を舞台にした元禄文化,江戸に展開した化政文化という,それぞれの都市の繁 ...
16. しゃかいとけいざい【社会と経済】 : 江戸
国史大辞典
やがて天保の株仲間解散を迎えざるを得なかった。江戸経済の上方依存度の稀薄化は文化面にも影響を与え、いわゆる元禄文化においては、江戸の独自性は弱かったが、化政文化 ...
17. しょうとくき【正徳期】
国史大辞典
は、産業経済の発展はめざましく、新興商人が勃興して活況を呈した。また学問芸術の興隆も顕著で、元禄文化と称される時代を築いた。しかし幕府財政は窮迫し、貨幣改鋳によ ...
18. とくがわ‐つなよし【徳川綱吉】
日本国語大辞典
意図して「生類憐れみの令」を発して、「犬公方」と呼ばれた。また、悪貨濫発などで庶民生活を悪化させた反面、元祿文化の出現を見る。正保三〜宝永六年(一六四六〜一七〇 ...
19. ながさきまち【長崎町】長崎県:長崎市
日本歴史地名大系
左衛門勝登は市法商売仕法の施行で知られるが、また長崎の文芸に貢献した文化人でもあった。長崎の元禄文化を代表するのが西川如見で、糸目利を生業とし、朱子学を学んだと ...
20. ひごのくに【肥後国】熊本県
日本歴史地名大系
いたのであろう。寛文九年には陽明学者北島雪山らを異学の禁のもとに弾圧した。藩主綱利の最盛期は元禄文化が一世を風靡していた時でもあった。綱利も文化に関心をよせ、豪 ...
21. ふじわらぶんか【藤原文化】
国史大辞典
いずれの時代にも共通しているところであるから、藤原文化のみを「国風」と呼ぶのは、学問上適当ではなく、元禄文化や化政文化などと区別する標識とはなり得ない。藤原文化 ...
22. 文化文政時代
世界大百科事典
残したのであった。江戸時代の前半,ことに17世紀は上方を中心に文化的な発展がみられ,いわゆる元禄文化はその成果ともいうべきものであった。しかし18世紀を通じて〈 ...
23. ぶんかぶんせい‐じだい[ブンクヮブンセイ‥]【文化文政時代】
日本国語大辞典
楽)、絵画(池大雅・円山応挙)などすぐれた作家が輩出した。しかし、江戸初期の上方中心に栄えた元祿文化に比して、綱紀もゆるみ屈折した町人の心情が反映して、風俗頽廃 ...
24. みやけじま【三宅島】
国史大辞典
嘆願している(天保十四年五月「流人御赦免願書」)。流人についての記録は多く、著名な人物としては元禄文化を代表する浮世絵師多賀朝湖(英(はなぶさ)一蝶)が幕政批判 ...
25. りっか【立花】
国史大辞典
豊かな色彩によって絢爛と幽玄の対極を創出する浪漫的作風を完成した(『大住院立華砂之物図』)。元禄文化の自由な風潮のなかで、富春軒仙渓は二代専好の立花思想に還って ...
26. りっかいまようすがた【立花時勢粧】
国史大辞典
おのづから珍しき姿も出来るなり」とし、除真の草の花形は、「円満にして、しかも意気有発生(はずみ)有艶有色有」と元禄文化を象徴した繊細華麗な芸術観を表わした。「真 ...
27. 琳派
世界大百科事典
追求するようになった。写生や意匠に対してもなみなみならぬ関心を示した彼は,これらの諸要素を渾然一体化させ,元禄文化を象徴する艶冶にして複雑な装飾様式を完成した。 ...
28. 和漢三才図会 2 339ページ
東洋文庫
近世後期とすることにしたい。近世前期は安土・桃山文化や寛永文化を中心とする時期であり、近世中期は元禄文化を中心とする時期であり、近世後期は文化・文政の文化や天明 ...
29. 【総論】京都市地図
日本歴史地名大系
して宮廷がすべての発想の起点におかれ、それをめぐる自然にも、文化が見いだされていたのである。元禄文化が上方を中心とした文化であったのに対して、化政文化はむしろ江 ...
30. 連載小説 三度目の日本2027/27 堺屋太一
週刊エコノミスト 2016-17
逆は五代将軍徳川綱吉、生類憐みの令を出して犬や鳥類まで保護しましたが、出来上がったのは華美なる元禄文化の格差社会、それこそが楽しく明るい時代です。八代将軍徳川吉 ...
「元禄文化」の情報だけではなく、「元禄文化」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る

元禄文化と同じ時代カテゴリの記事
化政文化(日本大百科全書(ニッポニカ))
文化・文政(1804~1830)ころの江戸中心の町人文化。大江戸文化ともいう。しかし広義には、18世紀後半から19世紀前半の長い時代文化のことをさすので、その様式も広範囲にわたり、その内容も複雑多岐になる。その中心は小市民的な合理主義や美的情緒であるが、幕藩制社会の弛緩の時代に
寛永文化(国史大辞典)
後水尾・明正天皇の寛永年間(一六二四―四四)を中心とした近世初頭の文化をさし、桃山文化の残映と元禄文化への過渡的役割を果たした。ふつう元和偃武ののち、明暦―寛文のころまでを含めて考えられる。江戸幕府の封建的体制の強化される時にあたって、京都の宮廷と上層町衆を中心として
元禄文化(日本大百科全書(ニッポニカ))
元禄(1688~1704)前後の上方中心の町人文化。広義には、17世紀後半から18世紀前半の長い時代文化を含むので、町人文化だけにはとどまらない。しかし幕藩制社会の確立の時代にあたるため、小市民社会の形成と封建的武家支配との間に緊張関係があって、封建的な武家文化との対抗のなかで
時代と同じカテゴリの記事をもっと見る


「元禄文化」は日本の歴史に関連のある記事です。
その他の日本の歴史に関連する記事
元禄文化(日本大百科全書(ニッポニカ))
元禄(1688~1704)前後の上方中心の町人文化。広義には、17世紀後半から18世紀前半の長い時代文化を含むので、町人文化だけにはとどまらない。しかし幕藩制社会の確立の時代にあたるため、小市民社会の形成と封建的武家支配との間に緊張関係があって、封建的な武家文化との対抗のなかで
寛永文化(国史大辞典)
後水尾・明正天皇の寛永年間(一六二四―四四)を中心とした近世初頭の文化をさし、桃山文化の残映と元禄文化への過渡的役割を果たした。ふつう元和偃武ののち、明暦―寛文のころまでを含めて考えられる。江戸幕府の封建的体制の強化される時にあたって、京都の宮廷と上層町衆を中心として
化政文化(日本大百科全書(ニッポニカ))
文化・文政(1804~1830)ころの江戸中心の町人文化。大江戸文化ともいう。しかし広義には、18世紀後半から19世紀前半の長い時代文化のことをさすので、その様式も広範囲にわたり、その内容も複雑多岐になる。その中心は小市民的な合理主義や美的情緒であるが、幕藩制社会の弛緩の時代に
竪穴住居(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
地面を円形や方形に数十センチメートル掘りくぼめて、垂直に近い壁や平らな土間の床をつくり、その上に屋根を架した半地下式の住居である。おもに考古学的調査で発見され、日本では旧石器時代から中世まで使われた主要な住居様式の一つである。一般的には、一辺あるいは径が数メートルで
貝塚(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
貝類の繁殖に適した海岸・湖岸近くに居住した人々が、食料として貝を多量に捕食し、食したあとの貝殻を、他の不用品とともに一定の場所に投棄したため、貝殻が層をなして堆積して今日まで残存したものを一般に貝塚と呼んでいる。縄文時代の貝塚を発掘すると貝層中から埋葬人骨
日本の歴史に関連する記事をもっと見る
ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額550万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のインターネット辞書・事典サイト。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る