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  11. 風姿花伝(花伝書)

風姿花伝(花伝書)

ジャパンナレッジで閲覧できる『風姿花伝(花伝書)』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
風姿花伝
ふうしかでん
世阿弥の能楽論書。七巻。『花伝』ともいう。俗に『花伝書』と称されたのは、はじめて本文を紹介した吉田東伍『世阿弥十六部集』における命名の影響が大きい。それについては、室町時代後期には能の伝書を意味する普通名詞的用法があり、『風姿花伝』の一部を含む「八帖本花伝書」を『能花伝書』といい、あるいは謡伝書の一本を『謡花伝書』と名付けて版行流布していたこととも無関係ではないが、世阿弥伝書としての本書については、『風姿花伝』もしくは『花伝』の呼称が妥当である。『風姿花伝』は、「第一年来稽古条々」「第二物学条々」「第三問答条々」「第四神儀云」「(五)奥義云」「第六花修云」「第七別紙口伝」の七編から成り、冒頭に序が置かれている。ただし、はじめから全七編の構想下に著述されたわけではなく、各編は個々に独立的性格が認められ、その「第三問答条々」までがひとまとまりとなって応永七年(一四〇〇)の奥書をもつ。伝本の形態からみると、それに「聞書云」という猿楽縁起の記事を付載するかたちの四巻本系統、および、その「聞書云」を「第四神儀云」と位置付けて、さらに「奥義云」(第五の巻序はない)を合わせた五巻本系統に分かれる。「奥義云」の奥書は、第一からの条々を統括しており、五巻本のかたちが『風姿花伝』の完結体ともみなし得よう。その成立は、「奥義云」に応永九年暮春二日の年記をもつが、宗節本だけにみえて他本にはない点でやや疑いを残す。「第六花修」は世阿弥自筆本が伝存するが、他編とは文体も異なり、「奥義云」までとは別の相伝事情が想定される。「第七別紙口伝」も内容的には第三までと対応しており、元来はその別紙の口伝として、「花修」と同じく、世阿弥の弟四郎へ相伝されたものと考えられる。世阿弥自筆の「古本別紙口伝」(観世宗家蔵)と、それを改訂した応永二十五年六月奥書の元次相伝本が伝えられている。かくして『風姿花伝』は、最終的に全七編の巻序が整えられるに至るが、各編の成立、記事の増補・添削などには複雑な過程が想定される。すなわち「年来稽古より別紙に至るまでは、この道を花に顕はして智る秘伝なり。是は、亡父の芸能の色々を二十余年が間悉く書きたる習得の条々なり」(『花鏡』奥書)とその由来を述べているように、花伝時代の世阿弥は、初案以来発展した考えを増補・整備するかたちで『風姿花伝』に反映させてきたが、やがてその枠を出て、『花習』『花鏡』『至花道』等々の独立伝書が著作されるに至るのである。『風姿花伝』は、単に世阿弥の最初の能楽論というだけではなく、後年深化を遂げる芸論にとっても、その原点としての位置を占めているという意味で、最も重要な論書というべきである。『風姿花伝』の主要伝本とその影印・翻刻は次のとおりである。

(一)五巻本系統

(1)金春本(宝山寺蔵。『覆製世阿弥真蹟』(わんや書店)、『風姿花伝影印三種』(和泉書院)、原本複製(講談社))。(2)宗節本(観世宗家蔵、宗節署名本。『岩波文庫』翻刻)。(3)吉田本(松廼舎文庫旧蔵、焼失。吉田東伍『世阿弥十六部集』翻刻)。

(二)四巻本系統

(1)観世本(観世宗家蔵)。(2)生駒本(法政大学能楽研究所般若窟文庫)。上記(1)(2)対校翻刻、角川書店刊『室町ごころ』所収。

(三)花修

世阿弥自筆本(観世宗家蔵。能楽資料頒布会複製本、『風姿花伝影印三種』(和泉書院))。

(四)古本別紙口伝

世阿弥自筆本(観世宗家蔵。『別冊太陽・能』に一部写真掲載)。

(五)別紙口伝・元次相伝本

(1)宗節本(観世宗家蔵。『風姿花伝影印三種』(和泉書院))。(2)吉田本(松廼舎文庫旧蔵、焼失。吉田東伍『世阿弥十六部集』翻刻)。
→世阿弥(ぜあみ)
[参考文献]
能勢朝次『世阿弥十六部集評釈』、表章・加藤周一校注『世阿弥 禅竹』(『日本思想大系』二四)、田中裕校注『世阿弥芸術論集』(『新潮日本古典集成』)、福田秀一・島津忠夫・伊藤正義編『中世評論集』(『鑑賞日本古典文学』二四)
(伊藤 正義)


日本大百科全書
風姿花伝
ふうしかでん

能の大成者世阿弥(ぜあみ)の能楽論で、日本を代表する芸術論。1400年(応永7)に三編までがまとめられ、父観阿弥(かんあみ)の教えに基づいて著したものである。ただ1人の真実の後継者に能の真髄を伝えようとして書かれた秘伝であるが、汎(はん)演劇論として、芸術論として、教育論、人生論、魅力の美学として、不滅の価値をもつ。書名については世阿弥自身「風姿花伝と名づく」といっており、略する場合は「花伝」であるから、「花伝書」という俗称を用いるのは正しくない。「花伝書」は、室町後期からの能の伝書の全体、そして立花の教えをさすことばであり、1909年(明治42)に吉田東伍(とうご)が初めて翻刻するときに用いた名称であり、また室町末期の能の指導書『(八帖(はちじょう)本)花伝書』の固有名詞であった。
構成は七段である。まず能の役者の心構えを説く「序」。年齢別カリキュラムである「第一年来稽古(ねんらいけいこ)条々」では、7歳から稽古を始めよと説き、17、8歳のスランプの時期の乗り切り方、デビューのころの注意から、花の盛りの年代、40歳以降の撤退作戦など、七期に分けられている。「第二物学(ものまね)条々」は、演技総論に続くジャンル別の演技論(扮装(ふんそう)論が主軸)であり、女、老人、直面(ひためん)、物狂(ものぐるい)、法師、修羅(しゅら)、神、鬼、唐事(からごと)の9分類となっている。「第三問答条々」は、世阿弥の質問に観阿弥が答えた形とも考えられ、演出論、芸位論、能の美学論などを内容とする。「第四神儀云(しんぎにいわく)」は、内容も文体も違っており、座に伝わる能の発生、歴史、伝説が書かれている。能の始祖の秦河勝(はたのかわかつ)を、秦(しん)の始皇帝の生まれ変わりとするなどの説も語られるが、能の役者の伝承意識を知るうえで貴重である。
後編は、別の「序」をもち、「奥儀云」は、世阿弥の属した大和申楽(やまとさるがく)と、近江(おうみ)申楽、あるいは田楽(でんがく)との芸風の違いを説くが、観客の好みはまちまちだから、どの芸でも演じうる幅広さをもつべきだとする。あらゆる観客層へのアピールこそ、観阿弥の主張であった。「第六花修(かしゅう)云」は、能作論であり、演技論であり、観客論であり、演技者の比較論である。「第七別紙口伝(くでん)」は、目標として追求してきた魅力の美学「花」の解明であり、なぜ植物の花に例えたのか、花は面白(おもしろ)さであり、それは珍しさにほかならないと、明快な論が展開される。観客との相対関係のなかでしか成立することのない舞台芸術の本質が語られ、物真似(ものまね)論、十体と年々去来の花による無限の変化を実現するくふう、「秘すれば花」の真実、「男時女時(おどきめどき)」の理論が語られる。
この『風姿花伝』は世阿弥40歳前後からの、彼の初の理論書であるが、観阿弥理論からの脱皮の意図ともされる。60歳代の『花鏡(かきょう)』はそれ以後の理論と世阿弥自身述べているが、世阿弥後年の能楽論の大綱はこの『風姿花伝』にあるといってよい。
[増田正造]



改訂新版・世界大百科事典
風姿花伝
ふうしかでん

能楽の大成者世阿弥が父観阿弥の遺訓に基づいて著した最初の能楽論書。略称を《花伝》ともいう。一般には《花伝書》の名で知られているが,著者自身,書名の由来を〈その風を得て,心より心に伝ふる花なれば,風姿花伝と名付く〉と言明している。

7編から成るが,当初から全体が構想され,順次に書き進められたというものではない。まず,第3編までが1400年(応永7,著者38歳)にまとめられ,以後,第7編(第2次相伝本)が成立するまでには20年近くを要しており,しかもその間に著者自身による増補・改訂が行われた可能性も強く,本書の成立過程には複雑な経過が想定されている。

内容は,能の生命たる〈花〉の考察を中心に,習道,演出,演技,芸位についての各論から猿楽の起源・歴史にいたるまで,多岐にわたる芸論を集大成したもの。すなわち,第1〈年来稽古(けいこ)条々〉は,能役者の一生を7期に分けて,各年齢層における修業・工夫のあり方を説く。第2〈物学(ものまね)条々〉は,能の基本である物まねの演技術を女,老人,直面(ひためん),物狂(ものぐるい)など9ジャンルにわたって説く。第3〈問答条々〉は,以上によって習得した芸能を演能に際して最も効果的に発揮するための演出・演技論および能に〈花〉を咲かせるための工夫・秘訣を問答体で説く。第4〈神儀云(しんぎにいわく)〉は,本来,別にまとめられていた猿楽起源の伝承が後に《花伝》第4に位置づけられたもの。斯芸(しげい)の伝統に対する誇りと家芸を重んじる精神の自覚を促そうとする志をみせる。第5〈奥義云(おうぎにいわく)〉では,大和猿楽と近江猿楽,猿楽と田楽(でんがく)の風体の違いを説き,観客の愛顧をかち取るためには芸域の広さが必要であるとし,その工夫を述べる。第6〈花修云(かしゆうにいわく)〉では,能作の心得を説き,その面からの演技論・演者論を展開する。第7〈別紙口伝〉は,これまでもところどころに言及されてきた能の花の理について徹底的に解明せんとした最も理論的な編。結局,〈花と面白きと珍らしきとこれ三つは同じ心〉なのだから,平素より多くの演技を習得しておき,その時々の場に応じてこれを取り出し,観客に新鮮な感動を呼び起こすことが必要と説き,そのための工夫を詳説する。

いずれも芸能諸座の激しい競合の中で,いかにしてより多くの観客を獲得し,一座の繁栄を図るかという厳しい現実的要請に基づいて書かれたものであり,しかも父子2代にわたる真摯(しんし)な体験・実践を踏まえての所論であるだけに,きわめて強い説得力をもつ。今日なお,汎芸術論あるいは教育論としても読者を引きつけてやまぬゆえんであろう。世阿弥後年の能楽論はそのほとんどが本書の説に胚胎(はいたい)しており,数ある世阿弥伝書中,最も基本的,かつ代表的著作と評してよい。1909年,吉田東伍により,初めて翻刻・公刊された。
[中村 格]

[索引語]
世阿弥 花伝 花伝書 花(能) 吉田東伍
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1. 風姿花伝(能楽論集)
日本古典文学全集
能の作品を数多く残す傍ら、優れた芸術論である能楽論を書き残した。現存する21編の能楽論のうち、『風姿花伝』(1400年ごろ成立)、『花鏡(かきょう)』(1424 ...
2. 『風姿花伝』
日本史年表
1400年〈応永7 庚辰〉世阿弥, 『風姿花伝』 (巻1~3)を著すか。  ...
3. 風姿花伝
日本大百科全書
芸術論として、教育論、人生論、魅力の美学として、不滅の価値をもつ。書名については世阿弥自身「風姿花伝と名づく」といっており、略する場合は「花伝」であるから、「花 ...
4. 風姿花伝
世界大百科事典
一般には《花伝書》の名で知られているが,著者自身,書名の由来を〈その風を得て,心より心に伝ふる花なれば,風姿花伝と名付く〉と言明している。 7編から成るが,当初 ...
5. ふうしかでん[フウシクヮデン]【風姿花伝】
日本国語大辞典
室町前期の能楽論書。七編。世阿彌著。応永七〜九年(一四〇〇〜〇二)頃成立。世阿彌の現存する二一種の伝書のうち最古のもの。父観阿彌の教訓を受け、能に関して、修業、 ...
6. ふうしかでん【風姿花伝】
国史大辞典
ていたこととも無関係ではないが、世阿弥伝書としての本書については、『風姿花伝』もしくは『花伝』の呼称が妥当である。『風姿花伝』は、「第一年来稽古条々」「第二物学 ...
7. ふうしかでん【風姿花伝】[歴史・史料・役]
能・狂言事典
一般には『花伝書』の名で知られているが、著者自身、書名の由来を「その風を得て、心より心に伝ふる花なれば、風姿花伝と名付く」と言明している。 七編から成るが、当初 ...
8. ふうしくゎでん【風姿花伝】
全文全訳古語辞典
[書名]室町前期の能楽論書。世阿弥著。一四〇〇年(応永七)頃成立。『花伝書』とも。二十二歳で死別するまでに父観阿弥から授けられた能の精髄を、整理して記述したもの ...
9. Rene Sieffert【シフェール】[人名]
能・狂言事典
られた伝統 La tradition secrète du No』を出版し、「風姿花伝」「花鏡」「至花道」「二曲三体人形図」「遊楽習道風見」「九位」の能楽論とと ...
10. あい‐かな・う[あひかなふ]【相叶・相適】
日本国語大辞典
し」*海道記〔1223頃〕萱津より矢矧「路次の便詣なりと云ふ事なかれ。此機感の相叶ふ時也」*風姿花伝〔1400〜02頃〕五「上手は、目利かずの心にあひかなふ事難 ...
11. あい‐ぎょう[‥ギャウ]【愛敬】
日本国語大辞典
*今昔物語集〔1120頃か〕一六・八「『此の女子に愛敬・富を令得(えし)め給へ』と祈り申ける程に」*風姿花伝〔1400〜02頃〕五「この芸とは、衆人(しゅにん) ...
12. あい‐したが・う[あひしたがふ]【相従】
日本国語大辞典
相准〓也」*風姿花伝〔1400〜02頃〕四「大和国春日御神事相随(アヒシタガフ)申楽四座、外山(とび)、結崎(ゆふざき) ...
13. あい‐しらい[あひしらひ]
日本国語大辞典
水の入ったコップを透かして白い茎が美しい」(3)能楽で、役者が互いに相手の演技に応じて動くこと。*風姿花伝〔1400〜02頃〕一「脇の為手(して)に花を持たせて ...
14. あいたい【相対】[方言]
日本方言大辞典
(1)差し向かい。差し。 島根県出雲「あえたえで飲まー」725島根県方言辞典(広戸惇・矢富熊一郎)1963風姿花伝七「これは筆に見え難し。あいたいしての口伝なり ...
15. あい‐たい[あひ‥]【相対】
日本国語大辞典
〔名〕(1)向かい合っていること。また、当事者同士が、直接に向かい合って、事を行なうこと。*風姿花伝〔1400〜02頃〕七「これは筆に見え難し。あいたいしての口 ...
16. あい‐つ・ぐ[あひ‥]【相次・相継】
日本国語大辞典
風「中務(なかつかさ)の宮と聞えけるが領じ給ける所〈略〉、はかばかしうあひつぐ人もなくて」*風姿花伝〔1400〜02頃〕序「其後、かの河勝の遠孫、この芸をあひつ ...
17. あい‐つた・える[あひつたへる]【相伝】
日本国語大辞典
あひつた・ふ〔他ハ下二〕(「あい」は接頭語。「伝える」の改まった言い方)次々と伝える。受け継いでいく。*風姿花伝〔1400〜02頃〕四「同じく氏安より相伝る、聖 ...
18. あい‐ともな・う[あひともなふ]【相伴】
日本国語大辞典
ぼ)相伴なはんことを欲するのみ」【二】〔他ハ四〕いっしょに連れて行く。引き連れる。相具す。*風姿花伝〔1400〜02頃〕四「是は、かの氏安が妹むこなり。これをも ...
19. 垢
世界大百科事典
rit(排泄物)と共通で,糞尿の意が拡張されてちりやほこりなども指すようになったという。 《風姿花伝》に位を論ずる件で,〈又稽古の劫入りて,垢落ちぬれば,この位 ...
20. あか【垢】
日本国語大辞典
た」(2)(一般的に)欠点。洗練されていないところ、整っていないものをいう。→垢が抜ける。*風姿花伝〔1400〜02頃〕六「さる程に、終(つゐ)には、能に嵩(か ...
21. あか‐ぬけ【垢抜】
日本国語大辞典
萎(すが)れてもまだ見所のある花」技芸の拙劣未熟な状態を「垢」にたとえる記述は「風姿花伝」に見える。のち、芸能以外にも容姿、態度、趣味などの洗練された状態を「垢 ...
22. あが・る【上・揚・挙・騰】
日本国語大辞典
一段上の域に達する。*筑波問答〔1357〜72頃〕「万の道の事も、難をよく人に言はれてこそあがる事なれ」*風姿花伝〔1400〜02頃〕一「児(ちご)の申楽に、さ ...
23. あげ‐く【挙句・揚句】
日本国語大辞典
(2)(3)の例は抄物を中心として室町期には少なからず見られ、転義が早い時期に進んでいたことが推測される。「風姿花伝‐三」「花鏡‐序破急之事」といった世阿彌の著 ...
24. あし‐て【足手】
日本国語大辞典
くはのごとし」*散木奇歌集〔1128頃〕雑「あし手なき蟹のおほのに放たれてする方もなき身をいかにせん」*風姿花伝〔1400〜02頃〕二「あひしらひを目がけて、細 ...
25. あしぶみ【足踏】[方言]
日本方言大辞典
子を取ること。《あしふん》 沖縄県石垣島996八重山語彙(宮良当壮)1930(3)の意の例。風姿花伝三「声をも強々と使ひ、あしふみをも少し高く踏み」 ...
26. あし‐ぶみ【足踏】
日本国語大辞典
は」*源氏物語〔1001〜14頃〕紅葉賀「同じ舞のあしふみ、おももち、世に見えぬさまなり」*風姿花伝〔1400〜02頃〕三「日頃より、色々と振をもつくろひ、声を ...
27. あてがい[あてがひ]【宛行・充行】
日本国語大辞典
歎願したって哀訴したって一厘も呉れないのだから」(2)心をくばること。配慮。とりはからい。*風姿花伝〔1400〜02頃〕二「これ上方の御目に見ゆべからず。若見え ...
28. あてが・う[あてがふ]【宛行・充行】
日本国語大辞典
〕一〇本・八「物たくはへ利分して百年の用意して遁世の身とならんなと愚なる人はあてかふにや」*風姿花伝〔1400〜02頃〕六「この分目をばあてがはずして、ただ幽玄 ...
29. あてが・ふ【宛がふ】
全文全訳古語辞典
❶(品物・金銭などを)見はからって与える。 ❷適用する。 「この分目をばあてがはずして」〈風姿花伝・6〉この区別を適用することなしに。 ...
30. あて‐どころ【充所・宛所・当所】
日本国語大辞典
物かく者をたのみ、文一つあつらへ、宛処をとへば」(2)(当所)打ち当てる所。当てるべき所。*風姿花伝〔1400〜02頃〕別紙口伝「年寄りぬればその拍子のあてどこ ...
31. あ・てる【当・中・充・宛】
日本国語大辞典
かなしみ、御菩提のため、三年胎内にして苦しめ奉りし日数千日にあてて、千間に御堂をたて給ひけり」*風姿花伝〔1400〜02頃〕一「此比(ころ)の稽古、やすき所を花 ...
32. あやま・る【誤】
日本国語大辞典
写す」*徒然草〔1331頃〕一九四「達人の人を見る眼(まなこ)は、少しもあやまる所あるべからず」*風姿花伝〔1400〜02頃〕二「わざ物などの翁形(おきなかたち ...
33. あれ‐てい【彼体】
日本国語大辞典
*古今著聞集〔1254〕九・三三五「いかに鬼同丸などを、あれていにいましめ置き給ひたるぞ」*風姿花伝〔1400〜02頃〕三「我はあれていにわろき所をばすまじき物 ...
34. あんじ‐おさ・む[‥をさむ]【案納・案収】
日本国語大辞典
〔他マ下二〕納得する。自得する。*風姿花伝〔1400〜02頃〕六「よくよく心底をわけて、あんじをさむべき事也」 ...
35. あん の 内(うち)
日本国語大辞典
、死(しぬる)は案(アン)の内(ウチ)の事、生(いきる)は存(ぞん)の外(ほか)のこと也」*風姿花伝〔1400〜02頃〕三「自作なれば、言葉・振舞(ふるまひ)、 ...
36. あん‐はからい[‥はからひ]【案計】
日本国語大辞典
〔名〕計略。くふうしたはかりごと。*風姿花伝〔1400〜02頃〕別紙口伝「例へば弓矢の道の手立(てだて)にも、名将のあんはからいに、おもひの外なる手立にて、強敵 ...
37. あん‐りゅう[‥リフ]【安立・案立】
日本国語大辞典
)心やすらかで動かないこと。*正法眼蔵〔1231〜53〕空華「器世間の安立も疑著しつべし」*風姿花伝〔1400〜02頃〕七「先、五年三年の中に一遍づつも、珍しく ...
38. あん を=めぐらす[=まわす]
日本国語大辞典
あれこれ考える。くふうを凝らす。*風姿花伝〔1400〜02頃〕三「心中にあんをめぐらすべし」*吾妻問答〔1467頃〕「我が連歌のたたずまひを取り合はせて案をめぐ ...
39. いい‐ごと[いひ‥]【言事】
日本国語大辞典
つつらとむかうていたそ」(2)能で、演者の発する謡の文句・言葉。所作・しぐさに対していう。*風姿花伝〔1400〜02頃〕三「言ひ事の文字にまかせて心をやるべし。 ...
40. いか‐なる【如何─】
日本国語大辞典
さるるであらうか」(2)(多く、後に逆接の語を伴って)強調の意を表わす。どんな。どういう。*風姿花伝〔1400〜02頃〕一「いかなる上手なりとも、いまだまことの ...
41. いかに と して
日本国語大辞典
さらに下に助詞「も」の付くこともある)(1)疑問、質問の意を表わす。どのようにして。どうやって。*風姿花伝〔1400〜02頃〕三「是、いかにとして心得(え)べき ...
42. いかに も
日本国語大辞典
ぜひ。*和泉式部日記〔11C前〕「なほいと苦しうこそ、いかにもありて御覧ぜさせまほしうこそ」*風姿花伝〔1400〜02頃〕六「いかにも、申楽の本木には、幽玄なら ...
43. いき‐いき【生生・活活】
日本国語大辞典
【一】〔副〕(「と」を伴う場合が多い)生気があふれて勢いのよいさま。活気にみちたさま。新鮮なさま。*風姿花伝〔1400〜02頃〕三「立ち振舞ふ風情をも、人の目に ...
44. い‐しょう[‥シャウ]【衣装・衣裳】
日本国語大辞典
、而天下治」(2)演劇、舞踏などの、舞台で扮装に用いる衣服。能では多く装束という。*風姿花伝〔1400〜02頃〕二「いしゃうを飾りて、衣紋を繕ひてすべし」*わら ...
45. 伊勢猿楽
世界大百科事典
していた猿楽座で,和屋,勝田,青苧(あおそ)/(あおお)(青王(あおお))の3座があった。《風姿花伝》神儀編の諸国の猿楽座について記した個所に〈伊勢,主司(しゆ ...
46. いせさるがく【伊勢猿楽】
国史大辞典
「今呪師給分」としているから、おそらく鎌倉時代には旧来の呪師座が神宮に奉仕していたのであろう。世阿弥の『風姿花伝』(宗節本)神祇篇に、「伊勢 主司 二座(又今主 ...
47. いせさるがく【伊勢猿楽】[歴史・史料・役]
能・狂言事典
勤仕していた猿楽座で、和屋、勝田、青苧(あおそ/あおお)(青王(あおお))の三座があった。『風姿花伝』「神儀云」の諸国猿楽座について記した個所に「伊勢、主司(し ...
48. いだ・す【出】
日本国語大辞典
ひろきつけて」(ホ)表立った所に登場させる。文章などを発表する。掲載する。また、出版する。*風姿花伝〔1400〜02頃〕七「花伝にいだす所の条々を、ことごとく稽 ...
49. いち‐ざ【一座】
日本国語大辞典
一体。一基。(7)一つの興行を共に行なっている能役者、歌舞伎役者などの俳優や芸人の一団体。*風姿花伝〔1400〜02頃〕六「能に嵩も出で来、垢も落ちて、いよいよ ...
50. いちざ‐こんりゅう[‥コンリフ]【一座建立】
日本国語大辞典
〔名〕能楽の一座を経営してゆくこと。*風姿花伝〔1400〜02頃〕五「この芸とは、衆人愛敬をもて、一座建立(コンリウ)の寿福とせり」イチザコンリュー ...
「風姿花伝(花伝書)」の情報だけではなく、「風姿花伝(花伝書)」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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(日本大百科全書(ニッポニカ))
能は日本の伝統芸能の一つで、狂言とともに南北朝時代から現代に演じ継がれ、世界でもっとも長い演劇生命と伝統をもっている。独自の様式をもつ能舞台に、能面を用い、世阿弥(ぜあみ)が「舞歌二道」と指示したように、舞(まい)に高められ抽象化された演技と、謡(うたい)と囃子(はやし)による音楽要素の融合された演劇である。
能楽(国史大辞典)
南北朝時代に始まった日本の代表的な古典芸能。歌と舞を主要素とする歌舞劇で、猿楽の能をさす。創成期の猿楽などが演じた歌と舞による劇形式の芸を「能」といい、「猿楽の能」のほか「田楽の能」や類似の芸「延年の能」も存在したが、室町時代以後は猿楽の能が主流となったので単に「猿楽」
狂言(改訂新版・世界大百科事典)
南北朝時代に発生した中世的庶民喜劇で,能,歌舞伎,文楽(人形浄瑠璃)などとともに日本の代表的な古典芸能の一つ。特に能とは深い関係をもつところから〈能狂言〉とも呼ばれる。能が主に古典的題材をとり上げ幽玄美を第一とする歌舞劇であるのに対し,狂言は日常的なできごとを笑いを通して
風姿花伝(花伝書)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
世阿弥の能楽論書。七巻。『花伝』ともいう。俗に『花伝書』と称されたのは、はじめて本文を紹介した吉田東伍『世阿弥十六部集』における命名の影響が大きい。それについては、室町時代後期には能の伝書を意味する普通名詞的用法があり
申楽談儀(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
能楽伝書、一冊。正しくは『世子六十以後申楽談儀』。世子とは世阿弥の敬称。世阿弥六十歳、応永二十九年(一四二二)観世大夫を長男元雅に譲って出家したころ、次男元能が、父の芸談を筆記し整理して、この年十一月、元能も芸道を捨て出家する時に、この聞書をまとめて、
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連獅子(日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎(かぶき)舞踊。長唄(ながうた)。河竹黙阿弥(もくあみ)作。能『石橋(しゃっきょう)』の替(かわり)の型からの名称で、1861年(文久1)5月、2世杵屋勝三郎(きねやかつさぶろう)が作曲、初世花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)が子芳次郎(よしじろう)
青砥稿花紅彩画(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎の世話狂言。二代目河竹新七(黙阿弥)作、五幕。文久二年(一八六二)三月、江戸市村座で十三代目市村羽左衛門(のちの五代目尾上菊五郎)らにより初演。「弁天小僧」「白浪五人男」などの通称で知られる。日本駄右衛門・弁天小僧菊之助・赤星十三郎・忠信利平
(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎の荒事劇の一つ。元来独立の狂言ではなく、江戸歌舞伎の狂言中に設定された類型的な一場の通称。危機的な場面に「しばらく、しばらく」と声をかけて主人公が登場することから『暫』と呼ばれた。初代市川団十郎の創始と伝えられ、内容を確認できる最古のものは
大塔宮曦鎧(新版 歌舞伎事典)
(1)人形浄瑠璃。時代物。五段。角書「太平記/綱目」。別名題《太平記曦鎧》。竹田出雲・松田和吉作。近松門左衛門添削。享保八(1723)年二月大坂・竹本座初演。《太平記》に題材を仰いだ作品で、北条氏討伐を図って挙兵した大塔宮が苦難の後に六波羅を攻略する
伊賀越道中双六(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
(1)人形浄瑠璃。時代物。十段。近松半二・近松加作の作。天明三(1783)年四月大坂・竹本座初演。上杉家家老和田行家の子息志津馬が姉婿唐木政右衛門の助力を得て父の敵沢井股五郎を討つまでを描いた作品。安永五(1776)年一二月大坂・嵐座上演の奈河亀輔作
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