NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
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晋書(国史大辞典・世界大百科事典)
中国、晋朝の正史。帝紀十・志二十・列伝七十・載記三十、計百三十巻。唐太宗の勅命(貞観二十年(六四六)閏三月)により、司空房玄齢・中書令遂良以下三十余名の高官・学者が参加し三年たらずで完成奏上された。一般に十八家晋書と総称される先行史籍を総括し
三国志(世界文学大事典・国史大辞典・世界大百科事典)
中国の三国時代(220−280)を描く歴史書。晋(しん)の陳寿の撰(せん)。65巻。後漢末の黄巾(こうきん)の乱(184)以後の混乱はやがて収束し,中原の地を占める魏(ぎ),淮水(わいすい)以南を支配する呉,四川省を本拠とする蜀(しよく)の三国鼎立
漢書(世界文学大事典・国史大辞典・世界大百科事典)
中国の史書。後漢の班固の撰(せん)。漢の高祖から王莽(おうもう)政権の崩壊に至るまで,十二代,230年間の前漢の歴史を記述する。中国の正史の一つ。本紀12巻,表8巻,志10巻,列伝70巻からなり,合わせて100巻。後漢の明帝の永平年間(58−75)に
史記(世界文学大事典・世界大百科事典)
中国の史書を代表する歴史の名著であり,かつ伝記文学の傑作。全130巻。前漢の司馬遷の著。前91(武帝の征和2)年ころ完成。もと『太史公書』と称された。〈太史公〉は司馬遷とその父司馬談(しばたん)の官職太史令を自称したもの。司馬遷は父談の意志を継承して
服部半蔵(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典・日本大百科全書)
徳川氏の部将。半三とも書く。石見守,名は正成(まさなり)。父保長(石見守),子の正就(まさなり)(石見守)・正重(伊豆守)兄弟も半蔵(半三)を通称とする。服部氏は伊賀を本国とし,保長のときに三河国に至り徳川(松平)氏の家臣となった
石川五右衛門(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典・日本大百科全書)
安土桃山時代の盗賊の頭目。豊臣政権に反発する義賊というのは江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎において粉飾された説で,《言経卿記》《豊臣秀吉譜》,アビラ・ヒロン《日本王国記》などによれば凶悪な窃盗である。1594年8月23日親子党類ともに京都三条河原で極刑に
与謝野晶子(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一八七八 - 一九四二 明治から昭和時代にかけての歌人・詩人。本名しよう。明治十一年(一八七八)十二月八日、堺県甲斐町(大阪府堺市甲斐町)に生まれる。生家は菓子商駿河屋。父鳳(ほう)宗七・母つねの三女。堺女学校補修科卒。はやくから古典に親しみ
横山大観(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八六八 - 一九五八 明治から昭和時代にかけての日本画家。明治元年(一八六八)九月十八日、水戸城下三ノ町(水戸市城東二丁目)に酒井捨彦の長男として生まれる。幼名秀蔵、秀磨。のち母方の横山家を継ぐ。明治二十二年新設の東京美術学校に入学
山県有朋(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八三八 - 一九二二 明治・大正時代の政治的、軍事的最高指導者の一人。号、含雪。天保九年(一八三八)閏四月二十二日長州萩城下川島村(山口県萩市川島)の下級武士の家に生まれる。父は有稔、母は松子。幼名は辰之助、小助、小輔。少年期から槍術に励んだ
武者小路実篤(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一八八五 - 一九七六 大正・昭和時代の小説家、劇作家、詩人、画家。明治十八年(一八八五)五月十二日東京麹町に、子爵実世・秋子(なるこ)の末子(四男)として生まれた。母は勘解由小路(かでのこうじ)氏の出。二歳のとき父を肺結核で失う
正岡子規(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八六七 - 一九〇二 明治時代の俳人、歌人。本名常規(つねのり)。自作墓誌銘には「又ノ名ハ処之助(ところのすけ)又ノ名ハ升(のぼる)又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺祭書屋(だっさいしょおく)主人又ノ名ハ竹ノ里人」(原文ルビなし)と記し
松平容保(国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典)
一八三五 - 九三 江戸時代後期の京都守護職。陸奥国会津藩主。諱は容保、通称は之允、叙爵して若狭守・肥後守、号は祐堂・芳山。天保六年(一八三五)十二月二十九日江戸に生まれる。美濃国高須藩主松平義建の六男。母は古森氏。弘化三年(一八四六)
樋口一葉(世界大百科事典・日本大百科全書)
明治時代の小説家。本名奈津(なつ)。東京生れ。15歳のとき中島歌子の萩の舎(はぎのや)塾に入門,桂園派の和歌を学んだが,1889年に父が死去,女戸主として一家の生計を支えてゆくために,職業作家となる決意をかためた。同門の田辺花圃(かほ)が
室町物語草子集(日本古典文学全集)
昔から今に至るまで、めでたいことを聞き伝えているが、わけても、いやしい者が、格別に出世して、初めから終りまでも、ついにつらいことがなくめでたいのは、常陸国に住む塩売の文正と申す者であった。そのわけを尋ねると、都より東の関東の八か国の中でも
ショウガ(日本大百科全書・世界大百科事典)
ショウガ科(APG分類:ショウガ科)の多年草。ハジカミ(薑)ともいう。地下茎を食用とする。茎は地中にあり、節くれだって肥大し、塊茎となる。節から地上に伸び出る茎状のものは、鱗片(りんぺん)状の葉や葉鞘(ようしょう)部が重なった偽茎で
関東大震災(日本大百科全書・世界大百科事典)
1923年(大正12)9月1日午前11時58分、関東地方南部を襲った大震災。[木坂順一郎]被害状況震源地は相模湾北部(東経139.3度、北緯35.2度)の地点で、地震の強さは最大震度7、規模はM7.9であった。ちょうど昼食時であったため
おはぎ(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
餅菓子の一種。萩餅(はぎのもち)の女房詞(ことば)。ぼた餅ともいう。糯米(もちごめ)と粳米(うるちまい)を等量に混ぜて炊き、粗くすり搗(つ)いて丸め、きな粉や餡(あん)、すりごまなどをまぶしたもの。春つくるのがぼた餅、秋つくるのがおはぎ
カボチャ(日本大百科全書・世界大百科事典)
ウリ科(APG分類:ウリ科)の一年生つる草。カボチャ属の野生種は新大陸のみに分布し、その多くはメキシコおよび中央アメリカで、11種に及ぶ。栽培種5種のうちニホンカボチャ、クリカボチャ、ペポカボチャは世界で広く栽培されている
サンマ(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
硬骨魚綱ダツ目サンマ科に属する外洋表層性の海水魚。関西地方ではサイラ、サヨリ、三重県ではカドという。オホーツク海南部、東シナ海、太平洋の寒帯南部から亜熱帯に分布し、日本近海では千島列島から沖縄諸島付近まで、アメリカ大陸近海では
胎生魚(日本大百科全書)
交尾により母体内で受精し、孵化した胎仔(たいし)が子宮内で母体からなんらかの形で栄養などの供給を受け、十分に発育した子供を産み出す魚類。母体からの栄養の供給がなく、発育の初期段階の子供を産む魚類は卵胎生魚ovoviviparous fishと
道路運送車両法(日本大百科全書・世界大百科事典)
道路上を運行する自動車、原動機付自転車、軽車両に関し、所有権についての公証を行い、安全性の確保および公害の防止ならびに整備についての技術の向上を図り、あわせて自動車の整備事業の健全な発達を通じて公共の福祉を増進することを目的とする法律
うつ病(岩波 生物学辞典)
抑うつ感を主とする気分変調と,集中困難,活動性低下などの思考と意欲の障害を特徴とする気分障害.双極性障害と並んで気分障害の中核を成す.日本ではうつ病の生涯有病率は6.5%と,欧米のそれ(9~15%)に比べるとかなり低いが,その原因は不明.有病者の
フラボノイド(日本大百科全書・岩波 生物学辞典)
クロロフィル、カロチノイドと並ぶ一群の植物色素の総称。ベンゼン環2個が炭素3個で結ばれ、かつ中央のC3が酸素を含むヘテロ環をつくった構造をしている。ヘテロ環の酸化還元状態の違いによってフラボン類、イソフラボン類、フラボノール類
日立鉱山(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典)
茨城県北東部、日立市にあった銅山。多賀山地の変成岩中の含銅硫化鉄鉱床より金、銀、銅、亜鉛などを採掘した。神峰山の南側一帯は古くから赤沢山とよばれ、佐竹氏時代より金、銀、銅を産した。江戸時代にも銅鉱が採掘され
中岡慎太郎(日本大百科全書・世界大百科事典)
幕末の討幕派志士。土佐国安芸(あき)郡北川郷(高知県北川村)の大庄屋(おおじょうや)小伝次(こでんじ)の長男。名は道正、初め光次と称し、のち慎太郎と改めた。学問を間崎滄浪(まさきそうろう)に、剣を武市瑞山(たけちずいざん)に学び
高村光雲(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八五二 - 一九三四 明治から昭和時代前期にかけての彫刻家。嘉永五年(一八五二)二月十八日、江戸下谷北清島町(東京都台東区東上野)に生まれる。旧姓は中島、父は兼松。幼名を光蔵といった。文久三年(一八六三)十二歳のとき
高杉晋作(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八三九 - 六七 幕末の長州藩士。尊攘倒幕運動における討幕派の中心人物。奇兵隊の結成で知られる。長門国萩菊屋横丁で萩藩大組(八組)士高杉小忠太春樹(高二百石)の嫡子として天保十年(一八三九)八月二十日に生まれ、母は同藩士大西将曹
志賀直哉(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八八三 - 一九七一 大正・昭和時代の小説家。明治十六年(一八八三)二月二十日、宮城県牡鹿郡石巻村(石巻市住吉町一丁目)に生まれた。父直温(なおはる)・母銀の次男だが、兄が前年早世したため、実質上の長子。二歳のとき父母と上京
島村抱月(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
評論家、演出家、初期新劇運動の指導者。明治4年1月10日島根県に生まれる。旧姓佐々山、本名滝太郎。東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)文学科卒業。在学中、坪内逍遙(しょうよう)、大西祝(はじめ)の指導を受け、文学、美学に強くひかれ
島崎藤村(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八七二 - 一九四三 明治から昭和時代前期にかけての詩人・小説家。本名春樹。明治五年(一八七二)二月十七日、筑摩県筑摩郡馬籠村(長野県木曾郡山口村)に生まれた。生家は木曾街道馬籠宿の本陣・問屋・庄屋を兼ねる旧家
佐久間象山(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八一一 - 六四 江戸時代後期の思想家。松代藩士。実名は初め国忠、のちに啓(ひらき)、またの名を大星という。幼名は啓之助、通称は修理(しゅり)、字は初め子迪(してき)、のちに子明、象山はその号である。文化八年(一八一一)
近藤勇(国史大辞典・日本架空伝承人名事典・日本大百科全書)
一八三四 - 六八 幕末の幕臣。諱は昌宜、通称勝太・勇、変名大久保大和。天保五年(一八三四)十月五日生。武蔵国多摩郡石原村辻(東京都調布市)の農業宮川久次(郎)の三男。母はおえい。四人兄姉の末っ子。嘉永二年(一八四九)十月十九日
オスマン帝国(世界大百科事典・日本大百科全書)
中央アジアから移住したトルコ族によって建国され,西アジア(イランを除く),北アフリカ,バルカン,黒海北岸,およびカフカス南部を支配したイスラム国家。1299-1922年。正称アーリ・オスマンĀl-ı Osman(〈オスマンの家〉の意)
ロシア帝国(世界大百科事典)
18世紀初めから1917年のロシア革命までのロシア。帝政ロシアともいう。正式には1721年にピョートル1世(大帝)が皇帝(インペラートルimperator)の称号をとってから,1917年の二月革命でニコライ2世が退位するまでをいう
ドイツ帝国(世界大百科事典・日本大百科全書)
ドイツで帝制をとった国家は史上2度あり,第1は神聖ローマ帝国(962-1806),第2がビスマルクのドイツ統一により実現したドイツ帝国(1871-1918)で〈第二帝国〉ともいう。ヒトラーのナチス国家(1933-45)もこれに次ぐものとし
ロシア革命(世界大百科事典・日本大百科全書・日本国語大辞典・文庫クセジュ)
20世紀世界史において最も巨大な意義をもった社会変革。マルクス主義者をユーラシア大陸に広がる大国の権力の座につけ,社会主義の名のもとに新しい社会体制をつくり出す一方,反資本主義,反帝国主義の革命運動を全世界に拡大する火元を生み
日英同盟(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
日露戦争前から第一次世界大戦後のワシントン会議直後まで日英間に結ばれていた同盟条約。〔由来〕明治三十一年(一八九八)三月十七日イギリス植民相チェンバレンは、ロンドン駐在の日本公使加藤高明を招き、ロシアの進出に直面する極東の国際情勢について
三国同盟(世界大百科事典・日本大百科全書)
1882年から1915年まで存続したドイツ,オーストリア・ハンガリー,イタリア間の秘密軍事防御同盟。英仏露三国協商と対立し,第1次世界大戦の一方の陣営を形成した。ドイツ帝国成立後のビスマルク外交の目標は,フランスを孤立させ,その対独復讐戦争を
九ヵ国条約(世界大百科事典・日本大百科全書)
1922年2月6日,アメリカ,ベルギー,イギリス,フランス,中国,イタリア,日本,オランダ,ポルトガルの計9ヵ国の間でワシントン会議の一環として調印された条約。中国の主権・独立・領土的行政的保全の尊重,中国における商工業上の機会均等
ワシントン会議(国史大辞典・日本大百科全書)
大正十年(一九二一)十一月十二日から翌年二月六日まで、アメリカの提唱によりワシントンで開催された、海軍軍縮および極東・太平洋問題に関する国際会議。この会議で締結された一連の広範な諸条約・決議からなる「ワシントン体制」は、欧州における
ベルサイユ条約(日本大百科全書・国史大辞典)
第一次世界大戦に終結を与えた講和条約。1919年6月28日パリ郊外のベルサイユ宮殿「鏡の間」で連合国とドイツとの間に調印された。中国代表は講和会議には参加したが、山東問題の処理に反対して、この条約に調印しなかった。また、アメリカ合衆国は
三国協商(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
1891-94年にかけて成立した露仏同盟,1904年の英仏協商,07年の英露協商により生じたイギリス,ロシア,フランス3国間の友好関係の総称。三国協商についての特定の規約はない。フランスはドイツ帝国宰相ビスマルクの外交政策(三帝同盟)によって
サライエボ事件(日本大百科全書・世界大百科事典)
1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が狙撃(そげき)暗殺された事件。第一次世界大戦の導火線となった。大公夫妻は、1908年以来オーストリアに併合されていたボスニアの州都サライエ
花笠踊(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
山形県山形市の民謡。同地方で酒盛り唄として歌われてきたもので、その源流は同地方の『櫓胴搗(やぐらどうづ)き唄』である。1935年(昭和10)ごろ山形市南館の有海桃洀(とうしゅう)が、弟子の伊藤桃華(山形市成沢)の持ち込んできた『櫓胴搗き唄』を元に
八朔(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
旧暦の8月1日の節日(せちにち)である。いまでは9月1日に行っている土地がある。この日を盆の終わりとして八朔盆とも称する。八朔の行事は東日本より西日本のほうが盛んである。この日は稲刈りにはまだ早いが、未熟の稲を神に供えている
東海道四谷怪談(歌舞伎事典・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典・全文全訳古語辞典)
歌舞伎狂言。世話物。五幕。四世鶴屋南北作。初演の絵本番付には《あづまかいどうよつやかいだん》。通称《四谷怪談》。《いろは仮名四谷怪談》をはじめ、多くの別名題がある。文政八(1825)年七月江戸・中村座初演で
装束(日本大百科全書)
朝廷や貴族が用いる調度や威儀具などの一そろい。また衣服、武具、馬具、輿車(よしゃ)などの様式にかなった装いの組合せ。装束は元来、御帳(みちょう)台、椅子(いし)、床子(しょうじ)、茵(しとね)、畳などの座臥(ざが)具、御簾(みす)、壁代(かべしろ)
ニンニク(日本大百科全書・世界大百科事典)
ユリ科(APG分類:ヒガンバナ科)の多年草。ガーリックの名でよばれることもある。鱗茎(りんけい)は強い辛味と特有の臭気があり、香辛料としまた強壮薬とするために栽培される。原生野生種は未発見であるが、キルギス砂漠地帯が原生地とみられている
レタス(日本大百科全書・世界大百科事典)
キク科の一、二年草。和名をチシャ(萵苣)という。ヨーロッパで古くから葉菜として利用され、いろいろな系統、品種群に分化している。葉は楕円形ないし長形で、生育中期までは茎はほとんど伸びず、葉は重なり合い結球するものと、結球しないものとがある
ピーマン(日本大百科全書・世界大百科事典)
トウガラシのうちで、果実に辛味がない甘いトウガラシの1変種。明治時代にアメリカから導入されたイスパニア種といわれる品種がもとになり、今日までに日本人の嗜好(しこう)に適合した多くの品種が作出されて、第二次世界大戦後急速に普及した
ところてん(日本大百科全書・世界大百科事典)
寒天原藻のテングサなどを煮て、寒天質を抽出し、冷やし固めたもの。これをところてんつき(てんつき)に入れて線状に突き出し、酢じょうゆや蜜(みつ)をかけて食べる。ところてんは日本独特の海藻製品で、奈良時代から食用されていたことが正倉院の宝物中に記録されている
金魚(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
原産地は中国大陸で、三~四世紀ごろ中国南部地方で野生のフナの中に紅色金色のものが発見されたのがはじまりである。飼育の始まったのは十世紀の後半からで、やがて十四~十六世紀ごろには陶製の大鉢や壺などを用いた盆養と称する飼育が盛んになった
浴衣(日本大百科全書・世界大百科事典)
木綿の浴衣地でつくられた単衣(ひとえ)の長着。家庭での湯上がりのくつろぎ着のほか、夏祭り、縁日、盆踊り、夕涼みなど夏の衣服として着用される。街着にはならないが、夕方の散歩着としては着用する。浴衣は肌襦袢(はだじゅばん)を用いず素肌に着て
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