『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために 『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために

写真:五十嵐美弥
50万項目、100万用例、全13巻の『日本国語大辞典 第二版』を、2年かけて読んだという清泉女子大学の今野真二教授。初版企画以来40年ぶりに改訂に挑んだ第二版編集長、佐藤宏氏。来たるべき続編に向けて、最強の読者と最強の編集者による『日国 第二版』をめぐるクロストーク。今野3回×佐藤1回の1テーマ4回シリーズでお送りします。

シリーズ 16 「夜食と夜飯 」目次

  1. 1. 今野真二:なぜ同時代でも使い方が違うのか? 2021年11月02日
  2. 2. 今野真二:補注「名物六帖」が意味するもの 2021年11月17日
  3. 3. 今野真二:「近代中国語」はどう取り込まれたか 2021年12月01日
  4. 4. 佐藤宏:白話小説を愛した文人インテリと日本語の物語ヒストリー 2021年12月15日

夜食と夜飯
Series16-3

「近代中国語」はどう取り込まれたか

今野真二より

 前回の終わりちかくで、「「近代中国語」を載せることが多い「名物六帖」」と述べた。「近代中国語」って何? と思われた方もいるだろう。『論語』『大学』『中庸』『孟子』(四書)、『易経』『詩経』『書経』『礼記』『春秋』(五経)のような経典は日本でいうところの「漢文」で書かれている。あるいは「左国史漢」(『左伝』、『国語』、『史記』、『漢書』)というくくりかたもある。とにかく、こうした中国の古典は「古典中国語」で書かれている。この「古典中国語」は中国語の「書きことば」である。どんな言語にも「書きことば」と「話しことば」とがある。当然中国語にも「話しことば」はあるが、「書きことば(文言)」が非常にしっかりとできているので、それが長い間使われていた。「話しことば」はあっても、それが文献に足跡を残すことがほとんどなかった。

 しかし、明代の末頃になってつくられた『水滸伝』などには「話しことば」すなわち「白話」が使われるようになった。そうした「小説」を「白話小説」と呼ぶことがある。中国語を時間軸に注目して「古代中国語」と「近代中国語」とに分けた時には、このあたりからが「近代中国語」ということになる。日本は中国と濃淡はあってもずっと接触を続けてきている。中国との接触はつまり中国語との接触ということになる。

 中国の明(1368-1644)は日本では室町時代~江戸時代にあたる。江戸時代になって、『水滸伝』などが日本に輸入されて、読んだ人は、これまでに接したことのない中国語が使われているので、きっと驚いただろう。そして興味をもった。日本で「読本(よみほん)」と呼んでいるジャンルでは、そうした近代中国語を使うことが行なわれた。都賀庭鐘(1718-1794頃)、上田秋成(1734-1809)、滝沢馬琴(1767-1848)は中国の「白話小説」を翻案したり、そこで使われている語を作品にとりこんだりしたことで知られている。

 「読本」というジャンルや作者、作品については知られていると思うが、その作品がどのようなことを背景にしているかとか、どのような日本語でかたちづくられているか、ということについて案外話題にならないようにも思う。これは、辞書がそういうこともわかるようにしておく、ということではないけれども、『日本国語大辞典』の情報を組み合わせていくと、いろいろなことがわかる可能性がある。

 前々回で馬琴の「南総里見八犬伝」において漢語「ヤハン(夜飯)」が使われていて、その「ヤハン」が伊藤東涯「名物六帖」において「ヤショク」と説明されていたのは、「近代中国語」を「古典中国語」で説明するということであった。つまりこの組み合わせは偶然ではない。前回の「アッコン(悪棍)」の使用例としてあげた「近世説美少年録」も馬琴の作品である。

 『日本国語大辞典』の見出し「やはん」の使用例は「南総里見八犬伝」のみで、補注に「名物六帖」があげられているだけだ。これはこの「ヤハン(夜飯)」という漢語がひろくは使われていなかった可能性を思わせる。実際はわからない。江戸時代に日本語の語彙体系内で使われ始めた「近代中国語」がその後どうなったか。それは個々の語ごとに異なるだろう。その「近代中国語」と同じような語義の「古代中国語=古典中国語」があるかどうか、ということや、和語がどうであるか、ということとかかわる。だから、「近代中国語がその後どうなったか」と一口にはいえないだろう。それでも、「近代中国語がその後どうなったか」は明らかにしておきたい課題の一つであることはたしかだ。研究を反映したかたちで辞書が編集されるのが「順」であろう。しかしまた、『日本国語大辞典』が蓄蔵している「情報」を、しっかりとした「観点」をもって丁寧によみとることによって、研究課題がみつかり研究を促すこともあると考える。

 大学の授業を遠隔授業として行なう過程で、インターネット上にあるさまざまな「情報」を使った。使った、というよりも使わざるを得なかった。そうした「情報」を使う課題を学生に出し、提出されたレポートを読み、今までよりもしっかりとした授業ができていると実感することが少なからずあった。学生も、自分のペースで課題にとりくむことで、じっくり考えてレポートを書いていた。「なるほど」と思うことも多かった。ジャパンナレッジの『日本国語大辞典』をこれでもか、というくらい使った。『日本国語大辞典』を使ってさまざまな課題がだせ、それらを解決できることもわかった。それだけの「情報」が蓄蔵されている。

 さて、今回扱った例でいえば、見出し「あっこん(悪棍)」の使用例の中に漢語辞書である『漢語便覧』があることが気になる。『漢語便覧』はどこからこの語をもってきたのだろうか。そしてまた、見出し「あんれい(暗令)」の使用例に頼山陽『日本外史』があることが気になる。『日本外史』が近代中国語を使うことがあるのかどうか、これは筆者の課題でもある。そして、このあたり、つまり日本語の語彙体系内で使われた「近代中国語」について充実させることはおそらく『日本国語大辞典』の課題でもあるだろう。

▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は12月15日(水)、佐藤宏さんによる回答編です。

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日本国語大辞典

“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった

筆者プロフィール

今野真二こんの・しんじ

1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。

佐藤 宏さとう・ひろし

1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。

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