NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 文化
  6. >
  7. 伝統芸能・芸能
  8. >
  9. 歌舞伎・狂言・落語
  10. >
  11. 若衆歌舞伎

若衆歌舞伎

ジャパンナレッジで閲覧できる『若衆歌舞伎』の新版 歌舞伎事典・国史大辞典のサンプルページ

新版 歌舞伎事典
若衆歌舞伎
わかしゅかぶき
前髪立ちの美少年の魅力を中心とした歌舞伎。慶長八(1603)年四月に出雲のお国が歌舞伎踊を創始したが、その同じ年の九月には、五歳の童男の歌舞伎が宮中に招かれたという記録があるので、少年の歌舞伎はきわめて早くから行われていたことが知れる。しかしこれが盛んになるのは、寛永六(1629)年ごろの女歌舞伎の禁令以後で、承応一(1652)年に江戸で禁じられるまでの約二五年間を、ふつう若衆歌舞伎時代と呼んでいる。慶長初年から京の五条河原や下鴨などで、美少年の踊、狂言の興行があり、僧侶などの関心を集めていたことが記録に残っているが、こういった踊や能狂言、あるいは獅子舞、軽業かるわざなどを演じていた少年の座が、歌舞伎の名に転じたのであろう。若衆歌舞伎の芸態は、踊や能狂言を当世風にくずしたものが中心であったと推測されるが、詳しいことは明らかではない。男色の対象としての少年の容色本位のものであって、芸といったようなものはまだ成り立たなかったと思われる。〈業平躍十六番〉と称される踊歌が伝わっているが、若衆でなければ演じられないようなエロティックなものもある。ただ、後世の歌舞伎の中に、軽業芸や、狂言小舞と踊とをとりまぜたいわゆる舞踊、すなわち、一人で踊る踊、という形態の基盤を伝えたことは、大きな意味をもっている。
江戸では寛永一年、中橋に猿若勘三郎によって猿若座の櫓があげられたと伝える。年代・場所・座名ともに疑問があるが、ほぼこのころ、若衆歌舞伎の座が江戸でも興行していたことは推測される(おそらくは猿若彦作座であろう)。若衆の中から次第に女役を得意とする役者があらわれ、村山左近、右近源左衛門の名が女方の祖として伝えられている。寛永末年ごろには、禰宜町で村山左近の歌舞伎が評判をとっていた。三代将軍家光は、若衆好きであったため、病中の慰みとして、彦作座や勘三郎座の若衆歌舞伎を江戸城に呼んでいる。家光の没後の慶安三(1650)年ごろ、江戸では風紀を乱すとの理由で若衆歌舞伎を禁じ、見せしめのため玉嶋主殿・生嶋伊織などのスターの前髪を剃り落としたと伝えるが、おそらくは徒党を組む一つの大きな力となる男色を禁じ、江戸における不穏な浪人の集結を防ぐ目的があったものと思われる。上方では、明暦二(1656)年ごろにも若衆歌舞伎が演じられていたようである。
業平躍
[小笠原 恭子]


国史大辞典
若衆歌舞伎
わかしゅかぶき
美少年(売色を兼ねた稚児・若衆)を中心役者として流行した一時期の歌舞伎の称。寛永六年(一六二九)に遊女を主演者にしていた女歌舞伎が禁止されたため、これに代わって一躍表面に出て盛行を極め、一時代を形成した。若衆による踊の芸能は、女歌舞伎時代から併行して興行されており、「五歳ノ童男カブキ跳」(『時慶卿記』慶長八年(一六〇三)九月十七日条)といった記録がみえる。若衆の役者が衆道(しゅどう、男色)の対象となったため、風俗紊乱の理由で承応元年(一六五二)禁止された。それ以後の歌舞伎は、若衆美の象徴である前髪を剃って野郎頭になることと、扇情的な舞や踊りではなく「物真似狂言」を主に演じることを条件として再開を許され、いわゆる野郎歌舞伎の時代に入る。この間の二十余年間を若衆歌舞伎の時代と名づける。若衆歌舞伎の芸能は女歌舞伎のそれを継承しつつ、多様で特色のあるものになった。特に拍子事と呼ばれる踊りが生まれ、所作事の成立をうながし、また狂言小舞の様式の歌舞伎化も目立った。若衆歌舞伎の踊歌と見られる業平躍(大小の舞)、「猿若」「海道下り」など若衆歌舞伎の狂言にみられる様式が、この期の特色を代表している。代表的な役者は、猿若勘三郎・村山左近・中村数馬・右近源左衛門らで、彼らは「男かと思へば女、女かと見れば男」という中性的な美を理想としていた。→歌舞伎(かぶき)
[参考文献]
郡司正勝『かぶき論叢』、服部幸雄『歌舞伎成立の研究』
(服部 幸雄)
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


若衆歌舞伎の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 146
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 若衆歌舞伎(わかしゅうかぶき)
古事類苑
樂舞部 洋巻 第2巻 7ページ ...
2. 若衆歌舞伎
日本大百科全書
表される女性による踊りの芸能だったが、1629年(寛永6)「女歌舞伎」が禁止され、かわって若衆歌舞伎が社会の表面に現れてきた。すでに女歌舞伎全盛時代から併行して ...
3. 若衆歌舞伎
世界大百科事典
ため,病中の慰みとして,彦作座や勘三郎座の若衆歌舞伎を江戸城に呼んでいる。家光の没後の1650年(慶安3)ころ,江戸では風紀を乱すとの理由で若衆歌舞伎を禁じ,見 ...
4. わかしゅ‐かぶき【若衆歌舞伎】
日本国語大辞典
〔名〕江戸初期、若衆形が演じた歌舞伎。寛永六年(一六二九)女歌舞伎が禁じられた後に出現したが、役者が男色の対象となり、殺傷事件が起こったので、承応元年(一六五二 ...
5. わかしゅかぶき【若衆歌舞伎】
国史大辞典
条件として再開を許され、いわゆる野郎歌舞伎の時代に入る。この間の二十余年間を若衆歌舞伎の時代と名づける。若衆歌舞伎の芸能は女歌舞伎のそれを継承しつつ、多様で特色 ...
6. わかしゅかぶき【若衆歌舞伎】
歌舞伎事典
若衆好きであったため、病中の慰みとして、彦作座や勘三郎座の若衆歌舞伎を江戸城に呼んでいる。家光の没後の慶安三(1650)年ごろ、江戸では風紀を乱すとの理由で若衆 ...
7. 若衆歌舞伎
日本史年表
1652年〈承応元(9・18) 壬辰〉 6・20 幕府、 若衆歌舞伎 を禁じる(御触書寛保集成)。  ...
8. 平成若衆歌舞伎[付録]
歌舞伎事典
片岡秀太郎・愛之助。 片岡愛之助を中心とした関西の若手の会。 平成14年8月2‐4日大阪梅田シアタードラマシティ。 ...
9. 綾子舞
世界大百科事典
らないことなど,女歌舞伎の踊りにきわめて似通うものがあり,狂言にも,現存3流の曲目になく,若衆歌舞伎の演目にあるものを伝えているなど,初期歌舞伎のおもかげを残す ...
10. あやこまい【綾子舞】
歌舞伎事典
また囃子に三味線が入らないことなど、女歌舞伎の踊にきわめて似通うものがあり、狂言にも、現存三流の曲目になく、若衆歌舞伎の演目にあるものを伝えているなど、初期歌舞 ...
11. いろこ【色子】
歌舞伎事典
別に〈舞台子〉〈歌舞伎子〉ともいった。また舞台に出ない段階の少年は〈蔭間(かげま)〉と呼んだ。若衆歌舞伎以来、歌舞伎の体質には衆道(しゅどう)との深いつながりが ...
12. 浮世物語(仮名草子集) 116ページ
日本古典文学全集
操り人形を使って語る浄瑠璃。女形の出る歌舞伎、つまり野郎歌舞伎。本書成立時には、女歌舞伎、若衆歌舞伎はすでに禁止されていた。芝居小屋・見世物小屋などの木戸に造ら ...
13. うこん‐げんざえもん[‥ゲンザヱモン]【右近源左衛門】
日本国語大辞典
若衆歌舞伎時代から野郎歌舞伎時代にかけての上方の名女形。俗に女形の祖といわれ、月代(さかやき)をかくすため頭にかぶる置手拭を考案した。一説に元和八年(一六二二) ...
14. うこんげんざえもん【右近源左衛門】
国史大辞典
再び江戸へ下って、かか方(老女役)で活躍した。容姿にすぐれ、舞踊の名手として、若衆歌舞伎時代から名があり、若衆歌舞伎の禁令後は、独特の置手拭を考案して、女方の先 ...
15. うこん-げんざえもん【右近源左衛門】
日本人名大辞典
日本伝助の高弟とされる。上方で活躍。「海道下り」などの舞踊劇で人気を博し,江戸,名古屋でも舞台にたった。若衆歌舞伎禁止後,女方を表現する置き手拭のかぶり物を考案 ...
16. うじがみ‐もうで[うぢがみまうで]【氏神詣】
日本国語大辞典
1891〕一一月一七日「一昨日の日曜は霜月の十五日とてそれそれ我子を連れての氏神詣」【二】若衆歌舞伎の狂言の題名。衆道を扱った離れ狂言で、殿様の氏神詣での折、殿 ...
17. 江戸時代(年表)
日本大百科全書
)中江藤樹『翁問答』。お陰参り流行(~1651)1652(承応1)江戸に旗本奴・町奴流行。若衆歌舞伎禁止1653(承応2)このころ代表越訴一揆が各地で起こる。野 ...
18. 榎本弥左衛門覚書 近世初期商人の記録 372ページ
東洋文庫
謀判処刑、田大麦播種、漆・楮・桑植栽、蔵米貸付、信綱の処世意見承応元年-信綱の物語十一カ条、若衆歌舞伎禁止、深井吉成家老就任、西国大熱気、承応 事件、浅間山噴火 ...
19. えんげき【演劇】
国史大辞典
ゅう)おどりの一種だった、出雲阿国を代表とする女芸人の歌舞からおこった。やがて遊女歌舞伎・若衆歌舞伎を経て、十七世紀後半から男性芸人の「物真似狂言」を本体とする ...
20. えんげき【演劇】 : 演劇/〔人形浄瑠璃・歌舞伎の生成発展時代(十七世紀初めから幕末維新まで)〕
国史大辞典
ゅう)おどりの一種だった、出雲阿国を代表とする女芸人の歌舞からおこった。やがて遊女歌舞伎・若衆歌舞伎を経て、十七世紀後半から男性芸人の「物真似狂言」を本体とする ...
21. おおさか-たざえもん【大坂太左衛門(4代)】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代前期の歌舞伎の名代(なだい)。寛永のころ大坂道頓堀浜側で若衆歌舞伎を興行。承応(じょうおう)元年(1652)正式に名代をゆるされて道頓堀の南側へ ...
22. おおのむら【大野村】石川県:輪島市/旧町野町地区
日本歴史地名大系
古鐘が伝わる。「能登名跡志」に「歌舞妓などありにぎはしき也」とあり、同社境内の常設舞台では若衆歌舞伎が演じられた。文政六年銘の大幕がある。かつては氏子中から別当 ...
23. 男舞
世界大百科事典
巻の太刀という男装束で主に高級遊女が舞った。(2)歌舞伎舞踊の一種。白拍子姿を模す拍子舞。若衆歌舞伎で型がつくられ人気があった。大小の舞もその一つで,金の立烏帽 ...
24. おとこまい【男舞】
国史大辞典
指していう。伝説では、静御前の母磯の禅師に始まるとも、島の千載・和歌の前に始まるとも伝える。近世に若衆歌舞伎の祝言舞に「大小の舞」と称するものがあったが、それは ...
25. おとこまい【男舞】
歌舞伎事典
白鞘巻の太刀という男装束で主に高級遊女が舞った。(2)歌舞伎舞踊の一種。白拍子姿を模す拍子舞。若衆歌舞伎で型がつくられ、人気があった。大小の舞もその一つで、金の ...
26. おんな‐かぶき[をんな‥]【女歌舞伎】
日本国語大辞典
京都に発生した、女性を主とする歌舞伎。寛永六年(一六二九)風紀を乱したことにより禁止され、若衆歌舞伎がこれに代わった。阿国歌舞伎、遊女歌舞伎はこの一つ。女狂言。 ...
27. 陰間
世界大百科事典
なお,ときには女性客もあり,また,男女の密会に利用されることもあった。→男色原島 陽一 男娼 若衆(男色) 若衆歌舞伎 舞台子 色子 飛子 陰間茶屋 子供屋 ...
28. かしゃ‐がた[クヮシャ‥]【花車形・花車方】
日本国語大辞典
ガタ)の書置る書也」「花車」は、本来は茶屋や揚屋の女房の意で、若衆歌舞伎の「かか方」から生じた。はじめ女房役が多かったが、後にはお家乗っ取りを謀る継母や後室など ...
29. かしゃがた【花車方】
歌舞伎事典
のこと、およびそれを専門に演ずる俳優をいう。華車方とも書く。花車とは元来茶屋の女房の意で、若衆歌舞伎の〈かか方〉から生まれたもので、当時は女房役が多かったが、後 ...
30. 数え歌
世界大百科事典
これは早くに門付(かどづけ)芸となり,近世には〈昔大黒舞〉と称する酒席の座敷歌ともなった。近世は若衆歌舞伎の〈数え踊〉や〈江戸万歳〉〈西国巡礼歌〉等,数え歌形式 ...
31. 鬘
世界大百科事典
慶長年間(1596-1615)に行われた能をまねた鬘帯をつけて,中古の女性の風俗を模したが,のち女歌舞伎,若衆歌舞伎が禁止されてからは,前髪を剃り落とした野郎頭 ...
32. かつら【鬘】
歌舞伎事典
近世初頭、成立期の女歌舞伎では、能狂言の扮装を模倣してびなんかづらを用いた。以後、女歌舞伎、若衆歌舞伎の禁止により前髪を剃りおとした野郎頭となった野郎歌舞伎の役 ...
33. 歌舞伎(演劇)
日本大百科全書
かつて武家・僧侶(そうりょ)が稚児(ちご)猿楽や稚児延年(えんねん)を愛好したことからみれば、むしろこの若衆歌舞伎のほうが伝統的だったともいえよう。女歌舞伎の新 ...
34. 歌舞伎
世界大百科事典
乱すとの理由で,29年(寛永6)に他の女性芸能とともにこれを禁止してしまった。 それに代わって台頭したのが〈若衆歌舞伎〉である。前髪をつけた美少年たちによる踊り ...
35. かぶき【歌舞伎・歌舞妓】
日本国語大辞典
興行したのが初めといわれ、人気を集めたが、風俗を乱すとして禁止になった。代わって美少年中心の若衆歌舞伎や野郎歌舞伎が出現し、次第に技芸本位のものとなり、元祿(一 ...
36. かぶき【歌舞伎】
国史大辞典
は風俗を乱すという理由で寛永六年(一六二九)禁止され、若衆が女役を演じるようになり、これが若衆歌舞伎である。ところがこの若衆も衆道(男色)によって風俗を乱すとし ...
37. 歌舞伎
日本史年表
女歌舞伎 を禁止(歌舞伎年表)。 1652年〈承応元(9・18) 壬辰〉 6・20 幕府、 若衆歌舞伎 を禁じる(御触書寛保集成)。 1652年〈承応元(9・1 ...
38. 歌舞伎[演劇]
イミダス 2017
今日のアイドルのような熱狂的な人気が想像できる。派手な女性の踊りは風俗壊乱の理由で禁じられ、これに代わる若衆歌舞伎も男色と結びつくとして禁止、やがて野郎(前髪を ...
39. かぶきえ【歌舞伎絵】
国史大辞典
いう。慶長初年に京都でかぶいた出雲の巫女阿国が始祖で、阿国歌舞伎・遊女歌舞伎(女歌舞伎)・若衆歌舞伎・野郎歌舞伎と変遷、それらは屏風や絵巻に画かれた。江戸時代中 ...
40. かぶき‐おどり[‥をどり]【歌舞伎踊】
日本国語大辞典
阿国が、男装、帯刀の異様な姿で歌い、踊ったのにはじまる舞踊劇。また、阿国歌舞伎、女歌舞伎、若衆歌舞伎などの踊り。歌舞伎踊狂言。*慶長見聞集〔1614〕二「江戸吉 ...
41. 歌舞伎舞踊
世界大百科事典
お国に追随した遊女歌舞伎も,女性芸能いっさいの禁止で出現した若衆歌舞伎も,その中心はレビュー式の〈総“踊”-大踊〉であった。若衆歌舞伎から,その禁止後に登場する ...
42. かぶきぶよう【歌舞伎舞踊】
国史大辞典
舞と踊りを総合した歌舞伎の舞踊で日本舞踊の代表。出雲阿国(いずものおくに)が始めたころから若衆歌舞伎時代までは、風流踊り系統の踊りが中心であった。野郎歌舞伎時代 ...
43. かぶきぶよう【歌舞伎舞踊】
歌舞伎事典
。お国に追随した遊女歌舞伎も、女性芸能一切の禁止で出現した若衆歌舞伎も、その中心はレビュー式の〈総“踊”‐大踊〉であった。若衆歌舞伎から、その禁止後に登場する野 ...
44. 被り物
世界大百科事典
表裏とも黒の裂(きれ)で作られ,浄土真宗の婦人門徒が報恩講参詣時に使用したりした。野郎帽子は,若衆歌舞伎の女形(野郎)が前髪を剃った月代(さかやき)の部分を隠す ...
45. 狂言集 102ページ
日本古典文学全集
一首だけでなく何首ずつか一括して伝わっている場合が多いのが特徴である。虎明本にすでに見えるが、近世初期の若衆歌舞伎踊り歌の『業平踊歌十六番』や『松の落葉』巻六の ...
46. 狂言集 202ページ
日本古典文学全集
なものの一つであるが、同時にまた「あの花見さい」とか「あれ出て見さい」のかたちで女歌舞伎や若衆歌舞伎にも謡われた初期歌舞伎の代表的踊り歌でもある。しかし狂言のほ ...
47. きょうげん‐づくし[キャウゲン‥]【狂言尽】
日本国語大辞典
03〕二月二七日「麹町飯田町四丁目喜多舞台に、第一回狂言尽を催すこととなりたるが」(2)(若衆歌舞伎が禁止され、野郎歌舞伎が再開されたときの「物真似狂言尽し」の ...
48. 近世俳句集 82ページ
日本古典文学全集
いはば、よき女のなやめるところあるに似たり」を用いている。男色の対象となる前髪立の美少年。若衆歌舞伎の少年などが対象となった。「梅柳さぞ若衆哉女かな 芭蕉」(武 ...
49. 金平浄瑠璃
世界大百科事典
人的な剛勇さと童話的な痛快味は,戦国時代を懐古する風潮の中で,人々から歓迎され,女歌舞伎,若衆歌舞伎弾圧に対する反動も手伝って大変な流行をみた。しかし,町人文化 ...
50. きんぴらじょうるり【金平浄瑠璃】
歌舞伎事典
その超人的な剛勇さと童話的な痛快味は、戦国時代を懐古する風潮の中で、人々から歓迎され、女歌舞伎・若衆歌舞伎弾圧に対する反動も手伝って大変な流行をみた。しかし、町 ...
「若衆歌舞伎」の情報だけではなく、「若衆歌舞伎」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

若衆歌舞伎と同じ歌舞伎・狂言・落語カテゴリの記事
歌舞伎(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎という表記は当て字であるが、歌(音楽)、舞(舞踊)、伎(伎芸)をそれぞれ意味し、日本独自の様式的演劇の特質を巧まずして表現しているため、今日では広く用いられている。かつて江戸時代には「歌舞妓」と書かれるのが普通であったが、もっと古くは「かぶき」と仮名で書かれた
下座音楽(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎の演出に、効果・修飾・背景・伴奏音楽として、原則として黒御簾で演奏される歌舞伎囃子の通称。〈黒御簾音楽〉〈陰囃子〉(略して〈黒御簾〉〈陰〉とも)などの別称がある。ただし〈陰囃子〉は、狭義に、出囃子・出語りについて黒御簾の中で演奏される鳴物を意味することが多い
江戸三座(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
江戸で公許された中村座、市村座、森田座の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが、正徳四(1714)年、江島生島事件によって山村座が廃絶、以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。中村座は堺町、市村座は葺屋町、森田座は木挽町において興行したが
野郎歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
若衆歌舞伎の禁令以後、前髪を剃って、野郎頭となった男たちの歌舞伎、という意味で、承応一(1652)年ごろから、いわゆる元禄歌舞伎時代まで二十数年間をふつうに野郎歌舞伎時代と呼ぶ。若衆歌舞伎の少年の前髪を剃り落とされたので、以後は成人男子の役者
若衆歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
前髪立ちの美少年の魅力を中心とした歌舞伎。慶長八(1603)年四月に出雲のお国が歌舞伎踊を創始したが、その同じ年の九月には、五歳の童男の歌舞伎が宮中に招かれたという記録があるので、少年の歌舞伎はきわめて早くから行われていたことが知れる。
歌舞伎・狂言・落語と同じカテゴリの記事をもっと見る


「若衆歌舞伎」は文化に関連のある記事です。
その他の文化に関連する記事
雛人形(世界大百科事典)
雛祭に飾る人形。節供人形ともいう。平安時代には,小さな紙人形でままごと遊びをする〈ひいな〉遊びがあった。またこれとは別に,季節の変り目に神に供御(くご)(飲食物)を供えて身体の安泰を願う信仰があり,それを節供といった。3月上巳(じようし)(最初の巳
歌舞伎十八番(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・世界大百科事典)
七世市川団十郎が制定した一八の演目をいう。七世団十郎は、天保三(1832)年三月海老蔵に八世団十郎を襲名させ、自身は海老蔵と改名した時に配った刷り物で、「歌舞妓狂言組十八番」と題して一八種の名目を掲げた。その後、天保一一年《勧進帳》の初演に際し
日本舞踊(日本大百科全書・世界大百科事典)
邦舞ともよび、西洋舞踊(洋舞)と大別される。広義には、舞楽(ぶがく)、能(のう)、歌舞伎(かぶき)舞踊(古典舞踊)、新舞踊、創作舞踊、民俗舞踊(郷土舞踊)などをいう。狭義には、これらのうち一般的によく知られている歌舞伎舞踊をいうことが多い。「舞踊」と
歌舞伎舞踊(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
歌舞伎の中で演じられる舞踊および舞踊劇。また日本舞踊を代表する舞踊として同義語にも用いられる。【歴史】歌舞伎舞踊は、中世末期の風流(ふりゅう)踊という民俗舞踊を母体として発したもので、出雲のお国の踊った歌舞伎踊にはじまる。お国に追随した遊女歌舞伎も
寿狂言(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
江戸の劇場の中村座・市村座・森田座に伝承された祝言儀礼的狂言のこと。家狂言ともいう。江戸時代の歌舞伎の興行権は、幕府が座元(太夫元)個人に与えた特権であった。江戸三座の座元は世襲であったので、その権威も特に大きく、各座では、由緒正しい家を誇り格式を
文化に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶