日本大百科全書(ニッポニカ)

駅伝競走
えきでんきょうそう
road relay 英語

道路上を走る長距離のリレー競走。距離、区間、人数にとくに規定はないが、一般的には5~10区間、1人が走る距離は5~20キロメートルとなっている。各走者は自分の区間を走ったあと、たすきを次走者に渡す。たすきはかならず肩からわきの下に掛け、渡すときは投げたりしないで手渡ししなければならない。日本で始まったレースだが、ワールドアスレティックス(世界陸連)では「ロードリレーRoad relay」の名称でマラソンと同じ42.195キロメートルを、5キロメートルの周回コースを使った6区間(5キロ、10キロ、5キロ、10キロ、5キロ、7.195キロ)、6人でリレーすることを基本に世界記録として公認している。海外では「EKIDEN」の名でも親しまれている。
 日本で初めて行われた駅伝競走は、1917年(大正6)4月27日から3日間にわたって行われた東海道五十三次駅伝徒歩競走で、京都・三条大橋から東京・上野不忍池(しのばずのいけ)までの516キロメートル(当時の新聞発表では507キロメートル)、23区間を走った。このとき主催した読売新聞社社会部長の土岐善麿(ときぜんまろ)が、大日本体育協会(現、日本スポーツ協会)副会長の武田千代三郎(1867―1932)と図り、奈良時代に中央と地方を結ぶ幹線道路などに「駅馬(えきば)」「伝馬(てんま)」とよばれる馬を配置する交通制度を敷いたのにちなみ「駅伝」と名づけたという。
 グラウンドを離れ道路あるいは山野を走るクロスカントリー・レースは外国でも盛んだが、これをリレーでつなぎ、しかもたすきを手渡す方式は日本特有のものである。日本では中学、高校、大学、実業団、あるいは一般などに分かれて、市町村単位から全国大会、国際大会まで多くの駅伝が、トラックシーズンが終わる11月から3月にかけて全国各地で行われ、冬の風物詩にもなっている。一般的には1日で終わるレースが多い。
 代表的な大会としては、正月名物といわれる男子の全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝、1月1日、前橋。1957年開始)や、東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝、1月2~3日)がある。とくに箱根駅伝は日本がオリンピックに初参加した1912年ストックホルム大会のマラソン代表で「マラソンの父」とよばれる金栗四三(かなくりしそう)が、世界で戦える選手の育成を唱えて1920年に創設。戦中、戦後に中断はあったが、1987年(昭和62)にテレビで生放送されるようになると、さらに高い人気を博した。2024年には第100回の節目を迎える。このほか、全国都道府県対抗男子駅伝(ひろしま男子駅伝、1月、広島。1996年開始)、全日本大学駅伝(11月、名古屋―伊勢(いせ)。1970年開始)、全国高等学校駅伝(12月、京都。1950年開始)などがあり、1980年以降になると、女子や中学生のレースも行われるようになった。女子のおもなレースでは1983年から始まった全国都道府県対抗女子駅伝(全国女子駅伝、1月、京都)をはじめとして、全日本実業団対抗女子駅伝(クイーンズ駅伝in宮城、11月、仙台。1981年開始)、全日本大学女子駅伝(10月、仙台。1983年開始)、全国高等学校駅伝(12月、京都。1989年開始)などがあり、いまでは男子とほとんど変わらない数となっている。
 全国中学校駅伝も1993年(平成5)から始まったが、発育途上にある中学生に関してはアスファルトなど硬い道路を走るのは足に悪影響を与えるとして、レース会場は公園周辺などの芝生や土のあるところに限定され、走行距離も男子6区間18キロメートル、女子5区間12キロメートルと短い。
 また駅伝は、一時は海外にも広がりをみせ、1986年には北京(ペキン)で日中友好万里の長城駅伝(のちに北京国際駅伝)が開かれたのをはじめ、ニューヨークでは全米50州対抗駅伝、韓国ではソウル国際女子駅伝などが開催された。しかし、五輪実施種目と比べると、世界的な知名度はもうひとつあがらず、日本国内で行われていた国際千葉駅伝(男女混合、11月)、横浜国際女子駅伝(2月)もマラソンなどとの過密日程や外国チームの参加数減少などにより幕を閉じた。10日間かけて実施される九州一周駅伝(72区間、1056.6キロメートル)や7日間で競う東日本縦断駅伝(青東(あおとう)駅伝、62区間、855キロメートル、青森―東京)のように半世紀以上続いた大会も、21世紀になると交通事情の変化などで消滅した。
[加藤博夫][中西利夫]2020年4月17日