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11月30日更新
賀茂祭(国史大辞典)
京都の賀茂別雷神社(上社)・賀茂御祖神社(下社)の例祭。葵祭。また石清水八幡宮の祭(南祭)に対して北祭ともいった。古代には単に祭といえばこの祭を指した。社伝によれば欽明朝、気候不順、天下凶作のため卜部伊吉若日子をして占わしめたところ、賀茂神の祟とわかったので神託により
神送祭(国史大辞典)
全国的に旧暦十月(神無月)、村々の鎮守神が出雲に集まるとの伝承が散在し、九月二十三日ごろから十月一日にかけそのお立ちを送る祭がある。これに対し十月二十四日から十一月一日にかけ神迎えや神のお帰りと称する行事があり、信心深い土地では両度とも宮籠りまたは参詣をする。
神在祭(国史大辞典)
出雲大社・佐太神社などで行われる神事。「じんざいさい」ともいう。元来十月はことに祭りの賑々しく執り行われる月で、「かみ(神)のつき(月)」といったが、のちに「かんな(し)づき(神無月)」と訓むようになると、この月には諸国の神々がその地を離れて出雲国につどい
鎌祭・稲場祭(国史大辞典)
農耕して収穫が終ったときに行う祝いごと。刈上祭と同列の行事である。主に稲作の場合に行なった。これは年中の農事で鎌の使い仕舞でもあったから、鎌あげ・鎌納また鎌祝いの名もあった。このとき手馴れた鎌を洗い清めて神棚または床の間に飾り、小豆飯・ぼた餅その他祝儀の食物を供えた。
竈神祭(国史大辞典)
『古事記』に「諸人の以ち拝(いつ)く竈神」といい、『続日本紀』天平三年(七三一)正月条に庭火御竈四時の祭祀を常例とするとある。また『延喜式』臨時祭には「鎮竈鳴祭」および「御竈祭」がみえる。竈は日常の飯食を炊ぐところであり、そのために火の穢を忌み竈神を祭ってその守護を
香取軍神祭(国史大辞典)
千葉県佐原市の香取神宮で午年ごとの四月に行われる祭典。古くは軍陣祭ともいい、現在は神幸祭とよぶ。四月十五日、神輿と三体の「御船木」を中心とした神幸列が本社より利根川の津宮鳥居川岸に至り、それより神輿を御座船に移し、この船を中心に多数の供奉船が従い、牛鼻
方屋祭(国史大辞典)
方屋とは土俵のこと。相撲の司家(つかさけ)吉田追風が江戸時代に相撲故実を整えた間に、この言葉を用いだしたとみられる。寛政三年(一七九一)六月、吹上御苑での将軍上覧相撲に際し、吉田追風が「方屋祭」を主宰し、「方屋開き」を宣告したあと、力士の土俵入りがあった。
歌仙(国史大辞典)
古く歌泉(『万葉集』)とも。歌道において特に優れた者。のちには特定の歌人を指すに至った。『古今和歌集』序により、柿本人麻呂・山部赤人を二歌聖、在原業平・小野小町・僧正遍照・喜撰法師・文屋康秀・大伴黒主の六人を六歌仙と称した。のちに成った各種の新六歌仙・続六歌仙などと
歌論書(国史大辞典)
歌に関して批評的文学論的見解を述べた文献。歌の定義・要素・分類・歌病などのほかに、歌に関する種々の研究、たとえば歌集の校訂・注釈・類纂および歌書の文化史的研究などをも含むものが多い。奈良時代、『万葉集』にも批評意識は散見するが、歌論書としては『歌経標式』(藤原浜成)
つぎ‐うた 【継歌・続歌・次歌】(日本国語大辞典)
短冊を三つ折りにして、題を隠したまま各自短冊を分け取って、その場で歌を詠むこと。中世以降に流行し、三十首、五十首、百首から千首に及ぶことがある。また、それを披講する歌会をもいう。多く探題(さぐりだい)形式で詠まれた。*右記〔1192〕「次当座続歌探題等哥。
こんぽん‐か 【混本歌】(日本国語大辞典)
和歌の歌体の一つ。古今集の真名序に「混本」と見えるが、どのような歌体をさすか、未詳。旋頭歌に同じく六句体の歌であるとする説(喜撰式、宣長、守部など)、四句体の歌とする説(奥義抄、八雲御抄など)、片歌や五・七音を連続させる、結句のない偶数形式の歌とする説(五十嵐力)
旋頭歌(国史大辞典)
歌体の一つ。「みじかうた」「みそひともじ」ともいう。形式は五・七・五・七・七の五句体、三十一音。五句を分けて、五・七・五の三句を上の句、七・七の二句を下の句、さらに第一句を初句・頭句・起句、第二句を胸句、第三句を腰句、第五句を結句・尾句・落句などと呼ぶ。
やまと‐うた 【大和歌・倭歌】(日本国語大辞典)
わが国固有の歌。多く、唐歌(からうた)に対して和歌をいう。*古今和歌集〔905〜914〕仮名序「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける」*後鳥羽院御口伝〔1212〜27頃〕「やまと哥を詠ずるならひ、昔より今にいたるまで
短歌(国史大辞典)
歌体の一つ。「みじかうた」「みそひともじ」ともいう。形式は五・七・五・七・七の五句体、三十一音。五句を分けて、五・七・五の三句を上の句、七・七の二句を下の句、さらに第一句を初句・頭句・起句、第二句を胸句、第三句を腰句、第五句を結句・尾句・落句などと呼ぶ。
なが‐うた 【長歌・長唄】(日本国語大辞典)
和歌の一体。五音、七音の二句を三回以上続け、最後に七音を添えるもの。ちょうか。*古今和歌集〔905〜914〕雑体・一〇〇二・詞書「ふるうたたてまつりし時のもくろくのそのなかうた」*源氏物語〔1001〜14頃〕行幸「なかうたなどの心ばへあらむを、御覧ぜむには
しい‐か 【詩歌】(日本国語大辞典)
漢詩と和歌。詩と歌。*高野本平家物語〔13C前〕三・少将都帰「この古き詩哥(シイカ)を口ずさみ給へば」*風姿花伝〔1400〜02頃〕六「仮令、名所・旧跡の題目ならば、その所によりたらんずるしいかの、言葉の耳近からんを、能の詰め所に寄すべし」
和泉式部日記(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安時代の日記。1巻。別名を『和泉式部物語』とも。和泉式部と帥宮敦道親王との恋愛の経緯を歌物語風につづった作品で、1003年(長保5)4月から翌1004年1月にかけての記事が収められている。作者については、自作説、他作説とあって結論は出されて
落窪物語(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安時代の物語。4巻。題名は、継母が姫君を寝殿の一段低い部屋に住まわせて落窪の君と呼ばせたことによる。成立時期、作者とも未詳であるが、およそ一条朝の初期、寛和~正暦(985~995)ごろ、男性によって書かれたものと考えられる。内容は、継母に虐待される薄幸の姫君が左大将の
日本往生極楽記(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安中期の往生伝。一巻。慶滋保胤著。初稿本の成立は983年(永観1)~986年(寛和2)。のちに兼明親王に加筆を委嘱したが、987年(永延1)親王が薨じたため、著者がふたたび筆をとり完成させた。日本における最初の往生伝で、聖徳太子、行基
往生要集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安中期の仏教書。天台宗の僧源信(恵心僧都)の著。43歳の984年(永観2)11月から書き始め、翌年4月に完成したもので、3巻10章からなる。濁世末代の人にとって極楽に往生する道を示す教えこそもっともふさわしいものであるという信念から、そのために必要な念仏について経典や論疏
うつほ物語(宇津保物語)(新編 日本古典文学全集・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安時代の物語。題名は首巻の「俊蔭」の巻で、主人公の仲忠が母と杉の洞穴で生活したことによる。従来「宇津保」と書かれていたが、変体仮名の原漢字を用いたもので、題意からは「うつほ(ウツオ)」がよい。成立時代は円融朝(969~984)~
蜻蛉日記(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
平安中期の歌人藤原道綱母の書いた回想録的な日記。道綱母の20歳ごろの954年(天暦8)、時の右大臣藤原師輔の三男兼家と結婚してから、974年(天延2)に兼家の通うのが絶えるまでの、20年間の記事をもつ。上中下の3巻からなり、上巻末尾に「あるかなきかの心地するかげろふの日記といふ
後撰和歌集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
『古今和歌集』に次ぐ第二の勅撰和歌集。略称「後撰集」。951年(天暦5)、村上天皇の命により昭陽舎(梨壺に撰和歌所が設けられ、別当に藤原伊尹、寄人に大中臣能宣、清原元輔、源順、紀時文、坂上望城のいわゆる「梨壺の五人」が任ぜられて、『万葉集』
将門記(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安時代の軍記物。修飾の多い和風漢文体。「まさかどき」ともいわれるが、古くは「将門合戦章(状)」などとよばれた。巻頭部を欠く「真福寺本」、稿本の概をみせるといわれるが零本の「片倉本(楊守敬旧蔵本)」のほか数種の抄本が伝えられている。物語の主人公平将門の系譜から
土佐日記(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
紀貫之作。『土左日記』とも書く。土佐守の任満ちた貫之が、934年(承平4)12月21日に任地をたち、翌年2月16日に帰京するまでの55日間の海路の旅をもとにした日記体の紀行文。帰京後まもなくに成立か。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。」といい
倭名類聚抄(和名類聚抄)(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
「和名類聚抄」「和名抄」ともいう。平安時代の分類体漢和対照辞書。源順撰。承平年間(931~938)ごろの成立。約2600の漢語を分類し、その文例・語釈を漢籍から引用して、割注で字音と和訓を示す。従来の『楊氏漢語抄』『弁色立成』(いずれも逸書)
菅家文草(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
菅原道真の漢詩文集。12巻。900年(昌泰3)8月、自ら編纂して醍醐天皇に献呈した。成立の事情は道真の「家集を献ずる状」に詳しい。現存本は成立時の原形をほぼそのまま伝えている。巻1から巻6までは詩、巻7から巻12までは散文で、468首の詩と、賦・序・詔勅・奏状・願文等の多様な文体の
都氏文集(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
日本漢文。都良香著。原6巻,現存は巻三,四,五の3巻でいずれも散文。佚した巻には,詩文,願文等があったと推定される。成立年は未詳だが,良香晩年の879年(元慶3)前後の成立か。作品は,多様な散文を網羅し,賦,銘,讃にも技巧的な押韻がみられ,策判や,省試・試判のごときものは
続日本後紀(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
『日本後紀』に続く勅撰の歴史書。20巻。「六国史」の4番目。833年(天長10)の仁明天皇の即位より850年(嘉祥3)の仁明の死去と葬儀に至る18年の歴史を記す。855年(斉衡2)文徳天皇の命により藤原良房、藤原良相、伴善男、春澄善縄、県犬養貞守の5人が編集にあたり、清和天皇の869年
日本後紀(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
『続日本紀』に続く勅撰の歴史書。40巻。「六国史」の第三番目。792年(延暦11)より833年(天長10)に至る桓武、平城、嵯峨、淳和四天皇の時代42年間の記録を編年体でまとめたもの。819年(弘仁10)嵯峨天皇の指示を受け、藤原冬嗣、藤原緒嗣らが編纂を開始した。
性霊集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安初期の漢詩文集。正しくは『遍照発揮性霊集』。10巻。空海作。弟子の真済が編纂したもので、当初10巻であったが、巻8以下の3巻が散逸し、1079年(承暦3)に済暹が逸文を拾集して『続性霊集補闕鈔』3巻を編み、ふたたび10巻に編纂した。空海の作品として確実なもの108編。
経国集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安前期の漢詩文集。827年(天長4)、滋野貞主、良岑安世、菅原清公らによって編纂撰進された。書名は魏の文帝の「典論」にある、「(文章は)経国之大業而不朽」による。もともと20巻だったが、現存するのは巻1「賦」、巻10、11、13、14(以上、詩)、巻20
文華秀麗集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安前期の勅撰漢詩文集。818年(弘仁9)仲雄王、菅原清公、勇山文継、滋野貞主らによって編纂撰進された。詩を分類するのに、遊覧、宴集、餞別、贈答、詠史、述懐、艶情、楽府、梵門、哀傷、雑詠の11の部立てを立てるという斬新な方法を用いている。
新撰姓氏録(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
815年(弘仁6)に編纂された古代氏族の系譜書。本書の編纂は799年(延暦18)、諸国に本系帳の撰上を命じたことに始まる。814年に至り万多親王、藤原園人、同緒嗣らによって完成されたが、さらに源朝臣の条などを追加し、不備な点を補って翌年に朝廷に
凌雲集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安前期の漢詩文集。814年(弘仁5)小野岑守、菅原清公、勇山文継らによって編纂撰進された。序文に「凌雲新集」とあるが、普通には「雲を凌ぐほどにすぐれた詩を集めた詩集」の意味で凌雲集とよばれる。782年(延暦1)から814年までの範囲から詩人23人、詩90首(
文鏡秘府論(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安時代の詩文作法・評論書。6巻。弘法大師空海の撰。820年以前の成立。中国の六朝・隋・唐時代に書かれた音韻書などから抜粋し斟酌してつくったもので,詩文の創作に関する重要な規則を八韻,四声,対句,文体,詩文の病などに分けて論じ
古語拾遺(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安初期に書かれた歴史書。著者は斎部広成。1巻。807年(大同2)2月13日完成。忌部(斎部)氏は大和朝廷時代には中臣氏と並んで祭祀を担当していたが,大化改新後は中臣氏から藤原氏が出て政界で有力になると,中臣氏も奈良時代には祭祀関係の要職を独占するようになった。
百万塔(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
奈良時代に作られた轆轤びき木製三重小塔で,塔身部に〈陀羅尼経〉を納めている。相輪部と塔身部に分かれ,それぞれ一木を用いて削り出す。大きさは個体によって異なるが,標準的なもので総高21.4cm,基底部径10.5cm,塔身部のみの高さは13.4cmある。塔身部の軸部上端を筒状にえぐり
懐風藻(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
漢詩集。1巻。撰者については、淡海三船説、葛井広成説、石上宅嗣説などがあるが未詳。751年(天平勝宝3)成る(序文による)。近江朝以降、奈良朝中期の天平ごろまでの約八十数年間のわが国の詩人64人の漢詩120首を、ほぼ時代順・作者別に配列して一巻にまとめている。
歌経標式(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良時代の歌学書。藤原浜成(はまなり)著。序、跋(ばつ)によれば、772年(宝亀3)5月勅命により成立。偽作説もあったが、真作と認めうる。最古の歌学書で、とくに歌病(かへい)論は平安時代以降、変化しつつも大きな影響を残した。序によれば書名は『歌式(かしき)』。
百万塔陀羅尼(日本大百科全書(ニッポニカ))
称徳(しょうとく)女帝(在位764~770)の発願で、奈良諸大寺に納められた三重小塔百万基の小木塔に収納した陀羅尼(経文)。世界最古の印刷物として有名である。765年(天平神護1)より770年(神護景雲4)まで数年をかけて完成した。露盤の内部に陀羅尼一巻を納めたもの。陀羅尼は唐の
春日若宮祭(国史大辞典)
奈良市春日大社摂社の春日若宮神社の祭。おん祭と通称される。無形文化財指定。例祭は十二月十七日。翌十八日に後宴能が加わる。一の鳥居のある馬場に面した春日野の御旅所仮屋に前夜半に神幸を仰いで執行され、特に祭礼の風流(お渡り)が有名である。創始は保延二年(一一三六)九月十七日。
鹿島御船祭(国史大辞典)
茨城県鹿島神宮で十二年に一度、午の年に盛大に行われる船渡御(ふなとぎょ)の祭。九月一日夕刻大篝に点火し、神輿を拝殿中央に奉安し、霊遷(みたまうつし)ののち祝詞奏上、神宝読上げがあって神輿出御となり行宮に赴く。二日は行宮を出、北浦の大船津河岸から神輿を御船に移し
風日祈祭(国史大辞典)
伊勢神宮の両宮をはじめ別宮・摂社以下の諸社に、風雨の災害なく五穀が豊熟するよう祈る神事。従来四月十四日と七月四日とに執行されてきたのを、明治十三年(一八八〇)より五月十四日と八月四日とに改定された。五月十四日の祭儀には御幣(みてぐら)および御蓑(みみの)・御笠(みかさ)を
御頭祭(国史大辞典)
長野県諏訪大社上社の四月十五日(例祭)の神事。古くは年中七十二度の神事中最も重んじられ、正月の頭郷御占・御符渡・境注連などの神事を経て四月に至るものであった。頭郷といって諏訪郡内十六ヵ村が定められており、輪番で少年一人を出させこれを神使とし、例祭前三十日間潔斎させた。
御田植祭(国史大辞典)
神社の御供田などを植えるとき行う祭儀。古来の大社にはこの神事を伝承する所が少なくない。三重県志摩郡磯部町の伊雑宮の御田植オミタは六月二十四日、これより早く五月末から伊勢内外両宮と猿田彦神社でも御田植祭が営まれる。大阪市の住吉大社で六月十四日、京都市の稲荷大社は同十六日
大殿祭(国史大辞典)
宮廷殿舎の災害を予防し平安を祈願する宮中祭儀。『延喜式』宮内省・四時祭上ならびに祝詞に詳しい。屋船久久遅(やふねくくのち)・屋船豊宇気姫(やふねとようけひめ)・大宮売(おおみやのめ)の三神を祭る。恒例には神今食・新嘗祭・大嘗祭の前後に行われ、臨時には宮殿の新築・移居や
御船祭(国史大辞典)
神霊を御座船に乗せて海または川を渡御する祭。(一)川や海を支配する神が氏子圏を巡幸するかたちの神幸船の祭、(二)海神や湖神に供物を捧げるために飾り立てた船を出す竜神(海神)祭・湖水祭の類、(三)水辺に出て禊(みそぎ)祓を行う儀式から発展した浜降祭などに分けることができる。
石清水祭(改訂新版・世界大百科事典)
京都府八幡市の石清水八幡宮で毎年9月15日に行われる例大祭。賀茂祭(葵祭),春日祭とともに三大勅祭の一つ。古くは旧暦8月15日に行われ,明治まで石清水放生会と称した。放生会の起源は《政事要略》によると,720年(養老4),隼人征討のとき隼人を殺した報いとして放生会を奉仕するように
鎮魂祭(国史大辞典)
古代宮廷祭祀の一つ。鎮魂の和訓は「みたまふり」または「みたましずめ」。その意義については諸説あるが、一般に天皇の魂を体内に安鎮せしめ、健康を祈る呪法と考えられている。『日本書紀』の天武紀が初見であるが、神祇令にも規定され、律令時代には十一月下の寅(または中の寅)の日
斎火祭(国史大辞典)
忌火庭火祭(いみびにわびのまつり)ともいう。忌火神は庭火神と一対で内膳司に、大炊寮の大八嶋竈神ともとは三位一体の「かまど神」。『続日本紀』天平三年(七三一)正月条の「庭火御竈四時祭祀、永為常例」が初見で、庭火は平常炊飯の用に供し、忌火は神今食・新嘗祭・大嘗祭に、忌火屋女
今宮祭(改訂新版・世界大百科事典)
京都市北区に鎮座する今宮神社の祭礼。994年(正暦5)国中疫病が流行したため,船岡山に疫神を安置して御霊会を営み,その後紫野に神殿を建立し,毎年旧暦5月9日に幣帛を奉り,これを今宮祭と称した。しかし,現在は今宮神社境内の疫神社の祭礼である,やすらい祭のほうがよく知られている。
稲荷祭(国史大辞典)
京都市伏見稲荷大社の祭礼。古くは四月上卯日(三卯あれば中卯日)を式日とした。この祭礼は、まず三月中午日の御輿迎の儀に始まる(これを渡御祭または御出という)。当日は神璽を神輿に遷し、旅所に渡御があり、駐ること二十日で、上述の四月上卯日に還幸があって祭典が行われる。
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