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9月29日更新
大忌祭(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
律令時代の宮廷の四時祭(しじさい)の一つで,大和国広瀬神社(奈良県北葛城郡河合町)でおこなわれた神事。広瀬大忌祭ともいう。神祇令の規定では,竜田大社の風神祭と並んで4月,7月の4日に小祀として営まれた。
神御衣祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
伊勢(いせ)神宮で天照大御神(あまてらすおおみかみ)に絹(和妙(にぎたえ))と麻(あさ)(荒妙(あらたえ))を、毎年5月・10月の14日に奉る祭典で、皇大(こうたい)神宮(内宮(ないくう))と荒祭宮(あらまつりのみや)に限って行われる。
御柱祭(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
長野県の諏訪大社において7年目ごと(申と寅年)の春に行われる式年大祭。地元では単に〈おんばしら〉といい,また〈みはしらさい〉とも呼ぶ。諏訪大社は上社の前宮と本宮,下社の春宮と秋宮のあわせて4宮からなり,それぞれの社殿四隅に山中から氏子が引き出してきた巨大な自然木
風祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
風害防除の祈願。稲への害をとくに恐れるため、収穫を直後に控えて台風の被害が憂慮される八朔(はっさく)や二百十日およびその前後に行われ、共同祈願の形式をとることが多い。方法は、村人が神社や堂で忌籠(いみごも)り精進(しょうじん)したり
帯祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
静岡県島田市大井神社の大祭。10月中旬の3日間、3年ごとの寅(とら)、巳(み)、申(さる)、亥(い)の年に行われる。山梨県富士吉田の火祭、愛知県国府宮(こうのみや)の裸祭とともに日本三大奇祭の一つとされている。
春日祭(改訂新版・世界大百科事典)
〈かすがまつり〉ともいう。奈良市春日野町に鎮座する春日大社の例祭。賀茂祭(葵(あおい)祭),石清水(いわしみず)祭と並ぶ三大勅祭の一つ。起源については諸説あるが,850年(嘉祥3)を創始の時期とする説が有力である。古くは毎年旧暦の2月と11月の上申の日に行われ
春日若宮おん祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市の春日大社の摂社若宮神社で、12月15日から18日にかけて行われる祭礼。おん祭(御祭)ともいう。以前は9月、10月、11月に行われたこともあった。『若宮祭礼記』によると、崇徳(すとく)天皇のとき、飢饉(ききん)疫病が続き、関白藤原忠通(ただみち)が勅許を得て
園韓神祭(改訂新版・世界大百科事典)
平安京宮内省内にまつられていた園神と韓神との祭り。園・韓神は平安京造営以前よりこの地にあり,帝王を守らんとの神託により他所に移さずにまつられた。《延喜式》神名帳には〈宮内省に坐(いま)す神三座〉として,〈園神社 韓神社二座〉とあり
神嘗祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
「しんじょうさい」「かんにえのまつり」ともいう。毎年10月15~17日に行われる、伊勢(いせ)神宮の年中行事きっての大祭。天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天上の高天原(たかまがはら)において、新嘗を食したとの神話に由来し、その年に収穫した新穀を由貴(ゆき)
鞍馬の火祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市左京区鞍馬寺の鎮守社由岐(ゆき)神社の祭礼であり、毎年10月22日の夜に行われる。鞍馬寺の参道の中央数か所にマツ・モミの根を束ねた大松明(たいまつ)を立て、各戸の前に大篝火(かがりび)を焚(た)き、青少年が向こう鉢巻の晴れ姿で、柴(しば)を束ねた1.5メートルほどの
暗闇祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
灯火を消して神儀を行う祭りをいう。東京都府中市の大国魂(おおくにたま)神社の5月5日の祭礼は、暗闇祭として有名である。かつては、当日の午後11時に境内の灯火をいっさい消し、12時に8基の神輿(みこし)が御旅所(おたびしょ)に渡御、暗黒のなかに祭儀を執行した。
黒船祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
静岡県下田(しもだ)市が、1854年(安政1)にアメリカ使節ペリー艦隊が下田に来航したのを記念して行う観光祭。1934年(昭和9)に、日米修好80周年を記念して始められ、太平洋戦争で一時中断したが、戦後に復興された。
喧嘩祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
悪態(あくたい)祭、押合い祭とも同じ心意の祭りで、祭りに喧嘩やいさかい、悪口(あっこう)を伴い、勝敗により神の意志を問う。兵庫県姫路市白浜町松原八幡(はちまん)神社の10月14、15日の例祭は「灘(なだ)のけんか祭り」として名高い。
杵築祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
伊勢(いせ)神宮の遷宮時に新殿の竣工(しゅんこう)を祝うため柱根を築き固める祭儀。この名称は『中右記(ちゅうゆうき)』崇徳(すとく)天皇長承(ちょうしょう)2年(1133)に初見。もとは殿地を築き平らにする行事で、御船代祭(みふなしろさい)に先だって行われた。
三枝祭(改訂新版・世界大百科事典)
大神(おおみわ)神社の摂社率川(いさがわ)神社(奈良市本子守町)で毎年6月17日に行われる祭儀。一名百合(ゆり)祭。神祇令(じんぎりょう)にも記され、起源の古い祭儀であるが、平安中期以降廃絶、明治年間に復興した。本社のある三輪(みわ)山に咲いたユリの花(三枝の花)で
坂部冬祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
長野県の諏訪(すわ)神社(下伊那(しもいな)郡天龍村坂部(さかべ))で1月4日に行われる祭り。もと霜月祭とよばれ、旧暦11月14日の湯立神楽(ゆだてかぐら)で、神社の拝殿を舞処として拝殿の炉に湯立の釜(かま)をかけ、徹夜で行われる。
悪態祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
集まった群衆が互いに悪口を言い合うことが特徴の祭礼。悪口(あっこう)祭、悪たれ祭、喧嘩(けんか)祭などともいう。相手を言い負かせば幸運を得るとしたことに基づくらしいが、年頭の祭りに多く、もと年占(としうら)の意味が濃かったようである。
忌籠祭(改訂新版・世界大百科事典)
斎籠祭,居籠祭とも記す。祭りの執行に際して,神職など祭りに直接関与する者は外部との関係を絶ち,神霊を迎えることができる心身になるために,特定の期間・場所で心身を慎む。これが氏子全員に課せられている祭りをとくに忌籠祭という。
管絃祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
神事には往々にして管絃を奉奏することが行われるが、とくにその規模を大きくして神輿(みこし)を船中に奉安し、管絃を吹奏して神霊をなぐさめる神事。広島県廿日市(はつかいち)市宮島町の厳島(いつくしま)神社、福井県敦賀(つるが)市の金崎宮(かねがさきぐう)などで行われている。
こ‐ふん 【古墳】(日本国語大辞典)
(1)古い墓。古人の墓。*大観本謡曲・藍染川〔室町末〕「累々たる古墳のほとり、顔色終に消え失せて、郊原に朽ち果てて」*日葡辞書〔1603〜04〕「Cofun (コフン)。 フルイ ツカ〈訳〉昔の墓」
ふん‐ぼ 【墳墓】(日本国語大辞典)
(「墳」は盛り土のある墓、「墓」は盛り土のない墓所の意)(1)死体や遺骨・遺品などを埋めて供養する所。木や石などを立て、墓じるしとしたもの。また、日本では古墳、飛鳥・奈良時代の火葬墓、中国では墳丘をさす。はか。つか。ぼち。
はに‐わ 【埴輪】(日本国語大辞典)
古墳の墳丘上に立て並べた素焼の土製品。円筒埴輪・形象埴輪に二大別され、形象埴輪は家形・器具器材・動物・人物など多様である。古墳に供えた器台、壺などが儀器化し、発生したという説が有力。
埼玉古墳群(日本国語大辞典)
埼玉県行田市埼玉所在の古墳群。分布の中心が旧埼玉村にあるところから称する。武蔵国造笠原直使主の一族の墳墓群と推定されている。二子山古墳など九墓が国史跡として指定され、「さきたま風土記の丘」として出土した埴輪、武具、馬具、銅印、純金勾玉などがあわせ保存されている。
天照大神・天照大御神(日本国語大辞典)
(「あまてらすおおんかみ」とも)記紀などに見える、王権を保証する天上他界の主神。日の神。伊奘諾尊の娘。誕生には、水生・胎生・鏡生の三伝承がある。弟の素戔嗚尊の粗暴なふるまいを怒って天の岩屋戸に隠れた神話や、日月離反の神話が伝わる。
伊邪那岐命・伊弉諾尊(日本国語大辞典)
(古くは「いざなきのみこと」か)記紀などに見える神。国生みを行なった男神。神代七代の最後の神。「古事記」によれば、天神の命で、伊邪那美命とともに大八洲の国をはじめ、山川草木や万物を司る神々を生み、最後に天照大神、月読命、須佐之男命を生んで、治めさせる国々を定めた。
高御産巣日神・高皇産霊神(日本国語大辞典)
(「たか」「み」は美称、「むす」は生ずる、「ひ」は霊威の意。生成力の神格化。「たかみむすびのかみ」とも)記紀などに見える神。「古事記」では、天地が初めて出現した時、天之御中主神についで、神産巣日神とともに現われた造化三神の一つ。
素戔嗚尊・須佐之男命(日本国語大辞典)
記紀・風土記などに見える神。「古事記」では、伊邪那岐(いざなぎ)命のみの子とされるが、「日本書紀」では、伊弉諾・伊弉冉(いざなき・いざなみ)二神の間に生まれたとされる。天照大神の弟。
かたり‐もの 【語物】(日本国語大辞典)
筋のある物語を節をつけて語る芸能。平曲、幸若、説経節、祭文(さいもん)、浄瑠璃、薩摩琵琶、筑前琵琶、浪花節など。その詞章をもいう。謡物(うたいもの)。
こうわか‐まい[カウわかまひ]【幸若舞】(日本国語大辞典)
(大成者と伝えられる桃井直詮(もものいなおあきら)の幼名幸若丸から)室町中期から末期にかけて流行した簡単な動作を伴う語り物。単に「舞(まい)」ともいい、その詞章を集めたものを「舞の本」、演者を「舞(まい)まい」という。
じょう‐るり[ジャウ‥]【浄瑠璃】(日本国語大辞典)
(1)仏語。清浄、透明な瑠璃。また 清浄なもののたとえ。(2)平曲・謡曲などを源流とする音曲語り物の一つ。室町時代の末に、広く民衆に迎えられた琵琶や扇拍子を用いた新音曲の中、牛若丸と浄瑠璃姫との恋物語を内容とする「浄瑠璃物語(十二段草子)」が流行したところから
さつま‐びわ[ビハ]【薩摩琵琶】(日本国語大辞典)
琵琶を伴奏とする語り物音楽。また、その伴奏に用いる楽器。戦国時代に薩摩の島津忠良が士気振興のため、道徳的な歌詞を作り、盲僧に作曲させ、藩の子弟に歌わせたのにはじまる。安土桃山時代から江戸初期にかけて戦記物語に取材するものが多くなり、剛健な音楽となった。
ちくぜん‐びわ[ビハ]【筑前琵琶】(日本国語大辞典)
琵琶の一種。また、その歌曲。薩摩琵琶よりやや小型。棹(さお)は比較的長く、四弦または五弦を張り、五柱を設けて撥(ばち)で演奏する。音調が高く、音階も多いのが特徴。筑前博多(福岡市)の人、橘智定(初世旭翁)が薩摩琵琶と三味線楽とを融合して創始したもの。
なにわ‐ぶし[なには]【浪花節・難波節】(日本国語大辞典)
江戸末期、大坂に起こった、三味線を伴奏とする大衆的な語り物。明治以降盛んになった。説経祭文から転化したもので、ちょんがれ節、うかれ節などとも呼ばれていた。語られる内容は多くは軍談・講釈・伝記など。最近では文芸作品も語られるが、義理人情を主とする。浪曲。
しら‐やま 【白山】(日本国語大辞典)
〔一〕石川・岐阜県境にある白山(はくさん)の古称。*古今和歌集〔905〜914〕羇旅・四一四「きえはつる時しなければこしぢなるしら山のなは雪にぞありける〈凡河内躬恒〉」
おお‐やま[おほ‥] 【大山】(日本国語大辞典)
(1)大きな山。また、山の美称。*万葉集〔8C後〕一二・三一五三「み雪ふる越の大山(おほやま)行きすぎていづれの日にか我が里を見む〈作者未詳〉」
ひ‐の‐き 【檜・檜木】(日本国語大辞典)
(1)ヒノキ科の常緑高木。日本特産で、本州の福島県以南、四国、九州の屋久島までの山地に生え、広く植林されている。高さ三〇〜四〇メートル、径一〜二メートルに達する。樹冠は鋭円錐形。樹皮は赤褐色で縦に裂け薄くはげる。葉は鱗片(りんぺん)状に小枝に密に対生。
けやき 【欅・槻】(日本国語大辞典)
ニレ科の落葉高木。本州、四国、九州および朝鮮、中国の山野に自生し、庭木や並木として栽培されることが多い。高さ三〇メートル、径二メートルに達し、枝は扇状にひろがる。樹皮は灰褐色、若枝と若葉には細毛を密布。
つばき 【椿・海石榴・山茶】(日本国語大辞典)
(1)ツバキ科の常緑高木または低木。本州中部以西の各地と本州中部以北の海岸付近に分布し、林の中に生える。観賞用に広く植えられる。まれに高さ一〇メートルを越す。葉は互生し、柄をもち厚く光沢がある。葉身は長さ約八センチメートルの楕円形ないし長楕円形または長卵形で先は
くぬぎ 【櫟・橡・櫪・椚・椢】(日本国語大辞典)
ブナ科の落葉高木。本州、四国、九州の山野に生え植林もされる。幹は高さ一五メートル、径六〇センチメートルにもなる。樹皮は深く縦に裂け、若枝には褐色毛を密布する。葉は柄があり互生し長さ八〜一五センチメートルの長楕円形で、縁は芒(のぎ)状に鋭く切れ込む。
はい‐かい 【俳諧・誹諧】(日本国語大辞典)
(「はいかいれんが(俳諧連歌)」の略)室町末期、山崎宗鑑・荒木田守武などのころから行なわれた卑俗・滑稽を中心とする連歌をいったが、近世に至って松永貞徳が連歌の階梯とされていた俳諧を独自なものとして独立させ、そのジャンルを確立した。
れん‐く 【聯句・連句】(日本国語大辞典)
(古くは「れんぐ」)「れん(聯)【一】(2)」を構成する句。転じて、二人以上の人が、各自のそれを順につないで一編の詩をつくり上げること。のち、和歌と漢詩をつないだものにもいった。また、その作品。
きれ‐じ 【切字】(日本国語大辞典)
連歌、俳諧の発句で、句末に用いて一句を独立させたり、句中に用いて一句に曲折を与えたりする、詠嘆の意をもつ語。「野ざらしを心に風のしむ身かな」の「かな」、「古池や蛙飛びこむ水の音」の「や」、「旅人と我が名呼ばれん初しぐれ」の「ん」
はい‐ごん 【俳言】(日本国語大辞典)
俳諧に用いられる語。俳諧に用いて、和歌や連歌などには用いない俗語・漢語などの称。貞門俳諧では特に重視された。はいげん。*俳諧・毛吹草〔1638〕一「一句連哥にして誹言につまりたる時に」
しゃれ‐ふう 【洒落風】(日本国語大辞典)
松尾芭蕉没後、門人の宝井其角を中心に、元祿(一六八八〜一七〇四)の末から宝永(一七〇四〜一一)ごろにかけて、主として江戸に流行した知的、都会的な俳諧の流風。芭蕉が幽遠・閑寂な景情一致の作風を本位としたのに対して、奇抜な比喩やしゃれた趣向を喜び
飛鳥寺(改訂新版・世界大百科事典)
奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺。法興寺,本元興寺ともいう。蘇我馬子が創立した日本最初の本格的な寺院で,百済から招いた工人らが参画して,596年(推古4)ほぼ造営を終え,606年には仏師鞍作止利が作った本尊の丈六釈迦如来像が安置されている。古都飛鳥の地に〈大寺〉と
東寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市南区九条町にある寺。東寺真言宗の総本山。正しくは金光明四天王教王護国寺秘密伝法院(略して教王護国寺)という。本尊は薬師如来(にょらい)。794年(延暦13)の平安遷都に伴い、王城鎮護のために羅城門の左右に2か寺が建立され、それぞれ東寺(左寺、左大寺とも)、西寺
慈恩寺(国史大辞典)
山形県寒河江市大字慈恩寺に所在。山号瑞宝山。三院十六坊より成り、現在は慈恩宗の名で一宗をなす(もと天台真言両宗慈恩寺派。昭和四十七年(一九七二)一月改称)。開基年代は未詳であるが、おそくとも平安時代に創立の古刹。元来は法相宗であったらしく、摂関家領寒河江荘の鎮守と
出羽三山神社(日本大百科全書(ニッポニカ))
山形県中央部に横たわる羽黒山、月山、湯殿山に鎮座する出羽神社、月山神社、湯殿山神社の総称。推古天皇の御代に崇峻天皇の皇子蜂子皇子によって開かれたと伝える。中世以降、修験道の一大霊場として栄えた。夏季以外の登拝が困難なため、3社の祭祀は羽黒山上の三神合祭殿(鶴岡市羽黒町手向)
香取神宮(国史大辞典)
千葉県佐原市香取に鎮座。旧官幣大社。下総国の一宮。祭神は経津主神。古代の地形では東国の東端、大河の河口に近く、湖と入江が多く、しかも大洋に臨む地にあって、鹿島とならんで大和朝廷が早くから深い関係を持った神社である。カトリの名義は、『日本書紀』神代天孫降臨章第二の一書に
成田山新勝寺(日本歴史地名大系)
[現]成田市成田。正しくは成田山明王院神護新勝寺と号するが、一般には成田山・成田不動の名で知られる。関東三不動の一。真言宗智山派の大本山で、本尊は木造不動明王(国指定重要文化財)。縁起によると、平将門が東国において反乱を起こしたとき(将門の乱)、朱雀天皇は将門討伐の
保久良神社(日本歴史地名大系)
[現]東灘区本山北町六丁目。六甲山地の中腹に位置し、眼前には海が広がる。現在の祭神は須佐之男命・大歳御祖神・大国主神・椎根津彦命。旧郷社。「延喜式」神名帳に兎原郡三座の一つとしてみえる保久良神社(小座)に比定される。当社周辺に大阪湾型銅戈が出土し、弥生時代中―後期などの
鹿島神宮(改訂新版・世界大百科事典)
茨城県鹿嶋市に鎮座。常陸国の一宮。旧官幣大社。祭神は武甕槌神(建御雷神)。《常陸国風土記》には649年(大化5)に神郡がおかれ,そこにあった天の大神の社,坂戸の社,沼尾の社をあわせて〈香島の天の大神〉といい,〈豊香島の宮〉と名づけられ,また崇神天皇のとき大刀,鉾,鉄弓,鞍
尾曳稲荷神社(日本歴史地名大系)
[現]館林市尾曳町。旧館林城本丸の東北にあたる稲荷郭にあり、祭神は倉稲魂命・倭建命・誉田別命・素戔嗚命。赤井照光が館林城を築いたとき、狐が尾を曳いて案内し、城割を示したと伝えられ、城の鬼門に守護神として当社を創建したといわれる。創建の時期は天文元年(一五三二)という
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