NHK大河ドラマ「光る君へ」特集

寺・神社・城に関連するサンプルページ一覧

オンライン辞書・事典サービス「ジャパンナレッジ」で閲覧することの出来る「寺・神社・城」に関連するページの一部になります。
ジャパンナレッジは日本最大級のオンライン辞書・事典サービスです。
「国史大辞典」「日本古典文学全集」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など80種類以上の辞書・事典をパソコン、タブレット、スマートフォンで利用できます。
浜松城(国史大辞典・日本大百科全書・日本歴史地名大系)
静岡県浜松市元城町にあった城。平山城。三方原洪積台地の最東南端に徳川家康が築城し、浜松城と称え、この地を引馬から浜松に改称した。引馬旧城主飯尾連竜は今川氏真に謀殺され、その留守を預かる老臣間の内紛を平定した家康が、元亀元年(一五七〇)、遠江経営と武田
鶴岡八幡宮(国史大辞典・日本歴史地名大系)
神奈川県鎌倉市雪ノ下に鎮座。旧国幣中社。源氏の氏神であり、鎌倉の町の中心として存在してきた社で、明治の神仏分離までは鶴岡八幡新宮若宮(いまみやわかみや)・鶴岡八幡宮寺とも称した。大分県の宇佐、京都府の石清水(いわしみず)両宮とともに全国の八幡宮を代表
恭仁京(世界大百科事典・日本大百科全)
奈良時代中ごろの都城。現在の京都府南部の木津川市に営まれた。740年(天平12),九州で藤原広嗣の乱が起こったのを契機に平城京を離れた聖武天皇は,伊勢,美濃,近江をめぐった後,12月15日山背国南端の久仁郷の地に至り恭仁京の造営に着手した。翌年11月
遷宮(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
神社で、一定の年数を定めて、新殿を造営し、旧殿の御神体をここに遷すこと。そしてこの新殿の造営を式年造営といい、また仮殿遷宮と対称して正遷宮とも称せられる。伊勢神宮の例が著明である。伊勢神宮に式年遷宮の制が立てられた年次については
長谷寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良県桜井市初瀬にある寺。真言宗豊山派総本山。豊山神楽院長谷寺と号する。初瀬寺とも書かれ、豊山寺、長谷観音とも称する。本尊は十一面観音。西国三十三所第8番札所。686年(朱鳥1)弘福寺(川原寺)の道明上人が天武天皇の病気平癒祈願のため、法華説相図銅板(千仏多宝塔を鋳出)
橿原神宮(改訂新版・世界大百科事典)
奈良県橿原市に鎮座。神武天皇と皇后媛蹈鞴五十鈴媛命をまつる。社地は畝傍山の東南にあたり,神武天皇が宮居を営んだ橿原宮の跡という。当地はすでに元禄年間(1688-1704)に神武天皇の神廟を営もうとする動きがあったが,1888年橿原宮跡の考証ののち,民間より神社建設の請願があり
禅林寺(永観堂)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市左京区永観堂町にある。浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。一般に永観堂と呼ばれている。空海の高弟真紹が仁寿三年(八五三)藤原関雄の山荘を買い大日如来などの五像を安置し、貞観五年(八六三)定額寺に預かり、禅林寺の名を
談山神社(日本歴史地名大系・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
[現]桜井市大字多武峰 多武峯の御破裂山南腹に鎮座。藤原鎌足を祀る旧別格官幣社。鎌足の冠位にちなんで大織冠社・多武峯社ともいい、江戸時代までは多武峯寺と一体のものであった。多武峯寺の中核である妙楽寺と聖霊院の対立を防ぐために
百万塔(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
奈良時代に作られた轆轤びき木製三重小塔で,塔身部に〈陀羅尼経〉を納めている。相輪部と塔身部に分かれ,それぞれ一木を用いて削り出す。大きさは個体によって異なるが,標準的なもので総高21.4cm,基底部径10.5cm,塔身部のみの高さは13.4cmある。塔身部の軸部上端を筒状にえぐり
飛鳥寺(改訂新版・世界大百科事典)
奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺。法興寺,本元興寺ともいう。蘇我馬子が創立した日本最初の本格的な寺院で,百済から招いた工人らが参画して,596年(推古4)ほぼ造営を終え,606年には仏師鞍作止利が作った本尊の丈六釈迦如来像が安置されている。古都飛鳥の地に〈大寺〉と
東寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市南区九条町にある寺。東寺真言宗の総本山。正しくは金光明四天王教王護国寺秘密伝法院(略して教王護国寺)という。本尊は薬師如来(にょらい)。794年(延暦13)の平安遷都に伴い、王城鎮護のために羅城門の左右に2か寺が建立され、それぞれ東寺(左寺、左大寺とも)、西寺
出羽三山神社(日本大百科全書(ニッポニカ))
山形県中央部に横たわる羽黒山、月山、湯殿山に鎮座する出羽神社、月山神社、湯殿山神社の総称。推古天皇の御代に崇峻天皇の皇子蜂子皇子によって開かれたと伝える。中世以降、修験道の一大霊場として栄えた。夏季以外の登拝が困難なため、3社の祭祀は羽黒山上の三神合祭殿(鶴岡市羽黒町手向)
香取神宮(国史大辞典)
千葉県佐原市香取に鎮座。旧官幣大社。下総国の一宮。祭神は経津主神。古代の地形では東国の東端、大河の河口に近く、湖と入江が多く、しかも大洋に臨む地にあって、鹿島とならんで大和朝廷が早くから深い関係を持った神社である。カトリの名義は、『日本書紀』神代天孫降臨章第二の一書に
成田山新勝寺(日本歴史地名大系)
[現]成田市成田。正しくは成田山明王院神護新勝寺と号するが、一般には成田山・成田不動の名で知られる。関東三不動の一。真言宗智山派の大本山で、本尊は木造不動明王(国指定重要文化財)。縁起によると、平将門が東国において反乱を起こしたとき(将門の乱)、朱雀天皇は将門討伐の
鹿島神宮(改訂新版・世界大百科事典)
茨城県鹿嶋市に鎮座。常陸国の一宮。旧官幣大社。祭神は武甕槌神(建御雷神)。《常陸国風土記》には649年(大化5)に神郡がおかれ,そこにあった天の大神の社,坂戸の社,沼尾の社をあわせて〈香島の天の大神〉といい,〈豊香島の宮〉と名づけられ,また崇神天皇のとき大刀,鉾,鉄弓,鞍
江島神社(日本歴史地名大系)
[現]藤沢市江の島二丁目。相模湾に囲まれた江の島にある。江島弁才天とも称し、奥津宮(祭神多紀理毘売命)・中津宮(祭神市寸島比売命)・辺津宮(祭神田寸津比売命)・御窟(祭神天照皇大神・須佐之男命)の総称。もとは本宮(古くは御窟が本宮)・上之宮(現中津宮)・下之宮(現辺津宮)
弥彦神社(日本歴史地名大系)
[現]弥彦村弥彦。弥彦山の東麓に鎮座する越後一宮。正式には「いやひこ」とよばれ、伊弥彦・伊夜比古などとも記される。旧国幣中社。祭神は現在は天香語山命だが、「万葉集」巻一六の歌などから本来は弥彦山を神体とする伊夜比古神であろうか。明神・弥彦明神と記す例もある。
三嶋大社(日本歴史地名大系)
[現]三島市大宮町二丁目。旧東海道(県道沼津―三島線)に南面して鎮座。祭神は大山祇神・事代主神の二神。旧官幣大社。古代は式内社、中世は伊豆国一宮として武士の崇敬を受け、近世は三島町の発展とともに庶民の信仰を集めた。本地仏は薬師仏(「新千載集」「北条記」など)であった。
増上寺(日本歴史地名大系)
[現]港区芝公園四丁目。愛宕山の南方にある浄土宗寺院。三縁山広度院と号し、本尊は阿弥陀如来。江戸時代には現芝公園一―四丁目一帯を境内としていた。明徳四年(一三九三)に鎮西派白旗流の流れをくむ了誉聖冏の弟子酉誉聖聡が、もと豊島郡貝塚(現千代田区)にあった真言宗寺院の光明寺
首里城(日本大百科全書(ニッポニカ))
沖縄県那覇市首里当蔵にある城跡。琉球王国時代の王宮にあたり、東西最長約400メートル、南北最長約270メートル、全体に楕円形の城域をもつ。面積4万6167平方メートルの規模をもち、堅牢な石垣で囲まれていた。外郭に四つの石造拱門(アーチ門)、内郭に八つの門があり、その内部には正殿
金峯山寺(国史大辞典)
奈良県吉野郡吉野町吉野山にある寺院。「山上(山上ヶ岳)一体、山下(吉野山)三体」の蔵王権現を祀る金峯山修験本宗大本山。現在、「きんぷせん」寺といい、蔵王権現の巨像を祀る巨大な蔵王堂(国宝)や二王門(同)を中心とし、一山は天台・真言両系の修験道寺院(単立寺院)で構成され
下鴨神社(日本歴史地名大系)
[現]左京区下鴨泉川町。賀茂・高野両川の合流点に近い糺森に鎮座。平安遷都以前当地に住した賀茂氏の氏神で、祭神は賀茂建角身命・玉依日売命。「延喜式」神名帳の愛宕郡に「賀茂御祖神社二座 並神名大、月次相嘗新嘗」とあり、正式には賀茂御祖神社と称するが、賀茂川上流の
大坂城(日本大百科全書(ニッポニカ))
戦国期から江戸期の城。大阪市中央区大阪城にある。金城(錦城)ともいい、明治以後は大阪城と書かれる。南から北に延びた高さ20メートルほどの台地が淀川流域の低地に突き出た北端(上町台地)に位置し、大和川がその東を巡り、三面を水に囲まれた要害の地に築かれていた。
弘前城(国史大辞典)
青森県弘前市下白銀町に中心部のある城。築城当初は高岡城と呼ばれた。平城。津軽平野南部の盆地状地形の中の台地北端に位置する。慶長八年(一六〇三)に大浦(津軽)為信が起工し同十六年為信の子信枚の時に一応の完成を見た。為信はもと大浦城におり元亀二年(一五七一)ごろから津軽統一への歩みを開始したが
姫路城(日本大百科全書(ニッポニカ))
南北朝期~江戸期の城。兵庫県姫路市本町にあり、白鷺(しらさぎ/はくろ)城ともよばれる。姫路平野の中央、高さ45メートルの姫山を本丸とした平山城の典型である。城の歴史は古く、1331年(元弘1)の元弘の乱のとき、播磨守護赤松則村が陣を構えたのに始まり、1346年(正平1・貞和2)則村の子貞範が築城したと伝えられる。
(日本大百科全書(ニッポニカ))
塁、堀、柵など外敵の侵入を防ぐために設けられた軍事的構築物のことをいい、さらにそれによって防衛された地域もいう。城郭という語も城と同義に用いられる。しかし火器の発達した近代に構築された軍事的防衛施設は城とよばず要塞とよばれる。最初は自然の地形を利用して防衛のためにのみ築城したが
南禅寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の大本山。正式には瑞竜山大平興国南禅禅寺といい、京都五山の首位にたつ禅寺である。1291年(正応4)亀山上皇が離宮を改めて建てた寺で、初め竜安山禅林禅寺と称していたが、南禅寺とするにあたって東福寺開山円爾弁円の法を継いだ無関普門(仏心禅師、大明国師)を招いて開山とした。
伏見稲荷大社(日本歴史地名大系・改訂新版 世界大百科事典)
稲荷山の西麓に鎮座。式内社で「延喜式」神名帳の紀伊郡に「稲荷神三社 並名神、大、月次、新嘗」とみえ、旧官幣大社である。祭神は古くから種々の説があるが、現在は宇迦之御魂大神(中央・下社)、佐田彦大神(北座・中社)、大宮能売大神(南座・上社)であり
鹿苑寺(金閣寺)(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市北区金閣寺町にある寺。金閣寺と称し、銀閣寺(慈照寺)とともに一般に広く知られている。北山と号し、臨済宗相国寺派に属する。本尊は聖観世音菩薩。もとこの地には西園寺家の山荘北山殿があったが、1397年(応永4)足利3代将軍義満がこれを譲り受け
出雲大社(改訂新版・世界大百科事典)
島根県出雲市の旧大社町に鎮座。大国主神をまつる。《延喜式》では名神大社。旧官幣大社。杵築大社,杵築社,杵築宮ともいう。古代の出雲では熊野,杵築,佐太,能義の各社が〈大神〉とされていたが,中でも,出雲国造の本拠地である意宇平野の熊野大社と簸川平野の北西の杵築大社とが,厚い尊信をうけていた。
ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のオンライン辞書・事典・叢書サービス。
日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
利用料金・収録辞事典・会員登録はこちら