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神武天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』および『古事記』によれば、第一代の天皇で、皇室の祖先とされる。その名は、『日本書紀』神代、神皇承運章本文・同第一の一書によれば、神日本磐余彦(かんやまといわれひこ)尊という。草葺不合(うがやふきあえず)尊の第四子で
綏靖天皇(日本大百科全書・日本人名大辞典)
皇室系譜に第2代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと)。神武(じんむ)天皇の第3子で、母は媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。神武天皇の没後、庶兄手研耳命(たぎしみみのみこと)を討って
安寧天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』『古事記』に第三代と伝える天皇。和風諡号は磯城津彦玉手看尊。『日本書紀』によれば、綏靖天皇の子で母は事代主神の女の五十鈴依媛命(記では師木県主の祖の河俣売)、綏靖天皇二十五年立太子、同三十三年父天皇の死をうけて即位、片塩浮孔宮に都し、事代主神の
孝昭天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
皇室系譜に第5代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしねのみこと)。懿徳(いとく)天皇の皇子で、母は天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)。孝昭元年に即位して都を掖上(わきのかみ)(奈良県御所(ごせ)市北東部)の
孝霊天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
皇室系譜に第7代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)。孝安(こうあん)天皇の皇子で、母は押媛(おしひめ)。都を黒田(くろだ)(奈良県磯城(しき)郡田原本(たわらもと)町)の廬戸宮(いおとのみや)に
孝元天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
皇室系譜に第8代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)。孝霊(こうれい)天皇の皇子で、母は細媛命(ほそひめのみこと)。孝霊36年に19歳で立太子、孝元元年即位、同4年に都を軽(かる)
開化天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
皇室系譜に第9代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおおひひのみこと)。孝元(こうげん)天皇の第2子で、母は欝色謎命(うつしこめのみこと)。孝元天皇57年に、父天皇の没を受けて即位、翌開化元年に都を
崇神天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『古事記』『日本書紀』などの皇室系譜では第十代の天皇。開化天皇の皇子。『日本書紀』によれば母は伊香色謎(いかがしこめ)命(『古事記』では伊迦賀色許売(いかがしこめ)命)と伝える。御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)天皇
垂仁天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『古事記』『日本書紀』に第十一代と伝える天皇。活目入彦五十狭茅天皇・伊久米天皇などという。父は崇神天皇、母は大彦命の娘、皇后御間城姫。崇神天皇二十九年誕生、四十八年立太子、六十八年崇神天皇が亡くなると翌年纒向珠城宮に即位したという
景行天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』『古事記』に第十二代と伝える天皇。大足彦忍代別天皇(記には大帯日子淤斯呂和気天皇)・大足日子天皇などという。父は垂仁天皇、母は丹波道主王の女、皇后日葉洲媛命。垂仁天皇三十七年に立太子、同九十九年父天皇の崩後即位し纏向日代宮に都したとされる
成務天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『古事記』『日本書紀』に伝える第十三代の天皇。和風諡号は稚足彦(わかたらしひこ)尊。第十二代景行天皇の第四子で、母は皇后八坂入姫(やさかのいりびめ)命。景行天皇の皇子日本武尊の没後、景行天皇五十一年に立太子し、同六十年に天皇が崩じた後、翌年正月即位したという
仲哀天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『古事記』『日本書紀』に伝える第十四代の天皇。和風諡号は足仲彦(たらしなかつひこ)尊。景行天皇の皇子日本武尊の子で、母は垂仁天皇の女両道入姫(ふたじのいりびめ)皇女。紀によれば、子に皇后気長足姫尊(神功皇后)の生んだ誉田別皇子(応神天皇)のほか、坂(かごさか)
反正天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
生没年不詳。記紀では第18代の天皇とする。5世紀中葉の天皇で、『日本書紀』には、河内(かわち)の丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや)(大阪府羽曳野(はびきの)市丹比付近か)で在位5年にして崩ずと記す。「多遅比瑞歯別(たじひのみずはわけ)(水歯別)天皇(命(みこと))」ともいう。
允恭天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』では第十九代の天皇。諱は雄朝津間稚子宿禰。仁徳天皇皇子。母は磐之媛。履中・反正天皇の同母弟。忍坂大中姫を皇后とし、刑部を定め、木梨軽皇子、安康・雄略両天皇を生み、また皇后の妹衣通郎姫を妃とし、そのため藤原宮をたて、藤原部を定めたという。甘檮岡の盟神探湯により
安康天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』では第二十代の天皇。諱は穴穂皇子。允恭天皇第二子。母は忍坂大中姫命。兄の木梨軽皇子を物部大前宿禰の家に殺して即位し、宮を大和山辺郡石上(奈良県天理市)に移して、石上穴穂宮と称した。さらに大草香皇子を殺し、その妻を皇后としたため、皇后が大草香皇子との
雄略天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』では第二十一代で、大泊瀬幼武(おおはつせわかたける)天皇と表記し、『古事記』では大長谷若建命と表記する。允恭天皇第五子。母は忍坂大中姫命。兄の安康天皇が眉弱(まよわ)王に暗殺されると、王と王を保護した葛城円
清寧天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『古事記』『日本書紀』で第二十二代と伝える天皇。白髪武広国押稚日本根子天皇(記には白髪大倭根子命)・白髪皇子などという。父は雄略天皇、母は葛城円大臣の娘韓媛。雄略天皇二十二年立太子、二十三年雄略天皇崩後、異母弟星川皇子の反乱を討って磐余甕栗宮に即位
武烈天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』によれば、生没年は?―五〇六で、四九八―五〇六在位。名は稚鷦鷯(わかさざき、『古事記』は若雀)。仁賢天皇の皇子で、母は雄略天皇の皇女の春日大娘皇后。仁賢のあとをついで即位。泊瀬列城(奈良県桜井市初瀬の周辺)を都とし、春日娘子を皇后にたて
継体天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』によれば、生没年は四五〇―五三一、五〇七―三一在位。諱は男大迹(おおど)、袁本杼・乎富等とも書く。応神天皇の五世の孫と伝えられる。父の彦主人(ひこうし)王は近江国にいたが、越前坂井郡の三国にいた振媛を妃とし、継体天皇を生んだ
安閑天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』によれば、生没年は四六六―五三五、五三四―三五在位。名は勾大兄(まがりのおおえ)、おくり名を広国押武金日(ひろくにおしたけかなひ)天皇という。継体天皇の第一子、母は尾張連草香の女の目子媛(めのこひめ)。同腹の弟に宣化天皇がある
宣化天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』によれば、生没年は四六七―五三九年、五三六―三九年在位。名は檜隈高田(ひのくまのたかだ)、諡を武小広国押盾(たけおひろくにおしたて)天皇という。継体天皇の皇子、母は尾張連草香の女の目子媛(めのこひめ)、安閑天皇の同母弟
欽明天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
記紀に第29代と伝える天皇。継体(けいたい)天皇と手白香(たしらか)皇后(仁賢(にんけん)天皇の女(むすめ))の嫡子。名は伝わらず、和風諡号(しごう)は天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)という
敏達天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
6世紀中葉の天皇で、記紀では第30代に数えられる。『日本書紀』によれば在位は14年間とする。渟名倉太珠敷(ぬなくらふとだましき)(沼名倉太玉敷)天皇(命(みこと))、譯語田(おさた)天皇ともいう。息長真手(おきながまて)王の娘広姫(ひろひめ)
用明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六世紀末の天皇。『日本書紀』によれば五八五―八七年在位。異母兄敏達天皇の死去をうけて即位。橘豊日尊、大兄皇子と称す。父は欽明天皇、母は蘇我稲目の女、堅塩媛。異母妹の穴穂部間人皇女(母は堅塩媛の妹、小姉君)を妃として、厩戸・来目・殖栗・茨田の諸皇子を得た
崇峻天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』によると五八七―九二在位。諱は泊瀬部、また長谷部若雀命という。欽明天皇の皇子、母は大臣蘇我稲目の娘小姉君。同母兄に穴穂部皇子、異母兄に敏達・用明天皇、異母姉に推古天皇らがいる。五八七年用明天皇の崩後、蘇我馬子と物部守屋が戦端を開くと
舒明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六二九―四一在位。和風諡号は息長足日広額天皇。父は敏達天皇の皇子押坂彦人大兄皇子。母はその異母妹糠手姫皇女、またの名は田村皇女で、天皇の諱田村はこれに因む。推古天皇三十六年(六二八)推古天皇の没後、田村皇子を推す大臣蘇我蝦夷は
斉明天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
女帝。第35代とされる皇極(こうぎょく)天皇(在位642~645)が重祚(ちょうそ)して第37代とされる斉明天皇(在位655~661)と諡(おくりな)される。名は宝(たから)。和風諡号(しごう)は天豊財重日足姫(あめとよたからいかしひたらしひめ)天皇
天智天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六六一―六八称制、六八―七一在位。大化改新の中心人物。和風諡号は天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと)。淡海(近江)大津宮天皇とも。推古天皇三十四年(六二六)の生。父は田村皇子(舒明天皇)、母は宝皇女(舒明皇后、皇極・斉明天皇)
弘文天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
第39代に数えられる天皇(在位671~672)。大友皇子、伊賀皇子ともいう。天智(てんじ)天皇の嫡皇子。母は伊賀采女宅子娘(うねめやかこのいらつめ)。皇后は天武(てんむ)天皇の皇女十市(といち)皇女で、葛野(かどの)王を生む
天武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六七三―八六在位。父は舒明、母は皇極(斉明)天皇で、天智天皇・間人皇女(孝徳天皇皇后)の同母弟。幼名を大海人(おおしあま・おおあま)皇子といい、諡号を天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)という。『一代要記』などに
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