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  11. 黒崎村
日本歴史地名大系

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黒崎村
くろさきむら

[現]外海町黒崎牧野郷くろさきまきのごう黒崎下黒崎郷くろさきしもくろさきごう黒崎上黒崎郷くろさきかみくろさきごう黒崎永田郷くろさきながたごう黒崎赤首郷くろさきあかくびごう黒崎東出津郷くろさきひがししつごう黒崎西出津郷くろさきにししつごう

神浦こうのうら村の南にあり、西部は外海に臨む。中世は彼杵そのき庄のうち。建武三年(一三三六)一一月一九日の源景家和与状(深堀文書)に「彼杵庄南かたのうち、ミゑくろさき」とみえ、平氏女が景家(いせむら景家と記す)を養子として重代相伝の山野田畠在家および文書を譲ったところ、文書の正文をもつ深堀時継が異議を申立ててきたので、両所を三分割し、三分二を景家、三分一を時継の支配として和与がなっており、深堀氏一族の間における相論であろう。地内に田中たなか古城跡・長光ちようこう寺跡のほか、田原の小島たばらのこじまに三方の堀があり、黒崎大門くろさきだいもんは城の大門であると伝え、城の内しろのうちという地名があった。古くは陌苅あぜかり(現長崎市)雪浦ゆきのうら(現大瀬戸町)とともに三重みえ村のうちで、外目ほかめ(外海村)とも称していたという(大村郷村記)。大村藩と肥前佐賀藩の領知があり、村内の上黒崎郷・牧野郷は大村藩領、下黒崎郷は佐賀藩領で、ほかの永田郷(長田郷)・東出津郷(賤津郷とも)・西出津郷・赤首郷は両方が混在していたというが(郡村誌)、確認できない。

〔大村藩領〕

大村領の外海に属する。天正一五年(一五八七)夏に長崎町・浦上うらかみ村・家野よの(現長崎市)・外目村が公領(豊臣秀吉の直轄領)となるが、慶長一〇年(一六〇五)九月に長崎新町とその属邑が幕府領になるに伴い、浦上村・家野村・外目村は再び大村家領になったという。この外目村は黒崎村・陌苅村・雪浦村のうちを含むとし、当時の田畑屋敷および小物成とも二八八石余で、うち陌苅村一三五石余・雪浦村一〇六石余・黒崎村一二三石余(「大村家記」など)。同年の大村領内高目録に「浦上ノ内黒崎村」とみえ、「三重」「かし山」(現長崎市)、「長田」「しつつ」「まきのゝ」「あかくひ」「池平」の諸地名の記載があり、高一二三石余で、田八町一反余・畠六町二反余、物成六七石余。同一七年の総検地でも高一二三石余で(同一八年彼杵郡内検高目録)、朱印高も同高とされた(元和三年「大村純頼領知目録」大村家記)。元和八年(一六二二)のドミニコ会宛の大村ロザリオ組中キリシタン連判書付に「くろさき村」の岸川次郎右衛門寿庵、出津の誤記と考えられる「しめ村」の「小山惣右衛門尉ば七あん」が署名している。正保国絵図に黒崎村とあり、高一二三石余。寛文四年(一六六四)の大村純長領知目録(寛文朱印留)は三重村と別に黒崎村を記す。元禄国絵図では高一二三石余。

「大村郷村記」によれば、東西一里一四町・南北三〇町余で広さ一千八〇〇町余、田二二町六反余・畠三六町四反余(うち切畠二一町九反余)・山林野一千五六七町余二反、内検高二一七石余のうち田一八二石余・畠三五石余で、内訳は蔵入地六七石余・浮地二七石余・私領一二一石余、惣物成納高は米一六六俵余・小麦五八俵余、竈数二五七のうち大給一・小給二・鉄砲足軽七・蔵百姓三七・蔵間百姓二六・私領一八四、男女一千四五七で、宗旨別では法華宗二九・真言宗一千四二八、請山運上・薪山手銀など四八六匁、帆別銀一二一匁のほか、揚酒屋四・染屋三・麹屋一・鍛冶一、磯手運上銀・縫切網一張運上・他領漁運上などの運上銀六九〇匁を上納。牛二一八、村内に入五町・横六町・深さ五尋の長田浦、入二町・横三町・深さ五尋の出津浦があり、船三七のうち七反帆四・三反帆一三、海路七里の大村城下など七ヵ所までの海上里数が記される。海藻・貝類は搗和布・松海苔・よがまた・心太・あおさ・布海苔・石花・栄螺・瀬貝など、山野土産は独活・薯蕷・煙草・茶・椿実・牛房・橙・梨・桃などで、売出物は芋・干鰯。神社は天満宮・山ノ神が祀られる。長田郷には小番所が置かれた。

〔佐賀藩深堀鍋島家領〕

深堀ふかほり郷に属する。慶長一〇年に黒崎村を含む外目村が再び大村藩領になった際、黒崎村のうち永田うしの鼻一〇町分、下黒崎・松本まつもと三六町、出津一二〇町余などは佐賀藩深堀領となり、幕末期に至ったとされる(「大村家記」など)。佐賀藩関連史料の宝暦二年(一七五二)の佐賀領郷村帳には三江みえ村の小村として長田ながた村・樫山かしやま村・悉津しつ村、たいら(現長崎市)および黒崎村がみえるが、この三江村は天保郷帳などに記される三重村九七石余に相当すると考えられる。なお天保郷帳などにみえる三重村三六六石余は現長崎市域の村で、大村藩領である。天保郷帳の三重村九七石余は、黒崎村と三重村の両村域に散在する耕地を合せたものである可能性がある。いわば佐賀藩の飛地領であるが、近世初頭に豊臣秀吉による朝鮮出兵に鍋島氏の指揮下に従軍した当地の者が帰国後も同氏に仕えたことで生じた領知であろうともいう。玄梁院代配分村付帳および大小配分石高帳では鍋島領として地米高一七石余。文化九年(一八一二)一一月、伊能忠敬の一行が「佐賀領黒崎村枝賤津しつ、大村領黒崎村枝出津」などを測量(伊能忠敬測量日記)

長田郷の番所は正保元年(一六四四)設置の黒崎番所で、外海一六ヵ所番の一つとして小給一、小早船一・水主二が配備されていた(大村見聞集)。「大村郷村記」によれば、軍弓一・鉄砲二・三つ道具一などを備え、番士一人が配された。宝暦三年「大村領しつ」の浅右衛門らは抜荷物一件で所預になっている(犯科帳)。寛政九年(一七九七)黒崎村・三重村から一〇八人のキリシタンが福江ふくえ島に移住しているのをはじめ(公譜別録拾遺)、五島を中心にその後も当地から信徒が希望して多数移っていった。若松わかまつ(現若松町)さかき浦に四軒、同間伏まぶしつつみ村に一軒が移住し居着いているが(慶応三年「日之島掛人付居着百姓帳」五島編年史)、その多くはキリシタンであったとされる。慶応年間(一八六五―六八)出津の二六〇戸のうち医家一戸を除いてすべてキリシタンであったとされ、慶応三年高島たかしま炭鉱(現高島町)で約三〇〇人が労働を強いられたという。明治四年(一八七一)出津一三人・黒崎六人が佐賀に送られて評定所牢に投獄され、これが外交問題となった。同年の岩倉使節団はアメリカ大統領や国務長官から強い批判を受け、条約改正の予備交渉にも支障をきたしたため、同六年にベルギーから電報でキリシタン弾圧を停止するように明治政府に要請するに至り、同年二月にようやく弾圧は停止された。明治期にあってかれらキリシタンのうち六〇戸は潜伏キリシタン当時のしきたりを守り続け、二〇〇戸は渡来してきたカトリック宣教師に従うというように、二態をみせた。往時の信仰は葬儀や年忌法事など寺社の信仰形態と混成されたもので、遺体の頭をローマに向けて寝棺で葬ったり、死者のためにオラショ(祈り・経文・御誦)を唱えたりしたという(以上「外海町誌」)。下黒崎郷松本に「おはつほのあげ方」「ささげみち」「御像をいたゞくとき」「お墓参りの節」「天国のひらき」などからなるキリシタンのオラショが伝承されている。

旧高旧領取調帳では高一六六石余。明治七年の区別町村調では東樫山ひがしかしやま郷・永田岡ながたおか郷・下黒崎郷・上出津郷・三重郷・西樫山郷・三重田みえた郷・永田浜郷・上黒崎郷・牧野郷・下出津郷とある。郡村誌では牧野郷・下黒崎郷・上黒崎郷・永田郷・赤首郷・東出津郷・西出津郷の七郷に分れ、村社の大神宮神社・柏木かしわぎ神社・天満神社が祀られ、古跡は田中城跡、物産は甘藷・野牛・干鰮など。

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1. くろさきむら【黒崎村】青森県:西津軽郡/岩崎村
日本歴史地名大系
天正一三年(一五八五)に「為信公秋田領渡鹿の沖合にて、大難風にあひて船を返し給ひ、それより神明の神慮を仰ぎて、黒崎村の沖にて、漸く大岩を見当て、船を漕ぎよせ給ふ ...
2. くろさきむら【黒崎村】秋田県:男鹿市
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3. くろさきむら【黒崎村】富山県:富山市/旧上新川郡地区
日本歴史地名大系
集落北の海岸沿いを加賀藩主往還路(北陸街道)が通る。古くから浜黒崎村と俗称されたが、天保一〇年(一八三九)富山藩領黒崎村と区別するため正式に浜黒崎村と改称(「村 ...
4. くろさきむら【黒崎村】富山県:富山市/旧上新川郡地区
日本歴史地名大系
[現]富山市黒崎 熊野川と土川の間に位置し、土川対岸東側は赤田村。天正一三年(一五八五)閏八月一三日の佐々成政知行方目録(土佐国蠧簡集残篇)によると、「九百五拾 ...
5. くろさきむら【黒崎村】石川県:加賀市
日本歴史地名大系
「北野社家引付」永正二年(一五〇五)七月一二日条に、享徳元年(一四五二)の本所宛状に従って「黒崎村内国重名田畠」一所を国元彦次郎に安堵したことがみえる。天文(一 ...
6. くろさきむら【黒崎村】石川県:七尾市
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[現]七尾市黒崎町 富山湾に面した灘浦海岸に位置し、北は佐々波村、南は黒崎川を挟んで花園村。初め加賀藩領、天明六年(一七八六)以降幕府領(加賀藩預地)となる(加 ...
7. くろさきむら【黒崎村】兵庫県:揖保郡/御津町
日本歴史地名大系
北村・東ノ丁・西ノ丁からなる。文禄三年(一五九四)六月五日の小出吉政宛の豊臣秀吉知行方目録(金井文書)に黒崎村とみえ、慶長国絵図にも村名がみえる。寛永一三年(一 ...
8. くろさきむら【黒崎村】奈良県:桜井市/朝倉・初瀬・上之郷地区
日本歴史地名大系
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9. くろさきむら【黒崎村】岡山県:倉敷市/旧都窪郡地区
日本歴史地名大系
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10. くろさきむら【黒崎村】岡山県:倉敷市/旧玉島市地区
日本歴史地名大系
入船納帳」によれば備後米を積んだ南浦からの船が兵庫北関へ入津している。慶長一一年(一六〇六)黒崎村四八四石余が伊予藤堂高虎に加賜されている(「徳川家康朱印状」高 ...
11. くろさきむら【黒崎村】徳島県:鳴門市
日本歴史地名大系
この間慶長九年には斎田・黒崎の大池が築造されている(前掲開起書)。天和二年(一六八二)の蔵入高村付帳に黒崎村とみえ、蔵入高四九四石余。享保二年(一七一七)の検地 ...
12. くろさきむら【黒崎村】福岡県:大牟田市
日本歴史地名大系
て黒崎は中世以来高良神信仰の霊場とされた。元和六年(一六二〇)以降柳川藩領。同七年の郡村帳に黒崎村とあり、玄蕃高一一七石余、小物成は野手米三斗・海年貢米一斗余。 ...
13. くろさきむら【黒崎村】長崎県:西彼杵郡/外海町
日本歴史地名大系
領になったという。この外目村は黒崎村・陌苅村・雪浦村のうちを含むとし、当時の田畑屋敷および小物成とも二八八石余で、うち陌苅村一三五石余・雪浦村一〇六石余・黒崎村 ...
14. くろさきむら【黒崎村】長崎県:壱岐郡/郷ノ浦町
日本歴史地名大系
に西目一七町八反四丈として二九名の給人に分給されている地は黒崎村と長嶺村を含むものであった。慶長九年(一六〇四)の平戸領惣目録に黒崎村とみえ、高二七一石余。慶長 ...
15. あきのかみむら【明神村】徳島県:鳴門市
日本歴史地名大系
北東は小鳴門海峡に面する。対岸は高島村。西は中山谷の北部を含み、北部は東流する明神川沿いに平野が開ける。南東黒崎村から小鳴門海峡沿いに北に進み、明神川を西にさか ...
16. あぜかりむら【陌苅村】長崎県:長崎市
日本歴史地名大系
が幕府領になるに伴い、浦上村・家野村・外目村は再び大村家領となったが、この外目村に陌苅平村と黒崎村(現外海町)および雪浦村(現大瀬戸町)が含まれ、当時の田畑屋敷 ...
17. あみやく【網役】
国史大辞典
また同一種類の網に対しても、漁期を異にするに従い賦課額に差別を設けた場合もあった。岡山県浅口郡黒崎村(倉敷市玉島黒崎)の元禄七年(一六九四)の文書に「一、銀四十 ...
18. いずもむら【出雲村】奈良県:桜井市/朝倉・初瀬・上之郷地区
日本歴史地名大系
[現]桜井市大字出雲 初瀬街道の街村、黒崎村の東、狛村の北にある。慶長郷帳にみる村高四五二・〇六石。慶長五年(一六〇〇)織田有楽(長益)領。元和七年(一六二一) ...
19. いなどめむら【稲富村】兵庫県:揖保郡/御津町
日本歴史地名大系
ものである。円融寺には徳川家光など歴代徳川将軍の領知朱印状写が伝来する。仁王門の金剛力士像は黒崎村萩谷から萩の大木を伐り出して行基が刻んだという(揖保郡地誌)。 ...
20. うさはちまんじんじゃ【宇佐八幡神社】徳島県:鳴門市/黒崎村
日本歴史地名大系
衛門が播州尾崎の八幡宮(現兵庫県赤穂市)を居屋敷内に勧請したのが始まりで、その後屋敷造替の際黒崎村西田寺(現斎田寺)の境内に宮地を移した。ところが産土神を他村へ ...
21. うらかみむら【浦上村】長崎県:長崎市
日本歴史地名大系
ただし同藩領となるのは一部で、同年三月の大村領内高目録では「浦上ノ内」の北村・家野村・西村、および黒崎村(現外海町)・雪ノ浦(現大瀬戸町)が記される。慶長国絵図 ...
22. おおくわじまむら【大桑島村】徳島県:鳴門市
日本歴史地名大系
[現]鳴門市撫養町大桑島 北は小鳴門海峡に面し、東は北東流する撫養川を挟んで弁財天村・北浜村、西は黒崎村。小鳴門海峡対岸の三石村との間に桑島渡(三ッ石渡)がある ...
23. おおしまなかむら【大島中村】岡山県:笠岡市
日本歴史地名大系
がある。正保郷帳では林山少・芝山大と注記され、枝村として西大島村・正当(正頭)村・大工村・小黒崎村・鳥〓(鳥ノ江)村・東大島村・国頭村の七村がみえ ...
24. おおたにむら【大谷村】岡山県:浅口郡/金光町
日本歴史地名大系
[現]金光町大谷 須恵村の東にあり、東は阿賀崎新田村(現倉敷市)、南は黒崎村(現同上)。竜王山の稜線が北に延び、その谷間に位置する。国道二号の金光隧道東方南側に ...
25. おおまごしむら【大間越村】青森県:西津軽郡/岩崎村
日本歴史地名大系
[現]岩崎村大間越 北は黒崎村、南は大鉢流山(六二五・八メートル)を境として秋田領である。西は日本海、東は白神山地である。村北を津梅川が流れる。村名は大間が船の ...
26. おしとむら【押戸村】茨城県:北相馬郡/利根町
日本歴史地名大系
延文元年(一三五六)の足利義詮安堵下文(同文書)によれば貞久は義詮から「下総国相馬郡内」の「符河村、押手村、下黒崎村、発戸村、甲斐御房村」などを安堵されており、 ...
27. おんがぐん【遠賀郡】福岡県
日本歴史地名大系
山鹿村の三ヵ村を除く一六ヵ村は合併によって誕生している。同二四年に若松村・芦屋村、同三〇年に黒崎村、同三二年に八幡村・戸畑村がそれぞれ町制を施行。郡役所は明治三 ...
28. かがし【加賀市】石川県
日本歴史地名大系
塩津村・篠原村・橋立村・黒崎村が成立。同二四年瀬越村吉崎が三木村に、同二九年篠原村柴山が月津村(大部分は現小松市)に編入された。大正二年山代村が町制施行。昭和五 ...
29. かさおかむら【笠岡村】秋田県:秋田市/新城地区
日本歴史地名大系
郡邑記」は「笠岡村 家員七軒。十二丁村廿軒、関根村十七軒、中野村三十九軒 正保三戌年開出、羽黒崎村六軒」と村の古い姿、支郷の存在を伝える。口碑によると十二丁村は ...
30. かたのむら【片野村】石川県:加賀市
日本歴史地名大系
[現]加賀市片野町 黒崎村の南にある日本海に面した村で、加佐ノ岬から続く岩石海岸は村域中央部で尽きて砂浜海岸となる。砂浜に突出した加佐ノ岬層の残丘を長者屋敷と俗 ...
31. 甲子夜話三篇 3 48ページ
東洋文庫
・一卯辰向・一  合十長嶺村・真布呂南向・一未向・二崩・一南向崩  合五   同・一崩   黒崎村 ...
32. かなやましんむら【金山新村】富山県:富山市/旧婦負郡・射水郡地区
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一応の決着をみた同一五年、加賀藩新川郡無組御扶持人十村役天正寺村十右衛門(金山氏)と広田組十村役黒崎村安兵衛(宝田氏)が中心となり、草島村を初め周辺村の百姓を集 ...
33. 加能越三箇国村御印之留(村御印留)[文献解題]富山県
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理右衛門組など三組三二五通、第八冊が新川郡江上村三郎左衛門組など三組二三八通、第九冊が新川郡黒崎村与次兵衛組など三組二二一通となっている。 MF 富山県立図書 ...
34. かみにいかわぐん【上新川郡】富山県
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同一四年大沢野村が町制施行。同一〇年奥田村が富山市に編入。同一五年新庄町・東岩瀬町・島村・針原村・浜黒崎村・大広田村・豊田村・広田村が富山市に編入。同一七年堀川 ...
35. かもむら【賀茂村】秋田県:男鹿市
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陸の孤島の存在であった。天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「志まと村 かも村 黒崎村 富村 はま塩屋村 はま中村」として八四石八斗三 ...
36. かりやむら【苅屋村】兵庫県:揖保郡/御津町
日本歴史地名大系
[現]御津町苅屋 富島川を挟んで黒崎村の東に位置し、揖保川の支流元川の流域に立地する。西ノ町・東ノ町・川東からなり、仮屋とも書いた。文禄三年(一五九四)六月五日 ...
37. きたいそ・みなみいそ【北磯・南磯】秋田県:男鹿市
日本歴史地名大系
の成立と推定される御直山木山絵図(山口一郷氏蔵)に「北磯之由、北浦村・水口村・野村・湯本村・黒崎村・北平沢村・戸賀村・畑ケ村・浜間口村・浜野塩谷村・塩戸村・浜中 ...
38. きたひらさわむら【北平沢村】秋田県:男鹿市
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海岸は名石の浜とよばれ、広島からは砥石が切り出された(絹篩)。黒崎村との村境近くに天王宮があったが(同書)、明治に至り八幡神社となる。明治九年(一八七六)黒崎村 ...
39. きゅうかみにいかわぐんちく【旧上新川郡地区】富山県:富山市
日本歴史地名大系
受けた新川郡分割で上新川郡所属となった。同二二年の町村制施行により東岩瀬町・新庄町・大広田村・浜黒崎村・針原村・豊田村・広田村・島村・山室村・太田村・奥田村・堀 ...
40. きゅうたましましちく【旧玉島市地区】岡山県:倉敷市
日本歴史地名大系
郡の成立により同郡に所属)、浅口郡乙島村・柏崎村・阿賀崎村・玉島村・長尾村・池田村・道口村・黒崎村が成立。同三〇年に阿賀崎村と玉島村が合併して玉島町となり、同三 ...
41. くしきむら【櫛木村】徳島県:鳴門市
日本歴史地名大系
当村に籍を置きながら土佐泊浦大毛に住み、藩主が鹿狩に来た時にはその御用を勤めたという。医師には寛政期黒崎村から来住した勝野春琢、幕末期に肥前で種痘術を学んで帰り ...
42. くにかたぬしじんじゃ【国片主神社】長崎県:壱岐郡/芦辺町/国分村
日本歴史地名大系
岐神領図(壱岐史拾遺)に「天満宮 国分 六十四町」とあり、「半成村、牛方郷、満津村、大浦村、黒崎村、布気村、山信村」などが神領であった。永禄五年(一五六二)一二 ...
43. 黒崎(長崎県)
日本大百科全書
長崎県長崎市北西部、西彼杵(にしそのぎ)半島西岸に位置する地区。旧黒崎村。江戸時代からの隠れキリシタンの村で、黒崎教会のほか、キリシタンを祀(まつ)った枯松(か ...
44. くろさきごう【黒崎郷】千葉県:我孫子市
日本歴史地名大系
弘安一〇年妙智は「黒崎内下黒崎村加発戸并稲村・文間郷内押手村」を幕府から安堵された(一〇月二四日「関東下知状」鳥浜氏所蔵文書)。稲村は現茨城県取手市稲と思われる ...
45. くろさきびらきむら【黒崎開村】福岡県:三池郡/高田町
日本歴史地名大系
れた総面積約二〇〇町歩に及ぶ広大な干拓地(開村誌)。三池郡に属する。潮止め堤防の延長は、南は黒崎村金助坂下(現大牟田市)より北は江浦村の楠田川河口三開水門まで約 ...
46. こうらいむら【高来村】富山県:富山市/旧上新川郡地区
日本歴史地名大系
[現]富山市高来 常願寺川左岸寄りにあり、北は富山湾。海岸沿いを加賀藩主往還路(北陸街道)が通る。西は黒崎村、南は野田村。口碑では「たかぎ」とも称されたという。 ...
47. こがくらむら【小嘉倉村】長崎県:長崎市
日本歴史地名大系
嘉永年間に深堀鍋島氏が築いた御水の池は佐賀藩水軍の茶水として長浜番所(現香焼町)に船で送られたという。嘉永二年黒崎村(現外海町)より移住したキリシタンが熊ヶ峰の ...
48. こくぶごう【国分郷】長崎県:壱岐郡/芦辺町/国分村
日本歴史地名大系
正平二四年(一三六九)の壱岐神領図(壱岐史拾遺)に国分の天満宮領として六四町とあり、山信村、黒崎村・半成村・牛方郷・大浦村(現郷ノ浦町)、布気村(現勝本町)、大 ...
49. こばやしむら【小林村】富山県:滑川市
日本歴史地名大系
家数二一はすべて百姓。明和五年(一七六八)の家数一九(奥野家文書)。新川郡中加積組の十村役であった宝田家は黒崎村(現富山市)の宝田家から分家、安永五年(一七七六 ...
50. こまきむら【小牧村】長崎県:壱岐郡/郷ノ浦町
日本歴史地名大系
書送っている(一一月二六日「松浦隆信書状」松浦文書類)。近世は黒崎村の枝郷(壱岐国続風土記)。正保国絵図に村名がみえ、高一二〇石余。「壱岐名勝図誌」では黒崎村の ...
「黒崎村」の情報だけではなく、「黒崎村」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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北海道南西部にある市。渡島半島の南東部にあたる亀田半島に位置し、南は津軽海峡に臨み、西には函館湾をいだく。道南の政治、経済、文化の中心地であり、渡島総合振興局が置かれている。初めウスケシ(アイヌ語で湾の端の意)とよばれていたが、1454年(享徳3)ごろ
東京(日本大百科全書(ニッポニカ))
関東地方の南西部にあり、日本国の首都。東は江戸川を境として千葉県に、北は内陸県の埼玉県に、西端は関東山地を境として山梨県に、南は境川・多摩川などを境として神奈川県に、それぞれ接している。その面積は2187.65平方キロメートルで、香川県・大阪府に次いで全国では
山口県(日本国語大辞典)
本州西端部の県。周防・長門の二国にあたる。明治四年(一八七一)の廃藩置県により山口・豊浦・岩国・清末(きよすえ)の四県となり、同年末に山口県に統合されて現在の県域が定まる。県庁所在地は山口市。
京都(府)(日本大百科全書(ニッポニカ))
近畿地方の中央部から北部にかけて細長く伸び、東は福井・滋賀・三重の各県に接し、南は奈良県、西は兵庫県・大阪府と境し、北は日本海に面する。五畿内(きない)の山城(やましろ)一国と、山陰道の丹波(たんば)国の大部分および丹後(たんご)国全域からなる。
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ド=ロ(日本人名大辞典)
フランスの宣教師。1840年3月27日生まれ。カトリック。慶応4年(1868)プチジャンの要請をうけて来日し,長崎の大浦天主堂で石版印刷による宗教書を刊行。のち外海(そとめ)地域の主任司祭。診療所をひらき,出津(しつ)教会などを建設したほか,地元民の教育や社会福祉事業につくした。大正3年
五輪教会(日本歴史地名大系)
[現]福江市蕨町 五輪 奈留瀬戸に面して建つカトリック教会堂。寛政年間(一七八九―一八〇一)大村領外海(そとめ)からキリシタンの移住があったとされる。元治二年(一八六五)大浦天主堂(現長崎市)でのいわゆる信徒発見のあと、明治元年(一八六八)蕨小島(わらびこじま)
出津教会(日本歴史地名大系)
[現]外海町黒崎西出津郷 カトリック教会堂。県指定文化財。江戸時代よりキリシタンが潜伏していた地域で、寛政年間(一七八九―一八〇一)当地など大村藩領の外海から五島などへ移住する信徒が多かったことから、キリシタンの母郷ともよばれる。明治一二年(一八七九)主任司祭として
頭ヶ島教会(日本歴史地名大系)
[現]有川町友住郷 頭ヶ島 頭ヶ島にあるカトリック教会。天主堂は県指定文化財。江戸時代は長く無人島であったが、安政六年(一八五九)鯛ノ浦のキリシタン二、三戸が移住し、開拓を行ったという。慶応三年(一八六七)戸数二五のキリシタン集落になっていた(有川町郷土誌)。鯛ノ浦の
野首教会(日本歴史地名大系)
[現]小値賀町野崎郷カトリック教会で、野首天主堂ともいう。江戸時代よりキリシタンが潜伏していた地で、野首に寛政九年(一七九七)大村領の外海(そとめ)から移住した信徒や、瀬戸脇(せとわき)に三井楽(みいらく)(現三井楽町)・久賀(ひさか)島(現福江市)から移ったキリシタンが
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