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難攻不落の名城

2016-04-19

4月14日21時26分、熊本県熊本地方を震源とする最大震度7の地震が発生しました。さらに、16日には同じく熊本県熊本地方を震源とする最大震度6強の本震が発生。
いまだに激しい余震が続き、予断を許さない状況です。

まずはお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災者の方々に心からお見舞いを申し上げます。

またこのたびの震災により、数多くの建物や施設にも倒壊や半壊などの被害が出ました。 国の重要文化財でもある熊本城もそのひとつです。
城を取り囲む高い石垣や複雑に折れ曲がり本丸へ到達しづらい城内の通路などの構造から、難攻不落の城としても名高い熊本城。1877(明治10)年の西南戦争では、薩摩軍の城内への侵入すら許しませんでした。
日本三大名城のひとつであるその堅城も、今回の震災で石垣やしゃちほこが崩落し「東十八間櫓(ひがしじゅうはちけんやぐら)」が倒壊するなど修復に20年かかるといわれるほど甚大な被害が出ました。
しかし、約400年前の築城当時から残る「宇土櫓(うとやぐら)」の被害はほとんど出なかったそうです。

宇土櫓
<本丸の北北西の隅にある櫓。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦で滅ん だ小西行長の居城宇土城(現宇土市)の天守閣を 移築したものと伝えられるが(古城考)、確証はない。宇土櫓という名称は、江戸時代中頃以降に用いられ、それ以前は「御天守西ノ御丸」「五階矢蔵」などの名称でよばれていた。建築様式は一個の独立天守閣で、三層五階地下一階からなる。破風は大・小天守閣が反りの曲線なのに対し、宇土櫓は起りで直線的である。明治一〇年(一八七七)大・小天守閣は焼失したが、宇土櫓は焼失を免れ、その後一時第六鎮台(熊本鎮台)の司令部が置かれた。大正年間(一九一二―二六)に荒廃の兆しがみえたが、熊本城址保存会が組織され、昭和二年(一九二七)改築工事が施され、現在も近世初期の建築様式がみられる。>
ジャパンナレッジ「日本歴史地名大系」より


先人の知恵と技術に尊敬と畏怖の念を抱くとともに、一日も早い被災地の復 興を願います。

2016-04-19 written by マツオカ
熊本城は籠城戦になった時の食料確保のため、加藤清正によって城内に銀杏の木が植えられたそうです。そのため「銀杏(ぎんなん)城」とも呼ばれています。