NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
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狂歌(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
和歌の形式のなかに反古典的な機知や俗情をよみ込む文芸で、よく人の知る文芸や成語のもじりParody、あるいは縁語・懸詞の複雑な組合せなどの技巧が好んで用いられる。狂歌という名称は平安時代からすでにあって、かなり作られていたが
川柳(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
近世後期、江戸を中心に流行し、近代に継承された雑俳様式。俳句とちがって、人事人情を主題とする無季・無切字の十七音句。明治時代中期の革新運動によって、意識的に「狂句」名が嫌われ、「川柳」に統一されてきたが、様式の本体を明示し、かつ、初代(柄井)川柳以後の
浮世草子(日本大百科全書・世界大百科事典)
1682年(天和2)刊の井原西鶴作『好色一代男』を起点に、100年間主として京坂で行われた、社会の風俗描写を基本的な方法とする小説群の総称。[長谷川強]第1期(1682~1699年)『好色一代男』は当時の現実肯定的風潮の下に、着想、描写の奇警さで歓迎され
仮名草子(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
仮名草子は中世の小説と本格的な近世小説である浮世草子との過渡的な存在である。当時仮名和書とか草紙とか呼ばれた種類の作品を指すが、内容的には案内記や教訓書のような文学性の稀薄なものも含まれている。仮名和書とは漢籍に対して俗耳に入りやすい
御伽草子(日本大百科全書・世界大百科事典)
およそ14世紀から16世紀の間(南北朝・室町時代)に現れた短編の物語小説。最初は、江戸時代に入って叢書として出版された『文正草子』以下23編の作品をさす名称であったが、現在では同類の作品を広く包括して、文学史上の一ジャンルを意味する術語として用いられる
閑吟集(日本古典文学全集・国史大辞典・世界大百科事典)
(真名序)〔一〕そもそも歌謡の道というものは、混沌とした宇宙の中から天地が定まり万物が成り立ってからこのかた、最上の徳を備えた聖君や賢王が人を治める上での大切な方法として重んじ用いたものなのである。この例を古代の中国に尋ね求めてみるに
催馬楽(日本古典文学全集・国史大辞典・世界大百科事典)
律 我が駒 さあ私の愛馬よ、早く行ってくれ。紀伊国にはいるのに通る真土山、アハレ、真土山、ハレ。真土山のかなたに待っているにちがいない人のもとに、行って早く、アハレ、行って早く逢おう。
愛馬を急がせて恋人に逢いに行くという主題は一般性を有する
神楽歌(日本古典文学全集・国史大辞典・日本大百科全書)
神楽歌次第 まず人長が庭火の前に出てきて、「鳴り高し、鳴り高し」を二回繰り返して言う。次に、「ふるまう、ふるまう」を二回繰り返して言う。そして、「今宵の夜の御神事の役人の長である、左の近衛府の将監、正六位上の某(姓名を言う)がつとめます」
ラグビー(日本大百科全書・世界大百科事典)
正しくはラグビー・フットボールrugby footballといい、楕円形のボールを相手側インゴールに持ち込んで得点を競う球技。一般的に15人制のラグビー・ユニオンをさすが、7人制(セブンズ)、10人制(テンズ)のラグビー・ユニオンやラグビー・リーグ(13人制)もある
債務保証(日本大百科全書・世界大百科事典)
信用力や十分な担保のない個人、法人、団体などが借入れ、物やサービスの購入、不動産の賃借契約を行うときに、その返済や支払いの義務(債務)を、第三者が保証する行為。借入金の返済や、代金、家賃などの支払いができない場合、借り手にかわって第三者である保証人が返済
少年院(日本大百科全書・世界大百科事典)
家庭裁判所から少年法の定める保護処分として送致された少年(おおむね12歳以上20歳未満の者。性別は不問)と、刑事施設のかわりに少年院で刑の執行を受ける少年を収容し、矯正教育、社会復帰支援その他の必要な処遇を行う施設。1948年(昭和23)に制定された旧少年院法
アナフィラキシー(岩波 生物学辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
抗原特異的なIgEクラスの抗体を保有している生体に,その抗原が重ねて侵入した場合に起こる即時型過敏反応の一つ.Ⅰ型過敏症反応に属し,モルモットではIgG1クラスの抗体も弱いながら同様の作用をもつ.組織内のマスト細胞や血中の好塩基球は
マッデン・ジュリアン振動(日本大百科全書・現代用語の基礎知識)
おもにインド洋で発生する数千キロメートルスケールの巨大雲群が、赤道に沿って毎秒約5メートル程度の速度で東へ進み、多くは太平洋の日付変更線付近で消滅する現象のことで、英語の頭文字をとってMJOと略される。雲は日付変更線付近で消滅するが
札幌農学校(日本歴史地名大系・日本大百科全書)
明治九年(一八七六)に札幌学校が改称して成立した札幌農学校は日本初の高等農業専門学校。現北海道大学の前身にあたり、明治五年に東京芝増上寺本坊内に開設された開拓使仮学校を嚆矢とする。明治五年一月開拓次官の黒田清隆は、北海道に農業・工業などの学校を
尾形光琳(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一六五八 - 一七一六 江戸時代中期の代表的な画家。祖父宗柏の代から東福門院の御服所を勤めていた呉服商雁金(かりがね)屋の当主宗謙の次男として、万治元年(一六五八)に京都で生まれる。名は惟富・伊亮・方祝、通称は市之丞、号を光琳(はじめ浩臨)
渡月橋(日本歴史地名大系)
桂川(大堰川・保津川)に架かる橋で、嵐(らん)橋ともいう。承和三年(八三六)に僧道昌によって大堰(おおい)川の修築が行われたが(弘法大師弟子伝)、その時架設されたのに始まるともいう。橋の南に法輪寺があったため法輪寺橋・法輪橋の名もあり
松山城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
(一)松山市丸之内および堀之内に中心部のある城。平山城。松山平野の中央に位置する勝山(標高一三二メートル)は室町時代ごろまでは味酒山と呼ばれた。南北朝時代に伊予の南朝方が、北朝方で湯築城を居城としていた河野氏を攻略するに際して
松江城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
松江市殿町に中心部のある城。別称千鳥城。平山城。主要部のある丘陵はもと極楽寺山または亀田山と呼ばれ、戦国時代には富田城主尼子氏の出城である末次城があった。天文十二年(一五四三)に大内義隆が出雲に侵入した際、大内軍の一隊が当城を占拠し富田城攻撃拠点
京都御所(日本歴史地名大系・国史大辞典)
[現]上京区京都御苑広義には大宮御所(なかに仙洞御所がある)をも含み、狭義には京都御所のみをいう。里内裏であった土御門東洞院(つちみかどひがしのとういん)邸が、鎌倉最末期以来皇居とされていたものの後身で、仙洞御所と大宮御所は江戸初期に設けられた
富岡製糸場(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
明治初年に上野国富岡に設立された官営模範製糸場で、のち民間へ払い下げられた。政府は横浜の有力生糸輸出商社エッシュ=リリアンタル商会からの器械製糸場設立の申請を退けつつ、明治三年(一八七〇)二月にみずから模範製糸場を設立する方針を定め
三社祭(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
東京都台東区浅草公園に鎮座する浅草神社の祭り。浅草神社は土師真中知(はじのまち)命・檜前浜成(ひのくまのはまなり)命・檜前武成(たけなり)命の三神を祭るところから三社権現と称されてきたが、明治元年(一八六八)、三社明神社
里神楽(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
宮廷以外の諸社・民間で奏される神楽。里は平安京の内裏の外の市街地をいう。平安時代には、石清水・賀茂・祇園・北野・大原野・吉田・春日・住吉などの諸社に、宮廷の楽人を差し向けて奏する場合に里神楽と称した。このとき宮廷では試楽があり
神楽(日本大百科全書・世界大百科事典)
神前に奏される歌舞。神座を設けて神々を勧請(かんじょう)して招魂・鎮魂の神事を行ったのが神楽の古い形で、古くは神遊(かみあそび)とも称した。神楽の語源は、神座(かむくら)の約音とするのが定説である。神楽の起源説話として有名なのは
出雲神楽(国史大辞典・日本大百科全書)
出雲地方の神楽。佐太神社(島根県八束郡鹿島町)の神楽をその中心とする。佐太神社の「御座替祭」(九月二十五日、もと八月二十四日・二十五日)に、古くは島根・秋鹿・楯縫・意宇(西半分)の三郡半の神職が祭事に奉仕し、その後に天下国家の御祈祷として
明石城下(日本歴史地名大系)
明石川河口に近い東岸の洪積台地(通称人丸山)上に築かれた明石城を扇の要とし、その南方に広がる明石海峡に至る東西約一二〇〇メートル・南北約七〇〇メートルの地域に開かれた城下町。〔城下町の成立と発展〕元和三年(一六一七)明石に入部して
ミトコンドリアゲノム(岩波 生物学辞典 第5版)
mtゲノム,mtDNAなどと略記.《同》ミトコンドリア核様体(mitochondrial nucleoid),ミトコンドリア核(mitochondrial nuclei),ミトコンドリア染色体(mitochondrial chromosome).ミトコンドリアが保有する独自のゲノム.一般に環状二本鎖DNAであるが
DNA(岩波 生物学辞典 第5版)
deoxyribonucleic acidの略.《同》デオキシリボ核酸.糖成分がD-2-デオキシリボースである核酸.核酸研究の初期に,DNAは胸腺から大量に抽出できることから胸腺核酸(thymonucleic acid, thymus nucleic acid)と呼ばれた.遺伝子の本体.塩基としてアデニン
朝鮮労働党(日本大百科全書・世界大百科事典)
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の支配政党。1945年10月10日に発足した朝鮮共産党北部朝鮮分局を起源とし、この日が現在の朝鮮労働党創建記念日とされている。北朝鮮憲法では、「朝鮮労働党の領導のもとにすべての活動を行う」(第11条)と明示しており
金正恩(世界人名大辞典・日本大百科全書)
1984.1.8~北朝鮮の政治家.金正日(キムジョンイル)の3男.生年は1983年説もある.北朝鮮で生まれ,スイスの公立学校に在学しドイツ語などを学んだ [96-2000].帰国後,金日成総合大学を経て,金日成軍事総合大学特設班で砲術を学んだ [02-07]とされる
鹿鳴館(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
明治初期の国際的社交場として建てられた洋館。東京府麹町(こうじまち)区内幸(うちさいわい)町山下門の元薩摩(さつま)藩装束(しょうぞく)屋敷跡(千代田区内幸(うちさいわい)町、帝国ホテルの隣地)にあった。1879年(明治12)外務卿(きょう)に就任して
エリオプス(日本大百科全書・世界大百科事典)
古生代ペルム紀(二畳紀)前期の、約2億8000万年前に北アメリカにいた大形両生類の迷歯類中でも代表的な肉食動物。堅固な頭骨をもち、全長約2メートル。体が頑丈で、扁平(へんぺい)の大きな頭骨の口蓋(こうがい)の左右両側に、大きな眼球や眼筋があり
イェーツ(日本大百科全書・世界大百科事典)
アイルランドの詩人、劇作家。6月13日ダブリン郊外のサンディマウントに生まれる。父ジョンは画家。1867年に一家はロンドンに移ったが、母の郷里スライゴーに帰ることも多く、幼時からアイルランド北西海岸の風景や、農民の語る妖精(ようせい)談になじんだ
阿仁鉱山(日本歴史地名大系・国史大辞典・世界大百科事典)
阿仁金・銀・銅山の総称。北流する阿仁川上流の両岸、標高五六二メートルの九両山の南・北・西麓、および標高七一〇メートルの芝森南・西麓一帯に分布する。板木沢・向・七十枚・小沢・萱草・二ノ又・真木沢・三枚・一ノ又・大沢・天狗平・黒滝・糠内・深沢の各鉱山を含む
阿蘇神社(日本歴史地名大系・国史大辞典・世界大百科事典)
[現]一の宮町宮地宮地(みやじ)市街地の西方にあり、約一万坪の境内を有する。祭神は健磐龍命を主神とする阿蘇十二神。古代は式内社として、中世は肥後国の一宮として、近代は官幣大社としての伝統をもつ九州の名社。。現社殿は南面する三本殿・拝殿・楼門・回廊
浅草神社(日本歴史地名大系・国史大辞典)
[現]台東区浅草二丁目浅草寺境内東側にある。旧郷社。祭神は隅田川から観音像(のち浅草寺本尊)を引上げたという檜前浜成命・檜前竹成命とそれを安置したという土師真中和(土師直中知)で、大国主命・東照宮などを合祀する。江戸時代末までは三社権現と称された
祭囃子(日本大百科全書・世界大百科事典)
祭礼囃子ともいう。神輿(みこし)が御旅所(おたびしょ)に渡御(とぎょ)するいわゆる神幸(しんこう)祭に、付祭(つけまつり)と称して氏子たちが出す山車(だし)(山、鉾(ほこ)、だんじり、屋台など車付きのもの、山笠(やまがさ)、きりこのように担ぐもの
神幸祭(国史大辞典・世界大百科事典)
神社祭祀のうち、神霊が本社より他所に渡御する祭。「おわたり」「みゆき」「おいで」などとも称し、その帰りを還幸祭と呼ぶ場合もある。起源は不詳であるが、古代末期にはすでに行われていた社があり、中世以降多くの社でなされるようになったものとみられる
秩父夜祭(日本大百科全書・世界大百科事典)
埼玉県秩父市の秩父神社で12月2、3日に行われる例祭の夜間行事。華やかなので夜祭として有名。近世は霜月(旧暦11月)1、2、3日であった。祭りでもっとも盛大で重要なものは、神馬(しんめ)の奉献と、二台の笠鉾(かさぼこ)、四台の屋台が神輿(みこし)に続いて巡行
よさこい節(日本大百科全書・世界大百科事典)
高知県の代表的なお座敷唄(うた)。民謡というより俗謡に近く、唄の文句の最後の囃子詞(はやしことば)をとって曲名にしている。この唄の起源にはさまざまな説がある。1601年(慶長6)領主となる山内一豊(やまうちかずとよ)が入国して高知城を築くとき
精霊流し(国史大辞典・日本大百科全書・日本国語大辞典)
盆行事の最終段階で、精霊を送り出す儀礼。先祖の霊は、七月十三日の精霊迎えを経て、十五日または十六日夕方まで各家に滞在したのち、精霊流しによって、再びあの世へ送り返されると信じられていた。祖霊をはじめ、死者の霊は山の彼方の世界に行っているが
拍子木(日本大百科全書・世界大百科事典)
方柱形の短い二つの木を打ち合わせ、合図・拍子を知らせる用具。拍子木の起源は明らかではないが、合図をし、拍子をとり、また人々の注意を促すために、木や竹を打ち合わせる方法は、原始時代からあらゆる民族で行われていた。おそらくわが国では、拍子木は、古くは
チャッキラコ(日本大百科全書・世界大百科事典)
神奈川県の海南神社(三浦市三崎)の1月15日の祭りに踊られる小歌(こうた)踊。花暮(はなぐれ)と仲崎(なかさき)地区の7歳から13歳ぐらいまでの少女約20名で踊るが、歌は中年の女性たちが受け持つ。伝承曲目は『ハツイセ』『チャッキラコ』『二本踊』
あばたも靨(故事俗信ことわざ大辞典)
好きになると、醜いあばたさえ可愛らしいえくぼに見える。惚れた目には欠点までも長所に見えるというたとえ。*洒落本・伊賀越増補合羽之龍(1779)通菴内之だん「巖石にひとしき菊石(アバタ)も壱っによってゑくぼと成り」 *人情本・郭の花笠(1836
後の祭(故事俗信ことわざ大辞典)
時機を逸して無意味になり、気がついてもいまさら取り返しがつかないことのたとえ。*虚堂録臆断(1534)五「死して後に紙銭を焼て不祥を除く也。をかしいこと也。無用処也。あとのまつり也」*俳諧・毛吹草(1638)二「あとのまつり」
悪事千里を走る(故事俗信ことわざ大辞典)
悪い行ないや悪い話は、たちまち世間に知れ渡る。悪事千里。*曽我物語(南北朝頃)一〇・伊豆二郎が流されし事「扨も、悪事千里をはしるならひにて、伊豆二郎未練なりと、鎌倉中に披露有ければ」*明徳記(1392~93頃か)中「悪事千里に走て、此事世には隠有べからず
秋の日は釣瓶落とし(故事俗信ことわざ大辞典)
秋の日は、井戸の釣瓶が落ちるように早く沈み、暮れてしまう。秋の日暮れが早いことのたとえ。*歌舞伎・勧善懲悪覗機関(村井長庵)(1862)六幕「もう入相でござりますれば、秋(アキ)の日(ヒ)の釣瓶落(ツルベオト)し。日が暮れるに間もござりませねば、今日はお暇致しませう」
青は藍より出でて藍より青し(故事俗信ことわざ大辞典)
弟子が師よりまさっていることのたとえ。藍より出でて藍より青し。出藍(しゅつらん)の誉。氷は水より出でて水より寒し。*世俗諺文(1007)「青レ於レ藍〈略〉青取二之藍一而青三於二藍一」*十訓抄(1252)一〇・序「道々の才芸も又父祖には及がたき習ひなれば
青菜に塩(故事俗信ことわざ大辞典)
青菜に塩をふりかけた時のように、元気だった者が何かをきっかけにすっかりしょげてしまうさま。*俳諧・世話尽(1656)曳言之話「青菜(アヲナ)にしほ」*諺苑(1797)「青菘(アヲナ)に塩 蛭に塩とも云、なめくじに塩とも云」
会うは別れの始め(故事俗信ことわざ大辞典)
人と人とが出会うことは、すでに別れの始まりである。出会うものは、必ずいつか別れるものだ。*風に紅葉(鎌倉末~南北朝初期)二「『とてもかくても、あふはわかれのはじめなれば、さてしもはつまじきわざにこそ』とて、うちなき給」
ああ言えばこう言う(故事俗信ことわざ大辞典)
他人の意見や忠告に対して、何やかやと理屈を言って従わないさま。どう言えばこう言う。*人情本・春色雪の梅(1838~42頃か)初・二回「ああ云(イ)へばかう云(イ)ふと言ってぢれったいねえ」*諺語大辞典(1910)「ああ言(イ)へばかう言(イ)ふ」
イブン・バットゥータ(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1304.2.24~68・9(77)アラブの大旅行家.モロッコのタンジール生まれ.21歳の時にマッカ(メッカ)巡礼に出立 [1325],エジプトに入り,アラビア半島,イラク,イラン,シリア,アナトリア,東アフリカ,南ロシア,コンスタンティノポリスを歴訪
ダンテ(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1265.5.21(-6.21)~1321.9.13(14)イタリアの詩人,哲学者.フィレンツェに生まれる.若い頃から詩人カヴァルカンティやチーノ・ダ・ピストイアらと交友があり,ラティーニに師事して修辞学を学ぶ.この頃イタリア語での詩作を始め,いくつかは《詩集:Rime》に収められている
マルコ・ポーロ(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1254~1324.1.8ヴェネツィアの商人,東洋旅行家.父(Niccolo P.)および叔父(Matteo P.)は,クリミア半島からキプチャク・ハン国に至ったが,戦乱のため帰路を閉ざされてさらに東方に向かい,モンゴル帝国の首都ドロンノール(上都開平府)においてクビライに拝謁した
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