日本語、どうでしょう?~知れば楽しくなることばのお話~

辞書編集者を悩ます日本語とはなにか?──『日本国語大辞典』など37年国語辞典ひとすじの辞書編集者がおくる、とっておきのことばのお話。

第502回
 

 仏教系の幼稚園で歌われる、「ののさまのうた」という仏教童謡がある。「のんの ののさま ほとけさま」という歌い出しの曲で、作詞は山田静、作曲は小松耕輔である。作詞者のことはよくわからないのだが、小松耕輔は、日本最初のオペラ「羽衣」の作曲者として知られている。
 ちょっとややこしいのだが、「のんのんののさま」というよく似たタイトルの仏教童謡もある。「おめめをつむり てをあわせ」という歌い出しの曲である。作詞・三橋あきら、作曲・本多鉄麿の曲だが、三橋あきらと本多鉄麿は同一人物である。作詞の際に三橋あきらと名乗っていたようだ。本多鉄麿は増子とし作詞の「おもいでのアルバム」の作曲者だといえば、メロディーが即座に浮かんでくる人も多いのではないか。幼稚園の卒園式でよく歌われる歌である。
 前置きが少し長くなった。今回話題にしたいのは、この二つの曲の曲名にある「ののさま」のことである。この2曲を知っている人なら常識かもしれないが、「仏様」のことをいう幼児語である。「のの」とも「のんのん」とも言う。「さま」は敬意を表す接尾語である。
 ただ、なぜ仏のことを「のの」「のんのん」と言うのか、実はよくわからない。『日本国語大辞典(日国)』には次のような語源説が載っている。

(1)鳴神(なるかみ)の音をいうノノメクから出た語か〔久保田の落穂〕。
(2)如来の意の如々の転か〔物類称呼〕。
(3)ノム(祈)の転か〔嬉遊笑覧〕。
(4)南々の義。南は南無阿彌陀仏の南〔燕石雑志〕。

 断定はできないが、私としては(4)の曲亭馬琴の随筆『燕石雑志』の説がいちばん的を射ているのではないかという気がしている。「なむ なむ」と唱えているのを聞いた幼児が、それを「のの」「のんのん」と言ったのではないかと。また(2)の越谷吾山編の方言辞書『物類称呼』の「如来の意の如々の転か」という説だが、『日本方言大辞典』によると、「にょにょさん」「にょーにょーさん」の形で、やはり幼児語だが神仏や僧侶などのことをいう地域がある。関連はあるだろう。
 この幼児語の「のの」「のんのん」が表す対象は、仏に限らない。神や日・月など、すべて尊ぶべきものをいう語なのである。『日国』で引用している以下の例からもそれがわかる。

*狂歌・堀河百首題狂歌集〔1671〕秋「みどり子のののとゆびさし見る月や教へのままの仏成らん」 

説明は不要だろう。この狂歌から月も仏も「のの」と言っていたことがわかる。
 また、『日本方言大辞典』によれば、僧侶の意味で「のの」を使う地域もあるようだ。「なむ(あみだぶつ)」からとする『燕石雑志』の説が正しいとすると、そう唱えるのは僧侶なのだから僧侶もそのように呼ぶようになったのではないか。分布地域は『日本方言大辞典』によれば、東日本に集中している。
 幼児語をあえて否定せず、子どもたちに仏に対する親しみを持たせようとする「ののさまのうた」「のんのんののさま」の二曲は、曲調も優しく仏教徒ではない私にも穏やかな気持ちにさせられる。

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 「継続は力なり。青年は一歩前へ」
 『日本国語大辞典(日国)』の編集委員だった松井栄一(まついしげかず)先生がお好きだったということばである。中学時代の校長先生が、よくこのことばを口にしていたらしい(『日本人の知らない 日本一の国語辞典』2014年 小学館)。先生は2018年に92歳の誕生日の二日後に亡くなったのだが、体調を崩される直前まで日本語の実例を採集し続けていた。まさにこのことばを実践なさっていたのだと思う。
 ところで、この「継続は力なり」は格言のようだが、実は誰が最初に言い出したのかよくわからない。インターネットで検索すると、個人名を挙げて説明しているものもあるが、その人がこのことばを広める役割は果たしたとしても、最初に使った人とは断定できない。
 有名なことばなので辞書に載っていそうなものだが、そうでもない。私が調べた範囲では、『広辞苑』『デジタル大辞泉』『三省堂国語辞典』にしか載っていない。残念ながら『日国』にはない。用例がないのかというと、そういうことはない。ただ、ことばの性格なのだろう、教育関係の書籍の例が多い。
 誰が最初に言ったのかはわからないにしても、いつごろ言われ始めたのか知りたいと思っているのだが、それもわからない。
 現時点で確認できたものとしては、1918年(大正7年)のものが比較的古い。帝国議会の会議録での発言を筆記したものである。衆議院の「市町村吏員優遇ニ関スル建議案委員会」の会議録なのだが、帝国議会会議録検索システムでは詳しい内容はわからない。ただ、その年の5月に発行された「自治機関」(東京自治館)という雑誌に、日付は不明ながら、発言の速記が一部掲載されている。その中で「継続は力なり」は以下のように使われている。

「是も所謂継続は力なり其継続の勤勉か(が)之を奨励して、其事業の進歩発達を図るに外ならないと思ひます」(市町村吏員優遇に関する建議案)

もちろんこの発言から「継続は力なり」という語が生まれたなどとは言えない。「所謂」と言っているのだから、それ以前にすでに使われていたはずである。だとすると、「継続は力なり」の探索は、さらに継続して行わなければならない。
 ところで、この「継続」という語自体も、『日国』で検討が必要な語だとかねがね感じていた。『日国』によれば、「継続」の意味は以下の二つに分かれている。

(1)以前から行なわれていた事が引き続いて行なわれること。また、それを続けて行なうこと。
(2)以前からの事をうけつぐこと。継承。

現在普通に使われる意味は(1)の方である。『日国』で引用しているこの意味の例は、

*漢語字類〔1869〕〈庄原謙吉〉「継続 ケイゾク ツヅク」

が最も古い。『漢語字類』は明治初年にこのような形式の漢語辞書が多数刊行されるのだが、その一つである。辞書だからだめだというわけではなく、現時点での古い例が明治初年の辞書というのはいささか寂しい。辞書に載っているということは、すでにどこかで使われている可能性が高いからだ。
 『日国』は漢籍の例として『礼記疏(らいきそ)』の例を引用している。少なくとも漢籍を通じて日本人は「継続」という語と出会っていたはずなのだ。『礼記疏』は中国,唐初の儒学者・賈公彦(かこうげん)による、中国古代の礼(れい)について書かれた『礼記』の注釈書である。
 また、中国、清代のものだが『唐宋八大家文読本』にも「継続」の語が見える(巻6)。ただ、これは、『日国』では(2)の意味の例である。そしてこの(2)の用例も『日国』で引用しているのは『改正増補和英語林集成』(1886年)の明治の例だけである。
 『唐宋八大家文読本』は寛政年間(1789~1801年)に日本に伝えられ、藩校・私塾の教本として広く読まれたらしい。「継続」という語と出会う機会は確実にあったと思われる。だとすると、江戸後期の「継続」の使用例は見つけられないだけで、きっとどこかにあるはずなのである。
 今回「継続」について書いたのは、このコラムが501回目を迎えたからである。われながらよく続いていると思う。まさに、「継続は力なり」なのだ。

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 「闇バイト」なる語が話題になっている。さらには、その誘いに乗った若者がお互いに面識のないまま強盗を働き、それを意味する「たたき」という隠語も広まった。
 なぜ強盗を「たたき」というのか、はっきりとはわからないのだが、おそらく暴力を用いて金品を奪うことから言うのだろう。
 『日本国語大辞典(日国)』によると、「たたき」は『隠語輯覧』(1915年)という辞書に載っていることがわかる。『隠語輯覧』は主に犯罪者や香具師(やし)の隠語を集めた辞典である。発行は京都府警察部で、この手の警察や検察が編纂した隠語辞典は『隠語輯覧』以外にも存在する。捜査の必要があってこうした隠語を集めたのだろう。
 『日国』では強盗の意味の「たたき」の例として、小説からも2例引用している。

*浅草〔1931〕〈サトウハチロー〉留置場の幽霊・A「『たたきらしい。〆(しめ)た』政戸は、小声でかう言った。強盗がつかまったのだ」
*自由学校〔1950〕〈獅子文六〉乱世「バカいわんで下さい。わしを、ノビ(泥棒)かタタキ(強盗)とでも思っとるのですか」

 獅子文六の『自由学校』には「のび」という語も見えるが、これは文中にも説明があるように泥棒、窃盗の意味である。この「のび」については『隠語輯覧』に、なぜそのようにいうのか説明がある。「深夜家宅に忍入窃盗『しのび』の略」、つまり「しのび」の「し」を取った「のび」なのである。「のび」を働く人間は「のびし」と言ったらしい。この語は『日本隠語集』(1892年)などに見える。これも隠語辞典だが、編者の稲山小長男は広島県の警部だった人である。また、『特殊語百科辞典』(1931年)には「のびをやる」と言う語も載っている。忍び込むことという意味のようだ。『特殊語百科辞典』は司法警務学会編である。
 話を「たたき」に戻すと、この語は動詞形「たたく」の形でも使われていたようだ。「日国」には、「脅迫したり、強盗・窃盗を行なったりすることをいう、盗人仲間の隠語」とあり、

*いやな感じ〔1960~63〕〈高見順〉三・四「俺を何かタタク(おどかす)気か。いいや、オヒャラかす気か」

という例が引用されている。「たたく」は『隠語輯覧』には載っていないが、『特殊語百科辞典』には載っている。
 ちなみに『日国』によると、隠語としての「たたき」には強盗以外の意味もあったようだ。

 「恐喝することをいう、不良仲間の隠語。〔特殊語百科辞典〕」
 「婦女暴行をいう、盗人仲間の隠語。〔隠語構成様式并其語集〕」
 「他人の品物と自分の物とをすり替えることをいう、盗人仲間の隠語。〔日本隠語集〕」
 「せり売りをいう、てきや仲間の隠語。〔特殊語百科辞典〕」

などである。
 これらの意味では強盗の意味の「たたき」と違って、現時点では文学作品の用例が見つかっていない。限られた人たちの間で使われていた、特殊な意味だったのかもしれない。
 いろいろ書いたが、「たたき」にしろ「のび」にしろ、ことばとしての知識だけにとどめておいてほしいものである。

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第499回
 

 「死語」と言っても、そうだと言われている「アベック」「チョッキ」「衣紋(えもん)掛け」などのことを書こうと思っているわけではない。ただこれらの語は、私にとってはいまだ「死語」とは言えない。頭の中に普通に浮かんでくる語なのである。だから、「カップル」「ベスト」「ハンガー」と言わないとばかにされると思って、緊張しながら変換している要注意の語なのだ。
 それはさておき、「死語」には二つの意味がある。過去に用いられたことがあるが、現在は全く用いられなくなってしまった単語という意味。そしてもう一つは、古くは使用されていたが、現在では全く通じなくなってしまった言語という意味である。後者は、たとえば楔形 (くさびがた) 文字の記録が残されていて、古代メソポタミアやその周辺地域で使われていたと考えられているシュメール語などである。
 だが、今回話題にしたいのは前者の意味の「死語」である。
 『日本国語大辞典(日国)』によると、この意味の「死語」の用例は、

*松山集〔1365頃〕荅勇侍者書「只是古人之死語、而剽窃沿摘而已矣」

が最も古い。
 『松山集』は、室町時代の僧、龍泉令淬(りゅうせんりょうずい)の詩文集である。龍泉令淬は後醍醐天皇の庶子で、鎌倉後期・南北朝初期の臨済宗の僧虎関師錬(こかんしれん)の弟子である。虎関師錬は『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』という高僧伝の著者として知られている。
 この「死語」の例はけっこう古いものだが、だからといって龍泉令淬の造語ということはないだろう。ただ、室町時代前期から「死語」という語が使われていたのは意外な気がする。何となく新しい語だろうと勝手に思い込んでいたからだ。室町時代から存在している語だとすると、次の江戸時代の用例もほしいところだが、『日国』で引用しているもう一つの例は、司馬遼太郎の『美濃浪人』(1966年)でいきなり新しくなる。明治以降の例は『美濃浪人』以外にもあるが、できればこの二つの例の間を埋める江戸期の例がほしい。今後の課題の一つである。
 ところで、「死語」と同じ意味で使われる語に「廃語」がある。『日国』で引用している例は、以下の例が最も古い。

*読書放浪〔1933〕〈内田魯庵〉万年筆の過去、現在及び未来・毛筆とペン「今日では大福帳なる語が昔の節用にのみ存する廃語となってる」

 ただ、こちらもさらに古い例がほしいと思って探してみると、その名もずばり『猥褻廃語辞彙』なるものがあった。1919年に宮武外骨(みやたけがいこつ)が著したものである。宮武外骨(1867~1955年)はジャーナリストで文化史家だった人である。川柳、江戸風俗、明治文化などを研究し、1901年に大阪で『滑稽(こっけい)新聞』を創刊するなど、風刺記事、戯作 (げさく) によって大いに評判を得たが、しばしば筆禍にあっている。
 『猥褻廃語辞彙』には、書名だけでなく例言にも「廃語」が使われている。

 「予は数年前より猥褻俗語彙の編纂に着手して今は既に総計二千語の多きに達せるが、其中より約三百の廃語を抜記し」

 もちろんこの例が「廃語」の最も古い例だとは言わないが、『日国』としては十数年さかのぼった例を見つけたことになる。ちなみに、この『猥褻廃語辞彙』は「廃語」とはいえ「猥褻語」を集めた内容なので、発刊直後に発禁処分を受けている。その内容を知りたければ、国立国会図書館のデジタルコレクションで見ることができる。
 「死語」同様「廃語」も以前は比較的使われてきた語のようだが、現在は「死語」を使うことの方が多い。「死語」の方が「死」という漢字が含まれるので、インパクトがあるせいかもしれない。「廃語」が「死語」になったとまでは言わないが、おもしろい関係だと思う。

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 『日本国語大辞典(日国)』は国語辞典だが、いわゆる百科語と呼ばれる語も多数収録されている。百科語とは、社会・文学・科学・歴史・演劇・美術・医学などあらゆる分野の事項に関する専門的な語をいい、広く日常生活の中で使われている語をいう国語とは区別している。
 ただ、収録語数50万語の『日国』にどれくらいの数の百科語が立項されているのかと聞かれると、はっきりと答えることはできない。百科語と考えるべきかどうか判断に迷う語が多数あるからだ。『日国』の場合、多くの国語項目には文献からの用例を添えているので、そうした用例があるかないかで多少判断は可能である。だが、実際にはそれほど単純なことではない。国語項目として扱われる語でありながら、専門分野でも使われていて、独自の意味をもたされている語があるからだ。たとえば、天気予報で使われる語がそうである。
 その中には「晴れ」「雨」「霧」といった語だけでなく、「しばらく」「一時」といった期間や時間を表す語も含まれる。これらの語は、日常生活の中でも普通に使われるが、天気予報ではかなり限定的な意味で使われている。
 たとえば「しばらく」はどうだろう。『日国』では、「少しの間。一時。ちょっと」という意味や、「久しく。少し長い間」という意味などがあるとしている。だが、気象庁が公開している予報用語によると、この語は、
 「2~3日以上で1週間以内の期間を指し、状況によって過去の期間をいう場合と未来の期間をいう場合がある」
と説明されている。『日国』の語釈にくらべて、かなり具体的、かつ限定的である。
 「一時(いちじ)」もそうだ。『日国』では、「少しの間」という意味だが、予報用語としては、
 「現象が連続的に起こり、その現象の発現期間が予報期間の1/4未満のとき」
とやはり具体的である。
 「時々(ときどき)」は、
「現象が断続的に起こり、その現象の発現期間の合計時間が予報期間の1/2未満のとき」
だという。そして、予報で言う「断続的」は「現象の切れ間がおよそ1時間以上」ということなのだそうだ。
 曖昧さを極力排除しなければならない天気予報では、こうした取り決めはとても重要だと思う。だが、このような意味を国語辞典にも載せられるかというと、まったく別の問題になってくる。一般的な国語としての意味とはまったく異なるものだからだ。
 ただ、辞典によっては予報用語の意味を載せているものが存在しないわけではない。私が編集にかかわった辞典だが、『現代国語例解辞典』では予報用語としての「一時」「ときどき」の違いを補注でだが触れている。このような内容だ。

 「天気予報では、雨が連続して降り、その合計時間が予報期間の四分の一未満のときは『一時』といい、雨が断続して降り、その合計時間が二分の一未満のときは『時々(ときどき)』という」(「一時」の補注)

 『現代国語例解辞典』ではそう記述したものの、『日国』第2版ではこれを採用しなかった。『日国』ではそこまで踏み込む必要はないと考えたからである。では『日国』の次の版ではどうすべきか。私はやはり躊躇するだろうが、他の編集者はどう考えるだろうか。

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