NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 文学
  6. >
  7. 古典文学
  8. >
  9. 和歌・歌人
  10. >
  11. 小倉百人一首

小倉百人一首

ジャパンナレッジで閲覧できる『小倉百人一首』の国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
小倉百人一首
おぐらひゃくにんいっしゅ
百人の歌人から秀歌を一首ずつ集めたもの。最初は、嵯峨の小倉山荘の障子に張った色紙和歌の意の「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙形」の名称であったものが、内容的名称の「百人一首」となり、さらに、のちの『新百人一首』『武家百人一首』と区別するため「小倉百人一首」となった。撰者としては、室町時代以来、藤原定家撰説があったが、安藤為章の宇都宮頼綱撰説、吉沢義則の宗祇撰定家仮託説などの提唱を経て、近来再び定家撰説がとられ定説化している。これは、『百人秀歌』や応永本『百人一首抄』の出現と『集古十種』中の「小倉色紙」の再評価によるものであり、『百人秀歌』が草案で『小倉百人一首』が完成本であろうとされている。選ばれた歌人は、万葉時代から新古今時代までの男七十九人、女二十一人の代表的歌人で、歌は恋歌四十三首(四季三十二首、その他二十五首)が中心であり、妖艷の歌風を重んじ、流麗な歌調のものが多い。歌人の選択秀歌例ともに、定家の歌論書と一致するものが多く、定家の晩年の愛誦歌的性格がみられる。室町時代には、和歌・連歌の専門家に継承され、江戸時代からは教養書としても、広く一般に愛唱活用されるようになった。『百人秀歌』は、宮内庁書陵部蔵本・久曾神昇蔵の二本。『小倉百人一首』の方は、諸本きわめて多く、注釈書が中心で、現存最古の『小椋山庄色紙和歌』(応永十三年(一四〇六)藤原満基の奥書、書陵部蔵)や『百人一首宗祇抄』が基盤になっている。
[参考文献]
石田吉貞『百人一首評解』、鈴木知太郎『小倉百人一首』、田中宗作『百人一首古注釈の研究』、島津忠夫訳注『百人一首』(『角川文庫』)
(有吉 保)


日本大百科全書
百人一首
ひゃくにんいっしゅ

歌仙(かせん)秀歌撰(せん)の一形態で、優れた歌人(歌仙)100人をあげて、1人につき1首ずつ、あわせて100首の優れた歌(秀歌)を選び出したもの。通常は『小倉(おぐら)百人一首』をさすが、広くはそれに倣った同形態の「異種百人一首」「変り百人一首」とよばれるものをもさしていう。
[小町谷照彦]

小倉百人一首

『小倉百人一首』は、三十六歌仙を選んだ藤原公任(きんとう)の『三十六人撰』や、100人の歌人の秀歌を歌合(うたあわせ)形式で並べた後鳥羽(ごとば)院の『時代不同歌合』などを継承しながら、藤原定家(ていか)が100人の歌人の秀歌を一首ずつ選び出したものである。定家の日記『明月記(めいげつき)』の文暦(ぶんりゃく)2年(1235)5月27日条に、定家がその子為家(ためいえ)の舅(しゅうと)の宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)(蓮生(れんしょう))から依頼されて、その嵯峨中院(さがちゅういん)山荘の障子に貼(は)るために、天智(てんじ)天皇から藤原家隆(いえたか)、藤原(飛鳥井(あすかい))雅経(まさつね)に至る歌人の歌を色紙に書いて贈った、とある記事が『小倉百人一首』の成立に関連深いものとされ、それが『小倉百人一首』そのものの成立を示すという説と、その草稿本といわれる『百人秀歌』(『小倉百人一首』と97首が一致。後鳥羽院と順徳(じゅんとく)院の歌は含まない)をさすという説とがある。『小倉百人一首』が「小倉山荘色紙和歌」ともよばれるのは、定家が頼綱のために執筆してからのちに、その嵯峨小倉山荘用として自ら執筆したからだ、ともいわれる。また、最後の二首、後鳥羽院と順徳院の歌は為家がのちに補訂したものという説もある。『小倉百人一首』は、平安時代の歌人を中心に、奈良時代から鎌倉時代初期に至る歌人の秀歌を集めたもので、勅撰集でいうと『古今(こきん)集』から『続後撰(しょくごせん)集』までの歌が収められている。歌の内容としては、恋歌が43首で圧倒的に多く、四季歌は32首で、そのなかでは秋が16首でもっとも多く、雑歌(ぞうか)も20首(雑秋(ぞうあき)一首を含む)でかなり多い。艶麗(えんれい)な歌、情趣的な歌、人間劇的な歌などが選ばれている。作者は、男性79人(僧侶(そうりょ)13人を含む)、女性21人で、女流文学全盛時代を反映している面もある。ほぼ時代順に配列された秀歌は、王朝和歌史の精髄をみる感があり、日本人の自然や季節に対する感覚や美意識の原型、繊細で巧緻(こうち)な表現技巧や言語感覚などが随所にみいだされる。『小倉百人一首』は古典文学の代表的作品として広く享受され、まず二条(にじょう)家の和歌の秘伝として伝授され、『応永(おうえい)抄』『宗祇(そうぎ)抄』など数多くの注釈書が著され、近世に入っても、北村季吟(きぎん)の『百人一首拾穂(しゅうすい)抄』、契沖(けいちゅう)の『百人一首改観(かいかん)抄』、賀茂真淵(まぶち)の『宇比麻奈備(ういまなび)』、香川景樹(かげき)の『百首異見(いけん)』など本格的な注釈書が数多く記された。さらに、江戸時代中期ころから、とくに女子の古典入門書として普及し、「源氏物語巻々の歌(源氏香の図)」「三十六歌仙」などとともに、図入りの注釈を付し、女訓書・実用書的なものと合綴(がってつ)された大部なものなどが刊行された。一方、当時流行した遊戯具としてのかるたや絵双六(すごろく)の製作のなかで、「小倉百人一首かるた」もつくられた。また、「異種百人一首」も数多く、足利義尚(あしかがよしひさ)の『新百人一首』、二条良基(よしもと)に仮託した『後撰(ごせん)百人一首』、榊原忠次(さかきばらただつぐ)の『武家百人一首』『女房百人一首』、黒沢翁満(おきなまろ)の『源氏百人一首』、大森盛顕(もりあき)の『古今集百人一首(古今和歌集一首撰)』、近代に入っても『大全(たいぜん)明治新百人一首』『愛国百人一首』などがあった。パロディーの類も多く、幽双庵(ゆうそうあん)の『犬百人一首』、大田南畝(なんぽ)の『狂歌百人一首』などがあった。今日では『小倉百人一首』は、古典教材のほかに、家庭遊戯のかるたとして普及し、散らし取り、源平合戦、坊主めくりなどの遊び方があり、また、競技かるたとして広く行われている。
[小町谷照彦]


小倉百人一首(1) 歌人/天智天皇[百科マルチメディア]
小倉百人一首(1) 歌人/天智天皇[百科マルチメディア]
〈上の句〉秋の田の 仮庵の庵の 苫を粗み 〈下の句〉我が衣手は 露にぬれつつ
あきのたのかりほのいほのとまをあらみ わがころもではつゆにぬれつつ
定まり字(決まり字):歌を特定する字(音)/あきの

天智天皇(てんじてんのう)
菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵


世界大百科事典

小倉百人一首
おぐらひゃくにんいっしゅ

鎌倉初期成立の歌集でもっとも親しまれてきた〈百人一首〉。藤原定家撰。1235年(嘉禎1)成立か。古代から平安時代を経て鎌倉時代初期までの有力歌人100人を選び,それぞれの和歌1首を掲げたもの。歌はすべて《古今集》以下の勅撰集を典拠としている。本の形でも伝わるが,近世以後,〈歌がるた〉として愛好され,かるたの呼名としても定着した。1235年,宇都宮頼綱(定家の子為家の妻の父,法名〓生)は山荘の障子に貼る色紙和歌の選定と執筆を定家に依頼し,定家は《百人秀歌》(後鳥羽院,順徳院の歌を欠くなどいくつかの相違はあるが《小倉百人一首》と骨子は同じ)を編集,のちそれを改訂して成立したものとされるが,異説も多い。この経緯には,幕府の圧力によって《新勅撰集》に後鳥羽院の歌を入れられなかった定家の不満がからんでいるとされる。作者は,天智,持統,人丸(人麻呂)に始まり,定家,家隆,後鳥羽,順徳に至る。男性歌人79(うち僧侶13),女性歌人21。内容別では,春歌6,夏歌4,秋歌16,冬歌6,恋歌43,旅歌4,離別歌1,雑歌20で,恋の歌がきわめて多い。歌の選び方は必ずしもそれぞれの代表作とはいえないが,定家の好みがよく表れていて,優雅・流麗な作が多いとされる。王朝和歌のアンソロジーとして室町時代ごろから重視され,現代に至るまで愛好者が多く,かるたとして楽しむことと相まって古典に親しむ契機となっている。なお,《小倉山荘色紙和歌》と呼ばれて伝わる定家筆の色紙和歌(小倉色紙)は,《明月記》に,天智以来家隆,雅経に至る歌人の歌を色紙に書いて〓生に送ったとあることと対応するものとされるが,その段階で《小倉百人一首》が成立していたか,《百人秀歌》の段階のものか議論があり明らかではない。
→百人一首
[奥田 勲]

[索引語]
百人一首 藤原定家 歌がるた 百人秀歌 小倉山荘色紙和歌
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


小倉百人一首の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 956
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 百人一首
日本大百科全書
選び出したもの。通常は『小倉(おぐら)百人一首』をさすが、広くはそれに倣った同形態の「異種百人一首」「変り百人一首」とよばれるものをもさしていう。小町谷照彦小倉 ...
2. 百人一首
世界大百科事典
かるたにしたもの。通常は藤原定家撰《小倉百人一首》(表参照)をさすが,足利義尚撰《新百人一首》をはじめ,後世その形式や方法にならったものが数多くつくられた。《小 ...
3. ひゃくにん‐いっしゅ【百人一首】
日本国語大辞典
七「此うたがるたに、百人一首(ひゃくにんいっシュ)のうたならではもちいざるやうにおもはれて」*百人一首拾穂抄〔1681〕上・序「百人の作者の歌を一首づつ書給へば ...
4. ひゃくにんいっしゅ【百人一首】
全文全訳古語辞典
[書名]⇒小倉百人一首  ...
5. 百人一首(ひゃくにんいっしゅ)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 385ページ ...
6. 百人一首 【12か月のきまりごと歳時記】
生活便利帳
鎌倉時代初期の歌人・藤原定家によって選ばれた、新古今集時代までの代表的歌人100人の歌が収められているのが小倉百人一首。「小倉」とは、定家が歌を選ぶために籠って ...
7. ひゃくにん‐し【百人一首】
日本国語大辞典
〔名〕(「ひゃくにんしゅ(百人一首)」の変化した語)「ひゃくにんいっしゅ(百人一首)」に同じ。*滑稽本・浮世風呂〔1809〜13〕二・上「ソレソレ。最う百人一首 ...
8. ひゃくにん‐しゅ【百人一首】
日本国語大辞典
〔名〕(古くからのよみくせ)「ひゃくにんいっしゅ(百人一首)」に同じ。*俳諧・紅梅千句〔1655〕三・花「ふかしや深し秋の田の露〈可頼〉 百人一首(ヒャクニンシ ...
9. ひゃくにんいっしゅ【百人一首】[標準語索引]
日本方言大辞典
むべやま ...
10. ひゃくにんいっしゅ【百人一首】[標準語索引]
日本方言大辞典
むべやま ...
11. 百人一首
日本大百科全書
藤原定家が、『古今集』から『新勅撰集』に至るまでの勅撰和歌集の中から選んだ秀歌選。百人の歌人から一首ずつ選び、ほぼ時代順に配列されている。内容は、恋歌が最も多く ...
12. 百人一首五歌之秘決 (見出し語:百人一首)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 412ページ ...
13. ひゃくにんいっしゅ【百人一首】
国史大辞典
⇒小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)  ...
14. ひゃくにんいっしゅ‐うたガルタ【百人一首歌─】
日本国語大辞典
〔名〕(カルタは {ポルトガル}carta )百人一首を用いた歌ガルタ。小倉百人一首の類。*随筆・甲子夜話〔1821〜41〕一九「百人一首歌加留多の白木箱に納れ ...
15. ひゃくにんいっしゅ-げんざぶろう【百人一首源三郎】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代中期の歌舞伎役者。元禄(げんろく)13年(1700)大坂の村山平右衛門座「傾城(けいせい)おかたなり」に道外方(どうけがた)として初舞台。上方で ...
16. 小倉百人一首
世界大百科事典
と対応するものとされるが,その段階で《小倉百人一首》が成立していたか,《百人秀歌》の段階のものか議論があり明らかではない。→百人一首奥田 勲 百人一首 藤原定家 ...
17. おぐら‐ひゃくにんいっしゅ[をぐら‥]【小倉百人一首】
日本国語大辞典
藤原定家が宇都宮頼綱(蓮生)の依頼で、蓮生の小倉山麓中院の山荘の障子に貼る色紙形の和歌として選んだといわれる一〇〇首の歌。天智天皇から順徳天皇までの、百人の歌人 ...
18. おぐらひゃくにんいっしゅ【小倉百人一首】
国史大辞典
峨山荘色紙形」の名称であったものが、内容的名称の「百人一首」となり、さらに、のちの『新百人一首』『武家百人一首』と区別するため「小倉百人一首」となった。撰者とし ...
19. 小倉百人一首(59) 歌人/赤染衛門[百科マルチメディア]
日本大百科全書
を特定する字(音)/やす赤染衛門(あかぞめえもん)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
20. 小倉百人一首(7) 歌人/阿倍仲麻呂(安部仲麻呂・安部仲麿)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
倍仲麻呂(安部仲麻呂・安部仲麿)(あべのなかまろ)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
21. 小倉百人一首(17) 歌人/在原業平(在原業平朝臣)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
平(ありわらのなりひら)(在原業平朝臣(あそん))菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
22. 小倉百人一首(16) 歌人/在原行平(中納言行平)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
のゆきひら)(中納言行平(ちゅうなごんゆきひら))菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
23. 小倉百人一首(56) 歌人/和泉式部[百科マルチメディア]
日本大百科全書
を特定する字(音)/あらざ和泉式部(いずみしきぶ)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
24. 小倉百人一首(19) 歌人/伊勢[百科マルチメディア]
日本大百科全書
り字):歌を特定する字(音)/なにわが伊勢(いせ)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
25. 小倉百人一首(61) 歌人/伊勢大輔[百科マルチメディア]
日本大百科全書
歌を特定する字(音)/いに伊勢大輔(いせのたいふ)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
26. 小倉百人一首(90) 歌人/殷富門院大輔[百科マルチメディア]
日本大百科全書
特定する字(音)/みせ殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
27. 小倉百人一首(38) 歌人/右近[百科マルチメディア]
日本大百科全書
り字):歌を特定する字(音)/わすら右近(うこん)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
28. 小倉百人一首(47) 歌人/恵慶法師[百科マルチメディア]
日本大百科全書
を特定する字(音)/やへ恵慶法師(えぎょうほうし)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
29. 小倉百人一首(23) 歌人/大江千里[百科マルチメディア]
日本大百科全書
を特定する字(音)/つき大江千里(おおえのちさと)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
30. 小倉百人一首(73) 歌人/大江匡房(前権中納言匡房・前中納言匡房)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
さ)・前中納言匡房(さきのちゅうなごんまさふさ))菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
31. 小倉百人一首(29) 歌人/凡河内躬恒[百科マルチメディア]
日本大百科全書
特定する字(音)/こころあ凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
32. 小倉百人一首(6) 歌人/大伴家持(中納言家持)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
のやかもち)(中納言家持(ちゅうなごんやかもち))菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
33. 小倉百人一首(49) 歌人/大中臣能宣(大中臣能宣朝臣)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
おなかとみのよしのぶ)(大中臣能宣朝臣(あそん))菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
34. 小倉百人一首(9) 歌人/小野小町[百科マルチメディア]
日本大百科全書
を特定する字(音)/はなの小野小町(おののこまち)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
35. 小倉百人一首(11) 歌人/小野篁(参議篁)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
野篁(おののたかむら)(参議篁(さんぎたかむら))菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
36. 小倉百人一首(3) 歌人/柿本人麻呂(柿本人丸)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
特定する字(音)/あし柿本人麻呂(柿本人丸)(かきのもとのひとまろ)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所 ...
37. 小倉百人一首(8) 歌人/喜撰(喜撰法師)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
特定する字(音)/わがい喜撰(きせん)(喜撰法師(ほうし))菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
38. 小倉百人一首(35) 歌人/紀貫之[百科マルチメディア]
日本大百科全書
歌を特定する字(音)/ひとは紀貫之(きのつらゆき)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
39. 小倉百人一首(33) 歌人/紀友則[百科マルチメディア]
日本大百科全書
:歌を特定する字(音)/ひさ紀友則(きのとものり)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
40. 小倉百人一首(36) 歌人/清原深養父[百科マルチメディア]
日本大百科全書
特定する字(音)/なつ清原深養父(きよはらのふかやぶ)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
41. 小倉百人一首(42) 歌人/清原元輔[百科マルチメディア]
日本大百科全書
特定する字(音)/ちぎりき清原元輔(きよはらのもとすけ)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
42. 小倉百人一首(54) 歌人/儀同三司母[百科マルチメディア]
日本大百科全書
特定する字(音)/わすれ儀同三司母(ぎどうさんしのはは)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
43. 小倉百人一首(66) 歌人/行尊(前大僧正行尊)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
(前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん))菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
44. nbsp;小倉百人一首(91) 歌人/九条良経(後京極摂政前太政大臣・藤原良経)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
じょうだいじん)・藤原良経(ふじわらのよしつね))菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
45. 小倉百人一首(88) 歌人/皇嘉門院別当[百科マルチメディア]
日本大百科全書
特定する字(音)/なにはえ皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
46. 小倉百人一首(15) 歌人/光孝天皇[百科マルチメディア]
日本大百科全書
特定する字(音)/きみがためは光孝天皇(こうこうてんのう)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
47. 小倉百人一首(60) 歌人/小式部内侍[百科マルチメディア]
日本大百科全書
特定する字(音)/おほえ小式部内侍(こしきぶのないし)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
48. 小倉百人一首(99) 歌人/後鳥羽天皇(後鳥羽院)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
羽天皇(ごとばてんのう)(後鳥羽院(ごとばいん))菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
49. 小倉百人一首(43) 歌人/権中納言敦忠(藤原敦忠)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
だ)(中納言敦忠・藤原敦忠(ふじわらのあつただ))菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
50. 小倉百人一首(64) 歌人/権中納言定頼(藤原定頼)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
なごんさだより)(藤原定頼(ふじわらのさだより))菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小倉百人一首』 1680年(延宝8) 国立国会図書館所蔵 ...
「小倉百人一首」の情報だけではなく、「小倉百人一首」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

小倉百人一首と同じ和歌・歌人カテゴリの記事
後撰和歌集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
『古今和歌集』に次ぐ第二の勅撰和歌集。略称「後撰集」。951年(天暦5)、村上天皇の命により昭陽舎(梨壺に撰和歌所が設けられ、別当に藤原伊尹、寄人に大中臣能宣、清原元輔、源順、紀時文、坂上望城のいわゆる「梨壺の五人」が任ぜられて
なが‐うた 【長歌・長唄】(日本国語大辞典)
和歌の一体。五音、七音の二句を三回以上続け、最後に七音を添えるもの。ちょうか。*古今和歌集〔905〜914〕雑体・一〇〇二・詞書「ふるうたたてまつりし時のもくろくのそのなかうた」*源氏物語〔1001〜14頃〕行幸「なかうたなどの心ばへあらむを、御覧ぜむには
やまと‐うた 【大和歌・倭歌】(日本国語大辞典)
わが国固有の歌。多く、唐歌(からうた)に対して和歌をいう。*古今和歌集〔905〜914〕仮名序「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける」*後鳥羽院御口伝〔1212〜27頃〕「やまと哥を詠ずるならひ、昔より今にいたるまで
旋頭歌(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歌体の一つ。「みじかうた」「みそひともじ」ともいう。形式は五・七・五・七・七の五句体、三十一音。五句を分けて、五・七・五の三句を上の句、七・七の二句を下の句、さらに第一句を初句・頭句・起句、第二句を胸句、第三句を腰句、第五句を結句・尾句・落句などと呼ぶ。
歌論書(国史大辞典)
歌に関して批評的文学論的見解を述べた文献。歌の定義・要素・分類・歌病などのほかに、歌に関する種々の研究、たとえば歌集の校訂・注釈・類纂および歌書の文化史的研究などをも含むものが多い。奈良時代、『万葉集』にも批評意識は散見するが、歌論書としては『歌経標式』(藤原浜成)
和歌・歌人と同じカテゴリの記事をもっと見る


「小倉百人一首」は古典文学に関連のある記事です。
その他の古典文学に関連する記事
野白内証鑑(日本古典文学全集)
野白内証鑑一之巻目録自分の行状の弁解をした野郎の話秘密の色遊びはばれたが、始めより末に至って情勢が好転した野郎の大臣。その相手は羽ぶりのよい撞木町の女郎。悪性をささやいてすすめる耳塚の駕籠屋。客に肌を見せない白人の話 外面は菩薩のようだが内情は
豊後国風土記(日本古典文学全集)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。

豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
魯迅 その文学と革命(東洋文庫)
中国近代文学の父であり,偉大な思想家でもある魯迅は,知識人としての苦悩のなかで,中国の「寂寞」を見つめ,自らをも傷つける「革命」を志向する。著者会心の魯迅伝。1965年07月刊
論語徴(東洋文庫)
秦・漢以前の古文辞に対する確固たる自信から孔子の言論を読みとく,論語の注釈のなかでもっとも論争的な注釈書。卓抜した孔子論を展開するとともに,徂徠自身の思想も開陳する。第1巻は,学而,為政,八佾,里仁,公冶長,雍也,述而,泰伯。1994年03月刊
近世和歌集(日本古典文学全集)
年内立春 去年と今年の二本の緒で縒り合わせて掛けて同じ年が一本にまとまらないように、こんがらがってなかなか理解できない春はやって来た。やや趣向倒れの感がある。長嘯子としては機知を働かせたのだろうが。鶯 軒端の梅が咲いていて、一晩中鶯の到来を
古典文学に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶