ジャパンナレッジNEWS

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拝啓 清川妙さま

2015-01-07

あけましておめでとうございます。本年もジャパンナレッジともども、「ジャパンナレッジNEWS」をよろしくお願い申し上げます。
2015年初めてのメルマガ当番は、かおるんがつとめさせていただきます。

さて昨秋、作家清川妙さんがご逝去されました。93歳でした。
ジャパンナレッジパーソナルでも連載記事として、清川さんの本『うつくしきもの 枕草子』(小学館刊)を転載させていただきました。

また、日比谷図書文化館での日比谷カレッジ×ジャパンナレッジ講演会の第一回の講師もつとめていただきました。当日は大入り満員の大盛況。講演会シリーズの見事なスタートが切れたことを鮮明に覚えています。

先生と私は2007年以来のお付き合い。古典文学とともに手紙の書き方をカルチャーセンターなどで教えていらした“手紙美人”の先生。おそれ多いですが、天国に召された清川先生に、この場をお借りしてお手紙を書こうと思います。つたない文章ですが、お付き合いいただければ幸いです。


清川妙先生

ご無沙汰しております、清川先生。お元気ですか?
大好きな旦那さん、息子さんにはもう逢われましたか?
そうそう、(大伴)家持さんや清女(清少納言)さん、兼好さんって、実際はどんな方なのでしょう。またの機会に教えてくださいね。

先生との出会いは私がシニア向けの学習誌をやっていた2007年。早いもので、あれから6年の歳月が流れました。『八十四歳。英語、イギリス、ひとり旅』(小学館刊)という本にいたく感銘を受けた私は、先生にインタビューを依頼しました。大、大、大先輩の先生への取材依頼、緊張しすぎてドギマギしたことを覚えています。でもいざ電話をかけてみると、先生は明るい声で迎え入れてくれました。インタビュー当日も笑顔を絶やすことなく、読者に向けてたくさんの金言を伝えていただきました。その縁で約1年半という短い間でしたが、「手紙ものがたり」という連載を執筆していただきました。毎月送られてくる先生の凛とした手書き文字をテキストデータにおこすことが、考えてみると、編集作業の中でいちばん好きな時間だったかもしれません。

2009年3月、学習誌が休刊。しかし先生との“友情”はその後も続きました。

大好きな人が相次いで亡くなったとき、「一人でもしっかりと歩めるように」と頑丈な靴をいただいたこと。江戸文化歴史検定では勉強の進み具合を探り合ったり、受検後は答え合わせをして一喜一憂したりとまさに学友だったこと。先生の京都講演に勝手にお供させていただき、帰りの新幹線で富士山を見上げながらお弁当を食べたこと。先生行きつけのお寿司屋さんで新年会、ビールをちょっと飲まれた先生の頬がポッと赤くなったこと。歌舞伎も見に行きましたね。猿之助さんや愛之助さんなど若手の演技を大絶賛されていました。そして先生が“顔”だった山の上ホテル。美味しいランチを何度も何度もご一緒させていただきました。

先生のことを考えると、たくさんの場面がほんのりよみがえってきます。

70年前の戦争も体験。教職や専業主婦を経て、文筆活動は40歳からという遅いデビュー。その間、大好きな息子さんと旦那さんを相次いで亡くされ、ご自身もがんを患ったりといろいろたいへんな中で、最期まで休まずペンを持ち続けられたこと、古典文学をたくさんのお教室で教えられたこと、海外一人旅に向け英語を学び続けられたこと──
座右の銘「楽しみながら すこしずつ」を体現された人生。続けることの大切さを教えていただきました。

先生、ほんとうに長い間、お疲れさまでした。そしてステキな“友情”をありがとうございました。

飼い猫のリリコちゃんとオジサンは娘さんが毎日餌をあげていらっしゃり、元気だそうですね。先生が生まれた春になったら、ぜひおうちを訪ねてみたいなと思っています。

『枕草子』原文を清川妙さんのエッセイとともにお楽しみください。
「うつくしきもの 枕草子」

2015-01-07 written by かおるん
年末年始、京都市の実家で過ごしたかおるん。正月1日と2日にはドカ雪が降り、びっくり。なんでも61年ぶりの大雪だったとか。そしていろんなところで、オリジナリティあふれる雪だるまに遭遇。まるで京都市内が雪だるま美術館になったようでした。