地図を重ねて三千里 地図を重ねて三千里

江戸時代、明治時代と現代の東京の地図を重ねて表示できるアプリ『江戸明治東京重ね地図』との連動企画。武士の時代から明治維新を経て現在へといたる東京という都市の移り変わりを、地図製作者の小島豊美氏が各地域にスポットをあてて語ります。

第1回 両国橋

2019年11月08日

両国橋の西も東もどちらも《両国》なのが江戸。
しかも西岸は有数の繁華街だった。

両国橋

生まれも育ちも墨田区両国という筆者の子ども時代は、隅田川はゴミ川でただ臭かったという思い出しかない。滝廉太郎の「花」に謳われた、白魚が泳ぎ、水泳などが出来た清らかなイメージとは違って、昭和30年代は本当に耐え難い臭気の川だった時期がある。現在からは想像も出来ないエピソードではあるが。
隅田川に架かる橋、江戸時代の両国橋は現在の橋より50メートルほど下流に架かっているのがこの地図アプリで確認できる。現在も護岸にその痕跡が残っているので街歩きの折には是非訪ねてみたい。

江戸時代の両国橋の位置

図①……江戸時代の両国橋の位置。

現在の両国橋の位置。

因みに隅田川に架かる永代橋、新大橋などの橋は木橋から鉄の橋に架け替えが行なわれているので、江戸・明治と現在ではその場所がズレていることは頭に入れておくとよい。重ね地図の透過度によってそれが確認できる。

江戸時代の隅田川に架かる橋。上が新大橋。下が永代橋。

図②……江戸時代の隅田川に架かる橋。上が新大橋。下が永代橋。

両国というと墨田区側のイメージがあるが、両国橋を跨いで西岸の現在の中央区東日本橋といわれる地域も両国といっていた。隅田川西岸の両国西広小路ひろこうじには、見世物小屋・茶店などが立ち並ぶ、江戸でも有数の繁華街であった。しかしこの地域はその後の区画整理などで、地勢形状が現代とは大きく変化している場所である。

江戸時代の両国広小路。現在その面影はない。

図③……江戸時代の両国西広小路。現在その面影はない。

江戸図では両国橋を渡って東の回向院えこういんに真っ直ぐに道が延びているのが確認できる(図①)。回向院の正面は西側にあり隅田川方向に向いている (江戸図では文字の方向に意味があり、文字の向きが正門となっている)。正門近辺には相撲会所や料理屋などが門前を賑わしていた。現在もその道に面影が残る。

現在の、両国橋広小路にあたる場所。

現在の、両国橋広小路にあたる場所。

もともと本所深川地区は、明暦の大火(1657)で橋がなかったため、多くの被災者を出したことから、幕府が川の東岸に通じる両国橋(長さ96間)を架けた。橋が出来ると本所には東西南北に碁盤の目状の骨格の町が形成され、大名や旗本屋敷、幕府の施設(御竹蔵など)と町人の町屋が混在する地域が開発され(図④)、人の通行を管理するために両国橋には橋番が設置された。
回向院は明暦の大火の犠牲者を弔うために起立した寺院で参詣客も多く、やがて江戸各地の神社などで行われていた勧進相撲がこの地で常設となり、相撲の町としての「両国」のイメージが広まり現在に至るわけだ。

江戸時代の本所深川界隈。

図④……江戸時代の本所深川界隈。

現在の両国国技館。相撲の町、両国のシンボル。

現在の両国国技館。相撲の町、両国のシンボル。


鬼平、遠山の金さん、勝海舟を生んだ《本所》。
そして、両国の象徴《国技館》。

本所には『鬼平犯科帳』の主人公の長谷川平蔵やテレビでお馴染み遠山金四郎の役宅(図⑤)があったばかりでなく、幕府の大立者勝海舟の生地でもある(図⑥の男谷精一郎宅・赤字表記)。忠臣蔵の舞台吉良邸は土屋平八郎(図⑥)の南側。時代が違うので吉良邸表記はされていないが、現在は本所松坂町公園内に碑が残る。

遠山金四郎の役宅。現在の都営新宿線菊川駅近くにある。

図⑤……遠山金四郎の役宅。現在の都営新宿線菊川駅近くにある。

男谷精一郎(赤字)。男谷は「剣聖」とも呼ばれた幕末の剣豪だった。

図⑥……男谷精一郎宅(赤字)。男谷は「剣聖」とも呼ばれた幕末の剣豪だった。

吉良邸跡地。現在は本所松坂町公園。

吉良邸跡地。現在は本所松坂町公園。

1909年(明治42年)には、回向院境内に建築家辰野たつの金吾きんご設計によるドーム屋根の国技館が落成する。従来の晴天十日の興行から、天候に左右されない安定した興行が行なわれるようになった。同時期に両国橋停車場が総武鉄道の起点として開業などすると、常陸山ひたちやま太刀山たちやまなどの人気力士の登場によって、ますます相撲人気は盛り上がり、相撲の町両国は全国に喧伝されていった。
このように、地図からはいろんな情報が読み取れるはずだ。

明治時代の両国。当時の国技館は回向院境内にあった。

明治時代の両国。当時の国技館は回向院境内にあった。

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「江戸明治東京重ね地図」は、江戸時代末期(1860年・万延元年)、明治時代後期(明治40年前後)の東京地図と、現代の地図を重ねて表示する地図アプリです。変わり続けてきた都市、東京の姿をお楽しみいただけます。

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著者プロフィール
小島 豊美 (こじまとよみ)

音楽・映像・マルチメディアプロデューサー。1948年 東京都墨田区両国生まれ。故・小島貞二の長男。

『おかあさんといっしょ』『みんなのうた』『ひらけ!ポンキッキ』『ピッカピカ音楽館』などで子ども向け音楽をプロデュース。
1976年「およげ!たいやきくん」で第9回レコード・セールス大賞を受賞。

『江戸明治東京重ね地図』『ご存知古今東西噺家紳士録』など文化データベース構築にも取り組み、2014年「第1回グッド・ビジネス・アワード」でグランプリ受賞。

著書「昭和のテレビ童謡クロニクル 『ひらけ! ポンキッキ』から『ピッカピカ音楽館』まで」

株式会社ジャピール 代表取締役
一般社団法人地歴考査技術協会 代表理事

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