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  11. 十六夜日記

十六夜日記

ジャパンナレッジで閲覧できる『十六夜日記』の国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集のサンプルページ

国史大辞典
十六夜日記
いざよいにっき
阿仏尼の日記紀行文学。伝本により『いさよひの記』『阿仏の道の記』『阿仏房紀行』などとも題する。藤原為家がはじめ長男為氏に譲った播磨の細川荘を、のちに悔返して為相に譲ったが、為家の没後為氏が手放さなかったため、為相の母阿仏尼がその地頭職につき幕府に訴え、弘安二年(一二七九)十月に鎌倉へ下った。その時の東海道紀行文を第一部、鎌倉での生活(翌年八月まで記されている)を第二部とした日記で、その後に鶴岡八幡宮に勝訴を祈った同五年春の長歌を付する本が多いが、これら三部は一応別々に成ったものである。題名は出京の日が十六日であったのによる。第一部は都に残した二児為相・為守への歌枕詠作の手本として記されたとも見られ、冒頭の子を思う情は感動を呼ぶが、紀行文としては平板単調である。刊本として『群書類従』紀行部、『日本古典全書』に所収。→阿仏尼(あぶつに)
[参考文献]
石田吉貞『十六夜日記』解題(『日本古典全書』)、福田秀一「細川庄をめぐる二条冷泉両家の訴訟」(『中世和歌史の研究』所収)、『群書解題』一一
(福田 秀一)


日本大百科全書
十六夜日記
いざよいにっき

阿仏尼(あぶつに)の著。作者が亡夫藤原為家(ためいえ)との間にもうけた愛児為相(ためすけ)のため、播磨(はりま)国細川庄(しょう)(兵庫県三木市細川町)の相続権を異腹の長子為氏(ためうじ)と争い、1279年(弘安2)訴訟のため鎌倉に下ったときの紀行的日記。序章と下向の道の記、鎌倉月影の谷(やつ)滞在中の望郷の記、勝訴を鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に祈り幕府の善政を願う長歌の3部からなる。1、2部は弘安(こうあん)2年から3年にかけて成ったかとみられ、第3部の長歌は5年春の作。書名は、出立に際しての心境「身をえうなきものになし果てて、ゆくりもなく、いさよふ月にさそはれ」にちなむ後人の命名ともいわれる。別名『路次記(ろじのき)』『阿仏房紀行』『いさよひの記』など。母性愛と歌道家後室の自覚とに支えられた意志的女性の日記として特色があり、道の記に収める多くの和歌は、為相らに歌枕(うたまくら)とその詠み方を教える教科書的意図をもつという見方もなされている。「ささがにの蜘蛛手(くもで)あやふき八橋(やつはし)を夕暮かけてわたりぬるかな」。また鎌倉滞在中の詠「忍び音は比企(ひき)の谷(やつ)なる時鳥(ほととぎす)雲井(くもゐ)に高くいつか名のらん」はその真情を示す。細川庄訴訟は阿仏尼の没後1289年(正応2)為相の勝訴が認められ、なお紛糾したが1313年(正和2)最終的に勝訴と決した。
[岩佐美代子]


『十六夜日記』[百科マルチメディア]
『十六夜日記』[百科マルチメディア]
左ページ4~5行目が「忍び音は比企(ひき)の谷(やつ)なる時鳥(ほととぎす)雲井(くもゐ)に高くいつか名のらん」の歌。古活字版 阿仏尼(あぶつに)著 元和・寛永年間(1615~1644)ごろ刊 書き込みあり 国立国会図書館所蔵


改訂新版・世界大百科事典
十六夜日記
いざよいにっき

鎌倉時代の紀行・日記。1巻。著者は藤原為家の側室阿仏尼(あぶつに)。為家没後,実子為相(ためすけ)と為家の嫡子為氏との間に播磨国細川荘をめぐる相続争いが起こり,その訴訟のため弘安2年(1279)阿仏尼が鎌倉へ旅立った際の日記。内容は,旅の動機を述べた序,鎌倉までの道中の記,および鎌倉滞在中の記事から成る。作中,100首を超える和歌を含み,道中の記の部分では《伊勢物語》の東下りの影響が強い。書名は著者の命名ではなく,古くは単に《路次記》《阿仏記》などと呼ばれていたが,旅立ちが10月16日であったことから,《いさよひの記》《いさよひの日記》と呼ばれるようになった。
[今西 祐一郎]

[索引語]
阿仏尼 路次記 阿仏記


新編 日本古典文学全集
十六夜日記(中世日記紀行集)
いざよいにっき(ちゅうせいにっききこうしゅう)
【閲覧画面サンプル】
十六夜日記(中世日記紀行集) 全体

【上記の拡大画像】
十六夜日記(中世日記紀行集) 拡大

【現代語訳】
一 路次の記 〔一〕 
昔、壁の中からさがし出したという書物の標題、すなわち「孝」ということを、今どきの子供は、自分の身にかかわりあることとは夢にも思わずにいるものだったのだなあ。繰り返し書き置いた遺言は確かに現存するにもかかわらず、何の役にも立たないのは親の訓戒なのだ、また賢明な帝王が人材を決してお捨てにならない善政にも取り残され、忠誠な重臣が天下の政治を憂える至情にも洩れてしまうのは取るに足りない我が身一つなのだ、と思い知るならそれであきらめがつくというわけにもいかず、やはり我が子を思う心づかいだけは、どうにも始末のつけようもなく悲しいものだ。

〔二〕 
そのうえ更に考えてみれば、和歌の道とは、ただもう真情には遠い、口先のたわむれにすぎないと思う人もあろうが、実はそうではない。日本の国の始め、天の岩戸開きの時に、八百万の神が喜び奏した神楽の言葉をはじめとして、世をおだやかに治め、物事を和合させるための仲介として実に大切なものだということを、歌道の大先達の人々は書いておかれたのである。

さてそのうえに、勅撰集を撰ぶ人はその例も多いことだが、一人で二度も勅命を受け、二代の帝に集を奉るという栄誉をこう

【目次】
十六夜日記(扉)
梗概
一 路次の記
〔一〕序―壁の中の書
〔二〕歌道家の自覚と出発の決意
〔三〕別れの贈答歌
〔四〕出発、近江路―粟田口より醒が井まで
〔五〕美濃路―藤川より洲俣川まで
〔六〕尾張路―一の宮より鳴海潟まで
〔七〕三河路―二村山より渡津まで
〔八〕遠江路―高師山より菊川まで
〔九〕駿河路―大井河より田子の浦まで
〔一〇〕伊豆路―伊豆の国府より湯坂まで
〔一一〕相模路―酒匂より鎌倉へ
二 東日記
〔一二〕十六夜の贈答
〔一三〕為子、為兼との贈答
〔一四〕式乾門院御匣との贈答
〔一五〕姉妹との贈答
〔一六〕迎春、都の月の贈答
〔一七〕為子との贈答
〔一八〕瘧病―為子との贈答
〔一九〕時鳥―為子との贈答
〔二〇〕和徳門院新中納言との贈答
〔二一〕為相五十首とその返信
〔二二〕為守三十首とその返信
〔二三〕空なつかしき贈答
三 長歌
(奥書)
校訂付記

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1. 十六夜日記
日本大百科全書
阿仏尼(あぶつに)の著。作者が亡夫藤原為家(ためいえ)との間にもうけた愛児為相(ためすけ)のため、播磨(はりま)国細川庄(しょう)(兵庫県三木市細川町)の相続権 ...
2. 十六夜日記
世界大百科事典
鎌倉時代の紀行・日記。1巻。著者は藤原為家の側室阿仏尼(あぶつに)。為家没後,実子為相(ためすけ)と為家の嫡子為氏との間に播磨国細川荘をめぐる相続争いが起こり, ...
3. いざよいにっき[いざよひニッキ]【十六夜日記】
日本国語大辞典
鎌倉中期の紀行文。一冊。阿仏尼作。夫藤原為家の死後、実子為相と先妻の子為氏との播磨国細川庄をめぐる領地相続争いの訴訟のため、弘安二年(一二七九)一〇月一六日に京 ...
4. いざよいにっき【十六夜日記】
国史大辞典
刊本として『群書類従』紀行部、『日本古典全書』に所収。→阿仏尼(あぶつに) [参考文献]石田吉貞『十六夜日記』解題(『日本古典全書』)、福田秀一「細川庄をめぐる ...
5. 十六夜日記(いざよいにっき)
古事類苑
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6. いざよひにっき【十六夜日記】
全文全訳古語辞典
[書名]鎌倉中期の紀行文。阿仏尼作。一二八〇年(弘安三)成立。一巻。一二七九年、夫藤原為家の死後、作者が実子為相と先妻の子、為氏との領地相続争いのため鎌倉幕府へ ...
7. 十六夜日記(中世日記紀行集)
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8. いざよいにっきざんげつしょう[いざよひニッキザンゲツセウ]【十六夜日記残月鈔】
日本国語大辞典
十六夜日記」の最初の注釈書。三巻。小山田与清(ともきよ)と、その弟子北条時隣(ときちか)の共著。文政七年(一八二四)刊。イザヨイニッキ=ザン ...
9. 『十六夜日記』[百科マルチメディア]
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左ページ4~5行目が「忍び音は比企(ひき)の谷(やつ)なる時鳥(ほととぎす)雲井(くもゐ)に高くいつか名のらん」の歌。古活字版 阿仏尼(あぶつに)著 元和・寛永 ...
10. あさ‐かわ[‥かは]【朝川】
日本国語大辞典
ももしきの 大宮人は 船なめて 旦川(あさかは)渡り 舟ぎほひ 夕河渡る〈柿本人麻呂〉」*十六夜日記〔1279〜82頃〕「二十七日、明けはなれて後、富士河渡る。 ...
11. あしがらやま【足柄山】神奈川県:南足柄市地図
日本歴史地名大系
麓の関本宿は旅人の宿泊で賑い、それら旅人の相手をする遊女がいたことを「海道記」は伝えている。阿仏尼が「十六夜日記」で「あしから山は道遠しとて箱根路にかゝる」と述 ...
12. あしがらやま【足柄山】静岡県:駿東郡/小山町
日本歴史地名大系
鎌倉時代には箱根越の道が開かれ、阿仏尼も「あしから山は、道遠しとて、箱根路にかゝるなりけり」(十六夜日記)と箱根路を選んでいるが、幕府の公式な行事には足柄路が利 ...
13. あしはら の 道(みち)
日本国語大辞典
和歌の道。歌道。敷島(しきしま)の道。*十六夜日記〔1279〜82頃〕「世々の跡ある 玉章(づさ)も さて朽ち果てば あしはらの 道もすたれて 如何ならむ」 ...
14. あずま[あづま]【東・吾妻】
日本国語大辞典
(3)鎌倉、室町時代に、京都から特に鎌倉または鎌倉幕府を指していう。→東の主(あるじ)。*十六夜日記〔1279〜82頃〕「あづまにてすむ所は、月かげのやつとぞい ...
15. あずま の=亀鑑(きかん)[=亀(かめ)の鑑(かがみ)]
日本国語大辞典
のこと。貞永式目とも関東武家式目ともよばれ、その後も追加されて、訴訟決裁の規準となった。*十六夜日記〔1279〜82頃〕発端「さてもなほ、東の亀の鏡にうつさば、 ...
16. あながち【強】
日本国語大辞典
*日蓮遺文‐持妙法華問答鈔〔1263〕「しゐてあながちに電光朝露の名利をば貪るべからず」*十六夜日記〔1279〜82頃〕新中納言よりの音信「人には聞かれじと、あ ...
17. 阿仏尼
日本大百科全書
運び移すような事件も起こした。為家没後、1279年(弘安2)細川庄相続訴訟のため鎌倉下向。その記録が『十六夜日記』である。判決を待たず弘安(こうあん)6年4月8 ...
18. あぶつ‐に【阿仏尼】
日本国語大辞典
、冷泉為相(れいぜいためすけ)、為守を産む。領地相続の訴訟のため鎌倉へ下ったときの紀行文「十六夜日記」のほか、歌論「夜の鶴」「庭の訓」や日記「うたたねの記」など ...
19. あぶつに【阿仏尼】
全文全訳古語辞典
為相・為守を生み、後、細川庄の相続を争って訴訟を起こして鎌倉に下る。その折の紀行・滞在の日記が『十六夜日記』である。他に『うたたね』を著す。  ...
20. あぶつに【阿仏尼】
国史大辞典
為氏は細川荘や和歌文書などを手放さないため、阿仏は朝廷や幕府に訴えた。その一つの副産物が『十六夜日記』で、これは弘安二年(一二七九)の東下の記以下であるが、鎌倉 ...
21. 阿仏尼[文献目録]
日本人物文献目録
論ず』金子安平『阿仏尼の肖像と続貂』小川寿一『阿仏尼の文学 特に十六夜日記に於いて』風巻景次郎『阿仏尼の憤怒 十六夜日記物語』静川智子『十六夜日記成立年代考 阿 ...
22. あり‐あけ【有明・在明】
日本国語大辞典
6〕夏・一七三「月影を色にて咲ける卯の花はあけばあり明のここちこそせめ〈よみ人しらず〉」*十六夜日記〔1279〜82頃〕三河路「二十二日の暁、夜深き有明の影に出 ...
23. あんじょうし【安城市】愛知県
日本歴史地名大系
いま鎌倉街道とよばれるが、知立の東、八橋(現知立市)からのちの大浜茶屋の北裏に延びていた。阿仏尼の「十六夜日記」には「山もととほき原野を分け行く」とこの辺りの景 ...
24. いい‐こしら・う[いひこしらふ]【言拵】
日本国語大辞典
るを」*源氏物語〔1001〜14頃〕若菜下「はてはては腹だつを、よろづにいひこしらへて」*十六夜日記〔1279〜82頃〕「侍従大夫などのあながちにうちくっしたる ...
25. いか‐が【如何・奈何】
日本国語大辞典
指定辞を伴って用いることが多い)どうかと思われるさま。考えものであること。→いかがしい。*十六夜日記〔1279〜82頃〕「さのみ心弱くてもいかがとて、つれなく振 ...
26. いき‐う・し【行憂】
日本国語大辞典
14〕離別・三八八「人やりの道ならなくにおほかたはいきうしといひていざ帰りなん〈源実〉」*十六夜日記〔1279〜82頃〕「人やりならぬ道なれば、いきうしとてもと ...
27. 十六夜日記(中世日記紀行集) 265ページ
日本古典文学全集
十六夜日記 ...
28. いざよう 月(つき)
日本国語大辞典
百首〔1136頃〕月「はかなくも我よのふけをしらずしていさよふ月を待わたる哉〈源仲正〉」*十六夜日記〔1279〜82頃〕「ゆくりもなく、いさよふ月に、さそはれい ...
29. いずこくふ・いずふちゅう【伊豆国府・伊豆府中】静岡県:三島市
日本歴史地名大系
二五日には西大寺叡尊が(関東往還記)、さらに弘安二年(一二七九)一〇月二七日には阿仏尼が(十六夜日記)、翌三年一一月二四日には、飛鳥井雅有が箱根路を通って鎌倉へ ...
30. いそもの【磯物】[方言]
日本方言大辞典
八丈島337八丈島(大間知篤三)1960 徳島県那賀郡810阿波方言集(森本安市)1950十六夜日記「いそ物などのはしばしも、いささかつつみ集めて」(2)海の岩 ...
31. いそ‐もの【磯物】
日本国語大辞典
〔名〕(1)磯近くでとれる海草、貝、小魚の類。*十六夜日記〔1279〜82頃〕「いそ物などのはしばしも、いささかつつみ集めて」*浮世草子・世間胸算用〔1692〕 ...
32. いそやま‐かぜ【磯山風】
日本国語大辞典
〔名〕磯辺の山から吹いて来る風。*十六夜日記〔1279〜82頃〕「東路の磯山かせのたえまより波さへ花のおもかげに立つ」*太平記〔14C後〕一六・新田殿湊河合戦事 ...
33. いたずら‐に[いたづら‥]【徒─】
日本国語大辞典
衾(ふすま)も〓(つむじかぜ)巻き持来れり」*十六夜日記〔1279〜82頃〕「いたつらにめかり塩やくすさびにも恋しや馴れし里のあま人」*東寺百合文書‐ ...
34. いつ‐つ【五─】
日本国語大辞典
五。五人。*後拾遺和歌集〔1086〕序「梨壺のいつつの人といひて、歌にたくみなる者あり」*十六夜日記〔1279〜82頃〕「いつつのこどもの歌のこりなくかきつづけ ...
35. いなざわし【稲沢市】愛知県
日本歴史地名大系
て海岸線が南進したため、代わって陸路が中心となり、「赤染衛門集」「更級日記」「東関紀行」「十六夜日記」などによると、北から陸路中島郡に入り南へ斜めに横切り、下津 ...
36. うたたね
日本国語大辞典
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37. うち‐ぎき【打聞】
日本国語大辞典
私撰集。*梁塵秘抄口伝集〔12C後〕一〇「詠む歌には、髄脳、打聞など云ふ多くありげなり」*十六夜日記〔1279〜82頃〕「これも続後撰よりうちつづき二たび三たび ...
38. うち‐くっ・す【打屈】
日本国語大辞典
〜14頃〕須磨「西面(にしおもて)には、かうしも渡り給はずやとうちくっしておぼしけるに」*十六夜日記〔1279〜82頃〕「侍従・大夫などのあながちにうちくっした ...
39. うつのやま【宇津山】静岡県:静岡市/旧有渡郡・庵原郡地区/宇津谷村
日本歴史地名大系
詳しい。仁治三年(一二四二)の「東関紀行」では遁世者の庵に立寄り、弘安二年(一二七九)の「十六夜日記」でも山伏に会うなどの記述があり、宗教者の集まる場所であった ...
40. うら‐がき【裏書】
日本国語大辞典
めて御製のよしを知りておどろきおそれて、裏書にさまざまの述懐の詞どもかきつけてよみ侍る」*十六夜日記〔1279〜82頃〕「残る蓬とかこちけるといふ所のうらがきに ...
41. うらやま‐かぜ【浦山風】
日本国語大辞典
〔名〕海べにある山に吹く風。*十六夜日記〔1279〜82頃〕「しらざりし浦山風も梅がかは都ににたる春のあけぼの」 ...
42. おおいがわ【大井川】静岡県:総論
日本歴史地名大系
の丘陵からの眺望を記している。弘安二年(一二七九)一〇月二五日に阿仏尼は大井川を通過し、「十六夜日記」に「けふは大井川といふ河をわたる、水いとあせて、聞きしには ...
43. 大垣[市]
世界大百科事典
)以降尾張藩領となった。古く鎌倉時代には,浮橋(船橋)が架けられていたことが《吾妻鏡》や《十六夜日記》にみえるが,江戸時代にも将軍上洛のおりなど船橋が架けられ, ...
44. おおはまぢゃやむら【大浜茶屋村】愛知県:安城市
日本歴史地名大系
東海道と交差する地点にあり、人馬の休息する茶屋が生れ村名となる。大浜街道は一般に浜道とよぶ。「十六夜日記」に「廿一日八はしをいてゝ行に、いとよくはれたり。山もと ...
45. おきつしゅく【興津宿】静岡県:清水市/旧庵原郡地区
日本歴史地名大系
上洛した源頼朝が鎌倉への帰途、当宿に宿泊している(鎌倉遺文)。東海道の宿として「海道記」「東関紀行」「十六夜日記」などの紀行文に散見し、景勝地清見潟に隣接し、興 ...
46. おく‐がき【奥書】
日本国語大辞典
識語(しきご)。おくしょ。*古事談〔1212〜15頃〕六・博雅箏譜奥書事「博雅三位笋譜奥書云」*十六夜日記〔1279〜82頃〕「代々に書置かれける歌の草子どもの ...
47. おこ‐がまし・い[をこ‥]【痴─・烏滸─】
日本国語大辞典
角「ことに恥づかしげなる人はうちまじらねど、おのおの思ふらむが人笑へにおこがましきこと」*十六夜日記〔1279〜82頃〕「いつつの子どもの歌、残るなく書続けぬる ...
48. おさま・る[をさまる]【治・修・納・収】
日本国語大辞典
こに頓かに〓(ヲサマリ)」*十六夜日記〔1279〜82頃〕「八嶋の外の よつのうみ 波もしづかに おさまりて」*即興詩人〔1901 ...
49. おだわらし【小田原市】神奈川県地図
日本歴史地名大系
しかし建治三年(一二七七)早川から海岸沿いに丸子川(酒匂川)を渡って鎌倉へ向かった阿仏尼の「十六夜日記」には小田原の地名はみえず、ただ「あまの家のみぞある」景色 ...
50. おと‐うと【弟】
日本国語大辞典
1〜14頃〕花宴「をかしかりつる、人のさまかな。女御の、御おとうとたちにこそは、あらめ」*十六夜日記〔1279〜82頃〕「又おなじさまにて、古郷には恋ひ忍ぶをと ...
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