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  11. 還幸
日本国語大辞典

かん‐こう[クヮンカウ] 【還幸】

解説・用例

〔名〕

(1)天皇が行幸からお帰りになること。還御。

*平家物語〔13C前〕一〇・請文「還幸なからんにおいては、三種の神器いかでか玉躰をはなちたてまつるべきや」

*神皇正統記〔1339〜43〕下・後醍醐「つゐに朝敵を追落す。やがて其夜還幸し給」

*太平記〔14C後〕七・船上合戦事「主上隠岐国より還幸(クヮンカウ)成て、船上(ふなのうへ)に御座有と聞へしかば」

(2)神がお帰りになること。

発音

カンコー

〓[0]〓[0]

辞書

文明・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海

正式名称と詳細

表記

還幸文明饅頭黒本易林書言ヘボン言海


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検索コンテンツ
1. かん‐こう[クヮンカウ]【還幸】
日本国語大辞典
*平家物語〔13C前〕一〇・請文「還幸なからんにおいては、三種の神器いかでか玉躰をはなちたてまつるべきや」*神皇正統記〔1339〜43〕下・後醍醐「つゐに朝敵を ...
2. くゎん-かう【還幸】
全文全訳古語辞典
〔名詞〕天皇や上皇などがお帰りになること。 「還幸」は天皇についてのみ用い、上皇や三后には「還御」を用いる。⇒ぎゃうがう  ...
3. 還幸祭
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4. かんこう‐さい[クヮンカウ‥]【還幸祭】
日本国語大辞典
〔名〕神が神幸よりお帰りになった時、神霊を神輿(みこし)から社殿に遷(うつ)す祭。カンコーサイ〓 ...
5. いなり の 還幸祭(かんこうさい)
日本国語大辞典
稲荷祭(1)で御旅所から本社へ還幸する祭礼。いなりの御旅。 ...
6. 順德天皇佐渡國還幸 (見出し語:順德天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 998ページ ...
7. 青木周蔵自伝 260ページ
東洋文庫
其の際議論を反覆するも事に益なきを知り、三好氏を追窮せずして止めり。 陛下は其の翌日又は翌々日東京に還幸あらせらるべく〔五月二十二日〕御治定ありしを以て、予は京 ...
8. あがたじんじゃ【県神社】京都府:宇治市/宇治郷
日本歴史地名大系
「上林家前代記録」には「五月五日夜県社神事離宮神主因幡相勤、小幣ヲ離宮御旅所江移候事」「神輿本社江還幸之砌、神主因幡小幣ヲ指出シ候、右下行ハ拙者家より出之来り候 ...
9. あしかがよしつぐ【足利義嗣】
国史大辞典
偏愛した義満は彼に天盃をうけさせ、彼を重んじていることを諸人に示した。この行幸の間に正五位下左馬頭、還幸後、従四位下、ついで左近衛中将となった。ついで四月二十五 ...
10. あつただいぐうじまさよし【熱田大宮司昌能】
国史大辞典
建武中興の際に武者所結番となり、建武三年(延元元、一三三六)五月の後醍醐天皇山門行幸および十月の京都還幸に供奉、側近として奉仕した。後村上天皇の時代になってもか ...
11. 阿野廉子
世界大百科事典
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12. アメリカ彦蔵自伝 2 31ページ
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13. アメリカ彦蔵自伝 2 165ページ
東洋文庫
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日本歴史地名大系
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15. 安養寺
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17. あんようじ【安養寺】 : 安養寺/(四)
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この寺は、元弘二年(一三三二)後醍醐天皇の隠岐遷幸のあとを追った皇女瓊子内親王(西月院安養尼)が、天皇還幸ののちも伯耆にとどまり、五代遊行上人安国の弟子となって ...
18. いしづちさん【石鎚山】愛媛県:総論
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19. いずもし【出雲市】島根県
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20. いちじょうふしみどの【一条伏見殿】
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21. いっ‐とう【一等】
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イチミ シテ〈訳〉一様に、または、一致させて」(3)一つの等級。一等級。*太平記〔14C後〕一七・還幸供奉人々被禁殺事「三公九卿、纔に死罪一等を被 ...
22. いつくしまじんじゃ【厳島神社】広島県:佐伯郡/宮島町/厳島
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まで至り、迎えの船の案内で外宮で雅楽を奏し、再び厳島側に戻って摂社長浜神社・大元神社をめぐって還幸する。この祭がいつ頃から行われたかは不明であるが、近世にはこの ...
23. 逸文(風土記) 540ページ
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24. いとうづはちまんじんじや【到津八幡神社】福岡県:北九州市(旧豊前域)/小倉北区/到津村
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28. いなりたいしゃ【稲荷大社】
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29. いなり の お出(い)で
日本国語大辞典
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30. いなり の 御旅(おたび)
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31. いなりまつり【稲荷祭】
国史大辞典
神輿に遷し、旅所に渡御があり、駐ること二十日で、上述の四月上卯日に還幸があって祭典が行われる。この還幸祭を稲荷祭という。旅所より還幸の際、神輿が教王護国寺(東寺 ...
32. いなり‐まつり【稲荷祭】画像
日本国語大辞典
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33. いまざいけむら【今在家村】愛媛県:東予市
日本歴史地名大系
これについては「伊予温故録」に「今在家村字鶴ノ掛の路傍に在り本村汐崎氏系図及里民の口碑に云ふ往古神功皇后三韓より還幸の時此地に御上陸あり当地の住人小千高則の家に ...
34. いわさきじんじゃ【岩崎神社】大分県:宇佐市/旧宇佐町地区/岩崎村
日本歴史地名大系
祀り、旧郷社。社伝によれば、養老年中(七一七―七二四)大隅・日向の隼人の乱を治めた宇佐宮の神輿が還幸の際、当地に荒霊をとどめたのが草創というが(「宇佐郡誌」など ...
35. うさじんぐう【宇佐神宮】大分県:宇佐市/旧宇佐町地区/宇佐村
日本歴史地名大系
奏上し、権禰宜が御米・御酒を海中に注ぎ、さらに蜷と蛤を海に放ち、儀式が終了する。一一日午後に御還幸祭を行い、浮殿―宇佐蔀―平松―百体神社(隼人の霊を祀る)で参拝 ...
36. うさはちまんぐう【宇佐八幡宮】山口県:玖珂郡/錦町/宇佐村
日本歴史地名大系
日より十九日、但十八日之夜試楽神楽を奏シ、十九日常例氏子中神楽相済、神輿三体神田と申所へ神幸、還幸後於馬場流鏑馬興行」とある。 ...
37. うしおくむら【牛奥村】山梨県:塩山市
日本歴史地名大系
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