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野郎歌舞伎

ジャパンナレッジで閲覧できる『野郎歌舞伎』の新版 歌舞伎事典・国史大辞典のサンプルページ

新版 歌舞伎事典
野郎歌舞伎
やろうかぶき
若衆歌舞伎の禁令以後、前髪を剃って、野郎頭やろうあたまとなった男たちの歌舞伎、という意味で、承応一(1652)年ごろから、いわゆる元禄歌舞伎時代まで二十数年間をふつうに野郎歌舞伎時代と呼ぶ。若衆歌舞伎の少年の前髪を剃り落とされたので、以後は成人男子の役者による、〈物真似狂言尽ものまねきょうげんづくし〉として歌舞伎の再興を願い出で、許可されたと伝えるが、その事情も時期も、江戸と京坂では違いがあるようで、正確なところはいまだ明らかにされていない。また、いつまでを野郎歌舞伎時代と称すべきかも、明確にはされていない。男色の対象としての若衆は、この時期も実際は存在していたし、観客の興味の大部分がその方にあったが、この間に歌舞伎が少しずつ技芸へ向けて歩を進めたのは事実である。女方が確立し、その女方を、遊里の太夫に仕立てての傾城買狂言がもてはやされ、その中から大尽役の立役、遣り手や茶屋の女あるじの花車方、茶屋の主人の道化などの役柄が分化してきた。この傾城買狂言は〈島原(狂言)〉と呼ばれて、明暦・万治(1655‐1661)ごろの歌舞伎の代名詞にまでなるが、再三の禁止を受ける。この禁令によって、歌舞伎は、能、狂言や浄瑠璃などから筋立てを借りて、台本の領域を少しずつ広げていくことにもなるのである。また、傾城買以外の当世風俗をもとり込んで寸劇に仕立て、歌舞伎の現代性が強められて行った。この時期に、続き狂言と呼ばれる二番、三番続きの狂言も作られ、元禄の黄金時代への準備が整って行く。女方のかつらが工夫され、引幕が考案されたのもこの時期とされるが、正確な年代はまだ明らかにされていない。この時期はまだ、若衆から女方に転じ、年齢とともに花車方に移るといった年齢による役柄の変化が常であったが、やがて玉川千之丞のように、四〇歳を越しても振袖を着て若女方の役を演じるという、技芸によって役柄を維持する役者も現れ始める。伊藤小太夫、玉村吉弥、滝井山三郎などの若衆・女方の名が高く、遊女評判記の形式にならった野郎評判記が出版されたのもこの時期である。現存する最も古い評判記は、万治三(1660)年版の《野郎虫やろうむし》であるが、この時代の評判記は、出勤している座と、抱主の名と野郎の名を記し、容色を評しただけのもので、技芸の評には及んでいない。やがて野郎の姿絵を描いて、現在のブロマイドを兼ねるような形のものも出版されるようになる。
明暦の大火(1657)以後、江戸の芝居町は木挽町と堺町とに定められ、京では寛文九(1669)年に、村山又兵衛・都万太夫以下六名に芝居の名代としての認可が下りたと伝えられ、興行の形態もこの時期にほぼ方向が定められた。延宝一(1673)年に江戸で初世団十郎が初舞台を踏んだと伝えられているが、このころまでを一応野郎歌舞伎時代と考えてよいと思われる。
物真似狂言尽野郎評判記若衆歌舞伎
[小笠原 恭子]


国史大辞典
野郎歌舞伎
やろうかぶき
初期歌舞伎の一時期の称。承応元年(一六五二)に若衆歌舞伎が禁止されたが、(一)中心になる役者が前髪を剃って野郎頭になること、(二)容色本位の踊りではなく「物真似狂言づくし」を演ずることを条件として、翌二年に再開を許された。この時以後、明暦・万治年間(一六五五―六一)を経て寛文・延宝年間(一六六一―八一)ごろを最盛期とする歌舞伎のことを、野郎が演ずる意味で野郎歌舞伎と呼ぶ。その下限は、元禄歌舞伎の時代の上限とする貞享年間(一六八四―八八)ごろとする。「物真似狂言づくし」を演ずることを義務づけられたため、歌舞伎を演劇的に大きく進歩させ、いろいろな面で前代とは異なる特色が現われた。(一)役柄が成立し、分化した。中心になる野郎役者は若衆方と若女方を受け持ち、その他の役者の役割が分化して、立役・敵役・道外方・親仁方・花車方などが生まれた。(二)寛文年間に「続き狂言」が創始され、やがて引幕が用いられるようになる。(三)六方(ろっぽう)・丹前(たんじり)・拍子舞などの芸や、各種の演技類型(事)が成立する。(四)野郎評判記が出版されるようになった。これらの顕著な当期の特色は、次の元禄歌舞伎において、一層整備され、大成される。『松平大和守日記』は、野郎歌舞伎時代の貴重な記録である。この時期に活躍した代表的な役者は、伊藤小太夫・玉川千之丞・滝井山三郎・猿若勘三郎・中村数馬・夷屋(えびすや)吉郎兵衛・右近(うこん)源左衛門・多門庄左衛門・小舞庄左衛門らで、いずれも美貌の野郎役者や小歌・拍子舞・小舞の名手たちである。→歌舞伎(かぶき)
[参考文献]
郡司正勝『かぶき―様式と伝承―』、若月保治『近世初期国劇の研究』、松崎仁『元禄演劇研究』、竹内道敬『近世芸能史の研究』
(服部 幸雄)
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野郎歌舞伎の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 112
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検索コンテンツ
1. 野郎歌舞伎
日本大百科全書
条件として、翌年再開を許された。これ以後、元禄(げんろく)時代(1688~1704)に入る前までを野郎歌舞伎(時代)とよぶ。すなわち、容色を売る若衆の扇情的な舞 ...
2. 野郎歌舞伎
世界大百科事典
という意味で,1652年(承応1)ころから,いわゆる元禄歌舞伎時代まで二十数年間をふつうに野郎歌舞伎時代と呼ぶ。若衆歌舞伎の少年の前髪を剃り落とされたので,以後 ...
3. やろう‐かぶき[ヤラウ‥]【野郎歌舞伎】
日本国語大辞典
〔名〕初期歌舞伎芝居の一形態。女歌舞伎、若衆歌舞伎が風俗を乱すとして相ついで禁止された後、若衆姿の前髪を剃らせ、野郎あたまにした役者が演じた歌舞伎。*評判記・赤 ...
4. 野郎歌舞伎[図版]
国史大辞典
古今役者物語 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
5. やろうかぶき【野郎歌舞伎】
国史大辞典
を経て寛文・延宝年間(一六六一―八一)ごろを最盛期とする歌舞伎のことを、野郎が演ずる意味で野郎歌舞伎と呼ぶ。その下限は、元禄歌舞伎の時代の上限とする貞享年間(一 ...
6. やろうかぶき【野郎歌舞伎】
歌舞伎事典
という意味で、承応一(1652)年ごろから、いわゆる元禄歌舞伎時代まで二十数年間をふつうに野郎歌舞伎時代と呼ぶ。若衆歌舞伎の少年の前髪を剃り落とされたので、以後 ...
7. 市村座
世界大百科事典
最初に上演した(《市村座由緒書》享保10年書上)という伝説をもち,大道具や絵看板なども始めたともいわれ,野郎歌舞伎時代に目ざましい発展をしたと見られる。90年( ...
8. いちむらざ【市村座】
歌舞伎事典
最初に上演した(《市村座由緒書》享保一〇年書上)という伝説をもち、大道具や絵看板なども始めたともいわれ、野郎歌舞伎時代に目ざましい発展をしたとみられる。元禄三( ...
9. いとうこだゆう【伊藤小太夫】
国史大辞典
江戸時代の元禄末期の小太夫まで四代つづいたが、二代目が最も有名である。 (一)初代 生没年不詳 野郎歌舞伎時代、慶安・明暦ごろの美貌の若衆方で、舞所作の名手だ ...
10. 浮世物語(仮名草子集) 116ページ
日本古典文学全集
。ただ口もなくわめき散らすことこそ 操り人形を使って語る浄瑠璃。女形の出る歌舞伎、つまり野郎歌舞伎。本書成立時には、女歌舞伎、若衆歌舞伎はすでに禁止されていた ...
11. うこん‐げんざえもん[‥ゲンザヱモン]【右近源左衛門】
日本国語大辞典
若衆歌舞伎時代から野郎歌舞伎時代にかけての上方の名女形。俗に女形の祖といわれ、月代(さかやき)をかくすため頭にかぶる置手拭を考案した。一説に元和八年(一六二二) ...
12. 江戸時代(年表)
日本大百科全書
戸に旗本奴・町奴流行。若衆歌舞伎禁止1653(承応2)このころ代表越訴一揆が各地で起こる。野郎歌舞伎始まる。湯女風呂流行する1655(明暦1)山崎闇斎、京都に開 ...
13. 江戸繁昌記 1 48ページ
東洋文庫
一日の興行の最初に行なわれた三番叟が終り、一番目の離れ狂言が初まるまでの間に行なわれた狂言。野郎歌舞伎の初期のころ、この位置に配された芸能は、ほとんど踊りだった ...
14. えんげき【演劇】
国史大辞典
やがて遊女歌舞伎・若衆歌舞伎を経て、十七世紀後半から男性芸人の「物真似狂言」を本体とする「野郎歌舞伎」となり、純演劇として発達、独特の女方芸術や花道、回り舞台そ ...
15. えんげき【演劇】 : 演劇/〔人形浄瑠璃・歌舞伎の生成発展時代(十七世紀初めから幕末維新まで)〕
国史大辞典
やがて遊女歌舞伎・若衆歌舞伎を経て、十七世紀後半から男性芸人の「物真似狂言」を本体とする「野郎歌舞伎」となり、純演劇として発達、独特の女方芸術や花道、回り舞台そ ...
16. お家物
世界大百科事典
悪人,暗愚な若殿,これを阻止する忠臣らがあい乱れて争い,その葛藤を芯に劇化したものである。野郎歌舞伎時代からすでに発達し,京坂・江戸ともに盛行した。江戸期には実&nbnbsp;...
17. おいえもの【お家物】
歌舞伎事典
がたき)〉らの悪人、これを阻止する忠臣らがあい乱れて争い、その葛藤を芯にドラマタイズした。野郎歌舞伎時代からすでに発達し、京坂・江戸ともに盛行した。江戸期には実 ...
18. おこ‐たち【御子達】
日本国語大辞典
お子(コ)たちと云」*雑俳・柳多留‐一六〇〔1838〜40〕「お子たちを番付で呼ぶ鬼子母神」(2)野郎歌舞伎の、幼少の役者達をいう。*評判記・剥野老〔1662〕 ...
19. かつら【鬘】
歌舞伎事典
模倣してびなんかづらを用いた。以後、女歌舞伎、若衆歌舞伎の禁止により前髪を剃りおとした野郎頭となった野郎歌舞伎の役者は、その青頭の色気のなさを隠すためと、いろい ...
20. 歌舞伎(演劇)
日本大百科全書
元禄(げんろく)期(1688~1704)を中心として享保(きょうほう)(1716~1736)中期までである。野郎歌舞伎に与えられた2条件は、結果的には歌舞伎に演 ...
21. 歌舞伎
世界大百科事典
真似狂言尽〉を演ずることの2条件を受け入れて,53年再開を許された。これ以後を〈野郎歌舞伎〉と称する。野郎歌舞伎時代,歌舞伎は演劇への道を自覚的に歩みはじめる。 ...
22. かぶき【歌舞伎・歌舞妓】
日本国語大辞典
興行したのが初めといわれ、人気を集めたが、風俗を乱すとして禁止になった。代わって美少年中心の若衆歌舞伎や野郎歌舞伎が出現し、次第に技芸本位のものとなり、元祿(一 ...
23. かぶき【歌舞伎】
国史大辞典
物真似狂言尽しを主体とすることの二つを条件として野郎頭の俳優だけで興行することが許され、以来この野郎歌舞伎が今日まで続いている。女優が創始し遊女中心の女歌舞伎で ...
24. かぶきえ【歌舞伎絵】
国史大辞典
慶長初年に京都でかぶいた出雲の巫女阿国が始祖で、阿国歌舞伎・遊女歌舞伎(女歌舞伎)・若衆歌舞伎・野郎歌舞伎と変遷、それらは屏風や絵巻に画かれた。江戸時代中期には ...
25. 歌舞伎舞踊
世界大百科事典
も,その中心はレビュー式の〈総“踊”-大踊〉であった。若衆歌舞伎から,その禁止後に登場する野郎歌舞伎になるころ,“舞”の系統が注入され,さらに女方の発生により若 ...
26. かぶきぶよう【歌舞伎舞踊】
国史大辞典
出雲阿国(いずものおくに)が始めたころから若衆歌舞伎時代までは、風流踊り系統の踊りが中心であった。野郎歌舞伎時代になって舞が加えられ「小舞十六番(業平踊十六番) ...
27. かぶきぶよう【歌舞伎舞踊】
歌舞伎事典
も、その中心はレビュー式の〈総“踊”‐大踊〉であった。若衆歌舞伎から、その禁止後に登場する野郎歌舞伎になる頃、“舞”の系統が注入され、さらに女方の発生により若衆 ...
28. きょうげん【狂言】
歌舞伎事典
能狂言の改訂脱化と思われるものが数多くみられることから、その密接な関係がうかがわれるが、また野郎歌舞伎の時代に島原の遊女を扱った傾城買狂言を〈島原狂言〉と呼んで ...
29. きょうげん‐づくし[キャウゲン‥]【狂言尽】
日本国語大辞典
飯田町四丁目喜多舞台に、第一回狂言尽を催すこととなりたるが」(2)(若衆歌舞伎が禁止され、野郎歌舞伎が再開されたときの「物真似狂言尽し」の略称)歌舞伎芝居のこと ...
30. げいかがみ【芸鑑】
国史大辞典
野郎歌舞伎初期の作者で近松門左衛門の先輩富永平兵衛の演劇随筆集。成立年代は不詳。内容は彼の活躍した初期野郎歌舞伎の狂言『浪人盃』『氏神詣』『傾城買』など三作の ...
31. 劇場
世界大百科事典
制され,続く若衆歌舞伎も,風俗を乱すという理由で52年(承応1)6月に禁止されると,新しく野郎歌舞伎が誕生した。芸態も,〈物真似狂言尽〉や〈島原狂言〉,さらに〈 ...
32. げきじょう【劇場】
歌舞伎事典
れ、続く若衆歌舞伎も、風俗を乱すという理由で慶安五(1652)年六月に禁止されると、新しく野郎歌舞伎が誕生した。芸態も、〈物真似狂言尽〉や〈島原狂言〉、さらに〈 ...
33. 下座音楽
世界大百科事典
舞伎と軌を一にして400年に近いが,今日の下座音楽のようにせりふ劇の演出にかかわる囃子は,野郎歌舞伎以後せりふ劇の発達にともない形成されたもの。元禄期(1688 ...
34. げざおんがく【下座音楽】
歌舞伎事典
歌舞伎と軌を一にして四〇〇年に近いが、今日の下座音楽のように科白劇の演出にかかわる囃子は、野郎歌舞伎以後科白劇の発達にともない形成されたもの。元禄期には囃子の用 ...
35. 好色敗毒散(浮世草子集) 67ページ
日本古典文学全集
芸・舞所作をもって有名であった役者。承応ごろ京都より江戸に下り、主として江戸で人気を得た。野郎歌舞伎時代のやつし事の名手で、音曲をもよくした。承応より延宝(一六 ...
36. ことぶききょうげん【寿狂言】
国史大辞典
寿狂言はこの舞踊劇から物語劇に進化する掛け橋を成すもので、つまり男女合併の舞踊劇団から男性歌舞伎(野郎歌舞伎)に転じるその間の若衆歌舞伎時代の脚本なのである。こ ...
37. こどうぐ【小道具】
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において、何点かの小道具が用いられていたことを知りうる。女歌舞伎・若衆歌舞伎が禁止されて、野郎歌舞伎の時代に移ると、頭巾や右近帽子、さらに鬘が発案され、小道具の ...
38. こども‐ぐるい[‥ぐるひ]【子供狂】
日本国語大辞典
どく子どもに執着すること。子どもがかわいくて、異常なまでに夢中になること。(2)江戸時代、野郎歌舞伎(やろうかぶき)の役者に夢中になること。若衆狂。*浮世草子・ ...
39. 小舞(舞踊)
日本大百科全書
狂言の修業は小舞と小舞謡から始め、姿勢と発声の基礎を養う。〔2〕初期歌舞伎の舞踊の一種。若衆歌舞伎、野郎歌舞伎の時代にとくに流行した。狂言を典拠とする歌舞伎にお ...
40. 小舞
世界大百科事典
業平躍〉の系統が,若衆歌舞伎時代になると若衆役者の持ち芸となって伝承され,洗練されたもの。野郎歌舞伎時代から元禄期(1688-1704)にかけては,女方の舞の基 ...
41. こまい【小舞】
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業平躍〉の系統が、若衆歌舞伎時代になると若衆役者の持ち芸となって伝承され、洗練されたもの。野郎歌舞伎時代から元禄期(1688‐1704)にかけては、女方の舞の基 ...
42. 西鶴置土産(井原西鶴集) 513ページ
日本古典文学全集
た後、歌舞伎が再出発するに当って、それまでの若衆前髪を剃り、野郎頭(月代頭)となったので、野郎歌舞伎と称することになった。人目を忍ぶ遊興の屋形船。峰の小瀑。延宝 ...
43. 猿若
日本大百科全書
おしょう)といった)の登場について、床几(しょうぎ)や持ち物を運ぶこともあった。この役柄が野郎歌舞伎時代の「道外方(どうけがた)」に受け継がれた。なお、民俗芸能 ...
44. 猿若
世界大百科事典
展性を失い,一方,道化の技芸が進むにつれて,道化役としての猿若は消滅していく。その役柄は,野郎歌舞伎時代の〈道外方〉に継承され,固定化した猿若狂言のみが残ること ...
45. さるわか【猿若】
歌舞伎事典
猿若狂言は発展性を失い、一方道化の技芸が進むにつれて、道化役としての猿若は消滅していく。その役柄は、野郎歌舞伎時代の〈道外方〉に継承され、固定化した猿若狂言のみ ...
46. 芝居絵
世界大百科事典
京国立博物館)という各時期の代表的な作例をたどってみると,お国歌舞伎から遊女,若衆,そして野郎歌舞伎へと展開した初期歌舞伎の様態の変遷を,一目して了解することが ...
47. しばいえ【芝居絵】
歌舞伎事典
風》(東京国立博物館蔵)という各時期の代表的な作例をたどってみると、お国歌舞伎から遊女、若衆、そして野郎歌舞伎へと展開した初期歌舞伎の様態の変遷を、一目して了解 ...
48. しばいまち【芝居町】
歌舞伎事典
寛永三(1626)年に完成した道頓堀へ移転させられて後、興行街をつくり上げる。若衆歌舞伎禁止後、野郎歌舞伎として再開してからは、比較的自由であった興行も制限が加 ...
49. 柴垣踊
世界大百科事典
,あふのきうつぶきあがきけるを,座中声をたすけ,手を打て,諸共に興ぜられし〉と芸態を記す。野郎歌舞伎の狂言尽しにもとり入れられた。歌は《糸竹初心集》(1664) ...
50. しまばらきょうげん【島原狂言】
歌舞伎事典
一七世紀中葉、野郎歌舞伎時代に流行した歌舞伎狂言。京都の遊廓島原の名を付けた一連の傾城買狂言をいう。《けち島原》《いせ島原》などの名が伝えられているが、内容は ...
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