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巴水に恋して

2017-03-10

「明石町の雨後」1928(昭和3)年

10日は東京大空襲から72年。11日は東日本大震災から6年。3月2週目、メモリアルデーが続きます。かおるんです!

さて、以前もこのコーナーで書いたのですが、旅する版画家、川瀬巴水(はすい)をご存知ですか。日本はもちろん、海外でもいまだ愛好家が多く、あのアップル社の故スティーブ・ジョブズさんは巴水作品をコレクションしていたんだとか。

「西伊豆気負」1937(昭和12)年

2月23日に日比谷図書文化館で開催された、第11回ジャパンナレッジ講演会。川瀬巴水の没後60年を記念して、新版画をつくった渡邊庄三郎を祖父にもつ、渡邊木版美術画舗3代目店主、渡邊章一郎さんが登場!(巴水に恋するかおるんの夢が実現しました!)
「浮世絵ルネサンスと巴水の名作」と題し、話していただきました。

明治時代、江戸の浮世絵はみるみる衰退。しかしながら、海外では浮世絵がよく売れた。そこに目を付けたのが渡邊さんの祖父、渡邊庄三郎。東京・京橋(現在は銀座8丁目)に渡邊木版美術画舗(通称渡邊版画店)を開き、浮世絵を復刻させて、海外に輸出したら、やはり売れた。ならばこの浮世絵技術を使って、新たな芸術を生み出そうと、浮世絵の再興へと舵を切る。浮世絵にならい、美人画、風景画、役者絵、花鳥画という4ジャンルに絞り込み売り出すと、庄三郎の目論見は大当たり。庄三郎は新版画と呼ばれる新たなジャンルを確立する。

庄三郎は当時人気の画家だった橋口五葉や吉田博を絵師に登用したり、歌川豊国を祖に持つ鏑木清方門下で、18歳の伊東深水を美人画の絵師に抜擢したりと、つねに挑戦を試み、たくさんの才能を発掘しました。

と、ざっと前半は庄三郎の半生を絡めつつ新版画の成り立ちから隆盛まで、各ジャンルの名作を見ながら、お話を進めていただきました。

そして後半は旅する版画家、川瀬巴水についてのお話。
巴水は日本画の鏑木清方に弟子入りを希望。すでに25歳だったため、清方は遅すぎる、いまからでも始められる油絵を習えと言って断る。1年経ってやっぱり日本画が忘れられないと、巴水は再度清方の門を叩く。「では1年まじめにやったら考えよう」と期限を切ってそばに置く。巴水のがんばりに、清方も認めざるを得ず、結局門下に。 当初、巴水は美人画を描きたかったが、深水の才能を見てあきらめる。そして深水が庄三郎と作った「近江八景」という風景画を見て、これなら自分もできると、渡邊版画店の門を叩く──以後、巴水と庄三郎は40年をともに歩き、550点の作品を生み出した。

東京二十景「馬込の月」1930(昭和5)年

そして渡邊さんは大正7年のデビュー作「塩原おかね路」から、絶筆となった昭和32年の「平泉金色堂」にいたるまでの、巴水の名作を次々にピックアップしていきます。

スティーブ・ジョブズが初めて購入した「西伊豆木負」、
昭和15年の東京オリンピック初開催(結局開かれず)に向け満を持して描かれた「日本橋(夜明)」、
赤い建物、雪、傘をさす人、勝利の方程式が確立された「芝増上寺」、
巴水が馬込に引っ越した時に描き、いまも大田区民に愛されている「馬込の月」、
日本電報通信社(電通)が出している雑誌「Japan Trade」の表紙のためだけに描かれたサンタクロース……
巴水が得意とする、雪・月・花・雨・夜・夕暮・早朝のジャンル別に作品を紹介。渡邊さんだからこそ語れるエピソード、そして商売人ならではの視点が生かされた解説には終始圧倒されました。

ちなみに巴水はお茶目でおしゃべりが大好き。女性にはからっきしモテなかったそう。お酒が大好きですぐ赤くなるから、深水の娘、女優の朝丘雪路さんには「タコのおじさん」と呼ばれていたらしい。

みなさんも、没後60年の巴水の版画に、恋してみませんか?

渡邊章一郎さんによる、川瀬巴水没後60年記念の講演会が再び開催!
お近くの方、ぜひ!
https://glocalcafe.jp/

東京二十景「芝増上寺」1925(大正14)年

2017-03-10 written by かおるん
あの津波から、そしてあの原発事故から明日で6年。東日本大震災で亡くなった方は今年7回忌を迎える。そしてわたしはあの春から、ひどい花粉症になってしまった。この季節になると目が赤く腫れあがる。
そうきっと、3.11、忘れっぽいわたしに誰かが忘れるなと言っているに違いない。