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新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典

新版 歌舞伎事典
かぶき者
かぶきもの
 歌舞音曲の演奏家や歌舞伎役者をさすとともに、放蕩無頼・異端・異装の封建体制からはみ出してしまった、溢れ者をさす語である。中世の一つの美意識である〈ばさら〉が、集団としての反抗精神をもっていたのに対し、〈かぶき〉は個人の美的な反抗にすぎなかった。かぶき者の最初の典型として名古屋山三郎が連想されるが、それ以前に、より本質的なかぶき者として、倒錯的価値顛倒・異端をもって、人間性の解放をした豊臣秀吉があげられる。桃山期のかぶき者、秀吉は為政者であったが、慶長に至ってのかぶき者、山三郎は、出自は名門の貴公子ながらまさしく世の溢れ者として登場し、無頼・無法・異端の徒であった。また《好色一代男》の主人公世之介も、まぎれもないかぶき者である。〈家〉の桎梏を無視し、近世的現世離脱の方法として日本中の遊里を巡り、封建社会の秩序からはみ出し、跡継ぎをもたない一代男世之介は、好色という面にかぶき精神を凝集させた溢れ者であった。
名古屋山三郎
[松田 修]


国史大辞典
かぶき者
かぶきもの
近世初期、異様な風体をして市井を横行した無頼の徒をいう。「かぶき」という語は、「傾(かぶ)く」という動詞から出た言葉で、「傾奇」とも書かれるごとく、常軌を逸した行為・精神・風俗を意味していた。徒者(いたずらもの)と呼ばれたものも同類で、ことに関ヶ原の戦以後大坂の陣前後にかけて、京都で目立って流行した。『当代記』によれば、慶長十一年(一六〇六)六月、郊外に遊山に出ていた豪商後藤・茶屋らの婦女子が「かぶき衆」の暴行を受けるという事件が起り、また同十四年には、当時京都を徘徊していた荊(いばら)組・皮袴(かわばかま)組といった「徒者」の集団が検挙されたという。彼らの多くは武家奉公人(中間・若党など)ないし牢人を中心勢力としていた。一方、このような風潮は公家社会にも浸透し、青侍層を中心に「かぶき」たる非行が頻発する。同八年の壁書(『慶長日件録』)、寛永八年(一六三一)の若公家法度(『資勝卿記』)などのなかにも、その自粛が求められているほどで、慶長十四年の女官・公家の密通事件(猪熊事件)なども、その一例であった。いずれも幕藩体制成立期における矛盾の集中した部分に顕著に見られ、彼らのなかにはなお戦国時代の下剋上論理が生きており、また主従関係を横断した強固な同志的意識があったとされる。したがってその乱行も、時として反体制的な色彩をおびることともなり、幕府の厳しい弾圧にさらされた。もっとも、かぶき者の非行の直接の被害者は主として庶民であったが、その一般民衆がひそかに彼らかぶき者の行動に共感を示していたことは、かぶき者を舞台に登場させた新しい芸能「歌舞伎舞踊」に、大衆が喝采を贈ったことによってうかがえる。しかし、これらのかぶき者の行為が一定の歴史的意味を持ったのは慶長・元和の間であって、以後は急速に風俗化し、町奴・旗本奴らのいわゆる「伊達(だて)者」のなかに解消されてしまうのである。
[参考文献]
辻善之助『日本文化史』五、松田修『日本近世文学の成立―異端の系譜―』、『京都の歴史』四、守屋毅『「かぶき」の時代』(『(季刊論叢)日本文化』五)、中村栄孝「豊国祭図の屏風―「カブキモノ」の絵すがた―」(『東海風土記』所収)、北島正元「かぶき者―その行動と論理―」(『近世史の群像』所収)、熊倉功夫「江戸幕府の朝廷支配と公家家業」(『詩林泝〓』一一)、森末義彰「女かぶき発展の史的考察」(『思想』一七五)
(守屋 毅)


改訂新版・世界大百科事典
かぶき者
かぶきもの

江戸時代前期,江戸その他の都市を舞台に反体制的行動を展開した武士,奉公人などを指す。〈かぶき(傾き)〉という言葉はかたよった異様な風俗や行動をいう。歌舞伎の源流である〈かぶき踊〉と同じ時代相を背景として発生し,ともに異端的なものとして受け取られていた。初期のかぶき者には,没落した在地小領主や,名主(みようしゆ)の家父長制的経営から解放された小農民を主体とする中間(ちゆうげん),小者(こもの)などの武家奉公人が多かった。かぶき者の首領たちは大鳥居逸兵衛,大風嵐之介などの異名をもち,若者を集めて血判の起請文(きしようもん)をとり,もし仲間に災難が起きた時は身命を捨て,たとえ相手が君父であっても〈道理〉に反した場合は容赦せず復讐することを誓っていたというから,かぶき者の行動原理は戦国以来の反権力思想たる下剋上思想にほかならない。しかし幕藩制身分秩序が確立するにつれ,旗本奴(やつこ)と町奴との対立にみられるように,かぶき者の行動や行動原理もしだいに矮小化し風俗化していった。それは幕藩権力による弾圧強化が直接の理由だが,かぶき者が市井から姿を消したのは,5代将軍綱吉のころである。
[北島 正元]

[索引語]
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によれば、山三郎は武勇にすぐれていたばかりでなく、かくれなき美男子で、遊芸にも通じた伊達男(かぶき者)であった。山三郎は若くして剃髪して宗円と称し、京都に隠栖( ...
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