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10月31日更新
元興寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市芝新屋町にある華厳宗の寺。南都七大寺の一つに数えられ、日本最古の寺院の一つ。仏教移入の争いで物部氏を破った蘇我馬子が、596年(推古天皇4)に建立したと伝え、豊浦寺、葛城寺、飛鳥寺、建興寺、法師寺、建通寺ともよばれていた。
大安寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市大安寺町にある高野山真言宗の別格本山。南都七大寺のうち東大寺に次ぐ大寺で、古来、百済大寺(百済寺)、大官大寺、大寺、南大寺とも称せられた。現在は癌封じの寺としても知られる。617年(推古天皇25)に聖徳太子の発願により
春日大社(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市春日野町に鎮座。第一殿に武甕槌命、第二殿に経津主命、第三殿に天児屋根命、第四殿に比売神の4柱を祀っている。鎮座地は御蓋山(三笠山)の麓で、ナギ、アシビ、サカキなどの深い樹叢に囲まれた浄域となっている。
南シナ海問題(日本大百科全書(ニッポニカ))
南シナ海における、中国と東南アジア諸国連合(ASEAN(アセアン))の沿岸諸国による島礁(島・岩・低潮高地・暗礁・砂州・堆のすべてを含む表現)の領有権や資源開発をめぐる利害対立のこと。現場海域が東西貿易のための海上交通路の要衝であることから生ずる域外諸国の安全保障問題も含まれる。
新疆ウイグル問題(日本大百科全書(ニッポニカ))
中国の新疆ウイグル自治区を中心としたウイグル人の独立運動をめぐる問題。問題の背景 約960万平方キロメートルの巨大な領域をもつ中国の一つの大きな悩みは、主体文化、主体民族とは違う勢力によって国家の統合が脅かされるという「懸念」や「恐れ」である。「大一統」(大きく一つに統(す)べる)
チベット問題(日本大百科全書(ニッポニカ))
チベット仏教にもとづく、政教一致の文化をもつチベット人が中国からの独立ないし高度な自治を求めていることから生じている紛争、および諸問題。近来、当局に抵抗する僧侶の焼身自殺が頻発し、チベットでの宗教や自由への圧迫が人権問題だとして国際問題化している。宗教指導者ダライ・ラマ14世は
大統領制(日本大百科全書(ニッポニカ))
広義には、大統領を元首とする統治形態をいう。狭義には、厳格な三権分立制をとるアメリカの統治形態をいう。アメリカ、第五共和政後のフランス、ワイマール共和国時代のドイツ、インドネシア、韓国(大韓民国)などの大統領のように、その権限の強い国もあれば、第三・第四共和政下のフランス
唐招提寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市五条町にある律宗総本山。本尊は盧舎那仏。756年(天平勝宝8)、聖武・孝謙両上皇の勅願により来朝した唐僧過海大師鑑真和上が新田部親王の旧宅を譲り受けて建立した寺で、戒壇を設け律宗の根本道場とした。初めは唐律招提寺、唐寺、律寺などと称され、延喜式十五大寺、南都七大寺の一つに数えられた。
平城宮(日本大百科全書(ニッポニカ))
710年(和銅3)から784年(延暦3)の首都平城京の中枢部分をいう。元明(げんめい)~桓武(かんむ)天皇の7代にわたる宮である。平城京の北端に位置し、一辺1キロメートルの正方形の東に張り出し部分があり、面積は合計124ヘクタールを占める。大正年間より遺跡保存がはかられ、現在国の特別史跡として
薬師寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山。西京寺、瑠璃宮薬師寺ともいう。南都七大寺の一つ。本尊は薬師三尊。680年(天武天皇9)天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して一寺の建立を発願したが、天皇が崩御したため持統天皇、文武天皇が698年(文武天皇2)藤原京に完成した。
厳島神社(改訂新版・世界大百科事典)
広島湾南西部に浮かぶ厳島(広島県廿日市市,旧宮島町)に鎮座。市杵島姫命,田心姫命,湍津姫命をまつる。旧官幣中社。祭神〈伊都岐島神〉は,811年(弘仁2)名神に列し四時幣に預かり,神階は867年(貞観9)従四位上に昇叙。《延喜式》で名神大社に列し,のち安芸国の一宮となる。平安時代末
正福寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
東京都東村山市野口町にある臨済宗建長寺派に属する禅寺。山号は金剛山。開山は文永年間(1264~75)没の心月禅師、開基は北条時頼。本堂には本尊の聖観世音菩薩像が安置されている。境内にある地蔵堂(国宝)は、禅宗様建築の代表とされている鎌倉円覚寺の舎利殿(室町時代)とよく似た建築であり
天竜寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町にある臨済宗天竜寺派の大本山。霊亀山天竜資聖禅寺と号する。本尊は釈迦如来。京都五山の第一。1339年(延元4・暦応2)、後醍醐天皇が吉野行宮で崩御するや、足利尊氏・直義の兄弟が夢窓疎石の勧めによって、後醍醐天皇の冥福を祈るために創建した寺であり
西芳寺(日本歴史地名大系)
[現]西京区松尾神ヶ谷町 西芳寺川の北岸、谷の入口に位置する。洪隠山と号し、俗に苔寺の名で知られる。臨済系単立寺院。本尊阿弥陀如来。平成六年(一九九四)世界の文化遺産(古都京都の文化財)に登録された。〈京都・山城寺院神社大事典〉〔草創伝承〕応永七年(一四〇〇)住持急渓中韋の著した
清水寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市東山区清水にある法相宗大本山。山号は音羽山。古くは北観音寺とも称した。西国三十三所第16番札所。『清水寺縁起』によると、大和(奈良県)小島寺の延鎮が修行の途次、夢告によって山城国愛宕郡八坂郷東山の麓にきて
知恩院(改訂新版・世界大百科事典)
京都市東山区にある浄土宗の総本山。華頂山大谷寺と号し,知恩教院ともいう。浄土宗の開祖法然が晩年に住んだ〈大谷の禅房〉に始まる。1212年(建暦2)法然が没すると,弟子らは禅房の東崖上に廟堂(墓)を造り,法然の御影(像)を置き,法然の命日にはこの廟堂で法然の遺徳を讃嘆する〈知恩講〉を営んだ。
醍醐寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市伏見区醍醐伽藍町にある真言宗醍醐派の総本山。深雪山または笠取山と号する。本尊は薬師如来。笠取山全山が寺域で、山上を上醍醐、麓を下醍醐といい、上下醍醐に八十余棟の堂塔が配置されている。貞観年間(859~877)理源大師聖宝が山上に草庵を建てたのが始まりで、続いて准胝堂、如意輪堂が建立された。
第二次世界大戦(日本大百科全書(ニッポニカ))
第二次世界大戦とは、一般には、1939年9月の英独戦争に始まり、1941年6月の独ソ戦争、同年12月の太平洋戦争を経て、1945年5月ドイツの、同年8月日本の降伏で終わる戦争をいう。この戦争に先だつ第一次世界大戦は、ヨーロッパを舞台とし、1914年8月、ヨーロッパ諸国がイギリス・フランス・ロシアの
第一次世界大戦(日本大百科全書(ニッポニカ))
第一次世界大戦(以下、大戦と略記する)は、1914年から1918年まで、計25か国が参加してヨーロッパを主戦場として戦われた戦争である。主要な強国のほとんどすべてを巻き込んでおよそ4年半の長期間に及び、しかも複雑多岐にわたる問題を当初からはらんで行われた戦争の性格を考えて、本項では、以下の構成をとった。
ナチス(日本大百科全書(ニッポニカ))
国民社会主義ドイツ労働者党Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterparteiの通称。略称はNSDAP。ナチNazi(単数および形容詞)またはナチス(複数)は、ドイツの政敵や欧米の反ヒトラー派がこの党に与えた卑称である。日本では公式の略称としては単数、複数を問わずナチスとよんでいた。
日米交渉(国史大辞典)
日米戦争の回避または延引を目的とした、真珠湾攻撃前約一年間にわたる非公式外交工作および開戦外交交渉。その背景にはヨーロッパからアジア・太平洋地域に伸展した第二次世界大戦に対する日米双方の政・戦略的駆引きが窺われる。なお日本側ではこの日米国交調整工作・交渉をN工作または日米交渉と称し
太平洋戦争(日本大百科全書(ニッポニカ))
1941年(昭和16)12月8日、真珠湾攻撃、日本のアメリカ、イギリスへの宣戦布告で始まり、1945年9月2日、日本の降伏文書調印によって終わった戦争。日本の指導者層は大東亜戦争と呼称した。1931年(昭和6)の満州事変に始まる日中十五年戦争の発展であり、日中戦争を重要な一部として含む。
18歳選挙権(日本大百科全書(ニッポニカ))
満20歳以上が行使できる日本国民の選挙権を満18歳以上とすること。また、その選挙権。2015年(平成27)6月、選挙に参加することのできる有権者の年齢を満20歳から満18歳に引き下げるとともに、選挙犯罪などに関する少年法などに特例を設けて成人同様に処罰することを内容とする、公職選挙法等の一部を改正する法律が成立した
ネット選挙(日本大百科全書(ニッポニカ))
インターネット上の各種サービスを利用する選挙運動、およびそうした運動の許された選挙。インターネットを介して有権者が投票ができるということではない。選挙公示から投票日までの選挙期間中に、候補者がインターネットを選挙運動に活用することは、公職選挙法142条の「規定された文書図画以外の頒布」にあたるとされ禁じられていたが
マニフェスト(日本大百科全書(ニッポニカ))
政権公約。選挙公約集。選挙の際に政党や候補者などが示す政策綱領のこと。従来の選挙公約が具体性を欠く抽象的なものであったことから、従来型の選挙公約と区別して、政策の目標数値・達成期限・財源・工程などが具体的に明示された選挙公約をいう。英語のmanifestoは、もともと君主、政府、政党、団体などの宣言、声明(書)を意味する。
雛祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
毎年3月3日に雛人形を飾り、桃花や雛菓子を供えて、白酒で祝う習俗で、「桃の節供」ともいう。婦女子主体の祭りで、男子の五月節供と対置されてもいるが、雛人形主体の節供習俗の歴史は案外に新しい。江戸時代初頭(1630ころ)に宮廷や幕府で三月節供に雛人形にかかわる行事があった記録が現れ、やがて寛文年間(1661~73)以降に
端午(改訂新版・世界大百科事典)
中国にはじまり,朝鮮,日本でも行われる旧暦5月5日の節供。中国 蒲節,端節,浴蘭節などともいう。〈端〉は〈初〉の意味で,元来は月の最初の午の日をいった。十二支の寅を正月とする夏暦では,5月は午の月にあたり,〈午〉が〈五〉に通じることや陽数の重なりを重んじたことなどから,3世紀,魏・晋以後
重陽(改訂新版・世界大百科事典)
9月9日の節供。陽数(奇数)の極である9が月と日に重なることからいい,重九(ちようきゆう)ともいう。中国行事の渡来したもので,邪気を避け,寒さに向かっての無病息災,防寒の意味もあった。菊花宴ともいい,685年(天武14)を起源とするが,嵯峨天皇のときには,神泉苑に文人を召して詩を作り,宴が行われていることが見え
七草(改訂新版・世界大百科事典)
七種とも書き,春の七草と秋の七草がある。春の七草〈せり,なずな,ごぎょう,はこべら,ほとけのざ,すずな,すずしろ,これや七草〉とうたわれたように,これらを春の七草と称し,この,ごぎょうはハハコグサ,はこべらはハコベ,ほとけのざはタビラコ,すずなはカブ,すずしろは大根とされる。後世これらを七草粥にして正月7日に食べた。
雑節(改訂新版・世界大百科事典)
現在,国立学校設置法4条1項により,暦書編製を行うことになっている東京天文台では,毎年2月1日付の官報に翌年の暦象要項を発表している。その雑節の項には四季の土用,節分,春秋の彼岸,八十八夜,入梅,半夏生,二百十日の日付が記載されている。
節分(日本大百科全書(ニッポニカ))
季節の変わり目。立春・立夏・立秋・立冬の前日。とくに立春の前日が重んじられている。現行暦では2月3日または4日。節分は太陽の運行を基準にして設けられているから、旧暦(太陰太陽暦)の時代には期日が一定せず、大みそかより前になることがあり、「年の内に春は来にけり」という場面があった。
彼岸(改訂新版・世界大百科事典)
春分・秋分を中日として,その前後おのおの3日にわたる1週間を〈お彼岸〉と称し,この期間に寺院では彼岸会という法会を行い,信者は寺に参詣し,説法を聴聞,また墓参などをする。このような習俗はインド,中国にもみられず,日本にしかない。彼岸の語はふつうサンスクリットpāramitā(波羅蜜多)の訳〈到彼岸〉の略とされ
社日(改訂新版・世界大百科事典)
中国において社(土地神)を祭る祝日をいう。一般に春秋2回行われるが,その日は時代によって異なる。唐代には,立春(立秋)後,第5番目の戊(つちのえ)の日である。村人たちはみな仕事を休んで叢林中の祠に集まり,酒肉をそなえた後,その供え物で飲み食いし,一日を楽しんだ。神楽(かぐら)も盛んに奏された。
八十八夜(改訂新版・世界大百科事典)
立春から数えて88日目をいう。太陽暦では5月2日ごろ。〈八十八夜の別れ霜〉などといわれ,この日を目安にして田の苗代を作ったり,畑作物の種まきや野菜の移植をするという所は多い。茶摘みの適期でもある。また漁の目安とする所もあり,瀬戸内では俗に魚島時(うおじまどき)といわれるほど豊漁のつづくころといわれるし
入梅(日本大百科全書(ニッポニカ))
雑節の一つ。梅雨の時期に入る日をいい、暦にはその日を記す。旧暦時代には五月節芒種(ぼうしゅ)に入って第一の壬(みずのえ)の日を入梅とする説を用いた。現行暦では太陽の視黄経が80度に達した日をもって入梅とし、太陽暦の6月11日ごろにあたる。この日から梅雨が始まるわけではなく、およそこのころから雨期に入ることを
半夏生(改訂新版・世界大百科事典)
雑節の一つ。夏至から11日目で,太陽暦では7月2日ごろ。このころ〈半夏〉(カラスビシャク)という名の毒草が生えるのでこの名が生まれたという。全国的に農繁期の一応の終了期とされている。ハンゲハンゲなどの語呂合せで〈半夏半毛〉〈半夏半作〉などといい,この日までに田植を終わらないと秋の実りが遅れて
二百十日(日本大百科全書(ニッポニカ))
暦の雑節の一つ。立春から数えて210日目の日。太陽暦の9月1日ごろにあたる。古来、台風襲来の時期でイネの開花期にあたり、農家の厄日として注意を促すため暦に記載される。渋川春海(しぶかわはるみ)が漁夫からこのことを聞いて1686年(貞享3)の暦から記載するようになったといわれているが
国民の祝日(日本大百科全書(ニッポニカ))
国で定めた国民の祝いの日で、休日となる。1948年(昭和23)7月20日施行の「国民の祝日に関する法律」(昭和23年法律178号)によって、9日の祝日(休日)が定められた。すなわち、元日(1月1日)、成人の日(1月15日)、春分の日(春分日)、天皇誕生日(4月29日、現在は12月23日)、憲法記念日(5月3日)、こどもの日(5月5日)
元日(国史大辞典)
年頭第一日、一月一日。元ははじめの意。この日年神を迎えて祭り、新年を祝った。古く村落では正月の満月の夜を中心に祭ったが、古代国家が大陸伝来の官暦を制定して以来、元日に四方拝・朝賀・節会など年始の朝儀公事が盛んになった。民間でもこの日を重んじて、新年の祝祭は元日と十五日とに二分され、さらに立春の行事とも習合した。
成人の日(日本大百科全書(ニッポニカ))
1月の第2月曜日。「おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」趣旨の国民の祝日。1948年(昭和23)制定。従来は1月15日であったが、2000年から1月の第2月曜日となる。社会成員の認知を受ける通過儀礼ともいえる。
春分の日(日本大百科全書(ニッポニカ))
「自然をたたえ、生物をいつくしむ」趣旨の国民の祝日。毎年3月21日ごろ。太陽が黄経0度の春分点を通過する日で、真東から出、真西に沈む。昼夜の時間がほぼ等しく、二十四節気の一つ。春の彼岸(ひがん)の中日にもあたる。
井伊谷村(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。現引佐町の南部、井伊谷川に神宮寺(じんぐうじ)川が合流する小盆地に立地する。「和名抄」にみえる引佐郡渭伊(いい)郷の中心をなしていたという。渭伊は井からの転化とされ、井水を神聖視する聖水祭祀を行ってきた豪族が栄えた地という
龍潭寺(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。県道引佐―舘山寺(かんざんじ)線の西側の小丘陵上に位置する。臨済宗妙心寺派。山号は万松山、本尊は行基作と伝える虚空蔵菩薩。元文六年(一七四一)に気賀(けが)関所(現細江町)に差出した御要害村寺院縁寿録(山本家文書)によると、天平五年(七三三)に行基が地蔵寺を開創、のち自浄(じじよう)院と改号した
渭伊神社(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。井伊谷(いいのや)の北西端に鎮座する。社域西側を神宮寺(じんぐうじ)川が半円を描いて流れ、杉・檜・楠の古木が社叢をなす。祭神は品陀和気命・息気長足姫命・玉依姫命。旧郷社。「延喜式」神名帳にみえる引佐郡六座のうちの「渭伊(イイノ)神社」に比定される。
井伊谷城跡(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。井伊谷の盆地北側、標高一一四メートルの城(しろ)山の山頂とその南東方向の麓にあった居館。井伊(いい)城ともいい、井伊氏の居城。なお史料上、南北朝期にみえる井伊城は三岳(みたけ)城をさす。
三岳城跡(日本歴史地名大系)
[現]引佐町三岳・川名。三岳山の山頂部にある山城跡。標高四六六・八メートルの山頂を中心として東西約七〇〇メートルにわたる尾根上に築かれていた。国指定史跡。井伊氏の本城で、平時の居館であった井伊谷(いいのや)の井伊谷城に対し、詰の城として利用され、当城と井伊谷城は同一視されていた。御嵩城・三嶽城・深嶽城あるいは井伊城
かみな‐づき【神無月】(日本国語大辞典)
解説・用例〔名〕(「な」は「の」の意で、「神の月」すなわち、神祭りの月の意か。俗説には、全国の神々が出雲大社に集まって、諸国が「神無しになる月」だからという)陰暦一〇月のこと。かんなづき。かみなしづき。かみなかりづき。
しも‐つき【霜月】(日本国語大辞典)
解説・用例〔名〕陰暦一一月の異称。霜降月(しもふりづき)。霜見月。《季・冬》*日本書紀〔720〕神武即位前(北野本室町時代訓)「十有一月(シモツキ)の癸の亥朔己巳のひ」*竹取物語〔9C末〜10C初〕「霜月しはすの降り氷り、みな月の照りはたたくにも障(さは)らず来たり」*源氏物語〔1001〜14頃〕蓬生
しわす[しはす]【師走】(日本国語大辞典)
解説・用例〔名〕陰暦一二月の異称。極月(ごくげつ)。《季・冬》*日本書紀〔720〕神武即位前(北野本室町訓)「十有二月(シハス)の丙辰朔、壬午のひ」*日本書紀〔720〕仁徳六二年(前田本訓)「是より以後、季冬(シハス)に当る毎に、必ず、氷を蔵む」*万葉集〔8C後〕八・一六四八「十二月(しはす)には
むつき【睦月】(日本国語大辞典)
解説・用例〔名〕陰暦正月の称。むつびづき。むつびのつき。むつましづき。むつみづき。《季・新年》*万葉集〔8C後〕五・八一五「武都紀(ムツキ)たち春の来たらばかくしこそ梅を招(を)きつつたのしき終へめ〈紀卿(名未詳)〉」*源氏物語〔1001〜14頃〕乙女「年の暮にはむ月の御さうぞくなど、
やよい[やよひ]【彌生】(日本国語大辞典)
解説・用例【一】〔名〕(「いやおい(彌生)」の変化したものか)陰暦三月の異称。《季・春》*日本書紀〔720〕孝霊四年三月(北野本訓)「四年(よとせ)の春(はる)三月(ヤヨヒ)甲申(きのえさる)の朔(つひたち)甲午(きのえむま)に」*古今和歌集〔905〜914〕春上・六一・詞書
う‐づき【卯月】(日本国語大辞典)
解説・用例〔名〕陰暦四月の異称。この月より夏にはいり、衣更(ころもがえ)をした。《季・夏》*日本書紀〔720〕皇極元年四月(北野本訓)「夏、四月(ウツキ)丙戌の朔癸巳、太使(こにつかひ)翹岐其の従者(ともびと)を将(ゐ)て拝朝(みかどをがみ)す」*源氏物語〔1001〜14頃〕玉鬘
さ‐つき【五月・皐月】(日本国語大辞典)
解説・用例〔名〕(1)陰暦五月の称。《季・夏》*万葉集〔8C後〕一七・三九九六「わが背子が国へましなばほととぎす鳴かむ佐都奇(サツキ)はさぶしけむかも〈内蔵縄麻呂〉」*源氏物語〔1001〜14頃〕夕顔「いとしのびて、さ月の頃ほひよりものし給ふ人なん、あるべけれど」
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