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出雲のお国

ジャパンナレッジで閲覧できる『出雲のお国』の新版 歌舞伎事典・新版 日本架空伝承人名事典のサンプルページ

新版 歌舞伎事典
出雲のお国
いずものおくに
生没年不詳。慶長八(1603)年、京において歌舞伎踊を演じ、歌舞伎の創始者となった女性芸能者。出雲大社の巫女みこと称していたが、出身地は不詳。おそらくは京もしくはその周辺の出身であろう。歌舞伎踊を創始する以前は、ややこ踊と呼ばれる芸能を演じていた。ややこ踊の名称は、天正九(1581)年ごろから見出せるが、そのころ一〇歳前後の幼女であったと思われる。時の宮廷や上級公家の邸に招かれて演じているが、西日本各地から東海北陸地方まで巡業していた形跡がある。天正一六年にはすでに出雲の巫女と名のって、神楽や小歌なども演じていた。美人ではなかったとの記事もあるが、芸能に対するぬきん出た感覚の持主であったと思われる。歌舞伎踊での成功の前後は、京では北野神社の境内の舞台を本拠としていた。慶長一二年には江戸城内でも興行している。慶長一八年以降の消息はつかめない。
お国歌舞伎ややこ踊
[小笠原 恭子]


新版 日本架空伝承人名事典
出雲のお国
いずものおくに
歌舞伎の始祖とされる安土桃山時代の女性芸能者。生没年不詳。於国、阿国、国、郡、久仁、おくに、くになど、さまざまに記されている。お国の出自や経歴については、確実な資料がまったくない。巷説では出雲大社の巫女みことされているが、地方から京に上った歩き巫女の一人であったとする説や、洛北出雲路河原の時宗鉦打聖の娘との説もある。江戸時代を通してさまざまに伝えられてきたお国伝説の集大成ともいうべき『出雲阿国伝』によれば、お国は出雲国杵築の鍛冶職中村三右衛門の娘で、永禄(一五五八‐七〇)のころ出雲大社修覆勧進のために諸国を巡回したところ、容貌美麗で神楽舞に妙を得ていたので評判となり、京に上って歌舞伎踊を考案し、織田信長や豊臣秀吉、越前中納言秀康などに召し出されて寵愛されたということになっている。確実な資料にとにかく「国」の名が出るのは、一六〇〇年(慶長五)京都近衛殿において「クニ」と「菊」という二人が雲州(出雲国)のややこ踊を演じたとあるのが最初である(『時慶卿記』)。次に、〇三年四月には「出雲国神子女」国が、当時流行の男伊達風の男装をして茶屋遊びの様子をまねて「カフキおどり」をし、京中の人気を集めたという記録がある(『当代記』)。この二つを結びつければ、お国がややこ踊から歌舞伎踊を考案してその始祖となったということになる。この後お国は歌舞伎踊の一座を率いて、北野社頭や四条河原で勧進興行を行い、女院の御所や公家の邸にもしばしば招かれている。
また、歌舞伎成立当時の舞台の様子を伝えるといわれる『かぶきのさうし』(『歌舞伎草子』)では、当代のかぶき者(伊達男)名古屋山三郎が生前お国の歌舞伎踊を好んでいたが、お国を慕って亡霊となってあらわれ、お国とともに歌舞伎踊を踊るという話が作られている。〇三年に若くして刃傷沙汰のために非業の死を遂げた名古屋山三郎は、史実としてお国とはまったく関係のない人物であったが、異風な男装で歌舞伎踊をしたお国と密着することになり、さまざまに潤色され、多くのお国山三説話を生むことになった。名古屋山三郎はお国に情を通じた夫ということになり、山三郎が歌舞伎踊を考案してお国に教えたとか、二人で歌舞伎踊を創始して全国に広めたなどと説かれている(『懐橘談』『雍州府志』など)。慶長末年にはお国が桑名や江戸城中で勧進興行を行ったと伝える資料があり、北野社家の記録にも再び「国」の名があらわれるようになり、御所や公家の邸にしばしばかぶきが招かれるようになるが、これらが出雲のお国と同一人物であるかどうかは確かめえず、二代目お国を想定する説もある。晩年の動静についてもまったく不明で、〇七年小田原で没したとも、故郷出雲に帰って尼となって智月と号し、連歌を楽しみ、二二年(元和八)七月一三日七五歳で没したとも、長命を保って八七歳で没したとも伝えられている。
名古屋山三郎
[鳥居 フミ子]
古は神楽とも云(ひ)しを、聖徳太子、神楽の神の字の真中に墨打をして、秦河勝に鋸にて引割せ、是を名付(け)て申楽といふ。其後の人、申の字の首と尻尾とを打(ち)切(り)て、田楽と号して専行(は)れけり。其後は田の字の口をとりて、十楽などゝも名付(く)べきを、永禄の頃出雲のお国といへる品者、江州の名古屋三左衛門となんいへるまめ男と夫婦となり、哥舞妓と名をかへ、今様の新狂言を出す。
根南志具佐
都の春の花ざかり〓〓、かぶき躍にいでうよ、そもそもこれは出雲の国大社に仕へ申す社人にて候、それがしが娘に国と申す巫女の候を、かぶき躍と申す事を習はし、天下太平の御世なれば、都にまかりのぼり候て、躍らせばやと存じ候。(中略)
いかに申し候、今日は正月二十五日、貴賤群集の社参の折柄なれば、かぶき躍を始めばやと思ひ候、まづ〓〓念仏躍を始め申さう、光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨、南無阿弥陀仏なむあみだ、南無阿弥陀仏なむあみだ、はかなしや鉤に懸けては何かせん、心にかけよ弥陀の名号、なむ阿弥陀仏なむあみだ。
かぶきのさうし
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出雲のお国の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 52
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検索コンテンツ
1. 出雲のお国
世界大百科事典
の名があらわれるようになり,御所や公家の邸にしばしばかぶきが招かれるようになるが,これらが出雲のお国と同一人物であるかどうかは確かめえず,2代目お国を想定する説 ...
2. 出雲のお國(いずものおくに)
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生没年不詳。慶長八(1603)年、京において歌舞伎踊を演じ、歌舞伎の創始者となった女性芸能者。出雲大社の巫女(みこ)と称していたが、出身地は不詳。おそらくは京 ...
5. 安土桃山時代
世界大百科事典
休によってわび数寄の茶が大成し,今井宗久,島井宗室,細川忠興,古田織部らの茶人が輩出した。出雲のお国によって始められた歌舞伎踊や隆達節も町衆の間に広まり,新しい ...
6. 綾子舞
世界大百科事典
,いずれもこの芸能が京から伝来したことをうかがわせる。ことに京で北野神社を本拠地としていた出雲のお国が,歌舞伎踊以前に名のっていた〈やや子踊〉との名称の相似も考 ...
7. あやこまい【綾子舞】
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、いずれもこの芸能が京から伝来したことをうかがわせる。ことに京で北野神社を本拠地としていた出雲のお国が、歌舞伎踊以前に名のっていた〈ややこ踊〉との名称の相似も考 ...
8. いしょう【衣裳】
歌舞伎事典
引抜き・ぶっ返り・早替りなど仕掛のある衣裳、能などの他芸能の衣裳様式を採り入れたものに大別できる。 出雲のお国以来、伊達を誇り、風流を凝らす〈かぶき者〉の血脈が ...
9. 出雲[市]
世界大百科事典
10月の神在(かみあり)祭,11月の新嘗(にいなめ)祭がにぎわう。大社の西に歌舞伎の創始者出雲のお国の墓があり,国譲り神話で名高い稲佐浜(いなさのはま)は遠浅の ...
10. 出雲阿国[文献目録]
日本人物文献目録
【図書】:1件 【逐次刊行物】:9件 『出雲のお国』吉川清『出雲の阿国』竜居松之助『出雲阿国』藤浪隆之『出雲お国 或は「名古屋山三」又は「梨のあだ花」』佐藤春夫 ...
11. 稲佐浜
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12. お国歌舞伎
世界大百科事典
出雲のお国の創始した芸能。1603年(慶長8),京都において出雲のお国と称する女性芸能者が,当時横行していたかぶき者と呼ばれる意気がった若者たちの,茶屋女に通う ...
13. おくにかぶき【お国歌舞伎】
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出雲のお国の創始した芸能。慶長八(1603)年、京都において出雲のお国と称する女性芸能者が、当時横行していたかぶき者と呼ばれる意気がった若者たちの、茶屋女に通 ...
14. 踊念仏
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15. 小原木踊
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うたったもので,中世後期からの風流(ふりゆう)踊の盛行とともに諸国に広まった。歌舞伎踊を創始する以前の,出雲のお国も踊っている。〈沈(じん)や麝香(じやこう)は ...
16. 音響効果
世界大百科事典
大衆の中に入る。下って永禄年間(1558-70)には琉球より三味線が伝来し町衆踊に使われ,出雲のお国による歌舞伎踊が流行する。やがてちょぼ(竹本)が使用されるよ ...
17. 女歌舞伎
世界大百科事典
出雲のお国が創始した歌舞伎踊をまねた,遊女や女芸人の歌舞伎をいう。お国自身の歌舞伎も女歌舞伎であるが,一般には区別している。1603年(慶長8)お国が歌舞伎踊で ...
18. おんなかぶき【女歌舞伎】
歌舞伎事典
出雲のお国が創始した歌舞伎踊をまねた、遊女や女芸人の歌舞伎をいう。お国自身の歌舞伎も女歌舞伎であるが、一般には区別している。慶長八(1603)年お国が歌舞伎踊 ...
19. かぶき
世界大百科事典
一身にたたえた異風の男どもをさす語として流布していた。 演劇としての歌舞伎の創始者といわれる出雲のお国の芸が〈かぶき〉といわれるようになったのは,その得意とした ...
20. 歌舞伎
世界大百科事典
着けず,振りをそろえて〈踊る〉舞台芸能として成立する。その最初は,出雲大社の巫女の出身と称し,出雲のお国と名のった女性芸能者が京都にのぼり,〈ややこ踊〉と呼ぶ芸 ...
21. 歌舞伎草子
世界大百科事典
これに,2系統がある。(1)お国歌舞伎で行われていた念仏踊や茶屋あそびの踊りを素材とし,これに出雲のお国・名古屋山三のはなやかな伝説を加味して,一種の絵物語に仕 ...
22. かぶきぞうし【歌舞伎草子】
歌舞伎事典
これに、二系統がある。(1)お国歌舞伎で行われていた念仏踊や茶屋あそびの踊を素材とし、これに出雲のお国・名古屋山三のはなやかな伝説を加味して、一種の絵物語に仕立 ...
23. 歌舞伎舞踊
世界大百科事典
歴史 歌舞伎舞踊は,中世末期の風流(ふりゆう)踊という民俗舞踊を母体として発したもので,出雲のお国の踊った歌舞伎踊にはじまる。お国に追随した遊女歌舞伎も,女性 ...
24. かぶきぶよう【歌舞伎舞踊】
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【歴史】 歌舞伎舞踊は、中世末期の風流(ふりゅう)踊という民俗舞踊を母体として発したもので、出雲のお国の踊った歌舞伎踊にはじまる。お国に追随した遊女歌舞伎も、女 ...
25. 賀茂川/鴨川
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集め,刑場としても利用されていたが,また芝居興行の地としても知られた。かぶき踊で著名な江戸時代初期の出雲のお国の興行場所は,最初五条河原で,のち北野社などへ移り ...
26. 芸能
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27. 劇場
世界大百科事典
能様式模倣の初期歌舞伎 常設の劇場が建てられたのは,江戸時代に入ってからである。江戸時代の初期に出雲のお国が京都四条河原で歌舞伎踊を創始し,これを模倣する女歌舞 ...
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【能様式模倣の初期歌舞伎】 常設の劇場が建てられたのは、江戸時代に入ってからである。江戸時代の初期に出雲のお国が京都四条河原で歌舞伎踊を創始し、これを模倣する女 ...
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世界大百科事典
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30. こどうぐ【小道具】
歌舞伎事典
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日本歴史地名大系
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32. しな‐もの【品者】
日本国語大辞典
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33. しばいまち【芝居町】
歌舞伎事典
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世界大百科事典
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36. 東海道名所記 1 18ページ
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38. 名古屋山三郎
世界大百科事典
?-1603(慶長8) 安土桃山時代の出雲のお国とともに歌舞伎の始祖に擬せられ,世に〈さんざ〉〈山三〉〈山左〉〈山左衛門〉〈三左衛門〉と呼ばれた男性。父因幡守高 ...
39. なごやさんざぶろう【名古屋山三郎】
日本架空伝承人名事典
安土桃山時代の出雲のお国とともに歌舞伎の始祖に擬せられ、世に「さんざ」(「山三」「山左」)「山左衛門」(「三左衛門」)と呼ばれた。父因幡守高久(敦順とも)は織田 ...
40. なごやさんざぶろう【名古屋山三郎】
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の本地堂を営んだのが起源(三津寺八幡宮記)というので、三津寺八幡とも称した。 →役者一覧。出雲のお国の女歌舞伎であるが、太夫蔵人の元和当時は二代目お国であった。 ...
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47. ややこ踊
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48. ややこおどり【ややこ踊】
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出雲のお国が歌舞伎踊を創始する以前に演じていた芸能。天正九(1581)年ごろから文献に残されている。はじめは幼い少女二人の踊であったので、その幼さを強調して〈 ...
49. 遊歴雑記初編 2 111ページ
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50. 遊歴雑記初編 2 1ページ
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1-76,77石河土佐守 1-49石橋弥兵衛 1-270出雲のお国 2-111伊勢屋小兵衛 1-296一 ...
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