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卯花墻(卯花垣)

ジャパンナレッジで閲覧できる『卯花墻(卯花垣)』の国史大辞典・日本国語大辞典のサンプルページ

国史大辞典
卯花墻
うのはながき
中興名物の志野茶碗。安土桃山時代から天正・文禄ごろにかけての作品で、古来志野茶碗中の名碗として名高い。素地は卵殻色で、これに志野釉が厚くかかり、口縁など施釉の薄い部分には、赤い焦膚ができている。全面には荒い貫入がある。一見手造りのように見えるが、轆轤により成形し、これを歪ませて篦繕いをしている。釉下には、薄墨色の鉄絵の具で奔放な筋を縦横に走らせている。底裏は無釉。樋(窯焼中のひびわれ)が三本。見込み(茶碗の内側底)にひっつきが一つある。この茶碗は、もと江戸冬木家に伝わったもので、明治の中ごろ、三井家に移り、国宝の指定をうけ、今日に至っている。なお茶碗の付属品のうち、内箱表には、「卯花墻」、裏紙地には、「やまさとのうのは那がきのなかつみちゆきふみわけしここ地こそすれ」の片桐石州の書付がある。雪のような厚い志野釉の中に垣根状の筋が描かれていて、命銘の歌は、よくその趣を表わしている。
[参考文献]
高橋義雄編『大正名器鑑』
(安藤 孝一)


日本国語大辞典
うのはな‐がき【卯花垣・卯花墻】

解説・用例

〔名〕

(1)卯の花の咲いている生垣。うのはながきね。《季・夏》

*新後撰和歌集〔1303〕夏・一六二「忍びねをいづくに鳴て郭公卯花かきになほまたるらん〈藤原忠良〉」

*広本拾玉集〔1346〕三「音羽山卯花かきにおそ桜春と夏とやあふ坂の関」

*春夏秋冬‐夏〔1902〕〈河東碧梧桐・高浜虚子編〉「下加茂や卯の花垣の古き家〈青嵐〉」

(2)(卯花墻)志野茶碗の一つ。全体に白釉を施して籬(まがき)のように見える黒い筋がある。

発音

ウノハナ〓

〓[ナ]


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3. 志野焼
日本大百科全書
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