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1月31日更新
歌物語(改訂新版・世界大百科事典)
平安中期の物語の一様式をあらわす文学用語。語彙としては二義あり,一つは早く《栄華物語》(〈浅緑〉)にもみえ,歌にまつわる小話の意で,当時〈うたがたり〉と呼ばれた口承説話とほぼ同一内容のものと思われる。二つは近代に入ってからの新しい用法で,《竹取物語》《宇津保物語》などを〈作り物語〉と古くから呼んできたのに対して
覚猷(日本大百科全書(ニッポニカ))
平安時代の僧で、俗称鳥羽僧正。大納言源隆国の第9子で本名顕智。園城寺の覚円に師事し出家。1081年(永保1)四天王寺別当職に任ぜられたが、94年(嘉保1)園城寺に戻り、1121年(保安2)法印大和尚位に叙せられる。31年(天承1)鳥羽離宮内の証金剛院別当に任ぜられ、ここに常住したために鳥羽僧正と俗称された。
源隆国(改訂新版・世界大百科事典)
平安後期の公卿。源俊賢の次男。1018年(寛仁2)宗国を改名。摂関家の姻戚として順調に昇進,34年(長元7)参議。61年(康平4)権中納言を辞したが67年(治暦3)権大納言となる。74年(承保1)納言辞任,77年病により出家し没す。隆俊ら諸子も立身したが,鳥羽僧正覚猷(かくゆう)は特に有名。
宇治大納言物語(国史大辞典)
宇治大納言隆国が書いたと伝えられる散佚した物語。書名や内容の一部分が、中世の諸書に散見するので、そのころまでは伝存されていたのであろう。内容は説話的なもので、宮廷の和歌の話や、仏教説話などをふくんでいたらしい。現存の『今昔物語集』『打聞集』『古本説話集』『宇治拾遺物語』『小世継』などの
親敵討腹鞁(改訂新版・世界大百科事典)
黄表紙。2冊。朋誠堂喜三二作,恋川春町画,1777年(安永6)刊。〈かちかち山〉の後日譚で,子狸に親の敵とねらわれた兎が義理に迫られて切腹し,狸はまた猟人を導いて討たせた狐の子狐に,猟人とともに討たれる。当時流行の料亭葛西太郎などをとり入れ,梅が枝の手水鉢の芝居(《ひらかな盛衰記》)の趣向なども加えて
山東京伝(改訂新版・世界大百科事典)
江戸時代後期の戯作者,浮世絵師。本名は岩瀬醒。俗称は京屋伝蔵。別号は醒斎,醒世老人,菊亭主人,菊軒など。父は伊勢国の出身で江戸深川に質屋を営み,京伝はその長子で弟に山東京山がいる。のちに銀座に転居。若くして北尾重政に浮世絵を学び,北尾政演の名で,1778年(安永7)黄表紙《開帳利益札遊合》の画工として出発
朋誠堂喜三二(改訂新版・世界大百科事典)
江戸後期の戯作者。本名は平沢常富,通称は平格(角),俳号は月成,狂名は手柄岡持。江戸に生まれ,14歳のとき秋田藩士平沢氏の養子となる。1781年(天明1)から秋田藩の御留守居役を務めるかたわら,戯作にも手を染めており,親友の恋川春町とともに,安永・天明期(1772-89)の黄表紙界を代表する作家となる。
草双紙(日本大百科全書(ニッポニカ))
江戸時代の小説の一ジャンル。江戸特有の挿絵入り仮名書き小説で、寛文末年(17世紀後半)ごろに刊行され始めた幼童向けの絵本である赤本を初めとして、黒本、青本、黄表紙、合巻という順序で展開し、明治10年代(1877~86)まで出版され続けた絵双紙の総称。江戸時代のもっとも通俗的な小説の一つで
辰巳之園(改訂新版・世界大百科事典)
洒落本。夢中散人寝言先生作。1770年(明和7)刊。1冊。同年刊の吉原に取材した《遊子方言》の影響のもとに,深川の岡場所に取材した最初の作品。通人気取りの武士如雷が,同家中の田舎侍新五左衛門を伴って船で深川に向かう。船中さかんに知ったかぶりを並べるが,仲町の小花屋にあがって遊ぶうちに
恋川春町(国史大辞典)
一七四四-八九。江戸時代中・後期の戯作者。駿河小島藩一万石松平家の臣。本名は倉橋格、通称寿平、狂歌名は酒上不埓、寿山人とも号す。筆名は藩邸のある小石川春日町にかけ、また浮世絵師勝川春章の名に似せたものである。延享元年(一七四四)生まれる。二十歳の時に伯父倉橋忠蔵の養嗣子となって
国譲り神話(改訂新版・世界大百科事典)
大国主神が葦原中国を天照大神に献上した次第を語る神話。諸々の異伝があるが,《古事記》によると,葦原中津国平定のために高天原からは,はじめに天菩比神(天穂日命)が遣わされるが,オオクニヌシと親しみ3年たっても復命しない。次に天若日子(天稚彦)が遣わされるが,オオクニヌシの娘下照比売と結婚して
太安麻呂(改訂新版・世界大百科事典)
奈良初期の官人。《古事記》の編纂者。姓は朝臣。安万侶とも記す。壬申の乱に天武天皇側で活躍した武将多品治の子という伝えもある。《続日本紀》によれば,704年(慶雲1)従五位下,711年(和銅4)正五位上,715年(霊亀1)従四位下に叙せられ,翌年氏長となった。没したときには民部卿であった。
天照大神(改訂新版・世界大百科事典)
記紀神話に登場する太陽神的性格の女神。天照大御神,大日孁貴,天照大日孁尊などとも呼ばれる。皇室祖神として伊勢神宮にまつられている。記紀では,その誕生譚,素戔嗚尊との誓約生み,天の岩屋戸,国譲り神話などの諸神話に登場する。〈皇祖神〉アマテラス《古事記》によればこの神は
本居宣長(日本大百科全書(ニッポニカ))
江戸時代中期の国学者、神道学者。鈴迺屋と号する。享保15年5月7日に生まれる。伊勢国松坂の木綿問屋小津定利(1695―1740)の二男。母はお勝(1705―1768)、幼名は富之助。父の死後、1748年(寛延1)19歳で同国山田の紙商今井田家の養子となったが、21歳で不縁となって実家に出戻り、翌1751年(宝暦1)
難太平記(国史大辞典)
応永九年(一四〇二)二月、今川了俊(貞世)の著作。自筆本は知られない。『国書総目録』は十九部の諸本をあげており、承応改元のころの書写にかかる京都大学谷村文庫本が年記のある諸本中最古のもの。述作の根本精神は今川家の顕彰・保持にあり、そのために自分を含めた今川家の功績の歴史が省みられ
今川了俊(日本大百科全書(ニッポニカ))
南北朝時代の武将で、歌人としても著名。俗名は貞世、今川範国の子。冷泉為秀に和歌を学び、二条良基に連歌を学ぶ。官位は左京亮を経て伊予守、正五位下。1367年(正平22・貞治6)室町幕府の引付頭人となり、また侍所頭人として山城守護を兼ねた。
小島法師(改訂新版・世界大百科事典)
南北朝時代に活躍した法体の人物で,1886年に重野安繹が学界に紹介した《洞院公定日次記》の応安7年(1374)5月3日条の記事により,《太平記》の作者として注目された人物。同記事は〈伝聞〉として,前月の28~29日ごろに彼が死亡したこと,彼が〈太平記作者〉であること,〈卑賤の器(うつわ)といへども名匠の聞え〉
随筆(日本大百科全書(ニッポニカ))
随筆と称せられる著作は室町時代の一条兼良『東斎随筆』が最初であるが、これは先行の諸書から事実談や伝説を引用し分類したもので、一般にいわれる随筆とは異趣である。随筆とは、形式の制約もなく内容も自然・人事・歴史・社会に関する見聞・批評・思索あるいは研究考証など、多岐にわたって筆の赴くままに書き記した
隠者文学(日本大百科全書(ニッポニカ))
隠者が、その精神と生活を記した作品の総称。おもに鎌倉・室町時代に成立したものをさす。中世文学を特徴づけた作品群とされ、文学史における中古からの転換を「女房文学から隠者文学へ」と総括するとらえ方が有力である。隠者は、隠遁者、遁世者、世捨て人、その他さまざまによばれるが、要するに
吉田兼好(国史大辞典)
生没年不詳。鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての歌人・随筆家・遁世者。本名、卜部兼好。『尊卑分脈』によれば、卜部家は天児屋根命の子孫で、神祇官として代々朝廷に仕えたが、平安時代中期の兼延の時に、一条院から御名の懐仁の「懐」と通ずる「兼」の字を賜わってからは、それを系字として代々名乗るようになった。
琵琶法師(改訂新版・世界大百科事典)
琵琶を伴奏にして叙事詩を語った盲目の法師形の芸能者。7世紀末ころに中国より伝来した琵琶は,管絃の合奏に用いられる一方,盲僧と結んで経文や語り物の伴奏楽器とされた。《今昔物語集》には琵琶にすぐれた宇多天皇の皇子敦実親王の雑色蟬丸が,盲目となって逢坂山に住んだが,そのもとに源博雅が3年間通って秘曲を伝授される話を載せる。
慈円(国史大辞典)
一一五五-一二二五。鎌倉時代前期の天台宗の僧。初名道快、諡慈鎮、無動寺法印・吉水僧正とよばれた。久寿二年(一一五五)四月十五日生まれる。父は関白藤原忠通、母は藤原仲光の女加賀。同母兄に兼実・道円・兼房ら、異母兄に基実・基房・覚忠らがあった。二歳で母に、十歳で父に別れ、権中納言藤原経定の未亡人に養われた。
平曲(日本大百科全書(ニッポニカ))
『平家物語』の詞章を琵琶の伴奏で弾き語りする語物の一種。「平家琵琶」「平語」ともいう。室町時代まで盲人演奏家によって伝承され、江戸時代以降は晴眼者で演奏する者も現れた。 [シルヴァン・ギニアール]歴史と流派。13世紀初めに雅楽・声明・盲僧琵琶の三者を源流として成立。
北村季吟(日本大百科全書(ニッポニカ))
江戸前期の国学者、俳人、歌人。通称久助。別号は芦庵、拾穂軒、湖月亭など。近江国(滋賀県)野洲郡(現、野洲市)の人で、医師北村宗円の長男として寛永元年12月11日に生まれる。若くして上京し、初め俳諧を安原貞室(1610―1673)に師事し、ついで貞室の師松永貞徳に従って、広く古典を学んだ。
清少納言(日本大百科全書(ニッポニカ))
生没年未詳。平安時代中期の歌人、随筆家。966年(康保3)のころ生まれて1025年(万寿2)のころ没したと推測されている。父は歌人清原元輔であるが、母は明らかでない。966年に元輔は59歳であり、年齢に差のある異腹の兄姉、雅楽頭為成、大宰少監致信、花山院殿上法師戒秀、藤原理能妻がいた。
一条天皇(国史大辞典)
九八〇-一〇一一。九八六―一〇一一在位。天元三年(九八〇)六月一日、円融天皇の第一皇子として誕生。母は藤原兼家の女の女御詮子(のちの東三条院)。諱は懐仁。永観二年(九八四)八月、従兄にあたる花山天皇の東宮に立った。時に五歳。
大伴家持(日本大百科全書(ニッポニカ))
『万葉集』末期の代表歌人、官人。旅人の子。少年時の727年(神亀4)ごろ父に伴われ大宰府で生活し、730年(天平2)帰京。737年ごろ内舎人。745年(天平17)従五位下。翌3月宮内少輔。7月越中守として赴任した。751年(天平勝宝3)少納言となって帰京。
万葉仮名(国史大辞典)
日本語を表記するために、漢字の字音や字訓を利用して表音的に用いたもの。用法の上からは仮名の一種であって漢字本来の表意的な使い方とは異なるが、文字の形としては漢字であり、漢字を省画化した片仮名や略草化した平仮名とは異なる。奈良時代以前の漢字専用の時代には
額田王(改訂新版・世界大百科事典)
《万葉集》第1期(舒明朝~壬申の乱)の女流歌人。生没年不詳。《日本書紀》天武天皇条に,鏡王の娘で,はじめ大海人皇子(のちの天武天皇)に嫁して十市皇女を生んだとあるほかは,伝もつまびらかでない。父の鏡王に関しても不明。出生地についても大和国,近江国の2説あるが,どちらとも決定しがたい。
柿本人麻呂(改訂新版・世界大百科事典)
《万葉集》の歌人。生没年,経歴とも不詳ながら,その主な作品は689-700年(持統3-文武4)の間に作られており,皇子,皇女の死に際しての挽歌や天皇の行幸に供奉しての作が多いところから,歌をもって宮廷に仕えた宮廷詩人であったと考えられる。
孝徳天皇(改訂新版・世界大百科事典)
第36代に数えられる天皇。在位645-654年。名は軽皇子。皇極女帝の同母弟で,父は舒明天皇の弟の茅渟王,母は欽明天皇の孫の吉備姫王。《日本書紀》や《大織冠伝》には,中臣鎌足が皇室中の人材を求めて天皇に接近し,天皇がこれを厚く待遇した話がみえるが,《上宮聖徳太子伝補闕記》によれば
南禅寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の大本山。正式には瑞竜山大平興国南禅禅寺といい、京都五山の首位にたつ禅寺である。1291年(正応4)亀山上皇が離宮を改めて建てた寺で、初め竜安山禅林禅寺と称していたが、南禅寺とするにあたって東福寺開山円爾弁円の法を継いだ無関普門(仏心禅師、大明国師)を招いて開山とした。
比例代表制(日本大百科全書(ニッポニカ))
各党派の得票数に比例した数の議員が選出される可能性を保障する選挙方法。18世紀後半のフランスにおいて、数学者のJ・C・ボルダやコンドルセらによって、それまで用いられていた多数代表制の批判と確率計算法に基づく新選挙法の提案がなされた。
公職選挙法(日本大百科全書(ニッポニカ))
日本国憲法に規定された公職就任者を公明・適正に選び、民主政治の健全な発達を目ざして制定された基本法。憲法は、(1)衆議院議員、(2)参議院議員、(3)地方公共団体の長・議員・法律の定めるその他の吏員を、国民あるいは住民が普通・平等・秘密選挙によって選出することを求め
伏見稲荷大社(日本歴史地名大系)
稲荷山の西麓に鎮座。式内社で「延喜式」神名帳の紀伊郡に「稲荷神三社 並名神、大、月次、新嘗」とみえ、旧官幣大社である。祭神は古くから種々の説があるが、現在は宇迦之御魂大神(中央・下社)、佐田彦大神(北座・中社)、大宮能売大神(南座・上社)であり、「延喜式」にいう三社はこの三神という。
鹿苑寺(金閣寺)(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市北区金閣寺町にある寺。金閣寺と称し、銀閣寺(慈照寺)とともに一般に広く知られている。北山と号し、臨済宗相国寺派に属する。本尊は聖観世音菩薩。もとこの地には西園寺家の山荘北山殿があったが、1397年(応永4)足利3代将軍義満がこれを譲り受け
中尊寺(改訂新版・世界大百科事典)
岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の東北大本山。山号は関山。寺伝によれば,850年(嘉祥3)円仁の開創で,859年(貞観1)に清和天皇より中尊寺の号を賜ったと伝えるが,資料を欠く。平安末期に藤原清衡が平泉に移り住み,諸堂宇の建立に着手した。1126年(大治1)の金堂落慶供養願文により
出雲大社(改訂新版・世界大百科事典)
島根県出雲市の旧大社町に鎮座。大国主神をまつる。《延喜式》では名神大社。旧官幣大社。杵築大社,杵築社,杵築宮ともいう。古代の出雲では熊野,杵築,佐太,能義の各社が〈大神〉とされていたが,中でも,出雲国造の本拠地である意宇平野の熊野大社と簸川平野の北西の杵築大社とが,厚い尊信をうけていた。
三十三間堂(蓮華王院)(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市東山区三十三間堂廻り町にある蓮華王院の本堂。本尊は千手観音。蓮華王院は天台宗に属し、天台三門跡の一つである妙法院が管理する。南北に125メートルある御堂内の柱の間数が33あることに由来してこの名がある。1164年(長寛2)後白河院の勅願を受けて平清盛が建立、平家滅亡後も後白河院は多くの保護を加え
龍安寺(日本歴史地名大系)
[現]右京区龍安寺御陵ノ下町。朱山の南麓、仁和寺北東にある。大雲山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。平成六年(一九九四)世界の文化遺産(古都京都の文化財)に登録された。円融天皇の御願寺で四円寺の一つとされた円融寺の跡地にあたり、現在寺内にある鏡容池はその園池といわれ、庭園は国指定名勝。
元興寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市芝新屋町にある華厳宗の寺。南都七大寺の一つに数えられ、日本最古の寺院の一つ。仏教移入の争いで物部氏を破った蘇我馬子が、596年(推古天皇4)に建立したと伝え、豊浦寺、葛城寺、飛鳥寺、建興寺、法師寺、建通寺ともよばれていた。
大安寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市大安寺町にある高野山真言宗の別格本山。南都七大寺のうち東大寺に次ぐ大寺で、古来、百済大寺(百済寺)、大官大寺、大寺、南大寺とも称せられた。現在は癌封じの寺としても知られる。617年(推古天皇25)に聖徳太子の発願により
春日大社(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市春日野町に鎮座。第一殿に武甕槌命、第二殿に経津主命、第三殿に天児屋根命、第四殿に比売神の4柱を祀っている。鎮座地は御蓋山(三笠山)の麓で、ナギ、アシビ、サカキなどの深い樹叢に囲まれた浄域となっている。
南シナ海問題(日本大百科全書(ニッポニカ))
南シナ海における、中国と東南アジア諸国連合(ASEAN(アセアン))の沿岸諸国による島礁(島・岩・低潮高地・暗礁・砂州・堆のすべてを含む表現)の領有権や資源開発をめぐる利害対立のこと。現場海域が東西貿易のための海上交通路の要衝であることから生ずる域外諸国の安全保障問題も含まれる。
新疆ウイグル問題(日本大百科全書(ニッポニカ))
中国の新疆ウイグル自治区を中心としたウイグル人の独立運動をめぐる問題。問題の背景 約960万平方キロメートルの巨大な領域をもつ中国の一つの大きな悩みは、主体文化、主体民族とは違う勢力によって国家の統合が脅かされるという「懸念」や「恐れ」である。「大一統」(大きく一つに統(す)べる)
チベット問題(日本大百科全書(ニッポニカ))
チベット仏教にもとづく、政教一致の文化をもつチベット人が中国からの独立ないし高度な自治を求めていることから生じている紛争、および諸問題。近来、当局に抵抗する僧侶の焼身自殺が頻発し、チベットでの宗教や自由への圧迫が人権問題だとして国際問題化している。宗教指導者ダライ・ラマ14世は
大統領制(日本大百科全書(ニッポニカ))
広義には、大統領を元首とする統治形態をいう。狭義には、厳格な三権分立制をとるアメリカの統治形態をいう。アメリカ、第五共和政後のフランス、ワイマール共和国時代のドイツ、インドネシア、韓国(大韓民国)などの大統領のように、その権限の強い国もあれば、第三・第四共和政下のフランス
唐招提寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市五条町にある律宗総本山。本尊は盧舎那仏。756年(天平勝宝8)、聖武・孝謙両上皇の勅願により来朝した唐僧過海大師鑑真和上が新田部親王の旧宅を譲り受けて建立した寺で、戒壇を設け律宗の根本道場とした。初めは唐律招提寺、唐寺、律寺などと称され、延喜式十五大寺、南都七大寺の一つに数えられた。
平城宮(日本大百科全書(ニッポニカ))
710年(和銅3)から784年(延暦3)の首都平城京の中枢部分をいう。元明(げんめい)~桓武(かんむ)天皇の7代にわたる宮である。平城京の北端に位置し、一辺1キロメートルの正方形の東に張り出し部分があり、面積は合計124ヘクタールを占める。大正年間より遺跡保存がはかられ、現在国の特別史跡として
薬師寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山。西京寺、瑠璃宮薬師寺ともいう。南都七大寺の一つ。本尊は薬師三尊。680年(天武天皇9)天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して一寺の建立を発願したが、天皇が崩御したため持統天皇、文武天皇が698年(文武天皇2)藤原京に完成した。
厳島神社(改訂新版・世界大百科事典)
広島湾南西部に浮かぶ厳島(広島県廿日市市,旧宮島町)に鎮座。市杵島姫命,田心姫命,湍津姫命をまつる。旧官幣中社。祭神〈伊都岐島神〉は,811年(弘仁2)名神に列し四時幣に預かり,神階は867年(貞観9)従四位上に昇叙。《延喜式》で名神大社に列し,のち安芸国の一宮となる。平安時代末
正福寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
東京都東村山市野口町にある臨済宗建長寺派に属する禅寺。山号は金剛山。開山は文永年間(1264~75)没の心月禅師、開基は北条時頼。本堂には本尊の聖観世音菩薩像が安置されている。境内にある地蔵堂(国宝)は、禅宗様建築の代表とされている鎌倉円覚寺の舎利殿(室町時代)とよく似た建築であり
天竜寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町にある臨済宗天竜寺派の大本山。霊亀山天竜資聖禅寺と号する。本尊は釈迦如来。京都五山の第一。1339年(延元4・暦応2)、後醍醐天皇が吉野行宮で崩御するや、足利尊氏・直義の兄弟が夢窓疎石の勧めによって、後醍醐天皇の冥福を祈るために創建した寺であり
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